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彼は他の女の手を握りながら、私に婚約破棄を告げた

勢いで書きました。

「すまない、婚約を破棄してくれないか」


婚約者は他の女の手を握りながら、私に婚約破棄を告げた。

嗚呼、いつの日かこんな日が来るんじゃないかと、そう思っていた。覚悟していたはずなのに、私は、私は、


どうしてこんなに悲しいのだろうか。




いつから、私たち二人の関係は変わってしまったのだろう。思い返せば、関係に亀裂が入ったのは、きっとあの日からだ。







─────────────────────────






元々、私たち二人の婚約は政略的なものというよりも家族ぐるみで仲が良かったことの方が大きいと思う。だから、伯爵令嬢である私エブリン・フローと、侯爵令息である彼ノア・ブライアは小さい頃からとても仲が良かった。

ある日突然婚約者になった時は、少し不思議な気持ちもあったけど、悪い気は全くしなかった。寧ろ、私は嬉しかったくらいだった。

それは、向こうも同じだとずっとそう思っていた。

だって、ノアは私にとても優しくて、それにデートにだってよく誘ってくれたから。それは、十六歳になって貴族が集う学園に入学してからも変わらなかった。


でも、そんな私たちの関係を変えたのも、またデートだった。ある日の午後、自室で授業の予習をしていると、ノアが訪ねてきた。


「エブリン、今週末にピクニックに行かないか? お前、最近勉強勉強で、全然休んでいないだろう」

「だって、貴方とは違って、私は予習復習しないと、とてもこの学園のレベルについて行けないんだもの」

「ははっ、俺は天才だからな」

「むぅ! 嫌味な奴」

「そうむくれるなよ。勉強は帰ってきたら、俺がしっかり教えてやるから。偶には休息も必要だろう?」

「教えてくれるの! やった! じゃあ、ピクニック行っても良いよ」

「よっしゃ! じゃあ、決まりな。すっげぇ、綺麗な湖見つけたんだよ。そこ、湖だけじゃなくて、今の時期だと花とかも咲き誇ってて超綺麗らしいよ」

「私、そういうところ大好き!」


この頃の私は、ピクニックを只々楽しみにしていた。でも、ピクニックに行ったその日からノアは何故だか私に冷たくなって、口も聞いてくれなくなったのだ。

何を話しても無視を決め込んで、まるで私を存在しないかのように扱い始めた。

そして更に、彼は何故か足を失って義足になっていたのだ。それについても、何度追求しても何も答えてくれなかった。



しばらく経つと、ノアを気遣うように寄り添って歩く私以外の女性の姿を学園の至る所で見るようになった。


この頃から、彼は目に見えておかしくなった。毎朝整えて艶やかだった髪はボサボサになって艶もなくなり伸び放題に伸び、顔は窶れて溌剌とした雰囲気はカケラもなくなった。


私以外の女性、エリーと私の前であるにも関わらず腕を組んで、それでも彼は全然楽しそうじゃなかった。

なのに、昼食も、放課後も、授業中以外はずっと一緒にいる二人はまるで恋人同士のように見えて‥‥‥ そして、それを私のことをあんなに大事にしていたはずのノアも受け入れていた。

私は、愛しい彼が他の女性と歩いている姿を見ることが一番辛かった。


だけど、悲しんでいる暇はない。私は彼に注意しなければならないと思った。

間違った道に進みそうになれば、それを正すのも婚約者の務めだ。

私は、食堂で昼食を取っている二人に近づいて話しかけた。人目のあるところなら、二人も話を聞いてくれると思っていた。


「ねぇ、ノア、婚約者である私のことを蔑ろにして、他の女性を優先するのは不誠実すぎるんじゃない?」

「‥‥‥」

「エリーさんも、この人には私という婚約者がいるんですよ!」

「‥‥‥」


二人に何を言っても、黙るばかりで何も答えてくれない。それどころか、何故か悲しそうな顔をする始末だ。


訳がわからない、悲しいのは私の方よ!


そんな二人のことを食堂にいる他の生徒たちも、憐れむような目で見ていた。

偶々居合わせた私の友人たちも、二人のことを口々に話しているのが聞こえる。


「お可哀想に‥‥‥」

「えぇ、本当に、おいたわしいですわ」

「見ていられません」


ノア、貴方の不誠実な行動は、学園全体に広まるわ。このままでは、貴方の評判は地に落ちる。

その前に、私は彼を説得しなければならない。絶対に元の、私が大好きだったノアに戻すからね!




─────────────────────────





決意新たに、今日も私はノアの後ろについて説得し続ける。応答がなくとも、答えてくれるまで話し続けると決めた。

それが、ノアのためになるのだから。


「ノア、貴方のことみんな憐れな目で見ているわよ」

「‥‥‥」

「こんな浮気みたいなこと、ブライア侯爵家にだって迷惑がかかることになるのよ」

「‥‥‥」

「どうしてよ、どうして、わかってくれないの!」


私が悲鳴のような声を上げた時、ノアは突然蹲って泣き出した。それを支えるように、エリーさんが彼をそっと抱きしめる。


何よ、何で、泣くのよ。私が悪いの?

どうして、そっちが被害者みたいな顔するのよ。

貴方はそんなすぐ泣くような人じゃなかったじゃない。


私が、何をしたっていうのよ!


何もかもを投げ出したい気持ちになって、私はその場から逃げ出した。逃げて、逃げて逃げて‥‥‥辿り着いたのは自室だった。窓辺に飾ってある花冠を見ながら、あのピクニックのことを思い出す。

あの時はまだ幸せだった。ノアが私のために、この花冠を作ってくれて、頭に乗せてくれて「まるで花嫁みたいだ」と太陽のように笑っていた。あの時は、私だって結婚するんだって信じて疑ってなかった。

なのに、


「‥‥‥どうして、こんなことになっちゃったんだろう」


視界が勝手に滲む。

ポタリと落ちた雫は、花冠に上に落ちた。












そして、ついにその時がきてしまった。

いつもに増して辛そうな顔をしたノアが心配で、後をついていくと学園に併設された教会に着いた。夕焼けがステンドグラスに反射して、キラキラと光った神秘的なそこには、エリーさんがぽつんとひとりで座っている。

軈て、ノアに気がつき振り向いたエリーさんの淡い笑顔は教会の雰囲気と相まってとても綺麗だった。ノアはそれに応えるようにエリーさんの方へ進む。


その光景は、まるで人目を忍んで結婚する男女のようだった。


ノアがエリーさんの隣に腰をかける。そして、彼女の手をそっと握って懺悔するような声で言った。


「すまない、婚約を破棄してくれないか」


他の女の手を握りながら、彼はこちらを一度も見ることなくそんなことを告げた。

こんなことになると、薄々気がついていた。

でも、認めたくなかった。

認めるつもりもなかった。

みっともなくても、縋り付いてでも破棄になんてするつもりなかった。

だけど、こんな声で言われちゃ、断れない。


狡い人。


「ノア、」


話そうとした時、エリーさんが私に被せるようにして言葉を絞り出した。悲しそうで、それでもしっかりとした声だった。


「矢張り、エブリンさんのことを忘れられませんか」


えっ?


「すまない、本当にすまない。自分勝手だってわかってる。だが、どうしても忘れられないんだ」

「‥‥‥私は、父に言われて、政略的なことを考慮して貴方と婚約することに決めました。その時から、貴方の一番になれないことは覚悟の上です。でも、それでいいと思ったから、お受けしたのです」

「君といると、エブリンのことをどうしても思い出すんだ。それが、それが、申し訳なくて‥‥‥俺は生きてるのに、エブリンは‥‥‥」


頭を掻きむしるように抱え込んだノアの背中を、エリーさんが優しく摩る。


「貴方のせいではありません」

「俺のせいなんだよッ!」


バッと、手を振り払ったノアの顔は涙でぐちゃぐちゃだった。


「俺のせいなんだ、俺の、俺が、ピクニックなんて連れて行ったから、だから、エブリンは、」


──死んだんだ。




その瞬間、頭を殴られたような衝撃が走る。

嗚呼、そうだった。

どうして、忘れていたのだろう。

私は、あの日、あのピクニックの日に死んだんだ。


「俺があんな所にさえ、連れて行かなかったら‥‥‥エブリンは今でも‥‥‥俺のせいだ、俺の。俺が死ねばよかったんだ!」


──そんなこと言わないでッ!


思い切り声を出したその瞬間、勢いよく振り向いたノアと目があった気がした。合うはずなんてないのに、死んだのを認められない私はまだそんな気がしてしまった。


「‥‥‥エブリン、戻ってきてくれたのか」


だけど、ノアの一言で私の思い違いでないことが証明される。


「視えて、いるの?」

「嗚呼、嗚呼‥‥‥エブリン」


瞳に輝きを取り戻したノアが、勢いよく立ち上がり私を抱きしめようとした。だけど、ノアの腕は私をすり抜けてしまった。


「エブリン、どうして君に触れられないんだ」

「わかっているでしょう。私は死んだ。でも、それは貴方のせいじゃない。あれは事故よ」


はっきりと思い出したいまなら、断言できる。あれは間違いなく事故だった。

あの日、あのピクニックに行った日。帰り道に酷い雨が降った。突然の雨に対応できず、ぬかるみに足を取られたらしい馬車は、崖から真っ逆さまに落ちたのだ。

その記憶の先が思い出せないのを考えると、私はあの時に死んだのだろう。

ノアがあの事故で足を失っただけで済んだというのは、不幸中の幸いだった。

あれは、それほどの事故だった。


「ノア、私は死んだ」


そう言った瞬間のノアの表情は、苦痛と後悔と懺悔が入り混じった不思議な顔だった。私はそれを全て無視して彼の手を両手で握るような仕草をした。


「でもね、別に後悔なんかしてない。寧ろ私の最期の記憶が、貴方との楽しいピクニックだなんて、私は幸せものよ」

「エブリン、」

「だから、だからこそ、私は貴方に自分の人生を生きて欲しいの。死んだ人間に囚われる必要なんてない。私のことは忘れて」

「そんなの無理だ」


涙でぐちゃぐちゃになったノアの頬を指で触れる仕草をする。だけど、今の私にはその涙を拭うことはできなかった。


「忘れられないなら、それでもいい。それでもいい‥‥‥けど、でも、ノア、貴方は貴方のことを一番に考えて生きるべきよ」


聞き分けのない子供のように首を横に振るノアに、私は苦笑いを浮かべながら言葉を続ける。


「ノア、知ってるでしょう? 私は楽しいことが大好きなの。貴方がいつか私と同じところへ来たら、その時は、生きていた頃の楽しい話をいっぱい聞かせてね。だから、だからね、」


これから、言うことは、もしかしたらノアにとって負担になることかもしれない。でも、それでも、


「貴方は、私のことを追って来てはダメよ」


私は貴方には生きて欲しかった。


「‥‥‥それが、君の最期の願いなのかい?」

「えぇ、それだけを叶えてくれたらいい」


彼の目からまた涙がこぼれ落ちる。


「‥‥‥酷いよ。そんなこと言われたら、叶える他ない」


こくりと頷いたノアを見て、私は彼から離れると今度は驚き固まっているエリーさんの元へ行く。


「エリーさん、ノアのことありがとう。これから、彼がどんな選択をするのかわからないけど、でも、どんな選択をしたとしても、恋人でも友人でも、伴侶でも、どんな形でもいい。そばにいてあげて欲しいな」

「エブリンさん、貴方がそばにいてあげることは出来ないのですか?」


瞳を揺らしながら泣きそうな顔をして、エリーさんは呟いた。どこまでも優しい子だ。

だけど、それに私は首を横に振って答える。


「ダメだよ。死んだ人間がいつまでもいちゃダメ。だから、貴方が代わりにそばにいてあげて。ごめんね、こんな自分勝手なこと言って」

「‥‥‥いえ、私は最初から、何を言われようと彼のそばにいる覚悟でしたから」


さっきまでの泣きそうな顔とは打って変わった強い眼差しに、この子なら大丈夫とそう思えた。


「ありがとう」


泣きながらも懸命に笑おうとしているノアと、覚悟を決めた顔をしたエリーさんの二人の手に私はそっと触れた。


「これで安心だわ」


そう言った瞬間、体が暖かい何かに包まれる。太陽の光のように優しいそれに、体験したこともないのに私は成仏するんだと悟った。

泣いている二人の姿に、私の目からもぽたりぽたりと涙がこぼれ落ちる。でも、不思議と気分は穏やかだった。


「それじゃあ、またね!」


言葉を最期に私の存在は、この世界から完全に無くなった。


















成仏した私の存在は、世界から完全に無くなった。でも、私は今でも空からあの二人の様子を見ている。


ノアは私との約束を守るために今日も、楽しい思い出を作っている最中だ。

最後まで読んでくださり、嬉しいです。

数ある作品の中で、この作品に出会ってくれてありがとうございました! また別の作品を投稿した際は、よろしくお願いいたします。

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