表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

ひどい夢をみた朝に

作者: 京本葉一
掲載日:2019/11/06



 アラームが鳴る前に、息苦しさで目を覚ました。寝汗がひどく、体中がべたついている。ひどい夢をみたらしい。まったく思い出せないが、なにかから逃げ回っていたような気がする。

 シャワーを浴びて、歯も磨いた。

 トイレで用をすませて、キッチンに向かい、水を飲む。


 まだ早い時間なのに、キッチンでは母さんが弁当の準備をしていた。


「ずいぶん早いじゃない。朝ごはん食べる?」

「……なにがある?」

「ハムエッグとトーストならすぐできるけど?」


 トーストを食べる気にはならなかった。朝から卵かけごはんを食べられるのだから、体調が悪いわけではない。納豆も食べた。塩昆布とポン酢をくわえて、ねばねばとかきまぜる。上品に食べたつもりでも、口のまわりがべたついた。





 コーヒーカップをもって自分の部屋にもどり、勉強をして時間をつぶす。余計なことを考えないようにしたせいか、調子が良く、このまま進めれば、夢の残滓も消え去るかもしれない。

 友人から朝の挨拶ていどの連絡がくることもあるが──


『夢精した』


 ひどい邪魔が入った。朝から下着を洗っているにちがいない友人に、こちらの精神まで汚された気分だ。勉強をつづける気も失せる。

 制服に着替えて、登校準備をすすめた。

 用意されていた弁当も忘れずに持っていく。


「お兄ちゃん、もう行くの?」


 中学生の妹がたずねてきた。朝食の途中らしく、右手には半分になったトーストを持ち、左手にはマグカップを持っている。角砂糖を四個は入れた、口のなかがべたべたするほど甘ったるいコーヒーが、妹の活力の源だそうだ。


「早いけどな……パンをくわえて走るなよ?」

「やるわけないでしょ!? そんなアニメみたいなこと!」


 食べながら歩いたことはある妹とはいえ、自分でもひどい忠告をしたとおもう。やはり今朝は、どこかおかしいのかもしれない。





 いつもの時間より早く、家を出て、学校に向かう。

 住宅街がつづく狭い道路には、ちらほらと人が歩いている。


「へえ、めずらしい」

「春奈か」


 数少ない異性の友人に声をかけられた。幼なじみという間柄で、小学校と中学校では、彼女といっしょに登校していた。


「久しぶりだよね、達也とふたりで歩くの」


 同じ高校に入ったものの、ダンス部の春奈は、朝が早い。


「元気ない感じ? なんかあった?」

「なにもないよ。嫌な夢をみて、それを引きずってるだけ」

「へえ、どんな夢?」

「なにかに追いかけられていたような……そう、なにかとても大切なものを、懸命に守りぬこうとしていたような夢」


 忘れてしまったが、とにかく奪われまいと必死だったような気がする。


「しょせんは夢だから、原因もなにもない。気分的なものだよ」

「それじゃあ、私が元気づけてあげちゃおう」

「べつにいらないけど?」

「私が元気づけてあげちゃおう」

「いや、いいって」

「私が元気づけてあげちゃおう」

「これ、『はい』を選ばないと進まない感じ?」


 王道RPGの流れを日常生活に持ちこまないでほしい。

 無言の春奈に「はい」とこたえる。


「私が質問をするから、達也はすべて『はい』と答える」

「はい」

「達也は男の子です」

「はい」

「女の子が好きです」

「はい」

「可愛い彼女が欲しいです」

「はい」

「幼なじみの恋人とか最高です」

「はい」

「春奈のことが大好きです」

「はい」

「春奈のことを愛しています」

「はい」

「いますぐここで春奈を抱きしめて、キスをしたい」

「はい」

「イエス! アイムレディ!!」


 春奈は立ちどまり、大きく胸を広げた。腕は指先に至るまでのびやかで、足元は淑やかに整っている。笑顔が眩しい。じつに美しいポージングを決めた幼なじみの彼女に、「アイムノットレディ」とこたえる。幼いころはもちろん、ダンゴムシをさわれなくなったいまでも、仲のよい友人でしかない。


「うん、なんとなく元気になった」

「オーケー」


 なにかスイッチの入った春奈といっしょに、ふたたび歩きだす。


「ダンス部のほうは、どんな感じ?」

「だいぶ仕上がってる。まあ、問題がないわけじゃないけどね」

「問題?」

「最近転校してきた一年生が、中途で入部してきたんだけど──」


 詩織という名の後輩は、どうやら、ものすごく上手いらしい。エース級の実力があり、大会で良い成績を残すためならば、メンバーチェンジもありうるという。

 苦労をともにしてきた仲間ならば、それもいい。しかし、中途入部の一年生を、誰が快く祝福できる? 理屈はわかっても、感情が追いつかなければ、軋轢が生まれるのも必然だろう。


「性格は?」

「いい子だよ。いい子なんだけど……」

「だけど?」

「めちゃくちゃ可愛いんだよね」


 春奈の表情が曇っている。

 もうすでに、ダンス部内でなにかあったのかもしれない。


「恋人の応援にきた先輩の彼氏が、勝手に一目惚れしたとか?」

「ビンゴ」


 なんというベタな展開だろう。ドロドロの展開にこそならなかったそうだが、軋轢というか、亀裂が生じていそうだ。


「それだけ可愛いわけだ」

「興味ある?」

「ないといえば嘘になるが──」


 後方から、なにかが勢いよく走ってくる気配に気づいて、振り返った。

 同じ制服を着た女子生徒が走ってくる。

 その前に、白い猫が走っている。


「あっ、詩織」


 春奈のつぶやきで噂の後輩と知る。

 たしかに可愛い一年生の女子が、トーストをくわえながら走っている。

 そんな彼女の少し前を、シシャモらしき魚をくわえた、白い猫が走っている。

 近づいてくる。

 白猫が、横を駆けぬける。


「ん~~!!」


 ダンス部の先輩である春奈に、どうやら挨拶をしたらしい。

 トーストをくわえた後輩女子は、そのまま白猫を追いかけて走り去った。


「…………えぇ、なにいまの? ……達也? ちょっと、達也!?」


 気がつけば動いていた。

 春奈に呼びとめられても追いかけていた。

 なんのために?

 わからない。

 わからないが、あの後輩女子を止めるために、走らねばならない気がした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ