参日目 あの花火を掴みたかった
――賑やかな夜。
Tシャツ姿の細川蒼生は屋台が並ぶ商店街の入口で琴音のことを待っていた。
ふと屋台の方へと目を向けると浴衣姿の人々が目に移る。やはり浴衣を着てきた方が良かったのだろうかと後悔混じりに思う。
何せ今まで浴衣を着て祭りに行くなんてことなどなかったし、それ以前に浴衣というものがないので、Tシャツを着るほかなかったのだ。
もし過去の自分に何か言えるのであればこう言いたい。いつかのために浴衣を買え、と。
そんな悔やんでも悔やみきれない後悔はさて置き、蒼生はそろそろだなと思いながら人混みの中を見始める。
これは最近気づいたことなのだが、人の頭上に数字が見えるというのは人の区別をつけやすい利点があることに気がついた。だから、よっぽど同じ姿で数字でない限りは後ろ姿でも誰かくらいはわかるようになった。かなり不謹慎なやり方ではあるが。
そう自慢げに思いながらも人混みを見渡していると、「4※」という数字が近づいてくるのが見えた。
この探し方は夢翔や他の人だったら探しやすいだけで済むが、琴音さんのみ関しては探しやすいとともに失望と焦りを覚えるので、あまりいいやり方ではない。
「ごめん!結構待たせちゃった?」
その少女は少し息を切らしながら蒼生に向かって問いかける。
問いかける少女の格好は浴衣に身を包んでおり、髪を可愛く結び、本当に誰か区別がつかないほど綺麗になっていた。
その華麗さと可愛さに少々圧倒されながらも、「全然大丈夫だよ」とありきたりな言葉を放ち、深呼吸を一つ入れる。
ーーここからが勝負だ。緊張に負けるなよ。
「じゃあ·····行こっか!!」
「う、うん!いこう!」
こうして、ぼくらの夏祭りが幕を開けた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
――軽く弾けるような銃声が多く鳴り響く。
目の前に広がるのはさまざまな形を成した四角い箱。それがまるで銃弾を遮るかのように並び立っている。
そのうちの一つに狙いを定めた蒼生は、輝く銃口をその的へと向け、ゆっくりとその重い引き金を引く。
瞬間的な激しい音が一発聞こえた直後、その銃口から放たれた銃弾は見事に的へ命中し、その衝撃のまま後ろへと倒れる。
「すごい!蒼生くんって射的うまいんだね!」
まさか自分がここまで上手いとは思っていなかった。全弾六発。全て狙った的に当たり、全て獲得ができた。
「お前さんすごいねぇ〜。こんなにうまい子は初めてだよ。ほら、いっぱいもらってきな!」
そう言われて屋台のおじさんが手渡してきたのはビニール袋に入ったお菓子であった。しかも、落とした数よりも少し多い。
「こんなにもらっちゃってもいいんですか!?」
「あ〜いいよいいよ。全弾命中させたご褒美だから。彼女さんにも分けてあげな。」
彼女さん。
とっさに言われたその言葉に否定しようとして、思わず琴音さんの方へと視線を向けると、何故か顔を赤らめながら瞬間的にチラッとこちらの方を見て視線を逸らす。
その様子を見たおじさんはにっこりと笑みを浮かべながら「またな坊や」と言って二人を見送る。
完全に誤解をされていると思った蒼生は弁解をしようか悩んだが、後ろにも多くのお客さんがいたので弁解は渋々諦め、二人は再び歩き始めた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
ーー射的の騒動から約1時間後。
蒼生と琴音の二人はさまざまな屋台を巡り、時には金魚すくいやダーツなどの遊戯を挟んだりして時間を潰していた。
「ねぇ、蒼生っ!もうすぐ花火が上がるんじゃない?」
並行して歩いていた琴音の言葉を聞いた蒼生はとっさにスマホをポケットから取り出し、時間を確認する。
ーー7時30分。
花火が打ち上がるのは8時からになるので、そろそろ見える場所についた方がいい時間だ。
花火はここから少し離れた川から打ち上げられ、この屋台通りをずっと進んだ先にある小高い丘から見える景色がとても綺麗だということで、人気スポットとなっている。
ここで人が渋滞するのではという疑問が浮かぶとは思うが、その川沿いには大きな公園があるために、そちらの方へと人が流れるのであまり丘の方は渋滞しないのだ。言わば、地元の人しか知らない隠れた人気スポットというところだろうか。
「そうだね。もうそろそろ行かないと。」
そう思った二人は屋台通りを突き進み、丘の頂上まで続く階段を目指す。
やはり花火が打ち上がるの頃だからか、屋台通りの混雑度がより激しくなっている。
狭い人通りの中、先導する蒼生は後ろで体を小さくしながらついてくる琴音の姿を確認して、再び前を向いて歩き始める。
すると、二つの分かれ道に途中でぶつかる。川の方面へ行く通りと神社や丘の方面へ行く通りだ。ここは通りの中でも一番人の流れが激しく、違う方面へ流されたら逆走するのは至難の技。僕も幼い頃にここで迷子になって、やっとのことで迷子センターの方へと連れていってもらったものだ。
後ろについてくる琴音さんがはぐれてしまうのではないかと心配になる。
そう思い、再び琴音の方へと振り向こうとしたその時ーー二人の手がふと触れた。
二人は思いもしない出来事に少々焦りつつも、その焦りや照れを隠し、とりあえずは魔の分かれ道を脱した。
そして蒼生と琴音はそのまま言葉を交わすことなく歩き続け、丘まで続く階段についたところで琴音がとうとう例の件について口を開いた。
「そ、その·····。さっきは本当にごめんなさい!人が多くてよろけちゃってつい、本当にごめんなさいっ!」
そう言いながら何度も深く謝る琴音を目の前に「そんな謝らなくても!」と蒼生が少々焦り気味に声をかける。
「こっちもその、いきなり振り向いてごめん。さっきのは全然気にしてないから!ほ、ほら!早くしないと花火始まっちゃうよ!」
そう言って階段を駆け上がる蒼生。それを追うように続く琴音。
この時の僕らはまだ知らなかった。いや、自分だけ知らなかったのかもしれない。
惨劇が、復讐が、欲望が、すぐそこまで迫っていたことを·····。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
花火を今か今かと待ちわびる大勢の人々。その中に蒼生と琴音の姿はあった。
二人はなるべく人が混雑していない場所を選び、シートを引いて花火が上がるのを待ちわびていた。
「ねぇ、蒼生。一つ質問していい?」
琴音が唐突に質問をしていいか否かという質問を投げかけてきた。唐突で少々驚いたものの、内容がまだわからないのでとりあえずは首を振る。
「·····じゃあ質問するね。もし、この世の中から花火がなくなったら蒼生はどうする?」
花火がなくなったら·····?
その質問は予想の遥か上を超えてきた。
花火は何でできているんだろうとか花火好きなのとかそういう簡単な質問が来ると思っていたのだが。
もし、この世の中から花火がなくなったら。そうするともちろん琴音さんとの花火大会も無くなるわけで、僕らのみならず多くの人々にある思い出が一つ消えることになる。それはとても避けたいところだ。では、それを防ぐためにはいったいどうすればいいのか·····。
「あ、じゃあ質問に少し条件を加えるね。花火はこの世から無くなるけど、自分の中には花火という存在があるとしたら、どうする?」
自分の中には花火という存在がある。
花火がこの世から無くなるともちろん全ての人々から花火という記憶、存在自体がなくなるわけであって、自分の中にだけ存在があるということは、唯一花火という存在を自分だけ覚えているということになる。
もし、自分だけ覚えていたら。そしたら僕は必ずこのやり方を取るだろう。
「ーー意地でも花火を復活させる。自分が花火を作る。もし花火が自分で作れなかったとしても、どうにかして復活させる。きっとそうすると思う。」
その答えを聞いた琴音は特に大きく反応することもなく「なるほどね」と言って空を見上げ、そのまま口を開き始めた。
「私も、きっとそうすると思うよ。花火の存在が忘れられなくて、また見たいと思ってどうにかして復活させると思う。」
琴音がそう言うと、再び沈黙が二人の中を流れ始める。
一体何を知りたくてこの質問をしたのであろうか。どのような意図があってこの質問をしたのだろうか。
蒼生はそこに疑問が湧き、しばらくの沈黙を破って問いかけようとしたその時ーー突如多くの人々の歓声が上がった。
その湧き上がる歓声と共に空が綺麗に彩られ、跳ね上がるような重い音がその場全体に響き渡る。そして、うち上げられた花火たちは色とりどりの閃光を個々に放ち、そして儚く散っていく。
花火はとても綺麗だ。一瞬のうちに咲き誇り、一瞬のうちに散っていく。その姿を目の当たりにすれば、何故花火が人気なのかがよくわかる。
けれど、今日の花火ばかりは好きになれなかった。というより、なって欲しくなかったという方が感情としては適切なのかもしれない。
なぜ僕が好きになれなかったのか。その答えはもうすでに分かっている。それは現実から思い出に変わる瞬間がとても嫌だったからだ。
もしかしたらこの花火という思い出はもう上書きがされないかもしれない。保存がされないかもしれない。そう思うと、どうしても現実から思い出に変わる瞬間がとても辛くて辛くてたまらなくなる。
だから、この時が永遠に続けばいいのにと願ってしまう。この時が止まればいいのにと思ってしまうのだ。それが叶わない願いだと知っていながら·····。
そう願う蒼生とは裏腹に花火は次々と上がり、クライマックスへと徐々に近づいていく。
花火をバックに映る二人の小さな手。
その二人の手は終わりが近づくにつれて少しづつ距離も近くなり、そしてクライマックスへと入った時、二人の手は自然に重なった。
二人は重ねた手を確かめるかのようにギュッと握りしめる。
そして、蒼生は気づいた。
繋いだその右手はなぜか濡れていたことを。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
花火大会が無事に終わり、蒼生と琴音の2人は帰路についていた。
「今日はいきなり誘ったのに来てくれてありがとうね!」
「いや、全然大丈夫だよ!むしろありがとうって感じ!」
琴音に気遣いをさせないように大袈裟に右手を左右に振りながら大丈夫と言う蒼生。
誘ってくれたことがとても嬉しかったというのが蒼生の本音だが、それをありがとうという言葉で覆い隠しているのは秘密だ。
「あ、あと花火の質問なんだけど、あまり深くは考えないでね。ただ単に少し気になっただけだから。」
そうだ。すっかりと忘れていたが、花火の質問をなぜしたのかという問いかけを繰り出そうとした時に花火が上がり、機会を逃してしまったことを今思い出した。
が、あれは特に何の意図もなかったのだと意味もなく、少しがっかりする。好きな人だからこそちょっとした事や言動で意図を汲み取ろうとしてしまうのは恋の病というやつの副作用なのかもしれない。
「全然気にしてないよ。逆にそういう考えしたことなかったから、ちょっと面白かったかな」
「そう?なら、良かった」
琴音がそう言うと、二人の間には笑いが生まれる。
きっとこれが俗に言う「幸せ」というものなのだろうなと今、はっきりとわかる。
こうやって好きな人と話して、隣で一緒に歩いて、共通の話題で笑って·····。そして、繋いだままのこの手から溢れる感情も、きっと幸せなんだろうなとしみじみと感じる。
「あ、そうだ。そういえばこれあげるよ」
そう言って琴音の前に差し出したのは、射的で打ち取ったお菓子が詰められた袋。
「ーー僕はあまりお菓子食べない方だし、捨てちゃったらもったいないから是非食べて!」
と言ったのは建前。前にも言ったことがあると思うが、僕は甘党なのでお菓子やスイーツが大好きなのだ。では、なぜそのような嘘をついたのか。その理由は男ならば誰しもわかるであろう。そう、本音はただ単にカッコつけたかっただけなのだ。
そんな本音が隠されているとも梅雨知らず、琴音はその言葉を聞いてありがとうと感謝の言葉を述べ、差し出されたお菓子の袋を嬉しそうに受け取る。
この笑顔をもっと近くで見ていたいし、もっと二人で話していたいのは山々なのだが、もうすぐそこまで左右に分断された分かれ道が迫ってきていた。そろそろお別れだ。
「·····じゃあ、もうここでお別れだね。今日は色々とありがとう。楽しかった。また、行けたら行こうね!」
「うん、また今度行けたら行こう!来年は川の方で見ようね!」
琴音が「うん!」と軽く頷き、繋いでいた手が離れる。
別れの挨拶が交わされて、小さな背中を蒼生の方向へ向ける。時間が経つにつれてますます小さくなっていく。まるで、掴もうとしても掴み切れないくらいに。
また行けたら行こう。
なぜか保険をかけたような言い方になってしまった。いつから僕は琴音さんを救うことに不安を抱いてしまったのだろうか。本当に情けない。
そう自分を戒めた後、左へと視線を映した時ーー電柱の光に照らされた黒いパーカー姿の男がこちらを見て立っていた。
その男はただただ立ってこちらを見ている。フードをかぶって顔はわからないが、何か危険な香りがする。
そしてあの風貌。明らかに自分はその人が誰なのか知っているように思える。いや、思えるのではない。あれは確実に自分の知っている人物だ。
蒼生はそう確信すると、左の道へとゆっくり歩みを進めた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「あぁ、久しぶりだね。細川蒼生くん。」
冷徹な声が耳から脳を刺激し、再び耳へと貫いていく。やはりこいつは僕の知っている人。しかも、かなり仲良くしていたと思われる。
「あれ?覚えてないかな?あ、そっか。声変わりしちゃったから声が少し違くなっちゃったもんね。」
そう言うと、黒いパーカーを着た少年はゆっくりとそのフードを上げていく。
「ーーッ!?」
「これで思い出せたかな。さぁ、僕の名前を言ってみてくれ。」
フードを外したその顔はやはり自分の知っている人物だった。それは一番記憶から滅せられた人物であり、誰よりも会いたくなかった人物。
「ーー浅間、玲於」
「ピンポーン。せいかーい。僕の事を覚えていてくれたんだぁー。嬉しいなぁ!」
その冷徹な言い方。なんの感情さえも入っていなさそうなその言い方。どこからか狂気を感じる。
「·····今更何をしに来たんだよ。玲於が僕にすることなんて何も無いだろ。」
「はぁ?何を言ってるんだよ〜。僕が君にしてやれることなんて沢山あるじゃないか。例えばー、復讐とかかな。」
「ーーーー」
「復讐」という言葉に蒼生は少し顔を青くする。もし本当に復讐なのだとしたら、今ここで殺されるかもしれないと悟ったからである。
「おいおい。そんなごときで青ざめるなよ〜。冗談だって、冗談。」
そう言いながら玲於はふふふ、と不敵な笑みを浮かべる。
「そうそう。それで君に言いたいことがあってここに来たんだ。たしかー、葵だっけ?あればいいものを見せてもらったよぉ〜。」
「葵·····?お前、まさか葵に何か吹き込んだりとかしたのか·····?」
「さっすが蒼生くーん!だいせーかい。葵ちゃんにはちょーっと色々吹き込んで、今は僕の言いなりだよぉー。洗脳状態ってやつかなぁ!」
そう言うと、今度は前よりも大きな声で冷徹な笑いを響かせる。
吹き込み、洗脳·····。そうか。それが原因であのような行動を取り始めたというわけか。
こいつが真犯人。こいつが僕らの絆を苦しみに変えた張本人。
「ーーなになになにー?そんな怒りの目を向けないでくれよ。怒ってんの?笑わせないでくれよこんなことくらいでさぁ!本番はこれからなんだぜぇ!」
そう言いきった刹那、突然自分の首を手で締められ、近くの壁に向かって叩きつけられる。
息が苦しくなる。
意識が徐々に薄れていく中で、目の前にいる玲於は大きな声で笑いながら聞き取れないような言葉をたくさん発している。
ーーもう僕は死ぬのかもしれない。
自分が撒いた種が時を超えて倍となって返ってくる。まさかそれが死に至るだなんて思いもしなかった。こんな形で終わるだなんて·····。
意識を失う寸前ーー突然自分の首から手が離れた。それを気に、吸引するかのような勢いで酸素が肺に送り込まれる。
「そんなゼェハァゼェハァ言っちゃって大丈夫?言っておくけど、こんなんじゃ終わらないよォ!アハハハハッ!!」
こいつが犯人。
こいつが全ての元凶。
このままでは危ない。
全てが水の泡となる。
怖い。怖い。怖い。怖い。
苦しい。苦しい。苦しい。苦しい。
このままでは、このままでは、
琴音さんが·····危ない。
「フフッ·····。フフフフフフッ·····。アッハッハッハッハッ!!」
不敵な笑み。冷徹な笑い。人を嘲笑い、人を軽蔑するような目。
また僕は笑われているのか。また僕は軽蔑の目を向けられているのか。
「ーーお前が全て悪いんじゃないか!お前が全て悪いんじゃないか!なぜ人のせいにするんだ!なぜお前は何もしなかったんだ!お前が全て悪いんじゃないか!お前が!お前がッ!」
なぜ僕が責められているんだ。なぜ僕が悪くなっているんだ。だってお前が悪いんじゃないか。お前は何もしなかった。お前が、ってあれ?
相手の口は動いていない。相手は笑ってすらもいない。何もしていない。何も発していない。じゃあこの声はどこから、この視線はどこから·····。
ーー違う。お前はもうわかってんだろ。この声とこの視線の源を。
そう自分の心の中で誰かが問いかける。
そうか。僕はもう既にこの声の、この視線の源を知っている。全てを知っている。なぜなら·····。
ーー僕が笑っているのだから。