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3 迷信

 恐ろしいのに、目を離すのが怖い。

 近づくにつれて、少しずつ姿がはっきり見えてくる。


 顔を半分覆うように、ぐしゃぐしゃと垂れ下がった金色の長い髪。

 白いドレスはかぎ裂きだらけでボロボロ。

 全身ぐっしょりと濡れているのか、水滴がぼたぼたと落ちて、足元に水溜りができている。


 どう見たっておかしい。気のふれた女に違いない。

 昼間に見たとしても、きっと悲鳴をあげてしまいそう。


 なのに、馬車はその女にゆっくり近づいていく。


 なんでこんなにゆっくり進むのよ……

 こんな気味の悪いもの、大急ぎで駆け抜けなさいよ……


 御者にそう言おうとしたけれど、でも、ここで大声出して()()に気づかれるのも怖い。

 私は慌てて窓から顔を引っ込めると、窓とカーテンを大急ぎで閉め、目をぎゅっと閉じた。



 ガタ、ゴト、

 ガタ、ゴト、

 ガタ、ゴト、



 ゆっくりとした馬の歩みの音。

 あの白い女に近づいてる……?

 まだ、通り過ぎないの……?



 ガタ、ゴト、

 ガタ、ゴト、

 ガタ、ゴト、



 まだ? まだなの?

 もういや、早く帰りたい。


 待って、さっき御者は「止めます」って言ったっけ……まさか…………

 やっぱり御者に文句を言おうかしら。

 ああっ、でも、窓から覗いてあの白い女がすぐ近くにいたら……



 いよいよゆっくりと馬車は止まり、ギッと御者台から人の降りる音がする。

 そして、不意にすぐそばの扉がコンコン、とノックされ、私はビクッと身を縮ませた。



「すいません」



 扉越しに聞こえたのがさっきの御者の声だったので、私はかなりホッとした。


「な、なに?」

「こちらの娘さんを乗り合わせてください」

「えっ?」

「こちらの娘さんを乗り合わせてください」

「い、いやよ、なに言って……」



「のぉー せぇー てぇー くぅー だぁー さぁー ぁいぃぃ」



 急に間伸びしたような低い声が聞こえ、私はゾッとして小さく悲鳴をあげた。

 私の返事も待たずに、ガチャッと扉が開けられる。


「ちょっ、な、なに!?」


 思わず反対側の扉に逃げるようにして後ずさる。

 扉を開けてヌッと覗き込んできたのは、背中の曲がった御者だった。

 御者は真夜中の闇を背負い、真っ暗の影のまま。


「すいませんね」


 御者の声は、さっきと同じに戻っている。しわがれた年寄りの、平坦で感情のない声だ。


「馬車乗りの間じゃ、モールテッドの古森で、一人で立っている女がいたら乗せてやらないと呪われるって迷信がありましてね」


 ちょっと意味がわからない。


「な、なによ、呪いって……それ、人間じゃないって言うの?」

「いやあ、そういうわけでも」

「じゃあ、人間なの? 気がおかしいんじゃないの?」

「と言いますか、こんな夜中に女性一人を森の中に置き去りにするなんて、普通に寝覚めが悪いもんでしょう?」


 そう言われて私はムッとした。それって、まるで私が人でなしみたいな言い方じゃない? 怒りがわくと、恐怖は少し薄くなった。


 こんな怪しい女を同じ馬車に乗せるなんて、絶対あり得ない! なんて無礼な御者かしら。口調も雑だし、身なりも小汚い。王城付きの御者とは思えない。

 第一、この馬車やっぱり随分古いしオンボロだわ。なんで乗る時に気づかなかったんだろう。きっと正規の馬車じゃないものが城内に入り込んでしまったのね。レオナルド王子に言って、きつく罰してもらわなきゃ。


 私は無礼な御者に腹が立って、御者が開けた扉を閉めようと取っ手に手を伸ばしながら食ってかかった。


「私は第一王子の婚約者になったのよ!? いずれ王妃になるんだからっ! 得体の知れないものを乗せるなんて不敬よ、不敬! あり得ないわ!」

「見捨てろと?」

「私を送り届けた後、あなただけもう一度戻ってくればいいじゃない」

「怖がらんでやってください。小さな子供だって同じ馬車に乗り合いますよ」

「怖いんじゃないわよッ! あんたみたいな無礼者は、レオナルド王子に言って処刑台に送ってやるわ!」


 老いた御者は私の剣幕に体を少し引いたようだった。だけどなぜか、馬車の中の影は大きく伸びた。


「乗せてやらないと呪われます。王子様でも、国王様でもモールテッドの呪いからは逃れられますまい。それにほら、もう」



 ハッと気付くと、いつの間にか向かいの席に、青白い顔の気味の悪い娘が座っていた。



 ヒュッと喉の奥が鳴る。


 距離が、すごく近い。

 泥の腐ったような匂いが鼻をつく。

 ずぶ濡れのドレスからボトボトしたたり落ちる水滴が、跳ねて、いくつか自分の靴に飛び散った。


「ひぃっ」


 思わず悲鳴を上げ、背後の扉に体をぶつけるようにして身を離す。


「可哀相な娘です。しばらくご一緒させてやってください」


 そう言うと御者はバタンと扉を閉め、外から鍵をかけた。



 ――ガチャン



「まっ、待ちなさいよ!」



 ――ガチャン



 ほぼ同時に自分の側にあった扉からも、鍵をかける音がする。



「えっ?」



 振り返ってガチャガチャと扉を開けようとするものの、しっかり施錠されていて、全く開く気配がない。


「え、やだっ、なんで外から鍵かけてるの!?」


 扉越しに御者のくぐもった声が小さく聞こえる。


「すいませんねえ、あんまり騒がれると別のタチの悪いモノが来ますから、ちっと静かにしててくだせぇ。こっちも危ないことはごめんなんでね。ああ、外鍵? これは死罪人を運ぶ時にも使う馬車でしてね。おっと、余計なことを言いましたな」


 そうして、聞こえるか聞こえないかの呟きが最後に届く。


「本当に気の毒な娘です。悪いもんじゃありません。何か、身に覚えがあるなら別ですが」


 なっ、何よそれ……!

 ほんっと、なんて失礼な男かしら。レオナルド王子に言い付けて、懲らしめてもらわなくちゃ。


 ガタン、と一度大きく揺れると、馬車は再び進み出した。


「きゃあっ」


 揺れの衝撃で体勢が崩れ、青白い娘の方へ倒れかかりそうになり、私は必死で堪えた。扉の取っ手にしがみつく。それから、向かい側に座る娘とはできる限り離れるように窓際に寄り、しぶしぶ腰を下ろした。


 馬車は相変わらず、ガタガタとひどく揺れ続け、車内の古いカンテラもゆらゆらと揺れっぱなし。

 向かいに座った娘は、自分の足元を見るようにうつむいたまま、じっとしている。


 私は気味の悪い娘をなるべく視界に入れないように窓のほうへ顔を向け、じっとやり過ごすことにした。


 狭い車内にすえたような臭いが充満していって、気分が悪い。

 窓を開けたいけど、あんまり動かないほうがいいかしら……




 しばらくすると、気持ちは少し落ち着いてきた。

 御者の男が言った通り、向かいの娘はただじっと座っているだけで、本当に何もする気配がない。

 

 呪いや迷信だなんて……あんなのきっと御者の子ども騙しの脅しだわ。私のこと、バカにして。

 気味は悪いけど、ただの見すぼらしい、頭のおかしい娘じゃない。

 こんなのと一緒の馬車に乗るなんて。ああ、嫌だ、嫌だ。


 怖がってしまった自分が恥ずかしくなり、なんだか苛立たしくなってくる。



 私はチラチラと、横目で娘の姿を観察し始めた。


 顔の半分を覆うように垂れ下がったボサボサの長い金髪。枯れ葉や木のくずがたくさん引っかかっている。元は輝くような金の髪だったのかもしれないけど、今はすっかりくすんで見すぼらしい。それに傷み方が普通じゃない。あちこち千切れているし、燃えたみたいに縮れているところもある。それに、髪の先からずっと水がポタポタ垂れていて汚らしい。


 金髪の隙間から覗く顔は、青白くってゾッとする。時折見えるドロリと青みがかった黒い目は、ぽっかりと深穴のように見開いていて、気味が悪い。正気じゃない目、ってこういうものなのね。


 着ている白いドレスは、かぎ裂きだらけでボロボロ。あちこちに茶色い血のような染みが散ってひどく汚れている。このドレスの裾からもずっと水がしたたっていて……本当に気持ち悪いったら。


 でも、あら……?


 よく見ればドレスには細かな刺繍がたっぷり刺してあって、デザインは古めかしいけど随分と高価そうな仕立て。身につけている宝飾品も繊細な細工だし、すっかり濁った色になっているけれど大粒の宝石もあしらわれている。磨けば結構いい品かも。


 どこかいい家の娘が落ちぶれたのかもね。


 私は今夜の舞踏会を思い出し、婚約破棄を言い渡された惨めなカタリーナの姿と彼女を重ねた。

 ふふっ、ちょっといい気味だわ。


 それにしても、娘の髪の先やドレスの裾から、ひっきりなしにボトボトと水がしたたり落ちるの、どうにかならないのかしら……床には水たまりができてきたし……こっちに流れてこないか気になって仕方ない。ああ、嫌だ嫌だ。さっき少し水がかかってしまったから、この靴もう捨てなきゃ。


 吊るされた弱い光のカンテラが、馬車の振動で揺れ続けていて、自分の影がゆらゆらと忙しなく揺れる。



「ねえ」



 不意に、ささやくようにか細い声で呼びかけられて、私は思わずビクッとした。


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