5 校門からの帰り道
校門で紗奈と別れた太一は、2人の練習が終わるのを待っていた千尋と一緒に帰り道を歩く。
「改めて、今日は悪かったな」
「もういいわよ。大した話じゃないし、気にしないで」
「ありがとう。千尋は今まで何してたんだ?」
「私? 部室」
「平沢と?」
「いや、トモは雪と遊びに行ったわ。今日はバレー部も休みだからね」
「良かったのか?」
「いいの。太一と一緒に帰る気分だったし」
千尋が微笑みながら言う。2人はつかず離れずの自然な距離感を保ちながら並んで歩く。
「千尋がいいんなら、俺はいいんだが」
「あー、何よその言い方! わざわざ待っててあげてたのに。もうちょっと何かないの?」
「・・・無いな」
太一は、千尋から視線を外し、少し考えるようにして空を見た後に答えた。
「ねぇ、なんで今ちょっと考えるふりしたの? 答え決まってたよね?」
「そんなことは無いぞ。深層心理? 的な何かで自分でも気づいてなかった何かが見つかるかもしれないじゃないか」
「そういうのいいから。言い訳は聞きたくないし、太一のことは私が一番知ってるんだから」
「まぁ・・・そうだな。俺も千尋の理解者ランキングなら5本の指に入る自信がある」
「妥当な線だけど、そこは嘘でも私に合わせて、一番と言うぐらいの志が欲しい」
千尋が不満気な顔で言うが、対する太一は淡々と答える。
「妥当な線と思うなら、間違ってないじゃないか」
「そういう話をしてるんじゃないの。とにかく、太一のことを1番知っているのは私。一緒にいた時間なら負けないわ」
「誰にだ?」
「誰にもよ。そうでしょ?」
「確かに一緒にいた時間は千尋が1番だ。千尋の1番も俺だな」
「まぁ、そうでしょうね」
「そう考えると、案外俺が千尋の理解者No. 1であるという可能性もあるんじゃないか?」
先ほどとは違ったことを太一が言い出す。
「んー、誰が1番かはわからないけど、少なくとも太一ではないかなぁ」
「1番が明確じゃないなら、俺が入るかもしれないだろう」
「まぁ、順位がそこそこ高いのは間違いないけれど」
「だろう? だったら・・・」
「でも、1番じゃない。だって・・・」
「だって?」
「太一は私の1番大事な気持ちを理解してないもの」
「1番大事な気持ちってなんだ」
「気になる? 教えてあげないけど」
千尋がどうせ貴方にはわからないでしょうとばかりに悪戯っぼい表情を見せながら言う。太一には伝わっていないが、恋の駆け引きを楽しんでいるようにも見える。
「なんだそりゃ。まぁ、言いたくないなら無理には聞かない」
「言いたくないんじゃなくて、大事にしたいの。この違いわかる? まぁ、太一にはわからないでしょうね」
「失礼だな。俺にだって大事なものはある」
「大事なものがない人なんて、あまりいないんじゃない? とにかく今はまだ言わないの。また今度ね」
「別の機会に教えてくれるのか?」
「どうしようかなぁーとりあえず、もうこの話題おしまい」
強引に話題を打ち切られた太一は、少し残念そうな顔をする。千尋はそんな太一の顔を覗き込み、楽しそうに笑った。
千尋の笑い声が落ち着いた後、2人の間には沈黙がおりる。太一と千尋は昔から四六時中一緒にいるが、太一は口数が多いわけではないので、千尋から話しかけない時には無言の時間が生まれることがある。
「・・・」
「・・・」
普段であれば、千尋はこの静かな時間が嫌いではない。話そうと思えば、いくらでも話すことはあるし、気まずさを感じることもないからだ。ただ、ある事を試みようとしているため、今、この瞬間に限っては、ソワソワしていた。
「千尋? どうかしたのか?」
「え? 何が?」
「何か言いたそうにしているから気になった。違ったか?」
「違・・・わないけど。ほんと変なところで察しがいいんだから。えっと・・・」
千尋は複雑そうな表情で苦笑し、真剣に考え始める。言葉を探しているのが珍しいのか、太一は千尋を興味深そうに見守る。
「えーっと、そうだ! 私達って、昔は手を繋ぎながら帰ったりしてたよね?」
「ん? あぁ、確かにそんなこともあったな。手を繋がなくなったのはいつからだっだか」
「小2か小3ぐらい? どっちから言い出したんだっけ」
「千尋じゃないか?」
「太一でしょ?」
「覚えてるのか?」
「太一こそ覚えてるの?」
「質問に質問で返すなよ」
「そもそも最初に聞いたのは私だし。太一が覚えてないなら、その段階で言うべきでは?」
「うっ・・・確かにそうだな。しかし、黙秘権を行使する」
「なんでよ。じゃあ、聞くけど、その・・・私と手を繋ぐのが嫌だったりはしないってことでいいのよね?」
「どういう意味だ?」
「そのままの意味よ。難しいこと聞いてないでしょ?」
「いや、まぁ、そうなんだが、俺が言いたいのはなんでそんな事を聞くのかという」
「さっさと答える」
「別に嫌ではない」
「・・・」
「・・・」
「千尋?」
「は、はい!」
「急に静かになってどうした」
「ちょっと待って。急かさないで」
「いや、まぁ、構わないけど。大丈夫か?」
「大丈夫・・・」
ポツリと答えた千尋はその場で立ち止まる。それを見た太一もまた足を止めた。
「何か悩みでもあるのか?」
「んー、いや、えっとね」
「俺で良ければ力になるが・・・」
「あぁ、もう。そんな大変そうな雰囲気にしないで。どんどん言いにくくなってるから! 大体、話の流れを考えればわかりそうなもんでしょ?」
「さっぱりわからんが、深刻な話じゃないんだな? なら良かった」
太一はホッとした表情を見せながら言う。
「心配し過ぎなのよ。自分のことでもないのに・・・」
「大事な友人の悩みだからな。真剣にもなる」
「友人・・・ね。ねぇ。太一? 久しぶりに手繋いで帰らない?」
千尋がついに言いたかった事を言う。太一の友人という言葉を聞き、少し落ち着いたのか、淡々とした口調で伝える千尋であったが、照れは無くならないようで頬は赤く染まっている。
「千尋・・・流石にこの歳になって、手を繋ぎながら帰るのは良くないんじゃないか? 急にどうした?」
「まとも過ぎる返答やめて。私が馬鹿みたいじゃない」
「じゃあ、そうなんじゃないか?」
「うるさい! 緑園さんとは腕まで組んでたくせに、私とは手も繋げないって言うの?」
冷静な返答を続ける太一だったが、紗奈のことを引き合いに出され、今度は歯切れが悪くなる。
「あれは緑園が無理矢理だな・・・」
「無理矢理でもなんでも太一は緑園さんと腕を組んでたんじゃない。本気で振り払おうとすれば、そうできたでしょう?」
「それはそうだが・・・」
「そうよね。どうせ緑園さんのむ、胸にデレデレしてたんでしょう。ほんといやらしい」
「待て待て千尋。俺はそんな事は一言も」
「とにかく! どうするの? 私と手を繋ぐの? 繋がないの?」
「いや、だから千尋。何度も言うようだが、あれは紗奈が無理矢理だな・・・」
「なによ。じゃあ、無理矢理だったらいいのね!?」
いつまでも手を繋ごうとしない太一に業を煮やした千尋は太一の右手を強引に掴んだ。
「・・・」
「・・・」
手を繋ぐことに抵抗していた太一も諦めたのか、繋がれた手を振りほどこうとはしなかった。お互いその場で見つめあった2人はどちらからともなく歩き始める。先ほどまでは騒いでいた千尋であったが、手を繋いだ後はすっかり大人しくなってしまい、必然的に2人の間には沈黙がおりる。
「・・・」
「・・・」
「太一」
「なんだ」
「今日はいい天気ね」
「そうだな」
「・・・」
「・・・」
「太一」
「なんだ」
「何か話して」
「この状況で一体何を言えと・・・」
沈黙と続かない会話に耐えられなくなった千尋が太一に助けを求める。慣れないことをしているからか、その顔は真っ赤になっている。照れもあるのか、太一と千尋の手はかなり甘く握られており、ときおり離れそうになりつつも、その度に握り直して、緩めてというのを繰り返している。
「あー、そうだ。千尋」
「なに?」
「無理矢理やるなら、照れないでもらえるか?」
紗奈の猛攻には動揺を見せず耐えきった太一であったが、千尋の初々しいリアクションは処理しきれなかったのか、少し顔を赤くしながら言う。千尋はその言葉を聞いて、しばらくキョトンとしていたが、一拍おいて、真っ赤だった顔をさらに赤く染める。
「え? あぁ・・・あー・・・あぁあああああ、もう! 無理。もう無理!!」
そう言って、千尋は太一と繋いでいた手を思いきりふりほどいた。
「恥ずかしすぎる! 紗奈に対抗してみたけど、平気な顔して腕組むとか何なのあの娘!? 信じられない・・・」
千尋は自分の顔を手で扇ぎながら、すごい勢いで紗奈に対する文句を並べる。
「なんなんだよ一体・・・てか、千尋、やっぱり緑園のこと紗奈って呼んでるのか? 今日、教室でも呼んでたよな」
「え? あ。いや、あはははは・・・」
「まぁ、確かに昔から顔は知ってるよな。良く教室に来てたし。あまり話してるのは見たことないけど。そういえば麗華さんに呼ばれたこともあったか」
「うん。そう。まぁ、そんな感じ」
千尋は適当に話を打ち切る。あまり距離の近い感じには見せない方針だったのに・・・と小声で呟くが、諦めたようにため息をつき、改めて、太一に声をかける。
「太一。この後は暇?」
「この後? あー、どうかな・・・」
太一は言葉を濁しながら左腕の時計を見る。銀色に光る時計は麗華から高校入学時にプレゼントしてもらったものだ。時計の針は15時を回ろうとしていた。
「予定あるの?」
「いや、今日は部屋の掃除をしないといけなくてな。紗奈に付き合ってたから、寄り道するほどの時間は・・・」
「えー、いいじゃない。掃除くらいいつでも」
「いいか? 千尋。俺は居候なんだ。やる事はきちんとやらないと麗華さんに追い出される」
「大丈夫でしょ? てか、追い出されたら、うちの家に来たらいいし。家事は全部お母さんがやってくれるわ」
千尋が軽い感じで、しかし、真面目な顔をして太一を誘う。
「馬鹿なことを言うな。千尋、人を一人預かることがどれだけ大変なことかわかってるのか? あと、家事は手伝うように」
「何よ大人みたいなこと言って。だって、青井さんとは一緒に住んでるじゃない」
「そこは、ほら。両方の親の合意が成立してるから。ただ、俺が言うのも何だが、うちの親父は知らんとして、麗華さんの両親は適当すぎる。実の娘と男子高校生を一緒の部屋に住ませるとか、何を考えてるのか・・・しかも、麗華さんまでオッケーするし、意味がわからん。まぁ、優しい人なんだろう」
「何でそうなるのよ・・・じゃあ、太一は今日は青井さんの部屋を掃除するのね?」
太一の勘違いの深掘りをすると都合が悪いことになりそうなので、さらっと流すことにした千尋は話を進める。
「いや、麗華さんの部屋は立入禁止だ。なので、それ以外の部屋を掃除する」
「立入禁止? なんで?」
千尋が不思議そうな顔で聞く。
「あまりプライベートな部分を見られるのは恥ずかしいらしい。まぁ、そう言われると居候の俺としては従うしかない。そんな状況なのに、俺と一緒に住んでくれるなんて、ほんと申し訳ない気持ちになるよ」
「ふぅん? 同居のアドバンテージを活かすなら、攻めた方が良さそうなのに。確かに青井さんは初心なところはあったけど・・・単純に恥ずかしいだけ? 大人なのに??」
説明を聞いた千尋は太一に聞こえないくらいの声でブツブツと呟く。結論としては、単純に恥ずかしいだけなのだが、千尋が正解に至ることはない。
「まぁ、それが普通の反応じゃない? 付き合ってもない男と一緒に住むとかありえないし」
「そうか・・・」
太一がシュンとする。
「あ、いや、青井さんがそうかはわからないけどね・・・? ちょっと。もう! こんなことで落ち込まないでよ」
「いや、しかし・・・千尋の言うことはもっともだ。やはり今からでも家を出て、親父について・・・」
「ごめんごめん! 私が悪かったわ。大丈夫。えっと・・・付き合ってもない男と一緒に住むとかありえないのは本当。でも、ほんとに嫌なら一緒に住むの認めるわけないでしょ? だから、太一は気にしないで大丈夫!」
「そうなのか?」
「私だって、一応、女なんだから。太一よりは青井さんの気持ちがわかるわ」
「そういうものか・・・わかった。千尋、ありがとう」
微妙な空気を残しつつ、その話題は終わる。その後も2人はポツポツと、しかし、途切れることなく会話を続ける。そして、太一と千尋が別れる交差点に着いた。
「じゃあね。太一。次はちゃんと付き合ってよね?」
「じゃあな。千尋。次は緑園より優先するよ」
「・・・次と、その次も優先しなさい」
「それじゃ不公平だろ。それに後輩には優しく」
「冗談よ。太一がデリカシーのない言い方するから・・・」
「そうか?」
「そうよ。まぁ、今に始まったことじゃないし、今さら気にしないけどね。じゃあ、帰ろうかな。それじゃ、掃除頑張ってね?」
「あぁ、また明日」