陸日目 私とあなただけの物語
夜11時。蒼生はふかふかのベットで床に就こうと横になっていた。が、しかし――
「やっぱり寝れない·····」
どうしても寝ることが出来ない。あと一日の猶予があるというのに何故か心の中で虫唾が走るのだ。何か嫌な予感がする、そんな感じで。
「この不快感は一体なんなんだ?」
一体どこから出ているのだろう。
いや、もうその原因はとっくに分かっている。原因として考えられる事は二つ。一つは何故琴音が放課後まで残っていた自分と帰りが同じになるのかという謎。二つ目は何故寿命が一日短くなったのかということだ。この謎を紐解かなければ上手く寝れそうもないので一つ一つといていく。
まず、琴音が何故放課後まで残っていたのかという謎だ。これは本当に何故なのかが分からない。あの時は時間を見ていなかったから詳しい時間は分からないが、体感では2時間以上は経っていたはずだ。
ということは琴音も授業が終わってから2時間以上も残っていたということなのか。だとしたらなんのために、どうして残っていたのか。
「――もしかしたら、僕を待っていた·····!?」
んなんてことはあるわけが無いと少々落胆する。そんな都合のいい簡単な答えだったら良かったのだが、人生そう自分の思う通りには上手くはいかない。では、果たして本当の理由は何なのか。
まず、部活の線はない。琴音はそもそも部活に入ってはいない。では、友達と放課後を過ごしていたのだとしたら。確かにその線も無くはない。しかし、琴音には仲のいいと呼べる友達は少ない方であり、真っ先に家に帰るという琴音の普段の行動もあってそれは無いと確信する。
そうなると、いじめなどで連れ去られていたという線が有力候補になる。齋藤も連れ去った云々の話もしていたから余計にだ。
が、これに関しては安心していい。そう、先生と話し合いをした際に遠回しでそのようなことはなかったかと聞いたのだ。もちろん、自分はどこでいじめが起きているのかを知っている。だからまず先生にその確認をさせていたのだ。
いじめの大半は集団で行われる。ので、もちろん声などによって見つかりやすくなる。いじめられている側が声を上げる前提で考えているならば尚更だ。だから先生にいじめが起きる場所等を伝え、校内を全てほかの教員を含め1度巡回してくれたのだ。
そして、校内を各自巡回した教員からの情報を統合した結果、目の前にいる担任の先生からはなかったという言葉が発せられた。これにより、いじめによって連れ去られたということはないということがほぼ確定したのだ。更に追加情報によると、下駄箱を見たところいじめを起こすような人物は校内にいなかったという情報も入ってきた。
「だからいじめという線はない。では何故·····。」
何故残っていたのだろうか。それに、いじめでは無いのであれば何故寿命が短くなったのだろうか。自分はマイナスにしたつもりは無い。むしろ予想以上のプラス行動になったと思っていた。なのに結果はこれだ。やはり、あの事件を起こしたこと自体が分岐点だったのだろうか。
「うーん·····。」
頭を悩ませる蒼生。これでは悩みが頭から離れないせいで余計に寝られなそうだ。
蒼生は答えを求めるように枕の横にあるスマホに手を伸ばし、通知を順に見ていく。すると、そこには夢翔からのLINEが4件あった。
こんな時間に夢翔からLINEが来るなんて珍しいと思いながらも、上から一つ一つ内容を読んでいく。
蒼生、こんな遅くに突然ごめん。実は言いたいことがあってLINEをした。長いが最後まで読んでくれ。
最近、琴音の動きが怪しいんだ。これは蒼生が休んだ日に見たことなんだけど、先生に用があって職員室に向かう途中、琴音とすれ違ったんだけど、その足取りにどこか違和感を感じたんだ。
だから琴音をこっそりとつけてみたんだ。そしたら琴音は屋上に吸い込まれるように入っていって、外を見ながら何かをぶつぶつ言いながらメモ、ときには泣きながら、とそんなふうに立っていたんだ。そしてそれは毎日。いや、昼休みや放課後、暇ができる度に同じような行動を取った。
なぁ、これってやばいと思わないか。俺、何か嫌な予感がするんだ。なにかとてつもないことが起こる気がしてならない。蒼生はどう思う?
そんな夢翔の疑問形で文は終わっていた。そして、その文の内容の一つ一つが今の自分が求めていたものと一致していた。
琴音が放課後まで残っていた理由。それは屋上にいたからである。屋上で泣いていたのは気になるが、メモをしていたということから何か目的があって来ているのだろうということを察した。では、その目的とは·····。
独立した一つ一つの点が徐々に線となっていく。まるでパズルのように、足りないピースが見つかった途端にその全容が全てあらわになる。
何か嫌な予感がする。確信はない。だが、嫌な予感がするのだ。
出来上がったパズル。それは一つの場所へと自分を指し示すパズル。そして、そのパズルを持ちながら今そこに行かなければ手遅れになると誰かが心の中で叫ぶ。
こんなことをしている暇はない。早く琴音の元へ行かなければならない。早く·····早く·····。
そう思い立ち、蒼生はベッドから立ち上がって急いでドアを開けようとする。が、――
「·····なんなんだ、これは·····。」
Unauthorized access(不正アクセス)。ドアに掲げられた文字。
蒼生は自分の目がおかしくなってるのだと思いドアを再び開けようとすると、突然出現した青白いガラス状の壁によって指が慣性の法則に反して弾かれる。
「·····なんで弾かれるんだッ!」
蒼生は青白い壁に向かって両腕で強く叩き入れる。だが、それも見えない壁によってそのまま衝撃が反射され、腕ごと後ろにもっていかれる。
では窓からは行けないのか。そう思った蒼生は窓を開けるためにと鍵に触れようとする。しかし、ここでもUnauthorized accessの文字。やはり衝撃を反射され後ろに弾かれる。
努力して努力して努力して·····。その結果がこれ、なのか·····?そんなのあんまりだ。ここまできて、やってきて、やっと君を救える。そう思えたのに。
何故ここで阻まれるんだ。何故みんな僕の邪魔をするんだ。これから僕はなんだってする。ちゃんといい子で生きる。だから今回だけは見逃してくれ。誰か力を貸してくれ。僕はただ·····ただっ·····
――君を救いたいだけなんだぁぁああ!!
大声を上げて壁に向かって作った拳で強く殴りつける。痛みが全力でぶつけた拳から伝わる。血が拳から滲み出る。
痛い、痛い、痛い、痛い。
突如現れた謎の壁。まるで岩のように頑丈だ。普通に殴っても、力ずくで殴っても割れたものじゃない。そんなことはわかっているんだ。けれど、
「まだ救える。まだ自分は動ける。こんなにも動けるじゃないか。」
そうだ。まだ諦めるには早い。
この足が動く限り、この腕が動く限り、僕が生きる限り、まだ救えることはできるはずだ。だから·····!!
「――くっ·····砕けろォォオオ!!」
全力で力を込めて拳で、体ごと壁へと押し続ける。徐々にではあるがヒビが入ってきている。
痛みがある。血が滲み出る。挫けそうになる。だが、
「――諦める訳にはいかないんだァ!!!」
そう最後のひと押しをした瞬間。
「――ッ!?」
壁が窓ガラスを割るような音を立ててその場に砕け散る。ついにやった。壁を打ち破った。だが、そんな達成感を得ている余裕はない。
蒼生は割れたのを確認し、すぐさま家の玄関から学校へと向かう。
走るほど足からの衝撃が体の芯へと伝わり、少しばかりの痛みを覚える。下手な走り方だ。無我夢中で走るとはこのことなのだろう。気持ちが前に出過ぎて、胴体がついて来れない感じと似ている。
何度も何度も転びそうになりながらも走り続ける。そう、それはもはや赤ちゃんが歩いては転んでを繰り返すよう。けれど、今は自分のことなどどうでもいい。転んでも、傷ついても、僕は君を守るために走り続ける。あの時守れなかったから、だから今度は、今度こそは――
「僕が君を必ずや救ってみせる!!」
そう強く決意をかためながら細川蒼生の足は速さを極めていった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
駆ける、駆ける、駆ける·····。
細川蒼生は駆けた。どこまでも遠く、なによりも早く、と。
汗が頬を伝って滴り、かわいたコンクリートの上へと落ちて、広がるようにムラができる。普段ならばすぐに使い果たしてしまう体力だが、この時はその限界さえをも越えていた。
とにかく早く、学校に着くことだけを考えていた。だが、そんな蒼生の前に一人の少年が突如、立ちはだかる。
「ん?あれは·····?」
一本道に立ち尽くす1人の少年。それは蒼生には見覚えのある人物であり、そしてとても大切な存在だということを捉えたシルエットだけで脳が認識する。そしてその距離が4メートルほどまで近づいた時、蒼生は気付く――
「·····お前は、まさか。ユウ·····ガ?」
蒼生は走っていた足を止めて目の前にいる少年へと問いかける。そして予想通り――
「うん、そうだよ蒼生。真田夢翔だ。」
そう一言を返す夢翔。夢翔はその一言を言うまでの間、何一つ顔すら変えず、そして言い終わるとそのまま何かを伝えたそうに蒼生の目をまっすぐと見つめ始める。
夢翔の衣装をよく見ると、季節感のズレたパーカー。夏の夜だというのに少し厚手の白いパーカーを着ている。目の前に見えている光景、何もかもが異常だ。
「一体なんでこんなところに夢翔が?」
そう問いただす。だが、返事はない。そして、蒼生はそのまま言葉を繋げる――
「悪いけど、今は夢翔には構えそうにないんだ。ごめん。だから悪い、そこを通らさせてもらうね。」
「·····いや、それは出来ない。」
問いかけに無言だった夢翔ができないという言葉を口にする。それは蒼生の予想より遥かに上。いや、期待を裏切るような答えでもあった。
その予想から外れた答えを聞いた蒼生は少々動揺。しかし、その表情を見せたのも束の間。覚悟を決めている蒼生は鋭い眼差しで再び夢翔に向けて言葉を投げかける。
「なんでそこをどいてくれないんだ?君ならわかってくれるはずだ。僕はあの人を助けなきゃならないんだ。だからここを通して·····」
「それは出来ない。済まない蒼生、これは君のためなんだ。」
蒼生の為?意味がわからない。
どこに僕のためである理由があるのか。僕の邪魔をすることで、どこに僕のためになることがあるのか。分からない。分からない。
「·····どうしてそこまでして邪魔をするんだ!」
「――――」
夢翔はその問いに少しばかり口を開いたが、その僅かに開いた口を再びと閉じ、何も言わずに蒼生を見る。
その刹那、理由を問いただしても無駄だということを悟る。そう、親友として過ごしてきた自分だからこそわかる。あの眼差し、その声。相手も何かしらの決意をもってここまでやってきている。だからきっと理由を聞いても答えてはくれないし、説得しても無駄なのだ。ならば·····
「そこをどかなければ、たとえ夢翔だとしても最終手段を取る。それでも、いいんだな·····?」
蒼生は最終警告ならぬ宣戦布告のような確認を夢翔に投げかける。
最終手段。それはすなわち強行突破だ。力と力によるぶつかり合い。幼き頃から殴り合いの喧嘩などは毛頭、一度もしてはこなかった。否、それは喧嘩をしてこなかったからではなく、話し合いだけで全てが決着したからである。だから、親友である夢翔にはあまり暴力を振りたくない。そう思い、最終警告をしたのだが――
「俺はここを通すつもりは無い。もちろん、説得にも応じるつもりは無い。だから全力でかかってこい。俺は絶対にここを通さない!」
どうやら、そうは上手くいかないようだ·····。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「はぁぁぁあああ!!!」
先に仕掛けたは蒼生。夢翔に向かって右腕一撃パンチをお見舞する。だが、
「はぁっ!!」
――ッ!?
その殴った拳を左手で丸め込むように抑え、そのまま後ろへと、
「――ぐわぁぁっ!!」
蒼生は夢翔に少し後ろへと拳を通して力を加えられただけで、その衝撃で体ごと後ろへと持っていかれる。幸い、少々クタクタな足で踏ん張り、転ぶことは避けられたが、
「――強すぎる。」
あまりにも強すぎる。後ろへと力を入れるだけでこの威力。確かに夢翔は運動神経はいい方で、筋肉も確かにあったが、それは自分と比べた場合、ほぼ変わらない。なぜなら、二人が共通して励んでいたスポーツであるサッカーは足を使う競技であるからだ。なのに·····
「ぐっ·····いつの間にそこまで強くなっていたのか。それは知らなかったよ。だけど·····!!」
蒼生は足を再び動かし、夢翔に向けて突進をかける。そして拳が届く範囲までたどり着いた瞬間、右、左、上、下、と多方向から何回も殴りつける。連続で殴れば一撃はくらうだろうという算段だ。だが、夢翔に向けて放ったその全ての攻撃は一度も当たることも無く避けられていく。そう、まるで敵は自分の未来を予測しているかのような動きだ。と、そう油断していた次の瞬間――
「――ッ!?」
一瞬の殴りつける間の隙をついて、夢翔は蒼生の胸へと手を添えて、そして――
「――グハッ!!」
先程と同じように衝撃が胸へと伝わり、後ろへと大きく吹き飛ばされる。さすがにこの衝撃には足の踏ん張りも耐えきれず、ザラザラなコンクリートへと打ち付けられ、その後転がり落ちる。
「うっ·····うぐっ·····」
地面に打ち付けられたヒリヒリとした痛みで体が上手く動かせない。まるで麻痺したような感覚だ。
しばらく体が動かせない間、ゆっくりとした足音が耳元へと届いてくる。そう、夢翔が近づいてきたのだ。
「ぐっ·····夢翔か。」
「うん。悪い、こんなことをして·····。」
「はっ、謝るなら最初からするなよ。夢翔。」
そう、弱った声で夢翔へと語りかける。
正直、ここまで来たら完敗だ。夢翔からしたら、横になる自分を一つ殴りつけただけで終わるだろう。もうここから勝てるビジョンが見えない。
諦めたくはない。このまま諦めたら琴音を救うことすら不可能となってしまう。だが、もう足は動かない。手も動かない。
「·····もう諦めてくれ。これは本当に蒼生のためなんだ。君は自分を犠牲にしすぎている。世界を敵に回して、あいつにも目をつけられて、それでも君はあの子のためならばと立ち上がる。」
「ぐっ·····。」
「もう、わからないよ。なぜそこまでして君は立ち上がれるのか。今だってそうだ。君は立ち上がろうと必死でいる。この状況では俺の勝ちはもう確定しているのに、なのに君は立ち上がる。なぜ、そこまで·····」
「なぜ·····そこまで·····か。」
正直、自分もそこまで考えたことは無かった。なぜ自分を犠牲にしてまで、なぜ世界を敵に回しても救おうとするのか。立ち上がろうとするのか。
だが、その答えは考える前にすぐ出てきた。考えることすら必要としない、確かな答え。
「――みんな、僕よりもとてもいい人なんだ。」
「·····え?」
「みんな僕よりもいい人。当たり前だ。虐められていた人を見て見ぬふりをして捨ててしまった自分と比べたら、みんないい人なんだ。生きるべき人なんだ。」
「違う·····あれは仕方がなかった!味方につけば自分の身ですらも危険に晒す!そう、あれは蒼生も、葵も、誰も悪くないんだ!誰も·····。」
「違うんだよ夢翔。本当はあの事件も事前にとめられたはずなんだ。もし自分が動いていれば玲於がああならずに済んだかもしれない。あれは全て僕の責任なんだよ。」
「·····蒼生。」
「だから僕は罰を受ける人間なんだ。そして、二度とあんな悲劇が起こらないように守らなくてはならないんだ。僕の手で、僕の体で·····。だから、」
沈黙する夢翔。蒼生はその隙を見て、咄嗟に弱々しいパンチを夢翔へと放つ。しかし、それは当たり前のように夢翔の手ですぐに受け止められてしまう。
次に身を投げられたならば、もう自分は気を失ってしまうであろう。最悪、死ぬかもしれない。そう覚悟していた。だが、
「――蒼生。」
その声とともに夢翔は掴んだ拳を離し、蒼生の腕を解放する。
「俺は、心配だったんだ。自分の身を粉にして他人を救う蒼生のことが。そして、同時に羨ましくもあった。君の、世界を敵に回しても立ち上がれるその力を。俺は欲しかったんだ。」
「·····夢翔。」
「蒼生はいつも突進しすぎることがある。一人でなんでも突っ走る。だから、いつかは止めようと思っていた。だが、そう簡単に止められなかった。その姿が憧れだったからだ。」
「――――」
「昔からそういう危険なことはいくらでもあった。けれど、琴音に近づいてから話は大きく変わった。俺は怖かったんだ。蒼生が今度こそいなくなってしまうのではないか、死んでしまうのではないかって。だから、今度こそは止めようと、していたんだ。けれどさ·····」
一粒の涙がコンクリートの上へと流れ落ちる。
「君は強すぎたんだ。僕には真似が出来なかった。いや、真似などできないのかもしれない。たとえ、君を助けるために身を粉にしたとしても。」
「夢翔·····。」
「だから行け、蒼生。ひたすら走れ、蒼生。俺は君の無事を祈ってここで待っている。きっと生きて帰ってくると信じてる。だから行け、蒼生。」
「夢翔·····ありがとう。」
蒼生はそう言って夢翔を横切り、道の更にその先へと走り行く。どんどんと離れていく背中。中学二年生の背中と言えど、自分から見たその背中は、とても大きな背中だった。超えることも出来ない、真似をすることも出来ない。そんな大きな背中だ。
「·····はぁ。」
涙を腕で拭って空を眺める。
今日は特に月が綺麗だ。いつも綺麗だが、今回は特に·····。
「1番誰よりも多く眺めて、誰よりも1番近くにいたのに、やっぱり君にはなれそうもない。俺には君の輝きは眩しすぎたよ。なぁ、蒼生。」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
ついに学校までたどり着いた。たくさんの障害が立ち塞がったが、無事ここまで。
「琴音さーん!!琴音さーん!!」
校門の外から大声で琴音の名前を叫ぶ。しかし、返答はどこからも聞こえてこない。
「やっぱり、校舎の中か。そうなると、」
この校門を乗り越えなければならない。少々身長を越すか位の高さだ。無論、普通ならば越えられたかもしれない。だが、先程の傷がまだ癒えていない今の自分には大きな壁だ。
「ぐわぁぁぁ!いけっ!僕の腕!!」
校門の上側に手をかけて、腕の力で体を持ち上げようと踏ん張る。正直、もう腕がパンパンだ。力が思ったよりも入らない。だが、これを越えさえすれば·····!!
「うーよいしょ!!!」
なんとか校門という大きな壁を突破して校庭へと足を踏み入れる。
「琴音さーん!琴音さーん!」
再び声をかけ始めるが、返答はやはりどこからもない。
やはり自分の早とちりだったのか。そう思って足元を見た瞬間、あることに気づいた。
「ん、この足跡は――」
そこにあったのは自分の足の一回り小さい位の足跡だった。砂盛り上がり方からして後者の方へとどうやら歩いていったように思える。そして、何よりも足跡があるということはまだ誰かが来てから時間はあまり空いていないということだ。
「ということは、校舎の中か·····。でも校舎の中はさすがにっ·····ん!?」
その先に見えた校舎へとはいるための正門。そこにはわずかな隙間があるのが見えた。
もしかしたら、正門が空いていたのか。いや、だがさすがに防犯上閉め忘れることなどは無いはずだ。だが、何故か空いている。
「いや、考えている暇はない。きっと琴音さんは校舎の中にいる。まだ間に合う·····まだ·····!!」
そう足を動かそうとした瞬間――
「痛った!!!」
動かした右足から全身へと痛みが電撃のように伝わる。
元々事故で怪我をしていた両足だ。ほぼ気にならない程度には治癒したからと言って、あれだけ動かせば足が壊れるのも無理はない。
「くっそ·····ならば左足だけで·····」
片足歩きだけでもいいから歩こうと左足を出したその瞬間。
「痛った!!」
右足と同じような現象が再び蒼生を襲う。どうやら、神は片足ですらも余裕をくれないらしい。
「くっそ·····どうすれば。あともう少しで校舎なのに·····。」
そう言って、ふと屋上の方へと視線を移す。
そういえば、もし琴音さんが校舎の中にいたとして、そこで自殺をするならば何でするのだろう。
学校まで来るのだから、やはり学校でしかできないことか。教室内に毒を蔓延させて窒息·····いや、そんな手間と後々迷惑かけるような死に方をするはずない。首吊り·····いや、それなら家でもできる。わざわざ目につく学校でするとは思えない。ならば·····いや、取っておきの死に方がある。学校でしか出来ない事。それは·····
「飛び降りか·····!!」
蒼生は校舎の最上階に位置する屋上を見上げて、咄嗟に足を動かそうとする。だが、
「痛った!!」
やはり電撃のような激痛が走る。しかも、先程よりも痛みが増している気がする。正直、歩けるような痛みではない。
「このままでは間に合わない。」
そう直感する。
なぜここまで来て、やはり力不足で手が届かないのか。あと少し。ここまで君を救うために死力を尽くしてやってきたというのに、ここで止まるのか。
「――ッ!!」
再び足を動かそうと試みるも、やはり歩けない。もう痛みすらも感じなくなり、感覚がだんだんと失われていく。
「なんでだよ!!動けよ!僕の足!!」
しかし、蒼生の考えに反して翼は応答すらしない。
「動け!動け!うごいてくれよぉ!!」
足を手で掴み、無理やり左右動かそうと試みる。が、その行動も虚しく動こうとしない。
「なんでなんだよっ!ここまで来て·····。ラムネの味、泣いたあの日、射的の景品、綺麗な花火、あなたの助けになりたいという言葉。その全てが僕にとっては綺麗な思い出だった。貴重な思い出だった。1人の僕を救ってくれた。だから、その恩返しをさせてくれよ!まだしきれてないんだよ!」
頬から地面へと涙が下垂れる。
何も出来ない自分。ここまで力を持っていても何も出来ない自分。情けない。情けない。情けない。まだ生きている。自分は生きている。動けば未来は変わる。後一歩、あともう少しで手が届くのに·····。
「だんでッ·····。だんでだんだよぉおお!!」
いつもそうだった。自分の意に反して体が動かなくなる現象。その現象によって自分は多くの未来を掴み損ねた。みんなの未来を奪い続けた。そして、今回は自分の体が、足が言うことを効かない。
偽善者。自分は今まで義を持って行動をしてきた。いじめを無くそうとしてきた。しかし、肝心な時に足が動かなくなる。今まで人に指を刺して悪だと言ったことが自分にもできない。そしてまた、周りから偽善者と罵られる。
そして、その現象と同じことが今も起こっている。体が動かない。あの頃は心の問題で足が動きやしなかった。だが、それを克服して足が動くようになった。そう、克服したのだ。なのに、今回は物理的に動かなくなってしまった。
やはり、また自分は自分の目指した目標を達成することができないのか。また自分は偽善者と呼ばれてしまうのだろうか。そして琴音さんを·····。
――私、蒼生くんがいればもうさびしくなんかないや。
声が頭の奥で優しく響く。
そうだ。琴音さんには僕がいなければいけないんだ。まだ終わってはいない。いや、終わらせてはいけないんだ。こんな所で立ち止まるわけにはいかない。絶対――
「終わらせて·····たまるかぁぁぁあ!!」
止まりかけていた足が再び大地を踏みしめ、校舎の昇降口に目掛けて進む。
ここで終わらせるわけにはいかない。今までは足すらも動かなかった体。が、様々な障害を乗り越え、ついにここまでやってこれた。ならば、ここで終わりだと決め付けて諦めてしまうのは怠惰だ。
最後までやり通して見せる。そして、きっと琴音さんを救って·····必ず·····
「――うおぁあああああああ!!」
――ドサッ
昇降口の階段に足をかけようかというその時、静寂に包まれた空間にひとつの音が響き渡る。その音は重さで表すと軽い方であろうか。そして、それに覆い被さるように雨のような音が一瞬ではあるが耳元へ届いた。
突然の物音。蒼生は階段へかけようとしていた足を止め、そんなことは無いと自分に言い聞かせながら、恐る恐る後ろを振り返る。が、その期待は虚しく――
「·····なんでなんだよ。」
転がっていたのは潰された髪の長い女性の体躯。その周囲には広範囲に血が散乱しており、距離が少し離れているのにも関わらず、自分の衣服にも血は飛び散っていた。が、蒼生にはその光景すらも見えない。
「·····おい、嘘だろ。誰かが飛び降りてきたのか?まさか、そんなことがあるなんてな。」
いや、自分では気づいている。誰が飛び降りてきたのか。誰がこの場で死体と化したのか。もう分かってはいるのだ。だが、まだ否定したい。そんなことは無い、まだ希望はあると思っていたかったのだ。しかし、そんな現実逃避は続くわけもなく――
「――――」
この後ろ姿、この手の大きさ、髪の長さ。その全てが一致する。そして、身につけている服装は浴衣姿。そう、あの日に見た浴衣と同じだった。
「嫌だ·····。そんなの嫌だ!なんでなんだよ!!」
まだ顔は見ない。
「寂しくないって言ったじゃないかよ。力になりたいって言ってくれたじゃないかよ·····。」
まだ顔は見ない。
「まだ返しきれていないんだよ。君に貰った全てをまだ返しきれていないんだよ。」
まだ·····まだだ。
「あの花火大会の日、あの時の質問はなんでしたんだよ。なんでいじめられていたんだよ。まだ何も聞けていないんだよ。まだ何も出来ていないんだよ。」
だから――
「あの時の理由を聞かせてくれよ!僕に恩返しをさせてくれよ!させてくれよ、ことねぇぇえ!!」
死神は泣いていた。潰された体躯の前で崩れ去り、泣いていた。あんな顔をされると、その原因である自分まで心が痛む。
だけど、もうこれ以上悲しむことなんてない。過去の世界に訪れてやっとわかったんだ。私が全て悪かったのだということを。
現実では蒼生が死んで、この世界では私が死んで·····。これではまるで負の連鎖ではないか。いや、もう避けられなかった。こうなる運命だったのだ。私たちは最初から会わない方が良かったのだ。だから、もうこれで会うことは無い。これで蒼生はここで生き続けることが出来る。
取り残された私には二人で存在できる世界を作れなかった。だが、取り残された蒼生にはきっと二人の世界を作れると信じている。いや、あなたの手で終わらせてください。なぜなら――
これは終わりにしなければならない、私とあなただけの物語なのだから。
潰された自分の体躯の少し先に立つ、霊体とかした琴音は徐々に生暖かな光に包まれ始め、そして消えた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「·····こちら·····地区三丁目·····学校。」
通報があってから約15分。警察の俺は中学校で自殺行為があったということでこの学校へと駆けつけていた。そして今、報告が終わり――
「じゃあ、まずは君の名前から教えてくれるかな?」
そう丁寧かつ常に気を使いながらゆっくりと名前から順に問いかけていく。
この少年が第一発見者。通報した本人だ。だが、こんな光景を目前にしながらも気が動転していないのは少し気になる。自殺に見せ掛けた殺人ということもあるので、ここはきちんと身元を聞かなければならない。
終始無言の少年。とりあえず口を開いてもらわなければ何も始まらないので、同じトーンで再び同様の言葉をなげかける。
「名前を教えてもらえるかな?」
「·····はい。細川蒼生です。」
「そうか。ホソカワイブキっと。じゃあ次に携帯の電話番号とかも教えてくれるかな?」
こうして徐々に個人情報を聞き出し、紙に一つ一つ書き留める。年齢、自宅の住所、人間関係·····。その合間に雑談等も少し挟んで答えやすいように場を和ませながら問いかけ続けた。そして、ある程度の身元を聞き出せたわけなのだが。
「それにしても――」
この職に就いてから数年。学校での自殺行為の状況は初めて見たが、遠くまで飛び散った赤い血、潰された死体。見れば見るほど生々しい。
この少女は一体どのような思いで飛び込んだのであろうか。わざわざ学校から飛び込み、浴衣を来て死ぬ。人生に絶望して自殺行為に走るものが多いが、わざわざここまでして死ぬということは本心から死にたいとは思っていなかったように思える。
ともかく、あの少年から話を聞かなければ何も掴めない。とりあえずは車の中でゆっくりと話を聞かなければならない。と決まったらあの少年をパトカーへ·····
「――ってあれ?」
目の前の惨劇から少年へと目を移した瞬間、自分の想像とは違う光景に束の間の唖然が同時に起こった。というのもその向けようとしていた目標である少年はいつの間にか自分の前から消滅していたのだ。
「――一体、どこへ消えたんだ。」
もぬけの殻となったその空間には一片の黒い羽根が舞っていた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「はぁ·····はぁ·····はぁ·····。」
走る、走る、走る。
特に何かから逃げている訳でもない。走る必要も無い。だが、自分の足は止まらない。
なぜ自分は走っているのだろう。どこへ向かっているのだろう。生きるためなのか、逃げるためなのか、掴むためなのか。それすらも分からない。
そもそもこの僕がこの世の中に生きていていいのだろうか。自分が動いたことで琴音の自殺は起こってしまった。出会ってしまったから起こってしまった。そして、琴音の自殺は止められなくて、その原因である自分がここで生きている。そんなの無責任だ。
だったらいっそのこと自分も死んでしまおうか。せっかく手に入れたこの力。それは琴音が生きていなければ意味はない。だったら、もうここで·····。
蒼生はゆっくりと歩みを止める。
場所は踏切。静かな街中に一人、線路に佇む。
僕らは会ってはいけなかった。会うことをしなければ、きっと琴音が死ぬことは無かったのだ。だから、自分にも責任はあるのだ――
踏切が喚きだし、線路が空間から隔離される。
僕は琴音と会ってはいけなかった。だから、それを止めるために神はこの力を授けてくれた。過去に罪を起こした僕を試した。だが、僕はその力を使ったのにも関わらず運命は変えられなかった――
線路から振動が間接的に伝わり、光が徐々に近づく。
目的を失った今、僕はもう生きる意味などない。きっとこれも運命だったんだ。琴音が死んで、僕も死ぬ。これが正解なんだ。·····なぁ、琴音。これで、全て――
光が影を伸び切らす。
「これで、全て終わりなんだろ?」
線路に羽が巻き起こり、跡形もなくその場で散った。