死者を生き返らせたという理由で婚約破棄された令嬢ですが、理解ある幼馴染がいるので問題ありません!
「すみません、婚約を破棄させていただきたい、と」
急にグリーブル侯爵家から使者が来たので、ヘレワーズ侯爵家は慌てて出迎え、丁寧なもてなしをしたのに、グリーブル侯爵家の使者からもたらされた言葉は、非情なものだった。
「何ですと?」
ヘレワーズ侯爵は始め、耳を疑った。
「申し訳ございません。どうぞ、こちらの書簡の方を」
グリーブル侯爵家の使者も申し訳なさそうな顔しながら、ヘレワーズ侯爵に書簡を渡した。
震える手で、その書簡を一読したヘレワーズ侯爵は、顔を真っ赤にして怒った。
「うちは国王陛下と縁戚のある侯爵家ですぞ。このような理由で……」
「申し訳ございません! 私はただの使いの者ですので、そちらの書簡の内容も存じておりません」
グリーブル侯爵家の使者は縮こまって、小声で言った。
「書簡ね。とんでもない理由に、慰謝料だの何だの、金の話ばっかりだ。そもそも、なぜ本人が来ない? 使いの者を出しておしまいと言うのは、あまりにも無礼ではないか」
ヘレワーズ侯爵はうんざりした顔をした。
「はあ……」
グリーブル侯爵家の使者は、頭を掻いた。
同席していたマリー・へリワーズ侯爵令嬢は、テーブルの上に投げ出された書簡を手に取り、さらっと一読した。
「なかなかすごい内容ですわね」
とマリーは逆に感心した。
「感心している場合か」
ヘレワーズ侯爵はマリーを窘めた。
「まぁ、でも、そういうことでしたら、私の方はあちらのおっしゃる通りで構いません。勝手にしてくださいませ」
とマリーは、興味なさそうに言った。
「おまえ、それではこの書簡の内容が本当だと認めたことになるぞ」
とヘレワーズ侯爵は、険しい声で言った。
「まぁ……そう仰りたい方は仰ったらよろしいのではないでしょうか。本当、馬鹿げた内容。では、わたくしは、失礼いたします」
マリーは立ち上がり、グリーブル侯爵家の使者に一礼すると、部屋から出て行った。
もう、よいではないですか。こんなのは家同士が決めた婚約。
わたくしはただ、医務官として働くのが夢で、勉強を続けているだけ。
婚約破棄されたのなら、憧れの医務官にもなれる。
本当に、馬鹿馬鹿しい。
わたくしが医術を学んでいるというだけで。
わたくしの幼馴染が多少強力な魔術が使えるというだけで。
わたくしたちが、死者を生き返らせた、などという馬鹿げた噂。
死者を生き返らせる医術などないし、死者を生き返らす魔術などもない。
少し考えたらすぐ分かるではないか。なぜ19歳の小娘と、20歳の若年魔術師に、そんなことができる?
わたくしはすっかり魔女扱いですわね。
そういうことなら、もう結構。出たくもない社交界に顔を出す必要もない。思う存分、医術の勉強をするだけ!
自室に戻ったマリーは、窓から、グリーブル侯爵家の馬車が帰途に就くのを見送った。
マリー・ヘレワーズ嬢、19歳。こうして無惨にも、婚約を破棄された。
********************
翌日、さっそく幼馴染が、ヘレワーズ侯爵家に顔を出した。
「おい、マリー。婚約破棄されたんだって?」
幼馴染が楽しそうに話しかけてくる。
「うるさいですわね! その話をするなら帰ってくださる?」
とマリーは顔を顰めた。
「なんだよ、慰めに来たのに」
幼馴染は口をとんがらせた。
そもそも、あなたとよく一緒にいたからこうなったのに、とマリーは思った。
ハリル・ヒアデス。国一古い魔術師の家系の長男。
王国の政務には一切関わらず、王宮の深部で行われる儀式を執り行う家系。
しかし、その儀式の内容は多くが秘密に包まれている。国王とヒアデス家、そしてその他の中枢の者しか知らない。
ヒアデス家。謎が多く、王宮でも口に出すことが憚られるほどの家名だ。
だから、死者を生き返らす魔術が使える、と言われたら、信じる者は信じるだろう。
本当にバカバカしい。
「アラン・グリーブル殿はもったいないことするなあ。マリーほどの令嬢は、なかなかいないぞ! 才色兼備ってヤツじゃん?」
とハリルは言った。
「アラン様は女性におもてになるので、わたくしなんか、別にもったいなくなんかないと思います」
とマリーはつっけんどんに言い返した。
「でもさあ、おまえ家柄もバッチリじゃん」
と尚もハリルは言った。
マリーの母は、前国王の末の妹だ。つまり、マリーは即位した現国王の従姉妹ということになる。
「わたくしを怒らせたいの? そんな条件でも婚約を破棄するってことは、よっぽど気持ち悪いのよ、わたくしのことが!」
マリーは苛立って、つい声を上げてしまった。
「は?」
とハリルは、急に真面目な顔になった。
「気持ち悪いって、どういうことだよ?」
とハリルは低い声で聞く。
「わたくしたち、死者を生き返らせたことになってるんですよ」
マリーは、呆れ果てた声で言った。
「え? は? ええ?」
ハリルは言葉を失った。
「で、そんな気持ち悪い女はごめんだ、ということです」
マリーは辟易していた。
「はあ……。なんか、もう、すげーな……」
ハリルは逆に驚嘆の声を出した。
「わたくしも最初そう思いました」
とマリーは、ハリルの反応が自分と同じなのが、何か面白くなって、ふっと笑った。
「なるほど、そういうことなのか。ああ、そりゃなんか……。うーん、俺も責任感じるな……」
ハリルは自分の口元に手を持っていくと、何か考えた。
それから、意を決したようにマリーの手を取ると、
「なあ、マリー。婚約破棄されたんなら、俺がもらってやろうか?」
とハリルは、心配そうに訊いた。
マリーは、顔が赤くなるのを感じた。ハリルの優しさが心の底から嬉しかった。
「もう、ハリル様、あなたって、ほんとに……」
マリーは心が温まるのを感じ、目の奥がじわっとした。
ハリル様に妻にしてもらえるなら、どんなにありがたいことか。子供の頃からずっとそばにいて、憧れていたハリル様。
しかし、マリーは、ハリルには迷惑をかけてはいけないと思った。
「ハリル様、わたくしはこの貴族社会の魔女ですよ。相応しくありません」
とマリーは、ハリルの目を見て答えた。
「そうか……? 別に、俺の家、表に出る家じゃないから、誰が嫁に来ようと問題ないし……。絶対だいじょうぶだと思うよ」
とハリルはマリーを安心させるように言った。
マリーはハリルの気持ちが嬉しかったが、
「そんな風に仰って下さるなんて、もったいなさすぎます」
と頭を垂れた。
ハリル様は、ヒアデス家の次期当主になられる方。謎が多い家柄。ハリル様がこう仰って下さるとはいえ、わたくしでは、きっと足を引っ張ることにしかならない。
「ハリル様、わたくし、婚約破棄されたので、晴れて医務官の道を歩もうと思っております」
と微笑んだ。
「別に俺は、おまえが結婚と仕事を両立してもらっても全然かまわないけど……」
とハリルは尚も言ったが、マリーの晴れ渡った顔を見て、彼女はだいじょうぶなのだなと悟った。
「まあ、おまえが前向きなら、それでいいさ」
ハリルは、マリーが笑顔なのに安心したように言った。
*************
その頃、アラン・グリーブルは、ジョゼフ国王陛下に呼ばれて、事の次第を全部説明させられていた。
アラン・グリーブル侯爵子息と、マリー・ヘレワーズ侯爵令嬢の婚約破棄の話は、一瞬で王宮中に広まっていた。
数多の貴族令嬢たちは大喜びしていた。アラン・グリーブルといえば、身分の高さもあれば、甘いフェイスに言葉に、紳士的な態度。女性にとっては、とても魅力的な男性だった。
しかし、ジョゼフ国王の表情は険しかった。
「はあ? マリーが死者を生き返らせたから、だと?」
と呆れ声を出した。
そういえば、マリーは、他国の医術などにも興味を示していたな……。それか……? とジョゼフ国王はふっと思った。
「で、おまえは、そんな噂を、本当に信じているのかね?」
とジョゼフ国王はげんなりしながら訊いた。
「いえ、えーっと、さすがにそこまでは……」
とアランは言った。
「では、信じてないなら、なぜ一方的に婚約破棄など? しかも、使者に書簡を待たせてお終いだったらしいな」
とジョゼフ国王は、アランを睨みつけながら問い詰める。
「しかし、呪われた令嬢など迎えては、我が家の名が穢れますので……!」
とアランは必死に訴えた。
「呪われた? どうせマリーが医術で人を助けた話に尾ひれが付いただけだろう? おまえ、マリー・ヘレワーズ嬢の気持ちは、考えたのか?」
とジョゼフ国王はアランを凝視しながら訊いた。
「もちろん考えましたとも、陛下! 彼女の夢は医務官として働くことでした! そちらの夢は叶うでしょう」
とアランは、額から大量の汗を垂らしながら答えた。
「屁理屈がすごいなぁ。おまえと話していると、苛々するよ。なぜ私は、マリーと君との婚約を許したんだろうね」
とジョゼフ国王はため息をついた。
「国王陛下! 私は至極真っ当なことを申しております!」
とアランは、自分の正しさを主張したくて叫んだ。
「ああ、うるさい。おまえにとってはそうなのだろうな。だがもう、しばらく私の前に顔を出すな。私は不快だよ」
とジョゼフ国王はうんざりして言った。
「陛下!」
アランは泣き出しそうな顔をした。
「もう下がりたまえ」
ジョセフ国王は冷たく言った。
愛しのマリー。前国王が急に病気で崩御したので、現在のジョゼフ国王は御年13で即位した。急な王位の継承から10年。慣れない政務に、たくさんの儀式。忙しさにかまけて、ここまで独身できてしまった。
でも、たびたび会うマリーの笑顔に、どれだけ癒されていたことか。夢を語るマリーの努力に、どれだけ励まされていたことか。
マリーはとっくにアランと婚約していたのに、ジョゼフ国王はずっとマリーのことが好きだったのだ。
マリーは、一方的な婚約破棄で、どれだけ傷ついていることだろう。しかも、死者を生き返らせたなどという、不愉快な噂まで流されて。
明日、マリーに結婚を申し込もう。
ジョゼフ国王は心に誓った。マリーは受け入れてくれるだろうか。胸がぎゅっと締め付けられ、ジョゼフ国王は、はあっと息を吐いた。
******************
その日の夜のことだった。
王宮から青い顔をして帰ってきたアランを優しく出迎えて、グリーブル侯爵は、とりあえず今回の婚約破棄の一件が片付いたと安堵していた。
死者を生き返らせた魔女などを、花嫁に迎えるわけにはいかない。
今後、社交界でどんな後ろ指をさされることか。
国王陛下にアランが怒られたのは想定外だったが。まあ、マリー・ヘレワーズ嬢は国王の従姉妹なのだから、そこは仕方がないとして。
「大変だったなアラン。だが忘れてよいぞ。必ずおまえに見合う、良い婚約者を見つけてやるからな」
とグリーブル侯爵は、アランに優しく話しかけた。
「ええ」
とアランは、ぐったり疲れた顔をしながら答えた。
半分苛立ってもいた。家同士が決めた婚約なのに、相手のとんでもない噂で婚約を破棄しただけで、こんなにも国王から怒られなければならないなんて。
しかもしばらくは、王宮の社交界には顔出し禁止、とまで言われてしまった。パーティー大好きなのに。
「そんなに俺が悪いのか?」
とアランは呟いた。
「いや、おまえは悪くない、アラン。マリー・ヘレワーズ嬢に関われば、グリーブル家が社交界で敬遠されるに決まっている」
とグリーブル侯爵は、アランを慰めた。
「噂さえなければ、悪い婚約ではなかったのだがな。だが、噂の性質があまりにも……」
とグリーブル侯爵は、少し残念そうな口振りで言った。
少し沈黙が流れた。
その時、急に外が騒がしくなったかと思うと、使用人たちが廊下をバタバタと走り回る音が聞こえた。
執事は、丁寧に一礼して部屋の外に出ると、冷静さを保ちながら、息急き切った使用人から話を聞いた。
「なんだと!」
執事の声が部屋の中まで聞こえてきた。
執事が冷静に部屋に戻りグリーブル侯爵に近寄ると、
「何事だ?」
とグリーブル侯爵は目を上げた。
「御無礼失礼いたします。でも、大変です、侯爵。領内で人喰い竜が村を襲ったとのことでございます」
「なんだと! 人喰い竜? ここ最近聞かぬぞ。嘘ではないのか?」
グリーブル侯爵は疑いの目を向けた。
「いえ。マイルス森林地帯の近くの村だそうです。すでに王宮の安全警備本部に連絡はいたしましたが、何分、常駐の警備兵がやや遠いところに駐在しておりましたもので。到着に時間がかかったようです」
と執事と一緒に入ってきた、伝令の者が説明する。
「なんだ。もう安全警備の兵が行っているのか。ではもう大丈夫だな。そちらから報告が来るだろう」
とグリーブル侯爵はホッとした顔をした。
「しかし侯爵、領地のことでございますよ! 村の支援に人を派遣すべきかと思いますが」
と執事は言った。
「いやいや、今すぐには必要ないよ。人喰い竜の被害など、最近聞かないから、どの程度のものか全く予想がつかない。報告を聞いてから対処した方が賢明だ」
とグリーブル侯爵は、のんびりと答えた。
*******************
その頃、マリーは、ヘレワーズ侯爵の兵士数名と必死で馬を駆け、マイルス森林地帯の村に着いた。
ヘレワーズ侯爵家に人喰い竜の被害の報告が入ったので、マリーは居ても立ってもいられず、馬を走らせたのだった。
ヘレワーズ侯爵は、王宮の安全警備本部の、国境警備の総司令だった。国内の人喰い竜の被害は、ヘレワーズ侯爵にとっては直接の任務には当たらないが、二次的な影響は多々ある。
それより驚いたのは、今回の人喰い竜の数だった。10頭の竜が、小さな村を襲ったというのだ。
「私はすぐ安全警備本部のハーマン長官のところに行く」
報告を聞いてすぐ、ヘレワーズ侯爵は伝令の者に言った。
それからヘレワーズ侯爵は、マリーを見た。
「マリー。兵士を供に連れて行くなら行ってもいいぞ。近隣の常駐の警備部隊は医務官を持たない部隊だ。おまえが実践で多少の役に立つ事は、私の部隊で実証済みだからな」
「はいっ」
マリーは勢いよく返事をした。
ヘレワーズ侯爵はニコッとした。
「すぐに正規の医務官をどこからか確保する。それまで、患者をもたせろ」
「でも、お父様。またわたくしに変な噂が立つかもと、お父様は気になさらないの?」
とマリーは父に確認した。
「気にするか、あほらしい」
ヘレワーズ侯爵はさっさと任務用の服に着替えると、王宮の安全警備本部へと向かった。
そういうことで、マリーは兵士数名と必死で馬を駆け、マイルス森林地帯の村に来たのだった。
そのときマリーは、その村で、やはり駆けつけたばかりのハリルの姿を見つけた。
「ハリル様! 来られたんですか!?」
ハリルは、秘密を貫く家名のせいで顔がバレてはいけないので、仮面で目を覆っていた。
「ああ。近隣の常駐の部隊には魔術師が1名しかいない、と聞いたからな。一人で10頭の竜は厳しかろう」
とハリルは言った。
人間の武器は、硬い鱗を持つ人喰い竜には歯が立たない。武器に魔力を纏わせなければ、竜とは戦えないのだ。
つまり、警備兵には、竜を追い払うことはできても、殺すことはできないのだ。
竜の駆除には、魔術師が、要る。
「そうですね、応援も駆けつけるはずですけれども」
とマリーは言った。
「ああ。だがこの状況、待ってられないだろう?」
とハリルは一歩踏み出した。
「マリー、竜を駆除する。少し離れてて。正直こんなもの、俺にはなんでもないんだ」
ハリルは、文字通り村の上で暴れまわる10頭の竜を睨んだ。
そして、村の背面にそびえる崖を見ると、両腕を広げた。
ガリガリ、ガリゴリ、ゴリ……
ハリルの魔術。そして崖にヒビが入ったかと思うと、砕け、大きな石や岩が、百個ほどズズンと浮き上がった。
マリーは息を呑んだ。そして、ぞっとした。何という光景。
人外の力。
ハリルは、うっすらと笑みを浮かべているようにも見える。
ハリルは、浮かばせた大きな石や岩を、一つずつ正確に、ものすごいスピードで、それぞれの竜にぶつけていった。
何頭かの竜は脳震盪を起こしたいらしい。頭を一巡りさせると、地面に叩きつけられるように落ちた。
「おまえは、そこの気絶している竜の首を落とせ!」
ハリルは、安全警備付きの魔術師に向かって叫んだ。
一人で10頭もの竜と対峙しなければならないのかと、途方に暮れていたその魔術師は、ハリルの言葉にハッとして頷き、言われた通り、魔力を込めた剣で気絶した竜の首を落としに走った。
さて、軽傷で済んだ竜 は辺りを見渡し、ハリルの姿を認めた。そして恐ろしい唸り声を上げながら、翼を目一杯広げ、ハリルめがけて飛んできた。
「そう。こっちだ」
ハリルは、まるで調教師のように頷いた。
そして、先頭の四頭の竜がハリルめがけて突進してきたその瞬間、ハリルはニヤリと笑った。
急に、ズザザザザッと、大地から、鋭い氷の柱が何本も立ち昇った。
ハリルに急接近していた四頭の竜は、あっという間に氷の柱で串刺しになっていた。
大きな竜の断末魔が空中に響いた。
「ここの土は、水分を多く含んでいていいね」
ハリルはふわりと舞い上がると、魔力を纏わせた剣をふるい、串刺しになり、瀕死の四頭の竜の首を、落として回った。
「さあ、残りは何匹だ?」
ハリルは空を見上げた。
途端に、ハリルの真上に、真っ赤な瞳を見開いた三頭の竜が陣取り、連携を取るように、上空からハリル目掛けて一斉に炎を噴いた。
「おっと……」
三方向からの炎に、さすがにハリルも嫌な顔をした。
ハリルは膝を折り、大地に手を当てた。
竜の炎がハリルに遅いかかったその瞬間、大地から大量の水が、空に向かって噴き上がった。
竜の炎は、大地の水でだいぶ勢いを削がれた。
同時にハリルは急いで立ち上がると、左足を一歩前に突き出し、渦巻き状の突風を起こした。
勢いを削がれた炎たちは、風の力で霧散し消えた。
そして、そのまま突風は、竜に襲いかかった。吹き飛ばされ、うまく翼を使えなくなった竜は、何とか体勢を立て直そうと踠きつつも、そのままふらふらと地面に落ちてそうになった。
その瞬間、先ほどと同じ、鋭い氷の柱が、竜を串刺しにした。
天をつんざく、呻き声が上がった。しかし、土の中の水の量が十分でなかったため氷の柱は細く、三頭の竜は、串刺しになりながらも、死ぬに死にきれていなかった。
ハリルは、少し申し訳なく思った。魔力を纏わせた剣で、できるだけ急いで三頭の首を落とし楽にしてやった。
*******************
こうして、人喰い竜は片付いた。ハリルは、さすがに大量の魔力を使ったため、肩で息をしていた。
しかしハリルは、駆け寄ってきたマリーの姿を認めると、
「マリー、怪我人の手当てだ!」
と叫んだ。
「この部隊に医務官はいるのか?」
「いないということですので、応援が来るまで、わたくしが、できるだけのことをいたします!」
とマリーは言った。
ハリルはマリーに頷き、それから安全警備付きの魔術師に向かって、
「君は竜の腹を裂け。人が食われていないか確認しろ。もし人の肉片があれば、丁寧に扱え。遺族に返す」
と命令した。
安全警備付の魔術師は、この人は誰だろうと思いながらも、すっかりハリルの魔術に心酔しており、
「はいっ」
と大きな返事をすると、駆け出していった。
「村長殿は、怪我人をこちらの広場に連れてきてください」
とハリルは村長に言った。
「は、かしこまりました!」
村長も、先程のハリルと竜との戦いをつぶさに見ていたので、ハリルに言われるがまま、急いで村人たちに指示を出した。
10頭もの竜が、村で暴れたのだ。
怪我人の数は夥しかった。
マリーは、広場に集められた怪我人を順に診ていったが、やがて50名を超える怪我人が、広場に横たえられることとなった。
惨憺たる光景だった。重度の火傷で顔が半分なくなっている者。背中一面大火傷で、もはや皮膚の色が一面赤茶色になっている者。押しつぶされたのであろう、足の肉が抉られ骨が突き出している者。夥しい出血と共に、肩に竜の歯形が付いている者。
マリーは、一人一人怪我人の横を歩きながら、重症者、軽症者、と判断していった。
そのとき、村長たちは、数名の、もう動かない者たちを連れてきた。心肺停止の者たちだった。
「ハリル様……!」
マリーはハリルを呼んだ。すぐに処置をすればもしかしたら!
ハリルはマリーの顔を見て、すぐに分かったようだった。
「七、八人か……。マリーだけじゃ無理だな。マリー、気道を確保して回れ!」
「はい!」
マリーは心肺停止の者たちの体勢を整えて回った。
ハリルは掌で魔力を練った塊をいくつも作ると、心肺停止の者たちに放った。ハリルの魔力は、彼らの心臓に、とぷんっと入ると、ドクンッと刺激しはじめた。
それから、ハリルは両腕を突き出し、広場の上に空気の渦を作った。ハリルは空気の渦を凄いスピードで回転させていく。そして、その渦から心肺停止の者たちの気道に、筋状の空気を結びつけた。
同時にマリーも、順々に心臓マッサージを行っていく。
「すみません、何をされているのですか!? この者たちの胸の鼓動は、もう止まっていました。死んでおります!」
と村長は慌てて言った。
「いいえ! ショックで一時的に止まっただけであれば、また動き出すかもしれません! 今なら助かる者もあります」
とハリルは言った。
「え?」
と村長たちは驚いた。
「胸の鼓動が再開するように魔術を施してあります。息をしていないと言う事ですが、空気も送り込んでいます」
とハリルは手短に説明した。
「それは死者を生き返らせる、と言うことですか!?」
と村長は不気味そうな顔をした。
「ちがいます! これは医術です!」
とハリルとマリーは、同時に叫んだ。
「マリー、おまえはもういい。おまえは重症者の方にまわれ」
とハリルは言った。
「はいっ」
マリーは、安全警備兵に薬などを持たせると、時間がものを言う患者を見定め、走っていった。
******************
「マリー、先日の竜の被害の件では、お疲れ様」
とジョセフ国王は言った。
マリーはジョセフ国王にお茶に誘われ、テラスでゆっくりと話をしていた。
「ジョセフ様、内緒ですよ。ハリル様が竜を駆除してくださったのです」
とマリーは伝えた。
「それはハリルから聞いたよ。マリーもだいぶ怪我人の手当てをがんばったそうじゃないか」
とジョゼフ国王は目を細めて言った。
「わたくしなど。医務官の方が来てくださるまでですよ」
とマリーは謙遜した。
「でもその後も、医務官たちを手伝ったんだろう?」
とジョゼフ国王は感心したように言った。
「はい! それはもう、大変勉強になりました!」
マリーは笑顔で答えた。
ジョゼフ国王は、あちゃー、といった顔をした。
それから、まごつきながら、
「マリーそのことなんだが……。君の夢は知ってる。それでも言うんだけど……。俺の妃になってはくれまいか」
と顔を真っ赤にして言った。
「ジョセフ様の? ああ、わたくしの婚約破棄のことで、心配して下さってるんですね。まったく、みんな、お優しい……」
とマリーは微笑んだ。
「みんな?」
とジョゼフ国王は訝しげな顔をする。
「はい。ハリル様も、もらってやろう、と言って下さいました」
とマリーは照れながら言った。
「あいつ……!」
とジョゼフ国王は唇を噛んだ。
「どうかなさいましたか?」
とマリーが不思議そうな顔で聞く。
「いや、こっちの事」
とジョゼフ国王は、ぶすっとしながら答えた。
「あの、それより良いのですか? グリーブル侯爵様の……」
とマリーは急に、今日の用件を思い出して言いかけた。
「ああ。あれは当たり前だろう。自分の領民が苦しんでいるというのに、人を派遣もせず、安全警備本部にすべてを任せたのだから、領地を召し上げることぐらい」
とジョゼフ国王は真面目な顔で言った。
「でも領地は貴族にとって、大事な収入源ですから」
とマリーは、グリーブル侯爵を少し庇うように言った。
「だが領民の危機に、すべて王宮の安全警備本部に任せると言うのであれば、もはや天領でよいではないか」
とジョゼフ国王は強い口調で言った。
「にしても、領地を召し上げすぎです!」
とマリーは窘めた。
「いや、まぁ、それに関しては、これまで実はいろいろ報告も上がっていたんだよ。あまりきちんと領地が治められてなかったんだ。竜の事はきっかけに過ぎないよ。これに懲りて、これからきちんと領地経営をしてくれると願っているよ」
とジョゼフ国王は説明した。
「そうですか。それなら……。でも、良いのですか、マイルス森林地帯とあの村を、ヘレワーズ家の領地に組み入れるというのは」
とマリーは聞いた。
「それは、あの村の者たちが願ったのだ。だから良い。彼らは村を挙げて、おまえたちに感謝していたぞ。もう死んだと思っていた者を蘇生させてくれたと。おまえたちが手を施した者の中には、小さな子供を持つ母親や、新婚の者がいたそうだ。私もホロリときた」
とジョゼフ国王は、マリーを誇らしげな顔で見た。
「よかったですわ。また死者を生き返らせたなどと言われずに済んで」
とマリーは笑った。
「いやそれは、王宮では多分言われてるんだけど」
とジョゼフ国王は苦笑した。
「え? まだ、やっぱり?」
マリーも苦笑した。
「でも、この医術が広まって当たり前になれば、おまえの噂も消えるだろうよ」
とジョゼフ国王は慌てて言った。
「いいんですよ、ジョセフ様。問題ありません。ジョゼフ様は理解してくださってるんですもの」
とマリーは微笑んだ。
「そうかい? でもマリーは、俺の事は理解してくれないみたいだけどね」
とジョゼフ国王は言った。
「ジョセフ様のことを理解だなんて、恐れ多い」
とマリーは首を横に振った。
「だよね。まぁいいよ、時間をかけてゆっくりと」
とジョゼフ国王はマリーの手を取った。
「ゆっくりと、何ですか?」
とマリーは手を引っ込めながら聞く。
「いや、これもこっちの事」
ジョゼフ国王は、手を引っ込められたことに、少しショックを受けながら呟いた。
******************
マリーがジョセフ国王とのお茶から帰ろうと、王宮の庭を歩いていると、遠目にアラン・グリーブルの姿が見えた。
アランは誰か素敵な女性と歩いていたが、マリーの姿を認めると、顔青い顔をして、下を向いた。
そう婚約中もこんな姿をよく見かけましたね、とマリーは思った。昔はそれなりに傷つきましたけれども。
もう婚約者じゃありませんから、どこで誰と何をなさろうと関係ありませんけどね。
でも、あれほど領地を削られては、爵位に見合うだけの見栄を保つのは大変でしょうね。
まぁ、お金持ち貴族のご令嬢を花嫁に迎えたらよろしいわね。
マリーは、ふいっとアランから視線を外した。
「おい、マリー、あれ、アランじゃね?」
と聞き慣れた声がした。
「だからあなたは、なんでいつも嫌なタイミングで、わたくしの前に現れるんですか!」
とマリーはハリルを睨んだ。
「なんだよ! 俺、結構あいつのああいうとこ見るの、胸糞悪かったんだけど」
とハリルは言った。
「え、何でハリル様が?」
とマリーは、ハリルの思いがけない言葉に、どきっとした。
「おまえが傷つくのを見んのは、やだな」
とハリルは素直に言った。
「え……そんなふうに……」
マリーは、胸の奥がじーんとした。
「ま、でもあいつ、もう、おまえの婚約者じゃないし、いっか」
とハリルは笑った。
「はい。もうすっきりした気分です」
マリーも嬉しくて笑った。
「そっか」
ハリルは微笑んで、マリーの頭を撫で、そのまま指でマリーの髪の毛をくるくる弄んだ。
「ちょっと、ハリル様、何してるんですか?」
マリーは顔を赤くした。
ふふっと笑って、ハリルは手を引っ込めた。
「噂の方は、相変わらずみたいだけど」
とハリルは少し眉を顰めた。
「それは、まぁ、この医術が広まれば、噂も自然に消えるだろうと、ジョセフ様が仰ってましたわ」
とマリーは気にしないように言った。
「何? あいつと会ってたの?」
とハリルは訊いた。
「ええ。報告を兼ねて」
とマリー答えた。
「そっか。あいつ、多分おまえのこと好きだと思う。婚約破棄されたことだし、おまえも俺じゃ嫌だって言うし、いっそお妃になっちまえばいいんじゃね?」
とハリルは提案した。
「それは嫌!」
とマリーは即答で叫んだ。
「え、嫌なの? なんで? おまえら、仲いいじゃん」
ハリルが理解できない、といった顔をする。
わたくしは、あなたのことが好きなんです。
マリーは言葉にできない想いを飲み込んだ。
「それにハリル様のことを嫌だなんて言った事はありません!」
「えー! だってこの間、俺のプロポーズ断ったじゃん」
とハリルは心外そうな顔をする。
「だってそれは……」
マリーは答えられない。
あなたはこの国の礎である、ヒアデス家の長男。私は叶わない想いを抱えて、別の男性と婚約もしたし、満たされない想いで医務官になる夢も持ったんです。
最初は少し不純だったけれども、医術を学んでよかった。ハリルは少し、わたくしのことを認めてくれるようになった。
叶わないこの想いがいつか消えるまで。
わたくしはもう誰とも婚約はしません。わたくしは医務官として働きます。
わたくしはまだ19歳。もう少し大人になれば、この王国の仕組みが少し分かるかもしれない。何が秘密にされているのかも。
そうしたら、ハリル様のことも分かるかもしれない。ハリル様、あなたが何者なのかも。わたくしがそばにいてもいい方なのか……。
わたくしは自分の足で立ち、わたくしは自分の目でこの国を見る。
しかし、マリーの目の前で、ハリルの美しい、少し長めの黒髪が揺れた。
ハリルは、ずいっとマリーに顔を近付けて、
「だってそれは、の続きは何?」
とマリーの耳元で囁いた。
「ハリル様、ちょっと!」
マリーは、手で耳を押さえると、退けぞった。
しかし、ハリルは、そのマリーの手首を掴んだ。
「ねえ、一応聞くけど、おまえ、もしかして俺のこと……?」
マリーは真っ赤になって、ハリルの手を振り払った。
そして、マリーは、ツンとすましてぷいっと顔を背けると、何も言わずに、ハリルに左手を差し出した。
「へえ……」
ハリルはニヤッと笑った。
ハリルは跪き、マリーの手を取ると、手の甲に恭しくキスをした。
そしてそのまま急に、グイッとマリーの左手を引っ張った。
「きゃっ」
マリーがよろめいて倒れ込む。
ハリルはそのマリーを抱きとめ、
「だったら素直になればいいのに……」
と掌でマリーの頬を包み込んだ。
「だってハリル様がハリル様だから……」
とマリーは顔を真っ赤にして、慌てて口走る。
「意味わかんない」
ハリルはそっと唇をマリーの唇に重ねた。
ハリルの黒髪が、マリーの頬や耳に触れる。
それから、すっとハリルはマリーの体を離した。マリーとハリルは見つめ合った。
ハリルはふっと笑った。
「ハリル様が、とか言って。なんか、おまえ、難しく考えてんだろ。残念ながら俺は王宮魔術師なんで、ずっとここにいる。ずっと、だぞ。だから、おまえが納得するまで、待ってやるよ」
はい。わたくしは必ず……あなたに相応しい人になります。
マリーは、目の奥が熱くなるのを感じた。
日間短編ランキング、87位、どうもありがとうございます!たいへん感動しています!
連載中の、「竜のいない夜に〜薬師の村娘ですが、最強の魔術師とこの魔術界を終わらせることになりました〜」のスピンオフです。
10年くらい前のマリー・ヘレワーズ嬢が主人公。
連載の物語には直接関わらないのですが、世界観は一緒です。
読み切り短編小説として、これだけで物語が完結するよう気をつけて書きましたが、世界観で分かりにくい点がありましたら、申し訳ございません。
(投稿時より、ラスト少し変更しました。)