日本最古のタイムスリップ
令和元年、ある蒸し暑い夏の日の事。私は砂浜へ散歩に来ていた。
このあたりは昔は漁が盛んだったらしいが、今は過疎化が進み舟の一隻も見えない。一人でのんびり歩くにはもってこいだ。
地方の小さな大学で日本史の助教授を務めるようになってはや三年。来る日も来る日も教授の使い走りで、やりたい研究に全く手をつけられない。盆休みで学生の姿が大学から消えても、私のような下っ端は実家に帰る暇もない。
クーラー代もケチらなければならない狭い研究室で呻き声を上げているぐらいなら、炎天下とはいえ風に吹かれながら海岸を散歩した方がまだマシだ。
冷たい潮風に煽られる麦わら帽を押さえぶらぶら歩いていると、砂浜にぽつんと立っている人を見つけた。
最初は私と同じように散策をしている人かと思ったが、近づいてみると様子がおかしい。なんというか、全てに見放されたような、打ちひしがれた悲しげな雰囲気なのだ。
その人の服装は奇妙だった。擦り切れ色褪せた古めかしい着物を着て、藁か草を束ねたような腰ミノを身に着けている。肩に担いだ釣り竿は粗末な木の棒に糸をつけただけ。
海に落ちてずぶ濡れになったかのように全身が濡れていて、呆然と海を眺めている。身長が低く女性かもと思ったが、近づいてみると小柄な男性だった。釣り竿を持っているのと逆の手には魚釣り用の餌箱らしい小さな箱を抱えている。
こいつは変な人だぞ、近づくな、と頭の中で天使が囁く。
恰好は変だけど困ってるみたいだ、助けてあげよう、と頭の中で別の天使が囁く。
天使たちは相談し、話しかけてみてヤバそうだったら逃げようという結論になった。
「あのー、何かお困りですか?」
私が話しかけると、男性は振り返った。まるで変人でも見るかのような胡散臭そうな目で私を上から下までじろじろと見て、深いため息を吐く。
「少し……出かけている間に。何もかも……変わってしまって」
「はあ……?」
「頼れるものはもうこの箱しか。決して開けるなと言われたけれど、開ければこの悪夢から覚めるのではと思うのです」
彼が震える手で箱の蓋に手をかけた瞬間、私の脳裏に雷が落ちた。反射的に彼の手を抑え、蓋を開けるのを阻止する。
「失礼ですが、あなたのお名前は?」
私が尋ねると、彼は答えた。予想通りに。
「浦島太郎ですが……?」
玉手箱の隙間からはうっすらと白い煙が漏れていた。