『雪わり草 ~花~』
「第七.【別紙口伝】
此の条項では、申楽に於ける『花』とは何かについて記した。
先ず人が自然の中の花が咲く姿を見て、全てのものを『花』に喩え始めたと言う理を理解しなければならない。
抑々、花と言うものは全ての草木に於いても言えるように、四季の折節に咲くものである。
四季折々に咲く、其の時に咲く、だからこそ其の花は『珍しき』なのである。
此の『珍しき』が故に、花は人に愛でられる。
申楽に於いても、人の心に『珍しき』と感じられるところが在る。
此れが則ち、『面白き』と言う心なのである。
『花』に『珍しき』が在るから、『面白き』と感じる。
つまり『花』を愛する心、『珍しき』と思う心、『面白き』と感じる心、此の三つは同じ心である。
しかし、全ての『花』が散らずに残る事などあるであろうか?
否。
自然の中の花と同様、申楽の『花』も何れ散る。
そして、再び咲く。
此れこそが、『珍しき』なのである。
申楽も、一所に留まっていない。
其れこそが、『花』であると知るべきである。
変化し移りゆく事こそが、『珍しき』なのである。
但し、心に留めておかねばならぬ事がある。
申楽に於いて、仮令『珍しき』ものであっても世に無いものを演じてはならない。
『風姿花伝』で述べた條々を悉く稽古し尽くし公の場で演じる時は、必ず其の演目の中から観客の求める演目を選び演じるべきである。
自然の中の花だけでなく全ての草木に於いて、四季折節に咲く『時の花』の他に『珍しき花』があるであろうか?
申楽に於ける『花』も、同じである。
習い覚えた演目を極め、其の『時』の人々の好みに応じて演目を選ぶのだ。
そうすれば、其の『時』の人々の『心』を得る事が出来る。
此れこそが、自然の中の『時の花』が咲くのを見る事と同じ理である。
今此の時に咲く自然の中の花は、去年咲いた花の種から生まれたものである。
申楽も以前見た芸、つまり以前咲いた『花』の『種』が基である。
多くの演目を演じ極めれば、其の数に応じて演じる期間も長くなる。
異なる演目を長く演じていれば、一番始めに演じた演目は遠い昔に演じた演目となる。
一番初めに演じた演目を観客が久方ぶりに見れば、其れもまた『珍しき』ものとなる。
ただ人の好みは様々であり、音曲、所作、『物真似』も時や場所により変えなければならないので、演者は多くの芸を演じる事が出来なければならない。
故に多くの演目を極め尽くした演者は初春の梅から秋の菊の花が咲き果てるまで、一年中咲く為の『花』の『種』を持っていなければならない。
何れの『花』であっても、人の『望み』や『時』によって相応しい『花』を披露すべきである。
多くの演目を演じる事が出来なければ、時によっては『花』を失う事になる。
例えば春の花の季節を過ぎて夏草の花を鑑賞する頃、春の『花』しか演じる事が出来ない演者が過ぎし春の『花』を再び披露する事がある。
其れを、『時の花』に合うと言えるであろうか?
此れにより、悟るべきである。
ただ『花』は、見る人の心に『珍しき花』であらねばならないと言う事を。
故に、『風姿花伝』の【問答條々】の『花』の段でこう述べた。
〖多くの演目を演じ工夫を極めた後、『花』の失せぬ所を知るであろう〗
そう述べたのは、此の【別紙口伝】の本旨である。
ただ、『花』とは特別に存在するものではない。
多くの演目を演じ尽くし、工夫を重ね、『珍しき』ものを心得る事こそが『花』なのである。
〖花は心 種は態〗
≪私≫は、【物学條々】の〚鬼〛の段でこう述べた。
〖〚鬼〛の『物真似』を得意として〚鬼〛ばかりを演じ続ければ、〚鬼〛の『物真似』の『面白き』を知る事はないであろう〗
そう述べたのも、多くの演目の中から珍しく〚鬼〛を演じれば、其れは『珍しき』となり『面白き』ものとなるからである。
しかし〚鬼〛しか演じる事が出来ず、「あの演者は、〚鬼〛を演ずる事のみ上手だ」と観客に思われれば、仮令〚鬼〛の演技が素晴らしくとも『珍しき』が無いので『花』も存在しない。
〖〚鬼〛を『面白く』演じる事は、巌に花を咲かせる事と同じである〗
〚鬼〛は強く、恐ろしく、肝を冷やすように演じなければ、其の『物真似』は〚鬼〛ではない。
此れが、『巌』なのである。
『花』と言うものは全ての演目を演じる事が出来、且つ『幽玄』を演じる事の出来る至極上手な演者が〚鬼〛を演じるからこそ、『珍しき』と見られるのだ。
此れが、『花』なのである。
然れば〚鬼〛ばかりを演じる演者に、巌に『花』を咲かせる事など出来はしない」
≪わたし≫は世阿弥様の言葉を整理しながら、自分に言い聞かせるように応えた。
「自然の中の花と同様、申楽に於ける『花』にも『珍しき』が在るからこそ、観客は『珍しき』そして『面白き』と感じる。
花が変化するように、花が四季折々に様々な花を咲かせるように、申楽に於ける『花』も変化し続けなければならない。
但し、此の世に無い『花』を咲かせようとしてはならない。
申楽に限らず、物事には決め事と言うものがある。
其の決め事から逸脱したものは、申楽とは言えない。
決め事を守り、決め事の中で演じるからこそ、申楽は申楽なのである。
故に奇を衒った『花』は、申楽に於いては『花』とは言えない。
自然の中で咲く花の様に、申楽に於ける『花』も自然に咲くものであらねばならない。
そして其の『時』に合った『花』を咲かせ、其れを見る人々が求める演目を演じなければならない。
其の為には、多くの演目を演じる事が出来なければならない。
一年中『花』を咲かせる事が出来るように、様々な形の、様々な色の、様々な種類の『花』を持っていなければならない。
次に咲く『花』の為の、『花』の『種』を持っていなければならない。
得意だからと言っていつまでも同じ『花』を咲かせ、同じ演目を演じ続けていれば、其れは何れ『珍しき』ではなくなってしまう。
普段演じないような演目を、多くの演目を演じる事の出来る上手が演じるからこそ、『珍しき』となり『面白き』となる。
『珍しき』心、『面白き』心、此れ等の『心』を呼び起こすもの、此れこそが『花』を愛でる心である。
『花』『珍しき』『面白き』全てが存在する時、人は感情を揺さぶられる。
先程世阿弥様が仰った〖『花』を愛する心、『珍しき』と思う心、『面白き』と感じる心、此の三つは同じ心〗とは、此の事を言うのですね」
「うむ。
人の心は、散りゆく花よりも移ろい易いものだ。
人々に感動を与える為には、同じ『花』を咲かせ続けるだけでは足らぬのだ。
『珍しき花』を、『新しき花』を、咲かせ続けなければならないのだ。
〖珍しきが花〗
〖新しきが花〗
≪私≫が申楽に『夢』や『幻』を取り入れたのは、其の為である」
「『夢』や『幻』?」
「うむ。
『現実』の世界のみを演じる演目には、限りがある。
限りがあると言う事はつまり、『花』も『珍しき』も『面白き』も何れ無くなってしまうと言う事だ。
『花』も『珍しき』も『面白き』も無くなれば、いつか観客に飽きられてしまう。
故に≪私≫は、申楽に『夢』や『幻』を取り入れた。
『夢』や『幻』は、『現実』の世界には存在しないものなのかもしれない。
しかし『夢』や『幻』は、人々の中に存在するものである。
従って『夢』や『幻』は世に存在しなくとも、存在しているのである。
人々の中に存在しているからこそ、『夢』と『幻』は人々に受け容れられると≪私≫は思った。
いや。
受け容れられると、≪私≫は確信していた」
「・・・」
「『夢』や『幻』は、『幽玄』である。
人々は、『幽玄』を求めていた。
故に≪私≫は、『夢』や『幻』を申楽に取り入れる事が出来た。
『夢』や『幻』、つまり霊や神、鬼や天狗を演目に取り入れれば、多くの演目を生み出す事が出来る。
多くの演目が在ると言う事は、様々な組み合わせが出来ると言う事だ。
様々な組み合わせが多くあれば、演目は其の分増えると言う事だ。
其れにより、演目の数や種類は限りがなくなる。
『夢幻』は、『無限』となるのだ」
「・・・」
「≪私≫が『夢』や『幻』を申楽に取り入れた理由は、他にもある。
『現実』の世界は、時に人を苦しめる。
苦しみから逃れる為、人は『夢』や『幻』に救いを求める。
『夢』や『幻』の世界は、人々を『幽玄』の世界へと誘う。
『夢』や『幻』の世界は、人々の願望を叶える。
『夢』や『幻』の世界は、人々に安らぎを与える。
『夢』や『幻』の世界は、『現実』を忘れる事の出来る唯一の心の拠り所である。
そして
『夢』や『幻』は、魂を浄化させる・・・」
「・・・」
「≪私≫は申楽を通して、残酷な『現実』から逃れたい人々の心を和らげたかった。
≪私≫は申楽を通して、残酷な『現実』を忘れたい人々の心を支えたかった。
≪私≫は申楽を通して、残酷な『現実』の中でも生きる希望や夢を人々に見つけてもらいたかった」
世阿弥様は吐き出すようにそう言うと、目を伏せ黙り込んでしまった。
世阿弥様は・・・『何か』を・・・考えているようであった。
そして暫くしてから、ゆっくりと口を開いた。
「いや・・・。
『そう』ではない・・・。
≪私≫は・・・。
≪私≫が・・・。
≪私≫自身が・・・『夢』や『幻』を・・・求めていたのだ・・・。
『夢』や『幻』の中は・・・とても美しかった・・・。
『夢』や『幻』の中は・・・とても温かかった・・・。
『夢』や『幻』の中は・・・とても幸せだった・・・。
『夢』や『幻』の中には・・・希望があった・・・。
≪私≫は・・・『現実』から逃れたかった・・・。
≪私≫は・・・『現実』を忘れたかった・・・。
≪私≫は・・・『現実』を生きる為の希望と夢が欲しかった・・・。
≪私≫は・・・≪私≫の魂を・・・『夢』と『幻』で清めたかった・・・。
だから・・・。
だから≪私≫は・・・申楽に『夢』や『幻』を・・・取り入れたのかもしれない・・・。
≪私≫は・・・『夢』や『幻』を・・・『現実』のものと・・・したかったのかもしれない・・・」
「・・・」
「『夢』や『幻』を・・・本当に求めていたのは・・・≪私≫自身だったのだ・・・」
世阿弥様は、悲しそうに呟いた。
そんな世阿弥様を見て、≪わたし≫は初めて世阿弥様を見た時の事を思い出した。
ああ・・・。
あの時の眸だ・・・。
あの時・・・初めて世阿弥様の姿を見た時の・・・あの時の眸と同じだ・・・。
あの時の・・・闇く悲しい眸・・・。
もしかしたら世阿弥様の闇く悲しい眸の理由は、世阿弥様の過去の『現実』に在るのかもしれない・・・。
『夢』や『幻』を求め、『夢』や『幻』を『現実』のものとしたいと思う世阿弥様の心の源が、世阿弥様の眸を闇く悲しいものとさせているのかもしれない・・・。
昔、申楽は田楽よりも劣ると看做され、田舎での興行を余儀なくされた。
其れに抗う為、たとえ「田舎芸」「所詮は、申楽者」「申楽風情が」と蔑まれ、罵られ、見下されようとも、観阿弥様と世阿弥様は戦い続けてきたに違いない。
世阿弥様達は申楽を新しくしようと、申楽を高みへと昇華させようと、多くの困難を乗り越え努力を重ねて来たに違いない。
しかし、『其れ』だけではないのであろう。
努力以外にも、世阿弥様達は『何か』をしてきたのだ。
其の『何か』が、世阿弥様の眸を闇く悲しいものとしているのだ。
『夢』や『幻』を求める程、『現実』の世界は世阿弥様にとって辛いものだったに違いない。
『夢』や『幻』を求める程、『現実』の世界は世阿弥様にとって苦しいものだったに違いない。
『夢』や『幻』を求める程、『現実』の世界は世阿弥様にとって悲しいものだったに違いない。
だからこそ、多くの人々から羨望の眼差しを向けられようとも、世阿弥様は闇く悲しい眸でしか其れらに応える事が出来ないのだ・・・。
世阿弥様の闇く悲しい眸は、未だに『夢』や『幻』を見続けているのだ・・・。
世阿弥様はずっと・・・『美しさ』を・・・『温かさ』を・・・『幸せ』を・・・『希望』を・・・『夢』や『幻』に求め続けているのだ・・・。
世阿弥様は・・・今も・・・『夢』や『幻』を求めているのだ・・・。
世阿弥様は・・・今も・・・残酷な『現実』を忘れたいのだ・・・。
世阿弥様は・・・今も・・・『現実』の中で苦しんでいるのだ・・・。
すると世阿弥様は、少し微笑みながら≪わたし≫に言った。
「≪私≫は、美しい『理想』を見たかった・・・。
≪私≫は、『夢』や『幻』の中で生きたかった・・・。
しかし≪私≫は、『現実』を捨て去る事も出来なかった・・・。
汚い『現実』があったからこそ・・・『今の≪私≫』が在る・・・。
汚い『現実』が・・・汚い『現実』こそが・・・『今の≪私≫』を創ったのだ・・・。
汚い『現実』が無ければ、今此処に≪私≫は存在しなかった・・・。
≪私≫は、汚い『現実』を忘れたかった・・・。
しかし、忘れる訳にはいかなかった・・・。
≪私≫は、汚い『現実』を捨て去りたかった・・・。
しかし、捨て去る事は出来なかった・・・」
≪わたし≫は世阿弥様の言葉に対して、何と応えて良いのか分からなかった。
≪わたし≫にとって世阿弥様は、崇高で、尊く、美しい存在なのだ。
世阿弥様が、汚い『現実』に穢されているなど受け容れる訳にはいかなかった。
世阿弥様は、穢されてなどいない。
世阿弥様に、穢れなど在るはずがない。
世阿弥様に、穢れなど在ってはならない。
だから≪わたし≫は、汚い『現実』が世阿弥様を創ったと言う世阿弥様の言葉を受け容れたくなかった。
受け容れる訳にはいかなかった。
いや。
≪わたし≫は、本当は知っていたのだ。
≪わたし≫は、本当は分かっていたのだ。
ただ、認めたくないだけなのだ。
≪わたし≫は、初めて世阿弥様に会った時から気付いていたのだ。
『今の世阿弥様』が存在するのは、汚い『現実』が在ったからだと言う事に・・・。
≪わたし≫は・・・気付いていたのだ・・・。
世阿弥様の光り輝く双眸の奥深くに潜む・・・冥い『闇』と闇い『悲しみ』・・・。
其れらは、世阿弥様に汚い『現実』が在ったからこそ存在するのだと・・・≪わたし≫は・・・気付いていたのだ・・・。
だから≪わたし≫は・・・世阿弥様に惹かれたのだ・・・。
≪わたし≫は・・・世阿弥様の強さや美しさだけではなく・・・世阿弥様の奥深くに在る此の『闇』と『悲しみ』にも・・・惹かれたのだ・・・。
すると世阿弥様は黙ったままでいる≪わたし≫の頭を優しく撫で、微笑みながら悲しそうに言った。
「ああ・・・。
済まない・・・。
困らせてしまったね・・・。
話の続きをしよう・・・。
詳細となってしまうが、音曲、舞、所作、振舞、風情も同じ心である。
いつも同じ演技や音曲であると観客も其の演目に慣れ、次に何が演じられるか察する事が出来るようになる。
故に、たとえ同じ演技であってもいつもより軽々と舞い、いつもの音曲でも尚工夫を凝らして曲を彩り、声色を変え、自分の心の中で「今まで此れほど熱中した事はない」と唱え、自らを奮い立たせながら演じるのだ。
そうすれば、観客もいつもの演技よりも『面白き』と感じる。
いつもと同じ演目であっても、いつもと異なる演技であれば、観客の心に『珍しき』と言う心が芽生える。
但し同じ音曲や演技であっても、上手が演じれば更に『面白き』ものとなる。
下手はもとより習い覚えた節(歌詞)を其の通りに演じる事しか出来ないので、『珍しき』ものなどない。
上手と申すのは同じ節を謡うとしても音曲について心得ているので、『面白き』を生み出す事が出来る。
音曲と言うのは、節の上の『花』の事である。
たとえ同じ上手であっても、同じ様な『花』を持っていたとしても、無上の工夫を凝らす演者は『真の花』を知っているから『珍しき』を生む事が出来る。
たとえ節が定まっていても演者によって音曲が工夫されれば、其の演目は『珍しき』となり『面白き』となる。
舞にも一つ一つの型があるけれど、風情は演者によってそれぞれ工夫出来るものである。
『真の花』を持っている者は、どの様な工夫も出来るのである」
≪わたし≫は世阿弥様の言葉を整理しながら、自分に言い聞かせるように応えた。
「人々が慣れ親しんだ演目を其のまま演じても、『珍しき』『面白き』ものとはならない。
同じ演目であってもいつもとは少し異なる趣向を凝らし、演目に変化を持たせる。
そうすると『珍しき』が生まれ、やがて『面白き』となる。
そして其れが出来る演者、つまり『真の花』を知っている演者、『真の花』を咲かせている演者こそが、無上の演者である。
と、言う事ですね」
「うむ。
同じものを同じ様に演じていては、何れ人々に飽きられてしまう。
たとえ同じ演目であっても、少しの変化によって全く異なるものにする事が出来る。
決め事は、勿論守らなければならない。
だからと言って、決め事に縛られてもならない。
決め事を守りながら、決め事の中で、工夫し『自由』に演じる事は出来る。
しかし、其れは演者の技量次第である。
無上の演者は『真の花』を知っているからこそ、『真の花』を咲かせているからこそ、其れを可能とする。
では、続けよう。
『物真似』には、『似せぬ』と言う『位』がある。
『物真似』を極めて其のものに成り切る事が出来れば、「似せよう」と思う心は生まれなくなる。
「似せよう」と思う心がなく自然に演じる事が出来れば、『面白き』を生み出す為の演技のみに集中出来、どの様な作品であっても『花』が咲かないと言う事はない。
例えば〚老人〛の『物真似』ならば、上手にとっては素人の老人が着飾って風流能や延年能を舞うのと同じ事である。
もとより演者自身が老人ならば、〚老人〛に見せようとする必要もない。
ただ其の時の『物真似』の、自分が演じる人物を演じる事のみを考えるべきである。
また『花』のある〚老人〛の『物真似』であっても、老いた振舞を心掛けようとしてはならない。
抑々、舞や所作と申すものは全てに於いて楽の拍子に合わせて足を踏み、手を指し引きするものである。
振りや演技も、拍子に合わせて舞うものである。
老人なれば其の拍子の当て所、太鼓や歌や鼓の拍子所では、少し遅く足を踏み、手をも指し引き、振りや演技も拍子とは少し遅れるようにするものである。
此れを知る事が、〚老人〛を演じる際の基準となる。
此の事を心に留め置いて其の外はいつも通り演じれば、『花』のある演技となる。
大概、老人は何事にも「若くありたい」と思うものである。
しかし若い時よりも力は無く、五体も重く、耳も遠くなっているので、心は早ぐけれども振舞は追い付かないものである。
此の理を知る事こそが、『物真似』を演じると言う事である。
態は老人の望みの如く、「若くありたい」と思う心を以て演じるべきである。
此れは老人が若い事を羨ましく思う心であり、此の心や動きを演者は学ぶべきである。
老人は如何に若く振舞おうとも、此の拍子に遅れてしまうものである。
其れは力が無く叶わぬ事なので、仕方のない事である。
しかし此の老の若振舞が、また『珍しき』を生むのである。
其れは、老木に『花』を咲かせるが如くである」
≪わたし≫は世阿弥様の言葉を整理しながら、自分に言い聞かせるように応えた。
「『物真似』を極めれば、「似せよう」としなくとも自然に其のものに成り切る事が出来る。
「似せよう」と思う心を持って演じるようでは、未だに『物真似』を極めていないと考えるべきである。
其のものに成り切る為に稽古を続ければ何れ「似せよう」と思う心は無くなり、自然に、そして『花』を咲かせながら演じる事が出来るようになる。
例えばご老人を演じる際、ご老人であるからと言って緩慢に動く事は「似せよう」と思う心が在るからである。
ご老人は動きがゆっくりであっても、心は若くありたいと考えるものである。
ご老人の身体的特徴のみを演じるのではない。
其の心をも演じるべきである。
心の通りに動かない身体の動きと葛藤を演じるべきである。
其れが、『珍しき』を生む。
其れが、老木に『花』を咲かせる。
と、言う事ですね」
「うむ。
表面のみを似せるのではなく、心をも似せる事が出来る者こそが『真の花』を咲かせた者である。
たとえ演者が年を取り、身体が思うように動かなくとも、『真の花』を咲かせる事は出来る。
『真の花』を咲かせる事が出来るか出来ないかは年齢ではなく、其の者の努力による。
〖非風却って是風になる遠見あり〗
『非風』とは、『邪道』の事。
『是風』とは、『正統』の事。
『非風』は、『非風』のままなのか?
『是風』は、『是風』のみなのか?
否。
『非風』は、変える事が出来る。
『是風』は、変わる事が出来る。
努力によって『真の花』を咲かせる事の出来た演者は、全ての事に精通している。
全ての事に精通しているから、全ての事に対応出来る。
全ての事に対応出来るから、多くの選択肢から適切なものを『自由』に選ぶ事が出来る。
『自由』に決める事が出来る。
たとえ『非風』であったとしても、『非風』に少しの『是風』を交える事が出来る。
『非風』に『是風』を交える事により、『非風』を僅かに『是風』に変える事が出来る。
たとえ『是風』であったとしても、『是風』に少しの『非風』を交える事が出来る。
『是風』に『非風』を交える事により、『是風』は僅かに『非風』に変わる事が出来る。
『非風』を『是風』に変えた時、『是風』が『非風』に変わった時、『珍しき』が生まれる。
其れが出来るのは、申楽の神髄を知る『真の花』を咲かせる事の出来た演者だけである」
≪わたし≫は世阿弥様の言葉を整理しながら、自分に言い聞かせるように応えた。
「年老いたとしても努力を重ね『真の花』を咲かせた者は、全ての事に精通している。
だからこそ、多くの選択肢の中から『自由』に選び決める事が出来る。
『自由』であるからこそ、『非風』を『是風』に変える事が出来る。
『自由』であるからこそ、『是風』は『非風』に変わる事が出来る。
『自由』に『変化』させる事が出来る。
『自由』が、『珍しき』を生む
『変化』が、『珍しき』を生む。
と、言う事ですね」
「うむ。
先程述べた通り、決して申楽の決め事から逸脱してはならない。
しかし決め事に縛られていては、『珍しき』は生まれない。
たとえ『非風』であっても、『是風』を取り入れなければならない『時』がある。
たとえ『是風』であっても、『非風』を取り入れなければならない『時』がある。
其れを可能とするのは決め事の厳守ではなく、決め事の中に在る『自由』である。
『自由』は、『珍しき』を生む。
そして『珍しき』とは則ち、『新しき』と言う事だ。
申楽を知る演者、『真の花』を咲かせた演者、『自由』である演者は、『珍しき』そして『新しき』を『自由』に生み出す事が出来るのだ
此の事、忘れてはならない」
「はい」
「うむ。
では、続けよう。
申楽には、『十體』について心得るべき事がある。
『十體』とは、全ての『物真似』の演目の事である。
先程も述べた通り、此の『十體』を会得した演者は同じ演目を一廻りずつ演じても其の一廻りの間が長ければ間隔が空き、再び同じ演目を演じても其の演技は『珍しき』となる。
『十體』を会得した演者が更に演技に工夫を加えると、其の演技は多種多様となる。
先ず三年、五年の内に一遍ずつでも良いので、『珍しき』ものとする為に演技に工夫を加えるべきである。
此れは自分にとって、大きな心頼みとなるであろう。
また一年の内、四季折節の風情も心掛けるべきである。
一年に何度も行われる申楽は、一日の内は言うに及ばず、毎日風情ある演技をして演目を彩るべきである。
大舞台から小舞台に至るまで此の様に心を傾ければ、一期の『花』であっても失せる事はない。
更に言う。
『十體』よりも重要な事とは、〖年々去来の花〗を忘れてはならないと言う事だ」
「〖年々去来の花〗?」
「〖年々去来の花〗とは幼い頃の容姿、『初心』の時の態、三十歳前後の振舞、歳をとってからの演技の事である。
其の『時』の己、そして其の『時』に身に付けた演技を全て一度に持つ事、つまり其の『時』に咲いた全ての『花』を持つと言う事である。
ある時は、稚児や若族(若者)の演者の様に。
ある時は、年盛りの演者の様に。
ある時は、年功を積んだ演者の様に。
全て、同じ人物が演じていると思われないような演技をすべきである。
此れが則ち、幼少の時から老後迄の芸を一度に持つと言う理である。
故に、『年々去り来る花』と言えるのである。
但し此の『位』に至る事の出来た演者は、今も昔も見聞きした事はない。
亡き父・観阿弥の若盛りの申楽は、年功を積んで得た演技が得意であったと聞いた事がある。
其れは観阿弥が四十有余の時に≪私≫自身が実際に見たものなので、疑いべくもない。
観阿弥は嘗て、自然居士(申楽の一曲)の『物真似』を演じた事があった。
高座(身分の高い人が座る席)で、時の将軍・足利義満様が其の演技をご覧になられた。
義満様は父・観阿弥の演技を「まるで十六、七歳の演者の様であった」と評され、褒められた。
此れは他の者も申しており、≪私≫自身も其の様に見えたので、観阿弥こそ〖年々去来の花〗を持つ演者に相応しい達者だと考える。
此の様に若き時分には将来の〖年々去来の花〗を得る為の努力をし、歳をとってからは過去の演技を身に残すような演者であらねばならない。
そして≪私≫は観阿弥以外、此の様な人を見聞きした事がない。
観阿弥は大柄であったけれど、〚女〛を演じると、まるで本物の女性の様に優雅で美しかった。
然れば『初心』より今に至る迄、今迄の演目を忘れず、其の時々、其の要所要所に応じて自分の持つ『花』を取り出すべきである。
若い時は老人の演技を、歳をとってからは盛りの時の演技を演じる事が出来る事は、『珍しき』事なのである。
従って申楽の『位』が上がったとして過去の演技を捨て、捨てては忘れると言う事は、只管『花』の『種』を失う事に他ならない。
其の時々に咲く『花』のみで『種』が残っていなければ、手折れた枝の『花』と同じである。
『種』が在れば、年々時々の頃に再び『花』を咲かせる事が出来る。
何度も言おう。
〖初心 忘るべからず〗
故に世間は若き演者を「早く円熟した」「熟達した」などと誉め、歳をとった演者には「若やいでいる」と批評するのである。
しかし、此れこそが『珍しき』の理である。
全ての『十體』に工夫を凝らせば、百色にもなる。
更に〖年々去来の花〗を一つの身に宿す事により、どれ程の『花』を咲かせる事が出来るであろうか」
≪わたし≫は世阿弥様の言葉を整理しながら、自分に言い聞かせるように応えた。
「どの様な年齢であっても、様々な演目を演じる事が出来なければならない。
其の為には其の時々に咲いた『花』、〖年々去来の花〗を持ち続けなければならない。
『過去』を忘れてはならない。
『過去』を捨ててはならない。
其れらは全て『花』であり、『花』を咲かせる為の『種』でもあるから。
『種』が残っていれば、『花』を永遠に咲かせ続ける事が出来る。
其の『花』は様々な形の、様々な色をした『花』となって永遠に咲き続ける。
と、言う事ですね」
「うむ。
『何か』を目指す時、『十分である』と言う事はない。
『十分である』と自分で見切りをつけてしまうと、『過去』は消え、『現在』は狭まり、様々な『未来』は失われる。
『過去』は『現在』と『未来』の為に在り、『現在』は『過去』の上に存在し『未来』の為に在り、『未来』は『過去』と『現在』が在るから生まれる。
『過去』『現在』『未来』、全てが『真の花』を生む為の『種』なのである。
『過去』を捨ててはならない。
『現在』を生きなければならない。
『未来』を生まなければならない。
此の事、忘れてはならない」
「はい」
「うむ。
では、続けよう。
申楽には全て、『用心すべき事』と言うものがある。
例えば『怒れる』演技をする際は、『柔らかなる心』を忘れてはならない。
此れはどれ程『怒ろう』とも、『荒々しく』ならない為の手立である。
『怒れる』演技には『柔らかなる心』を以て演じる事が、『珍しき』の理である。
また『幽玄』の『物真似』には、『強き』の理を忘れてはならない。
此れは舞や所作、『物真似』全てに当てはまる事である。
また激しく身体を使う際にも、心遣いが必要である。
上半身を激しく動かす時は、足の運びを静かにすべきである。
足を強く踏む時は、上半身を静かにすべきである。
此れに関しては、『花習(『花鏡』)』に詳しく書いた。
今は、省く。
後に伝える」
≪わたし≫は世阿弥様の言葉を整理しながら、自分に言い聞かせるように応えた。
「『怒れる』には『柔らかなる心』を、『幽玄』には『強き』を以て演じるべきである。
全く反対の心を加える事により、『過ぎる』と言う事がなくなる。
また心と共に、身体にも反対の動きを加えるべきである。
心には反対の心を、身体には反対の動きを。
相反するものの中から、『珍しき』が生まれる。
と、言う事ですね」
「うむ。
『怒れる』演技だからと言って『怒れる心』を加えれば、『荒々しい』ものとなる。
『幽玄』だからと言って『弱き心』を加えれば、『弱弱しい』ものとなる。
過度に表現しようとすれば、却って別の物となってしまう。
『怒り』が、『怒り』のみとは限らない。
『幽玄』が、『幽玄』のみとは限らない。
全てに於いて、固定観念に囚われてはならない。
定めや決まり事が、本当に『正しい』とは限らない。
本当に『正しい』かどうかは、自分で考え判断しなければならないものだ。
では、続けよう。
〖秘する花を知る事〗
秘すれば、『花』。
秘せずば、『花』ではない。
此の違いを知る事が、『花』を知る為に重要な事である。
抑々、全ての事、諸道・諸芸に於いて其の家々に『秘する事』と申すものは『秘する』と言う事によって大きな効果をもたらす。
故に『秘め事』を露わにしてみると、実は其れ程大したものではないのである。
但し其れを「大したものではない」と言う人は、未だに『秘め事』の大きな効用を知らぬのだ。
先ず此の『花』の口伝でも書いたが、演目の中に『珍しき花』があると皆が既に知っていれば、仮令『珍しき』ものを演じても観客は其の演技に『珍しき』を感じる事は出来ない。
其れは、「『珍しき』ものがある」と観客が前もって知っているからである。
『秘め事』が、露わになっているからである。
『秘め事』が露わになっているから、『花』ではなくなってしまうのである。
観客に『花』を知らせなければ『花』は『秘め事』となり、『秘め事』は『花』となるのである。
従って、観客はただ「其の演者は、思いの外『面白き』を演じる事の出来る上手である」と見て、此れこそが『花』であると気付かれない事こそが、演者にとっての『花』なのである。
人の心に思いも寄らぬ感動を生み出す手立、此れこそが『花』なのである。
例えば弓矢の道に於いても、名将の案や計らいで思いも寄らない手立で以て強敵に勝つ事がある。
此れは負けた方にとって、『珍しき』の理に惑わされた為に敗れたと言える。
此の事は全ての諸道・諸芸に於いて、勝負に勝つ理でもある。
此の様な手立も事が済んでしまってから謀であったと知られてしまえば、其の後は大したものではなくなるものである。
しかし、知らなかったからこそ敗れたのである。
故に『秘め事』として、≪私≫は此の訓えの一つを家に遺そうと思った。
しかし、心に留めておくべき事がある。
たとえ『秘め事』を隠していたとしても、隠しているだけでは不十分である。
自分が『秘め事』を隠している者であると、決して他人に知られてはならない。
『秘め事』があると誰かに知られれば、敵に訝しまれ、敵は常に注意を払い続けるであろう。
敵が用心していない時は、勝つ事は容易い。
人に油断させて勝ちを得ると言う事は、申楽に於ける『珍しき』の理にも通じる。
従って我が家の『秘め事』は人に知らせず、生涯咲き続ける『花』となる様にすべきである。
〖秘すれば花 秘せねば花なるべからず〗」
≪わたし≫は、世阿弥様の〖我が家の『秘め事』は人に知らせず〗と言う言葉に疑問を感じた。
しかし≪わたし≫は、『今は聞くべき時ではない』と考えた。
≪わたし≫は世阿弥様の言葉を整理しながら、自分に言い聞かせるように応えた。
「たとえ大した事のない謀であっても、奇襲などの意外性により戦に勝つ事がある。
其れと同じ様に、申楽に於いても『秘め事』は持つべきである。
『秘め事』が在るからこそ人は惑わされ、『珍しき』と考える。
『秘め事』は秘めているからこそ、『花』となる。
『秘め事』が露顕すれば、『花』ではなくなる。
『秘め事』は、人に知られてはならない。
『秘め事』を自分が隠していると思われてはならない。
但し、『秘め事』を知っているからと言って過度に用心していては却って怪しまれる。
『秘する花』を持ちながら、自然体でいる事が重要である。
そうすれば、『花』を伝え続ける事が出来る。
と、言う事ですね」
「うむ。
秘めている事により、人は想像する。
秘めている事により、人は『珍しき』と感じる。
『秘め事』を持ち続ければ、勝ち続ける事が出来る。
此の事、忘れてはならない」
「はい」
「うむ。
では、続けよう。
〖因果の花を知る事〗
此れこそが、申楽に於ける極意である。
全てのものは、『因果』で成り立っている。
『初心』より身に付けた演技の数々は、『原因』つまり『因』である。
申楽を極め、名を得る事は、『結果』つまり『果』である。
故に稽古をすると言う『因』を疎かにすれば、『果』を果たす事は出来ない。
此の事を、よくよく心に留め置くように。
また『時の運』と言うものも、恐ろしいものと心得よ。
去年が盛りであっても、今年は『花』が咲かないと言う『時』がある事を知っておかなければならない。
先程述べた通り、『男時』と『女時』と言うものがある。
如何なる時も、『良き時』もあれば『悪しき時』もある。
此れは、人の力ではどうする事も出来ない『因果』である。
此れを心得、もし今『男時』であれば、其れ程重要ではない立合ではあまり主張せず、程々に労力を掛け、勝負に負けても心に掛けず、態に猶予を残し、興行を減らした方が良い。
そうすると観客も「此れは一体どう言う事であろうか」と思い、場合によっては観客は興ざめするかもしれない。
しかし、案ずる事はない。
大事な申楽興行の日では手立を変えて得意な芸を披露し、精魂込めて演じるのだ。
そうすれば観客に『思いの外なる心』が生まれ、大事な立合や勝負の際、必ず勝つ事が出来る。
此の『思いの外なる心』こそが、『珍しき』の大きな効果である。
『悪しき果』が、『良き果』に変わる『時』である。
三日に三公演ある時は初日は力を緩め程よく演じ、三日の内、特に重要な日には素晴らしい音曲と得意な演技で芸を披露するのだ。
また一日の内でも立合の時などに、自然と『女時』が来る時がある。
其の時は、始めは力を蓄えておくべきである。
そして敵の『男時』が『女時』に転じた時、素晴らしい態を尽くして演じるのだ。
そうすれば、また自分に『男時』が戻って来るであろう。
此れで申楽の出来が良ければ、其の日一番の演技をすべきである。
『男時』『女時』は全ての勝負時に於いて、必ず一方が『良き時』と言う事がある。
此れを、『男時』と心得るべきである。
勝負の回数が多く長ければ『男時』と『女時』は順に移り変わり、其の移り変わりが繰り返される。
ある者、曰く。
〖勝負神とて『勝つ神』『負くる神』も在り、それぞれの神が必ずご自身の場所を
定め守っていらっしゃる。
弓矢の道では、此れこそが第一の『秘め事』としている〗
敵方の演技が良く出来たならば『勝つ神』は相手方に在ると心得、先ず恐れるべきである。
『因果』を司る二柱の神は、短い『時』の間に両方へ移り変わりを繰り返されている。
そして自分の方へ『勝つ神』がいらっしゃる『時』となった時、自分の持っている最大限の力で以て演じるのだ。
此れが則ち、申楽の舞台に於ける『因果』である。
何度も言うが、此の事、決して疎かにしてはならない。
信じていれば、必ず『徳』がある」
≪わたし≫は世阿弥様の言葉を整理しながら、自分に言い聞かせるように応えた。
「『因』があるから、『果』がある。
『因』が無ければ、『果』はない。
『果』を『良きもの』とするには、『因』が重要である。
≪わたし≫は『因果』と聞き、『栄枯盛衰』と言う言葉を思い出しました。
全てのものは『栄』と『衰』が繰り返される、つまり『栄枯盛衰』は世の常である。
『良き時』もあれば、『悪しき時』もある。
其れは『運』であり、人の力ではどうする事も出来ない。
決して、抗ってはならない。
其の時、自分が出来る事を、為すべき事をすべきである。
但し、『運』だからと言って諦めたり待っているだけでは、いざ『良き時』が来ても対応出来ず自分の本来の力を発揮する事も出来ない。
仮令『悪しき時』であっても、『悪しき果』を『良き果』とする為に『悪しき時』に努力を重ねるべきである。
仮令『良き時』であっても、『良き果』を失わない為に、『悪しき時』に備える為に、日々の努力を怠ってはならない。
『良き時』に今まで積み重ねて来た努力を、開花させるべきである。
努力は、必ず実を結ぶ。
必ず『徳』がある。
と、言う事ですね」
「うむ。
『良き時』『悪しき時』、どの様な『時』でも、努力を積み重ねていれば『花』を咲かせる事が出来る。
努力した『因』は、必ず『良き果』として返って来る。
怠惰な『因』は、必ず『悪しき果』として返って来る。
『良き果』とするか『悪しき果』とするかは、自分の努力次第である。
此の事、忘れてはならない」
「はい」
「うむ。
では、続けよう。
抑々、『因果』とて『良き時』『悪しき時』がある。
工夫を凝らしたものを見ても、『珍しきもの』と『珍しからぬもの』がある。
同じ上手の同じ演技を昨日今日見ても、『面白き』と思われる時もあれば、今日は『面白からぬ』と思われる『時』がある。
また昨日は『面白き』と思われたけれど、今日は『珍しからぬ』『悪しき』と思われる『時』もある。
『珍しからぬ』『悪しき』と思われたものを其の後『良き時』に再び演じると、今度は『面白き』と思われる『時』がある。
其れは以前『珍しからぬ』『悪しき』ものを観客が見た事があるので、もう一度見る事によって其れが『珍しき』となって『面白き』と見えるようになったからである。
故に此の申楽の道を極め終わりて考えてみると、「『花』とは特別なものではない」と思われる。
奥義を極めて全てに於いて『珍しき』の理を自身が知らない限り、己の『花』を見つける事など出来はしない。
維摩経入不二法門品には、こう書かれている。
〖善悪不二 邪正一如〗
『善』と『悪』は同一であり、『正』と『邪』も同一である。
本来、『良き』『悪しき』とは、何を以て決められるべきか?
ただ『時』によって『時』の用に足るものを『良きもの』、足らぬものを『悪しきもの』とされたに過ぎない。
此の芸の品々も当世の数人が所々により、其の『時』の偏った好みによって受け容れられる演技こそが用足りるので、其れが『花』となるのである。
此処では此の演技が受け容れられ、別の場所では他の演技が称賛される。
此れこそが、人々の心に咲く『花』なのである。
何が、『真の花』なのか?
ただ『時』の足るを以て、其れを『花』と知るべきである。
其の『時』に必要とされなければ、『花』ではない」
≪わたし≫は世阿弥様の言葉を整理しながら、自分に言い聞かせるように応えた。
「何が『善』であり『悪』であるか、何が『正』であり『邪』であるかは、『時』による。
たとえ同じものでも、『人』や『時』や『場』によって評価が変わる。
其れは仕方のない事なので、其れに合わせて『花』は咲かせるべきである。
其れこそが、人々が求めている『花』である。
と、言う事ですね」
「うむ。
何の為の『花』なのか、何の為に自分は『花』を咲かせているのかを考えなければならない。
独り善がりな言動や行動は慎み、必要とされる『花』を咲かせるべきである。
【別紙口伝】は、以上である。
此の【別紙口伝】は、申楽に於いて家の大事である。
従って、一代一人の相伝である」
≪わたし≫は、世阿弥様の最後の言葉を聞いて驚いた。
一代一人の相伝・・・?
≪わたし≫は、先ほど世阿弥様が仰った言葉を思い出した。
〖我が家の『秘め事』は人に知らせず〗
そして今、仰った言葉。
〖一代一人の相伝〗
≪わたし≫の疑問は、大きく膨らんでいった。
何故・・・。
何故・・・。
≪わたし≫は我慢出来ず、声に出した。
「何故・・・『秘め事』を・・・〖一代一人の相伝〗を・・・≪わたし≫に・・・。
縁も所縁もない≪わたし≫に・・・秘伝の書である『風姿花伝』について語られたのですか・・・?
其の様に大切なお言葉を・・・何故・・・≪わたし≫に・・・?」
すると世阿弥様は、眩しそうに≪わたし≫を見つめながら呟いた。
「其方の名は、三郎と言ったな・・・」
「・・・はい・・・」
「≪私≫と・・・同じ名だ・・・」
「世阿弥様と・・・同じ名・・・?」
「≪私≫の名は、観世三郎元清と言う。
世阿弥は、芸名である。
≪私≫には、多くの名がある。
『鬼夜叉』
『藤若』
『三郎』
『元清』
そして
『世阿弥』
名が変わる度に、≪私≫も変わっていった・・・」
「・・・」
「≪私≫の家は、とても貧しかった。
家業の為、貧しさの為、≪私≫は幼き頃より人には言えぬような屈辱を幾度となく味わってきた。
世を呪った時もある。
人を呪った時もある。
しかし、何も変わらなかった。
自分が変わらなければ、何も変わらなかった。
≪私≫は、己を変えようと思った。
変わる為に、見えるものを見えぬものとした。
変わる為に、聞こえるものを聞こえぬものとした。
≪私≫は、今の『現実』から抜け出したかった。
≪私≫は、新しい『現実』が欲しかった。
≪私≫は、新しい『現実』を得る事を妨げるものは全て排除した。
≪私≫は、新しい『現実』を得る為ならば、どの様な事でもした。
≪私≫は、必死に生きた。
そして、見つけてもらえた。
≪私≫は・・・申楽は・・・遂に義満様の目に映ったのだ・・・。
嬉しかった・・・。
≪私≫は漸く・・・此の『苦しみ』から解放されるのだと思った・・・。
しかし・・・そうではなかった・・・」
「・・・そうでは・・・なかった・・・?」
「事実、≪私≫は今までの『苦しみ』からは解放された・・・。
しかし新しい『現実』は、≪私≫に新しい『苦しみ』を与えた・・・」
「・・・」
「結局、新しい『現実』に変わると同時に、今までの『苦しみ』が新たな『苦しみ』に変わっただけであった・・・」
「・・・」
「覚悟はしていた・・・。
新しい『現実』を守る為に、≪私≫は此の先も戦い続けなければならないのだと・・・。
≪私≫の新しい『現実』は、小さな針の一刺しで崩れ去る程脆いものである事を≪私≫は知っていた・・・。
だから、全力で守らなければならなかった・・・。
たとえ過去の『現実』よりも苦しくとも、新しい『現実』を守らなければならなかった・・・」
≪私≫は世阿弥様の言葉に対して、聞かずにはいられなかった。
「・・・何故・・・。
・・・何故・・・そうまでして・・・新しい『現実』を守ろうとされたのですか・・・?
新しい『現実』が苦しいのであれば・・・新しい『現実』など捨て去り・・・過去の『現実』に戻れば良かったのではないのですか・・・?」
すると、世阿弥様は苦しそうに微笑みながら答えた。
「当時の≪私≫には・・・『其れ』が出来なかった・・・。
新しい『現実』は≪私≫に新しい『苦しみ』を与えると共に、甘美な世界を見せてくれた・・・。
≪私≫は、『己の心を魅了し捉え放さないもの』が『何』であるかを知ってしまったのだ・・・。
当時の≪私≫にとって新しい『現実』は、『苦しみ』であり・・・そして・・・『幸福』でもあったのだ・・・」
「・・・」
「≪私≫は、新しい『現実』を失いたくなかった・・・。
≪私≫は、過去の『現実』には戻りたくなかった・・・。
もう・・・戻れなかった・・・。
自分が再び変わらなければ・・・自分を再び変えなければ・・・新しい『現実』の中で生きていく事が出来なかった・・・」
「・・・」
「世は変わる・・・。
人は変わる・・・。
だから≪私≫も・・・変わらざるを得なかった・・・。
いや。
≪私≫は・・・変わる事を選んだのだ・・・」
「・・・」
「≪私≫は、決意した。
〖≪私≫は申楽の為に、家の為に、≪私≫の為に、今の地位を守らなければならない〗
〖≪私≫は義満様のご寵愛を失ってはならない、失いたくない〗
〖≪私≫は、容姿のみで義満様のお傍に居るのではない〗
〖≪私≫には実力が在り、≪私≫はご寵愛を受けるに足る人物なのだ〗
〖≪私≫は、強くならなければならない〗
〖≪私≫は、どの様な屈辱にも耐えなければならない〗
〖≪私≫は、父から申楽の全てを学ばなければならない〗
〖≪私≫は、毎日修練を欠かさず努力し続けなければならない〗
〖≪私≫は、多くの人々の心を捉える為に尽力しなければならない〗
〖≪私≫は、変わらなければならない〗」
「・・・」
「≪私≫は、決意通り生きた・・・。
≪私≫は、懸命に生きた・・・。
心が休まる時など無かった・・・。
気を抜く訳にはいかなかった・・・。
少しでも気を抜けば、新しい『現実』は跡形もなく消え去ってしまう・・・。
≪私≫は、失いたくなかった・・・。
≪私≫は、ずっと怯えていた・・・。
失う事が、恐ろしかった・・・。
失う事が、不安だった・・・。
失う事が、苦しかった・・・。
当然だ・・・。
得れば、失いたくないと思うようになる・・・。
得れば、更に欲しいと思うようになる・・・。
だから≪私≫は自分を変えてまで、自分を変えながら、必死に生きていくしかなかった・・・。
かと言って、己を失う程必死になってもならなかった・・・。
己を失えば、新しい『現実』の奥深くに飲み込まれると思った・・・。
新しい『現実』の奥深くには、恐ろしい『何か』があった・・・。
一度でも其の奥深くに飲み込まれれば、二度と這い上がる事は出来ないと思った・・・。
≪私≫は己を保つ為に、自分を欺き続けた・・・。
〖≪私≫の身体には、父から学んだ全てのものが在る〗
〖≪私≫には、過酷な運命を乗り越える事の出来る強さが在る〗
〖≪私≫は、義満様や公家の方々の期待に応える為に修練を重ねてきた事実がある〗
〖≪私≫は、≪私≫の家は、一生、義満様や公家の方々から愛され続けるはずだ〗
〖≪私≫も世と同じように変われば、新しい『現実』を失う事はないのだ〗」
「・・・」
「≪私≫は、何も分かっていなかった・・・。
何も知らなかった・・・。
世の事も・・・そして・・・人の心も・・・」
「・・・」
「どれほど自分を欺いても、どれ程新しい『現実』に縋りついても、どれ程自分が新しい『現実』に沿うように変わっても、新しい『現実』は直ぐに過去の『現実』となり、自分が考えていたよりも早く世も人も変わってしまうのだ・・・。
どれほど自分を変えようとしても、全ての『現実』から逃れる事など出来はしないのだ・・・。
『現実』から目を逸らす為に変わろうとしていた≪私≫が、『現実』から逃れられる訳がないのだ・・・。
『現実』からただ逃げたかった≪私≫が、『現実』から逃れられる訳がないのだ・・・」
「・・・」
「義満様のご寵愛。
申楽の地位。
申楽と田楽の対立。
仲間との確執。
嫉妬や欲望や憎しみ。
権力争い。
細川様と斯波様の政権争い。
北朝と南朝の対立と合一。
度重なる戦。
父や≪私≫に流れる楠木の血。
仲間の死。
父の死。
母の死。
子の死。
そして・・・義満様の死・・・。
苦しい事ばかりであった・・・」
「・・・」
「栄華など、泡沫の如く消える・・・。
其の様な事・・・分かっていた・・・。
分かっていたのだ・・・。
分かっていたはずなのに・・・≪私≫は全てを失って・・・分からなくなってしまった・・・。
〖一瞬の内に消えてしまう『現実』に縋り続けたのは、一体『何』の為であったのか・・・?〗
〖≪私≫は、一体『何』の為に耐えてきたのか・・・?〗
〖≪私≫は、一体『何』の為に強くなりたいと思ったのか・・・?〗
〖≪私≫は、一体『何』の為に修練を続けてきたのか・・・?〗
〖≪私≫は、一体『何』がしたかったのか・・・?〗
〖≪私≫は、一体『何』を求めてきたのか・・・?〗
〖≪私≫は、一体今まで『何』の為に生きてきたのか・・・?〗
〖≪私≫は本当に・・・新しい『現実』を守りたかったのか・・・?〗
〖≪私≫は本当に・・・過去の『現実』を捨て去りたかったのか・・・?〗
≪私≫は・・・分からなくなってしまった・・・」
「・・・」
「≪私≫は、考えた。
考えて、考えて、考え続けた。
ずっと、ずっと、考え続けた。
そして、漸く気付いた。
全てを失ったからこそ、気付く事が出来た。
己を見る事が出来た。
己を知る事が出来た」
「・・・」
「〖≪私≫は過去の『現実』から逃れたくて、新しい『現実』を求めた〗
〖新しい『現実』は、直ぐに過去の『現実』になった〗
〖過去の『現実』も新しい『現実』も、全ての『現実』が≪私≫の中に在る〗
〖自分が変わっても、全ての『現実』は≪私≫の中に在る〗
〖目を逸らしても、全ての『現実』は≪私≫の中に在る〗
〖逃げても、全ての『現実』は≪私≫の中に在る〗
〖求めても、求めなくとも、全ての『現実』は≪私≫の中に在る〗
〖全ての『現実』が在ったから、≪私≫は変わろうとした〗
〖全ての『現実』が在ったから、≪私≫は変えようとした〗
〖全ての『現実』が、≪私≫を変えたのだ〗
〖全ての『現実』が、今の≪私≫を創ったのだ〗
〖全ての『現実』に創られた≪私≫と共に生きてきたのは、申楽だ〗
〖どれ程辛く苦しい事があっても≪私≫が今まで生きてこられたのは、≪私≫に申楽があったからだ〗
〖≪私≫はずっと自分の心を抑え、偽り、隠し、殺し続けて生きてきた。
しかし舞っている時だけ、忘れたい『現実』を受け容れる事が出来た〗
〖舞っている時だけ、≪私≫は幸せだった〗
〖舞っている時だけ、≪私≫は自分の本当の心を抑える事が出来なかった〗
〖舞っている時だけ、≪私≫の心は解放された〗
〖舞っている時だけ、≪私≫は面を付けなくとも良かった〗
〖舞っている時だけ、≪私≫は本当の≪私≫でいる事が出来た〗
〖申楽が、≪私≫を支え続けてきたのだ〗
〖申楽が、≪私≫を救ってくれていたのだ〗
〖≪私≫は今まで、申楽と共に生きてきたのだ〗
〖≪私≫は今まで、申楽の為に生きてきたのだ〗
〖≪私≫は、申楽を愛している〗
〖≪私≫は、自分だけの申楽が欲しい〗
〖≪私≫は、申楽を極めたい〗
『≪私≫は、保身の為でも、地位の為でも、権力の為でも、名誉の為でも、富の為でもなく、純粋に舞いたい』
〖≪私≫は、≪私≫の為に舞いたい〗
〖≪私≫は、家の為に舞いたい〗
〖≪私≫は、後の世の為に舞いたい〗
〖≪私≫は、申楽の為に舞いたい〗
〖≪私≫は、申楽を世の人々に認めさせたい〗
〖≪私≫は、申楽を永遠のものとしたい〗」
すると世阿弥様は≪わたし≫の目をじっと見つめ、力強く言った。
「〖命には終わりあり、能には果てあるべからず〗
命には、限りがある。
しかし申楽は、一生を懸けて極めなければならないものである。
申楽に、終わりはない。
故に、たとえ一子しかいなくとも無器量な者に『風姿花伝』を伝えてはならぬのだ。
〖家 家にあらず 継ぐを以て家とす
人 人にあらず 知るを以て人とす〗
家とはただ続くから家なのではなく、先人の意志を継ぐ事により家となる。
人とはただ生きるから人なのではなく、人としての道を知る事により人となる。
『風姿花伝』は、『花』を極める為のものである。
真に『花』を極めようとする『人』にこそ、伝えねばならないのだ」
すると世阿弥様は少し視線を下に向けながら、悲しそうに話し続けた。
「・・・三郎・・・。
≪私≫は今まで・・・申楽と家と己の為に修練を重ね、腕を磨き続けてきた・・・。
しかし、年を経る毎に≪私≫は老いていった・・・。
『老い』を実感した時、私は考えた・・・。
〖≪私≫は・・・父の様に・・・『真の花』を咲かせる事が出来たのであろうか・・・?〗
〖≪私≫は・・・父の様に・・・年老いても尚残る・・・自分自身の『真の花』を咲かせる事が出来たのであろうか・・・?〗
〖≪私≫も・・・父の様に・・・年老いてからも・・・新たな『真の花』を咲かせたい・・・〗
〖≪私≫も・・・父の様に・・・『真の花』を遺したい・・・〗
〖≪私≫が『真の花』を遺す事は・・・申楽の為でもあり・・・家の為でもあり・・・後の世の為でもあり・・・自分の為でもあるのだ・・・〗
〖≪私≫は・・・『真の花』を遺したい・・・〗
〖≪私≫は・・・『真の花』を遺さなければならない・・・〗」
そして世阿弥様は再び≪わたし≫に顔を向け、真っ直ぐ≪わたし≫の目を見つめながら言った。
「≪私≫は、三郎に『真の花』を咲かせてもらいたい。
だから≪私≫は、三郎に『風姿花伝』を伝えようと思った」
≪わたし≫は其の言葉を聞き、思わず目を逸らした。
そして、消え入るような声で応えた。
「・・・≪わたし≫のような者が・・・世阿弥様のような『花』を咲かせる事など・・・出来る訳がありません・・・。
・・・≪わたし≫はただ・・・ほんの僅かでも・・・世阿弥様のように・・・舞う事が出来れば・・・」
ああ・・・。
そうだ・・・。
≪わたし≫が、世阿弥様のようになれる訳がない。
≪わたし≫が、世阿弥様になれる訳がない。
世阿弥様と≪わたし≫は、違う。
≪わたし≫は、世阿弥様のようにはなれない。
≪わたし≫は決して、世阿弥様にはなれない。
≪わたし≫は、押し黙った。
すると世阿弥様は≪わたし≫の両頬を二つの暖かい掌で包み込み、優しい声で言った。
「・・・≪私≫が必死に生きていた『時』・・・≪私≫が本当に苦しかった『時』・・・≪私≫が本当の≪私≫を見つける事が出来た『時』・・・≪私≫が本当の≪私≫でいられた『時』・・・。
其の『時』とは・・・≪私≫が皆から『三郎』と・・・呼ばれていた『時』であった・・・」
「・・・」
「『三郎』・・・。
今はもう・・・≪私≫を『三郎』と呼ぶ人は・・・ほとんど・・・いなくなってしまった・・・」
そう言うと、世阿弥様は悲しそうに微笑んだ。
世阿弥様は、続けた。
「≪私≫は、境内で其方が舞う姿を幾度も見た・・・。
≪私≫が、『三郎』と皆から呼ばれていた『時』に舞っていた舞と三郎の舞は同じであった・・・。
其方の舞は、とても美しく・・・そして何よりも純粋で・・・一途であった・・・。
確かに、三郎には未だ足らぬものがある・・・。
しかし、其の足らぬものを得ようと努力している・・・。
求めている・・・。
其方なら、必ず『真の花』を咲かせる事が出来る・・・。
≪私≫は、確信している・・・」
「・・・」
「≪私≫は、其方に伝えるべきだと思った・・・。
伝えたいと思った・・・。
申楽の事を・・・。
≪私≫の事を・・・。
三郎の二つの眸の中に・・・」
「・・・」
「三郎は今、『幽玄』である。
『花』を咲かせている。
三郎の其の『幽玄』は、今咲くべき『花』である。
しかし自然に咲く花と同じ様に、其の『花』を咲かせ続ける事は難しい。
何故なら其の『花』は一瞬だけ咲く『花』・・・『時分の花』であるからだ。
其の『花』は、時間と共に枯れてしまう。
但し其の『花』が咲いたと言う『事実』は、確かに存在したと言う『事実』は、残る。
『因』は、残る。
『種』は、残る。
其の『因』が在れば、其の『種』が在れば、必ず新しい『花』を咲かせる事が出来る。
新たな『花』を繰り返し繰り返し咲かせ続ければ、いつか必ず『真の花』が咲く。
三郎は此の先、一生咲き続ける『真の花』を咲かせる事が出来る」
そう言うと、世阿弥様は開いた板戸の先に在る庭に目を向けながら続けた。
「【佐渡】を一人の『人』と例えるのであれば、庭に咲く【雪割草】は『花』である」
≪わたし≫は世阿弥様の見つめる方向に視線を動かし、呟いた。
「【佐渡】が・・・『人』・・・。
【雪割草】が・・・『花』・・・」
「うむ・・・。
【雪割草】は木漏れ日の下や明るい日陰、風通しの良い所を好む。
故に強い日差しや湿気が多く気温の高い夏には枯れる事が多く、夏越しが難しい花と言われている。
しかし辛い夏の暑さであっても日陰の中で耐え、夏を越え、秋を越え、真冬の雪の下で常緑を保ちながら生きる。
そして、冬の寒い時に花が付く。
但し花は付くが、曇った寒い時に花は開かない。
温かい日光が差した時に、花は開く。
落ち葉の間から、他のどの花よりも早く小さな花を咲かせる。
【雪割草】は他の花に先駆けて雪解けと共に咲き、春の到来を知らせる。
花の少ない冬に、【雪割草】は様々な色や形の花を咲かせる。
紅、白、青、紫、黄、水色、褐色・・・。
二段咲、八重咲、千重咲、万重咲・・・。
【雪割草】は変異し易いので、多種多様な色や形で咲く。
花持ちも良く、花が咲き終わった後には再び新たな葉が出て来る。
【雪割草】は美しく・・・可憐であり・・・そして・・・とても強い・・・。
厳しい環境の中でも力強く生き、生きる為に変化を続け、美しい『花』を咲かせ続ける・・・」
「・・・」
「生きていれば、苦しい事も辛い事も悲しい事も必ず経験する。
それでも、生きなければならない。
生きていかなければならない」
「・・・」
「人は必ず、『何か』の為に生きている。
其れは、自分の為なのかもしれない。
其れは、他の何かの為なのかもしれない。
其の『何か』は、人それぞれなのだ・・・」
「・・・」
「人には必ず、生きる『理由』が在る。
一生懸命生き、苦しみも悲しみも乗り越える事が出来れば、人は必ず『花』を咲かせる事が出来る。
其の『花』が自らを、他者を、未来を救う為の『種』を生む。
そして其の『種』が、新たな『花』を咲かせる」
「・・・」
「人は【雪割草】のように苦しみを受け容れ、苦しみと共に、変化しながら美しく咲き続ける事が出来る・・・。
『花』が咲き、『種』が残り、再び『花』が咲く・・・。
そうして、『花』は咲き続けるのだ・・・。
そうして、『花』は永遠となるのだ・・・」
すると世阿弥様は≪わたし≫の頬からゆっくりと手を放し、膝の前に置いてあった扇を右手に持って静かに立ち上がった。
そして裸足のまま庭へ降り、真っ白い雪の上に足跡を残していった。
外の雪は、止んでいた。
世阿弥様は庭の中心まで行くとゆっくりと扇を開き、優しく右手に持ちながら腕を肩の高さまで上げた。
世阿弥様は、静かに口を開いた。
世阿弥様は、低い声で謡った。
世阿弥様は、声と共に舞った。
其の場には存在しない鼓の音が、何処からか聞こえて来た。
其の鼓の音に合わせながら、世阿弥様は謡い舞っていた。
≪わたし≫は、息を呑んだ。
美しかった・・・。
初めて世阿弥様の舞を見た時、≪わたし≫は世阿弥様の事を『凄まじく美しい』と感じた・・・。
あの時・・・。
あの雨の中・・・。
苦しみの中にいるにも拘わらず、あの時の世阿弥様は光り輝いて見えた。
ああ・・・。
此れこそが・・・世阿弥様の『花』なのだ・・・。
此れこそが・・・世阿弥様の『真の花』なのだ・・・。
美しく・・・そして・・・強い・・・『真の花』・・・。
夜が、少しずつ明けてきた。
瑠璃色の空が、淡い紅色に変わっていった。
太陽の光が、降り積もった雪を次第に照らしていった。
太陽の光が、白い雪を少しずつ溶かしていった。
真っ白な雪の中から、【雪割草】の花が顔を出していた。
【雪割草】の花に残る融けた雪の雫が、太陽の光を受け輝いていた。
世阿弥様は其の融けた雪の雫から反射される光の中で、雪から発せられる色とりどりに輝く光の中で、謡い舞い続けていた。
全ての光が、美しかった・・・。
しかし様々な光の中で何よりも輝きを放っていたのは、世阿弥様の放つ光であった・・・。
ああ・・・。
やっと分かった・・・。
≪わたし≫がどんなに世阿弥様と同じように舞っても、同じとならなかった理由が・・・。
≪わたし≫が佐渡に流されてきた世阿弥様に会いたいと思ったのは、京との『繋がり』が欲しかったからだ。
しかし世阿弥様の姿を見て、世阿弥様の闇く悲しい眸を見て、≪わたし≫は世の中から見放された自分の姿と世阿弥様の姿を重ねたのだ。
≪わたし≫は京との『繋がり』ではなく、世阿弥様との『繋がり』を欲したのだ。
そして、思った。
『≪わたし≫は、世阿弥様と同じである』
と・・・。
だから≪わたし≫も、美しい世阿弥様のようになれると思った。
世阿弥様の事を知れば、≪わたし≫は世阿弥様になれると思った。
≪わたし≫が世阿弥様になれば、≪わたし≫は世阿弥様と『闇』と『悲しみ』を分かち合う事が出来ると思った。
≪わたし≫が世阿弥様になれば、≪わたし≫は『悲しみ』を和らげる事が出来ると思った。
≪わたし≫が世阿弥様になれば、≪わたし≫は汚い『現実』の中でも美しく生きる事が出来ると思った。
≪わたし≫が世阿弥様になれば、≪わたし≫は今の苦しみから逃れる事が出来ると思った。
≪わたし≫は、世阿弥様になりたかった・・・。
世阿弥様になりたかった・・・。
なれる訳がないのに・・・。
≪わたし≫と世阿弥様は違うのに・・・。
乾いた土と暖かい土。
濁った水と清らかな水。
鈍い光と柔らかな光。
汚れた空気と澄んだ空気。
様々な清濁入り混じったものを受け、世阿弥様は『世阿弥様』となられたのだ。
目まぐるしく変わる世の中でも『変わらぬもの』を信じ、『覚悟』と『信念』を持って生き続け、世阿弥様は『世阿弥様』となられたのだ。
目まぐるしく変わる世の中と共に『変わるもの』を信じ、『柔軟心』を持って生き続け、世阿弥様は『世阿弥様』となられたのだ。
変わりゆくものの中でも『変わらぬもの』を、『変わるもの』を信じて戦い続け、世阿弥様は『世阿弥様』となられたのだ。
逃れられない『運命』に立ち向かい、受け容れ、自分自身と戦い続け、世阿弥様は『世阿弥様』となられたのだ。
『過去』を忘れず、『過去』を消さず、『過去』を切り捨てず、永遠に消えない、永遠に消す事の出来ない『闇』と『悲しみ』と共に生き、其れらを乗り越えようと、もがき苦しみ、強くあろうと『決意』したから、世阿弥様は『世阿弥様』となられたのだ。
『陰』と『陽』のように、『不浄』と『清浄』と言う相反するものを内に宿しながら生きているからこそ、世阿弥様は『世阿弥様』となられたのだ。
『闇』と『悲しみ』、そして『強さ』と『覚悟』と『信念』が世阿弥様の中に在るから世阿弥様は『世阿弥様』となられたのだ。
『幽玄』であり、『強く』あるから、『世阿弥様』は美しいのだ。
世阿弥様は『世阿弥様』であるから、『世阿弥様』は美しいのだ。
≪わたし≫が本当に惹かれた世阿弥様は、『世阿弥様』だったのだ。
≪わたし≫が本当になりたかった世阿弥様は、『世阿弥様』だったのだ。
世阿弥様が何の罪で佐渡に流されて来たかは、分からない。
しかし、たとえ罪人として佐渡に流されようとも、世阿弥様は全てを受け容れる事を選んだのだ。
全てを受け容れ、共に生きる事を決意したのだ。
世阿弥様はこれからも、どの様な試練があったとしても全てを受け容れ生きていくのであろう。
今までのように・・・。
此れからも・・・。
そして・・・世阿弥様は『世阿弥様』となるのだ・・・。
ああ・・・。
≪わたし≫には、何もかもが足りない・・・。
『闇』や『悲しみ』も、其れらに立ち向かおうとする『覚悟』も『信念』も・・・。
『闇』や『悲しみ』と共に生きようとする『強さ』も・・・。
ああ・・・。
≪わたし≫と世阿弥様は、違う・・・。
≪わたし≫は、『過去』を忘れたかった。
世阿弥様は、『過去』を忘れなかった。
≪わたし≫は、『過去』を消したかった。
世阿弥様は、『過去』を消さなかった。
≪わたし≫は、『過去』を切り捨てたかった。
世阿弥様は、『過去』を切り捨てなかった。
≪わたし≫は、運命に立ち向かおうとしなかった。
世阿弥様は、運命に立ち向かった。
≪わたし≫は、運命を受け容れなかった。
世阿弥様は、運命を受け容れた。
≪わたし≫は、自分自身と戦い続けなかった。
世阿弥様は、自分自身と戦い続けた。
≪わたし≫は『闇』と『悲しみ』と共に生きるなど、其れらを乗り越えようなど、強くあろうなど、考えた事がなかった。
≪わたし≫は、『過去』を捨てたかった。
≪わたし≫は、『現実』を見たくなかった。
≪わたし≫は、『未来』を諦めていた。
だから≪わたし≫の中には、『闇』と『悲しみ』しかないのだ。
世阿弥様の表面のみを写し取ろうとした≪わたし≫が、『世阿弥様』になれる訳がない・・・。
『過去』と『現実』と『未来』から逃れようとした≪わたし≫が、『世阿弥様』になれる訳がない・・・。
弱い≪わたし≫が、『世阿弥様』になれる訳がない・・・。
≪わたし≫は決して、『世阿弥様』にはなれない・・・。
世阿弥様が『世阿弥様』となられたから、『世阿弥様』は『真の花』を咲かせる事が出来た・・・。
だから≪わたし≫は、『世阿弥様』と同じ『真の花』を咲かせる事は出来ない・・・。
≪わたし≫は、『世阿弥様』のように美しい『真の花』を咲かせる事は出来ない・・・。
≪わたし≫は、『世阿弥様』のように鋼のように強い『真の花』を咲かせる事は出来ない・・・。
≪わたし≫は、『世阿弥様』のような『真の花』を咲かせる事は出来ない・・・。
≪わたし≫は、『世阿弥様』のようにはなれない・・・。
≪わたし≫は、『世阿弥様』にはなれない・・・。
それでも・・・。
それでも・・・。
≪わたし≫は・・・。
≪わたし≫は・・・『世阿弥様』に近付きたい・・・。
≪わたし≫は・・・『世阿弥様』との『繋がり』が欲しい・・・。
『世阿弥様』と同じ『真の花』を咲かせる事が出来なくとも、≪わたし≫は『真の花』を咲かせたい・・・。
『世阿弥様』は、≪わたし≫に『風姿花伝』を伝えて下さった。
『世阿弥様』は、『世阿弥様』の心から≪わたし≫の心に『真の花』を伝えて下さった。
『世阿弥様』は、≪わたし≫は今、『時分の花』を咲かせていると仰った。
『世阿弥様』は、≪わたし≫の中に在るほんの僅かな『強さ』を見つけて下さった。
『世阿弥様』は、≪わたし≫が『真の花』を咲かせる事が出来ると仰った。
『世阿弥様』の表面のみを似せようとしていた≪わたし≫を、『世阿弥様』は信じて下さった。
『世阿弥様』が≪わたし≫を信じて下さるのならば、≪わたし≫も、≪わたし≫を信じよう。
今は、『時分の花』しか咲かせる事が出来ないかもしれない。
それでも≪わたし≫は、其の『時分の花』から『種』を生み、必ず『真の花』を咲かせてみせる。
たとえ一輪しか『真の花』を咲かせる事が出来なくとも、≪わたし≫は其の『真の花』を咲かせる為にどの様な苦しみにも耐えてみせる。
たとえ一輪しか『真の花』を咲かせる事が出来なくとも、≪わたし≫は其の『真の花』を大切に育ててみせる。
たとえ一輪の『真の花』の為に其の他のものを失ったとしても、構わない。
此の一輪の『真の花』を残す為に今までがあるのならば、悔いはない。
≪わたし≫は、『真の花』を咲かせてみせる。
≪わたし≫は、『過去』を忘れない。
≪わたし≫は、『過去』を消さない。
≪わたし≫は、『過去』を捨てない。
≪わたし≫は、運命に立ち向かう。
≪わたし≫は、運命を受け容れる。
≪わたし≫は、自分自身と戦い続ける。
≪わたし≫は、全てを受け容れる。
≪わたし≫は、全てと共に生きる。
≪わたし≫は、強く生きる。
≪わたし≫は、『世阿弥様』から『真の花』を受け取った。
≪わたし≫は『世阿弥様』の『真の花』と≪わたし≫の『時分の花』から新たな種を生み、必ず『花』を咲かせてみせる。
≪わたし≫は『世阿弥様』と共に毎年新しい『花』を咲かせ、必ず新たな『真の花』を咲かせてみせる。
≪わたし≫は≪わたし≫と『世阿弥様』の『真の花』を、必ず咲かせてみせる。
そして『世阿弥様』が≪わたし≫に伝えて下さったように、≪わたし≫も次の世の人々に『真の花』を伝えるのだ。
次の世の人々に伝われば、其の『真の花』は『種』を生み、新たな『花』を咲かせる。
其れが繰り返されれば、『世阿弥様』の『真の花』も、≪わたし≫の『真の花』も、次の世の人々の『真の花』も、永遠に咲き続ける事が出来る。
≪わたし≫は必ず、『世阿弥様』の『真の花』を残してみせる。
『世阿弥様』が≪わたし≫に遺そうとしている『真の花』を、≪わたし≫も残してみせる。
≪わたし≫は『世阿弥様』の『真の花』を、≪わたし≫の『真の花』を、次の世の人々の『真の花』も、永遠に咲かせ続けたい。
≪わたし≫は『世阿弥様』の『真の花』を、≪わたし≫の『真の花』を、次の世の人々の『真の花』も、永遠のものとしたい。
≪わたし≫は、雪の中で舞い続ける世阿弥様を見つめた。
世阿弥様は、霜雪の中で珠玉のように光り輝いていた。
世阿弥様から放たれる金色の光と雪から発せられる銀色の光は交わり、新しい光を生み出していた。
今尚、世阿弥様は新しい『真の花』を咲かせ続けているのだ。
≪わたし≫は、確信している。
≪わたし≫は、誓う。
世阿弥様の『真の花』は、決して散らない。
『≪わたし≫が、散らさない』
世阿弥様の『真の花』は、咲き続ける。
『≪わたし≫が、咲かせ続ける』
世阿弥様の『真の花』は、必ず遺る。
『≪わたし≫が、残して見せる』
「≪わたし≫が・・・。
『わたし』が・・・。
『世阿弥様』の『真の花』を・・・。
『わたし』の『真の花』を・・・。
永遠にする・・・』