第04話 お嬢様を尾行してみた(後)
俺は慎重に灯りの部屋の窓へと近づく。
この感覚、高揚感。俺は戦場に戻ってきたのだ。俺はマチルダからスリルの匂いをかぎ取っていたのかと自問自答する。
部屋の中を覗き込むと電灯式のシャンデリアに照らされた豪奢な部屋の真ん中で相対する二人の女性がいた。
一人はマチルダ。もう一人は初めて見る。マチルダとそう歳の変わらない淑女だ。椅子に座り落ち着いた雰囲気で話し合っていた二人だったが、やがてマチルダが立ち上がり口論に熱が入る。いや、口論というよりもマチルダが一方的に相手を糾弾しているように見える。
(デボラ。貴方の旦那様は心の底から貴方を愛しています。それだけで十分じゃないの)
冷たいガラスが震え、かすかに二人の会話を伝えてくれる。
(ふふふ、まるで少女ね。相変わらずで、うん。私はそんなマチルダが好きよ。今でも、これからも)
(今なら、まだ引き返せます。いえ、私がどうにかします。だからっ)
(ダーメ。私は諦めることなんてできない。夫の愛? そんなものはね……そんなものでしかないのよ。無ければ無いで何とでもなる……アナタだって分かるはずよ。人にはね、それぞれに与えられた役割があるの。それを全うできるかどうかで価値が決まるの。でなければ、ただのお人形でもいいの? 大人になりなさい、マチルダ。高みに立って初めて見えるものがあるのよ)
(わ、私だってもう立派な……立派なウェザーエザー家の当主です。第19代ハイブリーデン女伯爵です。私にだって使命があります。覚悟だってありますのよ)
(これからよ。私が見たいのはこれからのアナタなの。泥にまみれて穢れていく姿を私は見たいっ。アナタのその善性がっ、アナタが説くその愛がっ、無垢なるその魂がぁっ、現実を前にしていかに無力で無意味で無価値で、ただ一方的に蹂躙され凌辱されるべきものか、味わって、思い知らされ、知り尽くして、そして浸り溺れて! そして、また二人で遊びましょう、親愛なる私のマチルダ)
(デボラ……間違っていますよ)
マチルダは目の前の親友をじっと見据えて視線を外すことなく、緊張した様子でそっと手に持った木箱から何かを取り出そうとする。人の腕よりやや長い棒状の何か。
「やめろ。マチルダ」
マチルダはデボラに襲い掛かろうとしている。瞬間的にそう理解した。
俺は、手ごろな庭石の一つを掘り起こすと勢いよく窓ガラスを叩きつけた。割れたガラスを取り払い部屋の中に滑り込む。
動きを止めたマチルダと、目線が合う。
「あら、十兵衛さん? なぜこんなところにいるのです」
「ああ。やぁ、マチルダ。ランチのお礼をきちんとしたか気になってね」
きょとんとした顔で俺を見つめる。絶対に交わるはずのない二つの線が交わった瞬間。
「えーっと、そうでしたか。お気持ちは伝わっていますから、ご心配なく」
丁寧に頭を下げる彼女。こんなときにも優雅さは忘れない。
「さて本題、何か僕に手伝えることはあるかな」
「いえ、とんでもない。これ以上、せっかくの休暇を邪魔するわけにはいきませんわ……それに、誠に申し訳ないのですが、実のところゆっくりとお話しできる状況でもありませんのよ」
そういうとマチルダは手に持った棒状のそれをぎゅっと強く握りしめた。
とりあえずそれを置かないかと告げるよりも前に、俺を見下ろし睨み付ける視線に気づいた。
優に天井に届く巨大な影。先ほどまでマチルダと向かい合っていたはずのデボラの身の丈は、2倍以上に伸びあがり、シャンデリアを邪魔そうに揺らしていた。
腰より上にはそのままで、しかし下半身は醜く膨れ上がった巨大な頭のない四つん這いの人間のような肉塊へと変化してしまっている。その姿は、俺がおよそ現実だと認識できるモノすべての外にあった。
「ジャマ……ジャ、ジャマスルナ……」
……放っておくわけにはいかんだろ。