6 帰宅
千尋と別れた太一は、麗華に居候させてもらっている家へと帰宅した。
ラフな格好に着替え、コーヒーを入れて一息ついた太一は、時計が15時30分をまわったところで立ち上がる。
「さて、そろそろ掃除するか」
太一は麗華の家に住まわせてもらうかわり、ほとんど全ての家事を引き受けている。居候のキッカケは父の転勤であり、太一の父親と麗華の父親の仲が良かったことや、父親経由で太一と麗華が知り合いだったこともあり、双方の親の合意のもと、2人の同居が決まった。
「麗華さん、何時頃に帰ってくるかな。今日は飲み会ないんだっけ」
ルーティンに従い、風呂から掃除することにした太一は、浴槽をシャワーで濡らしながら呟く。太一は麗華と住む前から家事をしていたが、その中でも掃除は好きな部類だった。勉強や楽器の練習と違い、やればやっただけ目に見えた成果が出るため、安心できるというのが理由である。毎日掃除しているため、ひどい汚れは無いが、太一はせっせと浴槽を磨く。
「よしっ」
ピカピカになった浴槽を見て、どことなく満足そうな顔をした太一が呟く。ふうと息を吐いた際、紗奈に明日以降の予定を送る必要があることを思い出した太一は、紗奈は部活の予定をメールした。
「『ありがとう。太一お兄ちゃん』か。あいつ、マジでお兄ちゃんって呼び続けるつもりだな」
30秒足らずで返ってきた紗奈の返信に思うところはありつつ、ノータイムで無視することを決めた太一は、台所の掃除を開始する。その後、順調に掃除を終えた頃、再度太一の携帯が鳴った。
「17時すぎだから麗華さんかな・・・今日は20時頃帰宅か。ご飯は必要と」
太一は『了解。頑張って!』と返事し、夕食の準備に取りかかる。
「どうしようかな・・・ローテは肉の日だし、生姜焼きにしようか。あと、サラダと味噌汁と・・・」
麗華との相談で肉と魚をざっくり交互に出すことは決まっているが、細かいことは太一が決めることになっている。結局、生姜焼きを作ることにした太一は、慣れた手つきで調理を進める。
麗華からは食事を待つ必要なしと言われているが、太一は麗華が家で食事を取る日は帰宅を待つようにしていた。一緒に食べたほうが美味しいというのもあるし、麗華と住むまでは1人で食べることが多かったため、誰かと食卓を囲みたいという理由もある。
「ただいまー・・・」
20時頃、麗華が疲れた声で帰宅の挨拶をしながら、部屋へと入ってくる。短すぎない長さのスカートと白いシャツに黒いジャケットを羽織っており、パリッとしていれば、仕事ができる女性という感じの装いだが、1日働いた結果、ややくたびれた感じが出ている。
「おかえりなさい。ご飯にする? それとも、お風呂にする?」
「んー、とりあえず、ご飯かしら。お腹すいちゃった」
「了解。ちょっと温めるから少し待ってね」
「はーい。着替えてくる」
麗華はそう言って、自分の部屋に引っ込んだ。そして、少ししてから、麗華は楽な部屋着に着替え、部屋から出てくる。
「今日の晩御飯は何?」
「豚の生姜焼きと、サラダとみそ汁です」
「いいわね。豚の生姜焼き、好きよ」
「知ってます」
太一が笑いながら、温めなおした食事を並べていく。
「また私のこと待ってたの?」
太一が2人分の料理を並べるのを見た麗華は、諦め8割、嬉しさ2割ぐらいの表情で呟く。なお、本人的には、諦め成分を10割にしているつもりだが、隠しきれていない。一方、太一は太一で麗華の様子に気づかないため、会話は自然と続いていく。
「あ、うん。20時なら待てるかなと思って」
「先に食べておいてくれても良かったのに」
「一緒に食べたかったから」
太一の言葉に麗華は一瞬顔を赤くするが、すぐにため息をつきながら太一に言葉を返す。
「太一くん、あなたは本当に・・・学校でもそんな調子なの?」
「学校? まさか。こんな事言わないよ。大抵千尋が誘ってくるし。あ、でも、今日は緑園と食べたな」
「その話詳しく」
太一の口から想定外の名前を聞いた麗華は食い気味に質問する。突然の展開に戸惑いを隠せない太一は、やや慌てながら質問に答える。
「き、急にどうしたの? 詳しく話すのは構わないけど・・・ご飯食べながらにしない?」
「失礼。想定外の名前が出てきて、取り乱したわ・・・いただきます。それで緑園って紗奈ちゃんよね? 今日から同じ学校ね」
「そうそう。いきなり教室に押しかけてきて、まいったよ。部室の案内と練習に付き合ってから一緒にお昼を食べた感じ」
「なるほど。てっきりお昼は千尋ちゃんと一緒かと思ってたけど」
「そのつもりだったんだけど。緑園が2人分弁当を作って来ててさ。ビックリするだろ?」
「は~・・・それで、太一くんを千尋ちゃんからかっさらっていたわけね。千尋ちゃん、怒ってたでしょ?」
「あー、まぁ、怒ってたけど緑園が説得してた」
「流石ハイスペック女子・・・油断ならない」
「麗華さん?」
「気にしない」
「でも、帰りは千尋と一緒だったよ」
「あら、そうなの?」
「緑園に付き合ってる間は部活行ってたみたい。で、こっちの終わりに合わせて集合した感じかな」
「流石一途健気女子・・・幼馴染は伊達じゃないわね」
「麗華さん?」
「気にしない気にしない。私も太一くんと同級生だったら良かったなぁ・・・まぁ、それは置いといて、この生姜焼き美味しいわ。だいぶ腕をあげたわね」
「ありがとう。麗華さんほどじゃないけどね」
「このままだと、すぐに追い抜かれそうだけど」
麗華が微妙な表情で言うが、とりあえず、生姜焼きは気に入ったらしく、箸を止めることなく食事を続ける。
「仕事はどうだったの?」
「どうもこうもないわ。いつも通りよ」
うんざりとした表情で麗華が答える。
「年度始めはスタートダッシュだって言って、課長が張り切っちゃって。ずーっと外回り。ずっとよ? だったら、自分で数字取ってこいっての」
「ハハハ・・・」
何と言えばいいかわからないのか、太一が笑って流そうとするが、それを見た麗華は口を尖らせ、不満を言う。
「ちょっと太一くん? 自分から話ふったんでしょ? ちゃんと私を慰めてくれないと」
「いや、麗華さんの話、難しいよ」
「そうかもしれないけど、太一くん、もう高2でしょ? そろそろ将来とか考え始める時期じゃない?」
「んー、周りとはあまりそういう話はしないかも。とりあえず、俺、銀行員にだけはなりたくないかな・・・」
太一が微妙な顔をしながら言う。麗華は大手銀行の総合職2年目であり、主に個人向けの営業を担当している。
「ほう。銀行員を前に言ってくれるじゃない。でも、私もオススメしないわ・・・」
「麗華さん、そこはもうちょっと踏ん張ってもらわないと・・・」
「就活生向けの説明会ならともかく、太一くん相手に今さら何を」
「就活生向けなら頑張るの?」
「それはもう。仕事だからね。もちろん嘘はつかない範囲で。例えば、『残業は多いですか?』という質問には、『忙しい時期は多いけど、そうじゃない時期には定時で帰っている』と答えるの。実際には、忙しくない時期はほとんど無いんだけどね」
「聞きたくなかった・・・」
太一がウンザリした顔で答える。
「いい、太一くん? 嘘を言わないことと、真実を話すことは一致しないのよ。さて、ごちそうさま。美味しかったわ」
「あーはい。ありがとう。お風呂入る?」
「ええ」
「はーい」
部屋に戻る麗華を眺めつつ、太一は夕飯の片付けをするべく立ち上がった。
「将来か・・・やりたいこととか全然わからないな」
皿を洗う手を動かしながら、太一は、先ほどの麗華からの問いかけに思考を割く。家事に慣れた太一なので、料理をした際に出た分は既に洗い終わっていため、太一はすぐに洗い物を終える。
「よし。終了! ちょっと調べてみるか・・・」
将来について調べようとした太一が携帯の画面を見ると、紗奈からせんぱーい?というメールが来ていたが、華麗に無視し、インターネットの検索画面を開く。
「高卒、進路。と・・・」
具体的なイメージが無いので、太一は簡単なキーワードを検索画面に入力し、1番上に表示された結果を見る。
「大学と専門学校? あとは、就職・・・実家を継ぐは無いな」
検索結果には、高卒後のメジャーな進路が表示され、それぞれに簡単な説明がつけ加えられている。
「んー、書いてることはわかるような気もするけど・・・順当にいくなら大学か? そもそも俺は何がやりたいんだ」
その後も検索を続ける太一であったが、15分くらいして携帯を置く。なお、紗奈から追加で、お兄ちゃん??とメールが来ていたが、やはり無視をする。
「これはダメだ。すぐに結論が出るような話じゃない」
進路について考えることを諦めた太一は、椅子の上に体を投げ出して脱力する。そして、そのまま天井をぼーっと眺めていると、麗華がお風呂から上がってきた。
「いただきました。太一くん?」
太一の元気のなさに気づいた麗華が声をかける。お風呂上がりのためしっとりと濡れた髪を撫でながら麗華は太一に近づいていく。
「おつかれ、麗華さん。いや、さっきの話が気になったから調べ物してたんだけど。なんかよく分からないね・・・」
「あぁ。そういうこと。そりゃそうでしょ。すぐに決められる話じゃないと思うわ。もっと言うと、大体の人は何だかよくわからないまま決めるの」
「そうなの?」
「そうよ・・・そして、私のようになるの・・・」
「麗華さん、もう今日はそのネタはいいよ」
「優しくしてよ。これは居候の義務よ?」
「あーはいはい。それで麗華さんはどうやって決めたの?」
太一は、無表情で麗華の頭を撫でながら質問する。しばらく目を瞑り、されるがままにしていた麗華は、もう満足と太一の手をどけつつ、返事をする。
「んー、また今度休みの日にでも相談のってあげるわ。私自身の話は参考にならないと思うけどね・・・」
「ありがとう麗華さん。俺は麗華さんの体験談も聞きたいな」
「ありがとう。まぁ、相談にのるのはお互いさまだし、気にしないで。太一くんもお風呂入ってきたら?」
「そうする。麗華さんはもう寝る?」
「いや、ちょっと勉強。会社から取れって言われてる資格があるから・・・」
「ほんと社会人って・・・」
仕事をした後に勉強までという表情で太一が呟く。
「そんな顔しないの。こっちが落ち込むじゃない。まったく・・・早くお風呂入ってきたら?」
「はーい」
返事をした太一であったが、その場を動かず、麗華をじっと見る。
「太一くん? どうしたの?」
「いや、今日は久しぶりの学校で疲れたから、麗華さんの色っぽい湯上り姿で目の保養でもと・・・」
「っ・・・! た、太一くん? オッサンみたいなこと言ってないで、さっさとお風呂入ってきなさい。じゃないと、この家から叩き出すわ」
からかい混じりの太一のコメントに麗華は、一瞬体をビクッと震わせはしたものの、平静を装いながらコメントを返す。
「それは困る」
「でしょう? だから、さっさと入る」
「はーい。しかし、麗華さん、ほんとすぐに顔赤くなるね」
「それは太一くんのことが好きだからよ」
「またまた冗談を。麗華さん、気のない男にそういうこと言っちゃダメだって何度も言ってるじゃない」
太一への仕返しとばかりに過激な言葉をぶつける麗華であったが、まさか本気だと思ってない太一にあっさりといなされる。
「・・・お風呂」
「すいません。今度こそ入ります」
何度目の正直かという感じで風呂に入る宣言をした太一が、麗華に背を向けてお風呂場へと向かった。1人ダイニングに残った麗華は、未だに紅潮している頬に手を当てながら呟く。
「はぁ・・・勉強しないといけないのに。太一くんの馬鹿」
馬鹿と言いつつ、色っぽいと言われたのは少し嬉しかったのか、麗華は口元をほんの少し緩めながらぼーっと宙を見つめる。結局、麗華が資格の参考書を手に取ったのは、太一が出て行ってから15分ほど経った後だった。