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陸のくじら侍  作者: 陸 理明
第三話 「くじら侍と修羅の兄妹」
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数の差と力の差



 戦いにおいて数の差は絶対である。

 特に正面からの戦いにおいては顕著だ。

 相手よりも多いというただそれだけのことで、正面からの戦いは圧倒的な不利を強いられることになる。

 だからこそ、戦いに挑むものは様々なやり方でその絶対を覆そうとする。

 例えば奇襲、例えば罠、例えば毒。

 客観的に見れば卑怯と詰られかねない真似をしてようやく埋められるものが数の差というものなのだ。

 だから、六人の不逞の浪人たちは集団を二つに割っても、三対二の状況を二つ作りだすことで足りると考えたのである。

 いかに伊佐馬が大柄でもただの木偶の棒と化すはずだ。

 そのうえ、浪人たちは達人とまではいかなくても剣の腕に覚えがあった。

 ひとりは柳生新陰流、ひとりは小野派一刀流……

 荻野も含めた他の四人も寛永の御前試合で名が知られた竹内加賀之助の竹内流、剣豪師岡一羽の弟子である岩間小熊が江戸に開いた天真正伝神道流、鐘巻自斎からの鐘巻流、そして塚原卜伝の新当流。

 それぞれの開祖にはおよぶべくもないが、剣腕についてはいずれも流派名誉の腕前揃いである。

 無頼に身を落とすことがなければそれなりの武士として生きていけたであろう男たちだ。

 いかに堕落しようとも十把一絡げには扱えない奴ばらであった。

 しかも、全員が一度は人を斬ったことのあり、いざとなれば一切躊躇はしない連中だった。

 佐吉と朱鷺の兄妹もすでに殺す気でいる。見逃す気などさらさらない。本気の斬り合いが始まってしまった。

 だから、欣次がひとりの振るった斬撃から辛くも逃れられたのは僥倖と言ってもいい。

 それだけ速い一振りだったからだ。

 そのときに、引けた腰で左へと飛んだことで欣次を的にした浪人は残りの二人から離れてしまう。

 欣次が狙った訳ではないが、この動きのせいで伊佐馬が相手をするのが二人になる。

 二人になれば―――


 数の差など、権藤伊佐馬には意味がなくなる。


 せめて三対一であったのならば浪人たちにも勝ち目はあっただろう。

 ひとりが上段から斬り下ろし、あとのひとりが避ける、あるいは刀を受けた敵に対して横から薙ぐ。

 腹でも腕でも十分に斬れば、それでおしまいだ。

 いかに身体がでかかろうと傷口から腸をひりだせば瞬く間に死ぬ。

 そして、浪人たちは伊佐馬のことを木偶の棒だろうと見くびってもいた。

 刀も抜かず、太いとはいえたかが木刀でなにができようか。

 いや、無理に見くびろうとしていただけかもしれない。

 伊佐馬の面構えをみて只人と勘違いするものはまずいないからだ。

 事実、伊佐馬は尋常な男ではなかった。


「いくで」


 赤樫の木刀をぶんと振り回した。

 伊佐馬の剣法は端的にいえば、力の限り速く振って、体重を乗せて突く―――ただそれだけのものである。

 剣法と呼ぶのも無理があり、戦場の刀法である介者剣術ほど突撃の形がある訳でもない。雑でもあり、卑でもあるが、それは波飛沫漂う船上で剣を振るうためのものであった。鯨を獲るためのものといってもいい。

 得意とする銛打ちも含めて、伊佐馬が大海原を生きる巨獣を仕留めるために培った剣法なのだ。

 もしかして自分の斬撃よりも迅い?

 そう剣士の勘が働いた浪人はかろうじて刃を伊佐馬の木刀に合わせた。

 肩に感じたことのない衝撃が走る。

 刀同士の鍔迫り合いでは決して感じない重さだった。

 木刀の重みではなく、伊佐馬の膂力によるものであった。

 それでも、伊佐馬の得物の自由は奪った。

 続く二撃目は躱せない。

 ―――はずだった。

 ぱきん

 と堅いものが折れる音が小さく響いた。

 先鋒役を務めていた浪人は思わず前につんのめりそうになる。

 重心が傾いたせいだった。

 

「なっ!?」


 真剣での斬り合いの最中、刀が二つに折れてしまうことは頻繁にあることだ。

 特に浪人たちが腰に差しているような数打ちの安物の刀では。

 だが、特に凄まじいのは刃が半ばまで食い込んだ木刀を振り切り、敵の刀を叩き折った伊佐馬の腕力であるといえよう。

 太刀行の速さもあるが、何よりもその尋常ではない腕力が凄まじいのである。

 伊佐馬は浪人の刀を折ったその軌道のまま、もうひとりの頭を潰しに行く。

 伊佐馬の動きを予測して一文字に薙ごうとしていた浪人はぎりぎりのところで頭への直撃を避けた。

 しかし、急所である頭部へこそ当たらなかったが、右上腕部へと赤樫の木刀がぶちこまれる。

 筋肉ごと骨が粉砕された。

 これ以降、この浪人はまともに箸すら握ることができなくなる一撃であった。

 

「どれ!!」


 次は逆袈裟で刀をなくした方の右胴を打った。

 木刀でなく刃がついていたら胴体が両断されていてもおかしくない強烈さに瞬時に失神する。

 骨が粉砕された右腕を抱えて蹲る浪人の顔面をぶん殴り、鼻を潰して、これも気を失わせてから伊佐馬は欣次の方を見た。

 十手持ちは小癪なことに浪人のひとりから、ぎゃあぎゃあ喚きながらも逃げ切っていた。

 正面からやりあおうとはせず円を描きつつ逃げるので、まともに斬れないのだ。

 しかも、この浪人は朱鷺の釘千本で肩を負傷していた。

 本来、自分を傷つけた女へ報復をしようと怒り狂っているため頭に血が昇っているので、欣次のはしっこさに苛立っていて剣が雑になっている。

 猪な侍相手にはよい喧嘩の仕方だと伊佐馬は思った。

 とはいえ、放っておけば、じきに殺されるのは間違いない。岡っ引きと正当な剣術を嗜んだ元武士とでは自力に差がある。

 そこで、伊佐馬は手にした木刀を銛打ちの要領で投擲した。

 銛でなかったとしてもこの距離なら問題はなかった。

 目を瞑っていても外しはしない。

 飛来した木刀が股の間の地面に刺さり、それに足首がひっかかる。

 逆上している浪人では器用に跨ぐなどということはできない。

 がっと前方向につんのめってしまう。

 その姿勢では刀を振るうことは不可能だった。

 かつ、その隙を見逃すほど岡っ引きの欣次は間抜けでもなかった。

 力任せに浪人のこめかみに十手を叩きつける。

 

「ぎゃあ!!」


 痛みに思わず顔を押さえた浪人の手首を叩き、刀を落とさせると、欣次はもう一度顔面に、今度は前蹴りを叩きこんだ。

 押さえていた掌ごと踵がめりこむ蹴りの威力に、鼻血を吹きながら浪人は崩れ落ちた。

 もう反撃の余裕はないだろう。

 荒い息を吐きつつ、刀を遠くに放り捨てて、捕り縄を使って浪人を縛りだす。伊佐馬にやられた二人に比べればはるかに軽傷なのでいつ目を覚ますかわからないという判断のもとである。


(あっちの二人は―――目を覚ましてもまともに動けやしないだろう)


 遠目にもわかる悲惨なやられ方だった。

 どちらも口から泡を吹いて悶絶している。

 権藤伊佐馬がどれだけ規格外かがわかろうというものであった。

 もっとも、とうの伊佐馬はというと欣次の方など見てもいない。もちろん、制圧された浪人たちなど歯牙にもかけていない。

 彼が見ていたのは佐吉と朱鷺の兄妹の様子であった。

 伊佐馬ほど瞬時という速さではなかったが、二人ともすでに荻野喜千郎を含む三人の浪人をすでに撃退していたのである。








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