7:人と人の間の溝
それは、今から十分ほど前のことだった。
実技試験を控え、師から渡されていた鴉の杖を取り出し、校庭の隅でイメージトレーニングをしていたシオンだったが、不意に近づいてくるいくつもの足音に気づいたのだ。
「―――おい、貴様」
明らかに敵意に満ちた声に、思わず自分以外の人間に向けられたものであることを願うが、自分の周囲に受験者も生徒もいないことを思い出した。
本番前の精神統一を邪魔されたことでムッとした表情になるシオンだったが、この程度で苛立つのもどうかという思いで踏みとどまる。しかしイラっとしたのは確かなので、深呼吸をして眉間のしわを消してから、声の聞こえた方に振り返った。
「……ん? 私に何か用?」
「フン……なぜ薄汚い亜人がこの栄ある校舎をうろついている。卑しい貴様らごときが私と同じ空気を吸うなど、不敬ではないのか。それとも何か、この私をフロイド・ディスクリムと知っていて、空気を汚れさせに来たのではないだろうな?」
「…………?」
こちらを見下すような、小汚い野良猫を見るような嫌な目を向けてくる複数の生徒たちの一人、フロイドはシオンの声を聞いただけで不快そうに眉を寄せていた。迷惑をかけるどころか、一切話しかけた覚えもないシオンはその視線の理由がわからずに首をかしげる。
対してフロイドは、不思議そうに佇んだままのシオンが気に入らないのか舌打ちしながら吐き捨てた。
「貴様ら亜人はいるだけで不快だ! どこから入り込んだか知らないが、早々に出ていくがいい。今なら見逃してやってもいい」
「きちんと審査を通って受験しに来た。あなたの言うことはちんぷんかんぷんでよくわからないけど、少なくとも道理が通っていないのは確かだと思う」
「はっ! 亜人ごときが道理を語るか! 能力も地位も何もかもが劣っている種族の癖をして、我々の学び舎たるこの栄誉ある場所にずかずか入ってくるなど見過ごせるわけがないだろう!」
「…………その亜人って呼び方やめて」
人間の亜種、という純粋な人間扱いされていない発言に不快さを覚えたシオンが抗議するが、フロイドは逆に鬼の首を取ったかのような得意げな笑みを浮かべていた。何が彼の根拠のない自信を支えているのだろうか。
「亜人を亜人と呼んで何が悪い? 犬や猫を人間扱いしろとでもいうのか? それこそ非常識というものであろうが‼」
「…………」
「そもそも貴様、誰の許可を得てここにいるのだ! ここには選ばれし人間である生徒以外が受験するには、それなりの地位にある人物から推薦されねば入校は認められないはずだ! いったいどこからもぐりこんだ? 今なら見逃してやってもいい、その獣臭い匂いを私に移す前にさっさと消え失せるがいい‼」
シオンはそう罵倒され、つい「……獣臭い?」と自分の匂いを嗅いでしまった。
臭いはずはない。風呂は好きだし、師も何も言わないから体臭がきついわけではないはずだ。だがそれでも、そして明らかに頭のおかしそうな男からの指摘であったとしても、初対面の相手から獣臭いといわれては、シオンの乙女心が傷つくのも仕方がなかった。
「おい、どうした? さっさと出て行けと言っているのがわからないのか⁉」
「……ちゃんとした推薦でここにいる。出ていく道理はない」
さすがに苛立ちを隠せなかったシオンが低い声でフロイドに返す。何やら他種族に対して激しい差別意識があるようだが、この場において間違っているのは明らかに向こうの方だ。学校が設けた試験に人種の違いによる選考条件はなく、そもそも多種多様な種族が通っている時点でそんな意見が通るはずもない。
だがよく見れば、フロイドの連れている取り巻きには同じ人種しかいない。似たような選民意識を持った連中が徒党を組み、しかもそれぞれがそれなりに高い出自であるために、異を唱える者が現れなかったのだろう。フロイドはシオンの言葉などあてにはならないというように、鼻で笑った。
「ふん、どうせどこの誰とも知らない田舎魔術師の推薦なのだろうよ。なんの証明にはならないだろうが名前だけは聞いてやる。言ってみろ、どこの三流魔術師だ?」
「アザミ」
「ハッ! 聞いたかお前たち、アザミだと! よくもまぁそんな田舎者の名前を躊躇いもなく自慢げに言えたもの……………………何?」
取り巻きと一緒になってあざ笑っていたフロイドは、一瞬で表情を変えて振り向く。取り巻きの他の、近くで我関せずを貫いていた生徒や巻き込まれないように距離を取ろうとしていた受験者も、シオンの告げた名前にぎょっと目を見開いていた。
「い、いま何と言った貴様! あ、アザミとはまさかあの眼帯の魔女殿のことか⁉ かのお方が貴様の師匠だとでもいうのか⁉」
「そう言った」
「嘘をつけ! あ、あの方が貴様のような薄汚い小娘を弟子にするはずがあるか‼ 人間の英雄なのだぞ⁉ 全世界が称える至高の魔術師なのだぞ⁉」
「疑うなら確かめてくればいい。本人と一緒にここにきて書類を提出した。受付で先生たちが見てた」
先ほどまで見下してきていた連中から驚愕や羨望の眼差しを受けたシオンは、むふーと鼻の穴を大きく膨らませてご立派な胸を張った。師匠の名声を笠に着ているようでちょっと罪悪感があったが、それはそれ。むかつく相手を黙らせることができて満足したようだ。
しかしアザミの弟子を公式に名乗ることができるというのは、その者の才能の高さを表しているといってもいい。彼女にかかわる人間といえば様々な業界で重要な位置に属するものが多く、そんじょそこらの三流魔術師がアザミの弟子の名を騙ろうものなら、まず間違いなく彼女を慕う者たちによって粛清されるという。それぐらいに重い称号なのだ。
本人はそれほど重くは考えていないらしいが。
「お、おい……まさか本当に」
「やめろよ! もしそうだったらシャレにならないだろうが! とんでもない人の弟子にちょっかいかけちまったんだぞ⁉」
「ど、どうするんだよ……あ、謝ったほうがいいんじゃないのか?」
自分たちがどれほど無謀なちょっかいをかけていたかを薄々理解し始めた取り巻きたちが戸惑い始め、その筆頭であるフロイドを非難じみた目で睨み始めた。
これまで従順に後ろをついてきていた取り巻きに遠回しに責められたことのないフロイドは慌て、理不尽な苛立ちをぶつける相手を求めて周囲を睥睨する。しかしそもそも嫌われているらしいフロイド達に周りに近づく者はおらず、その周囲はぽっかりと大きな空間があいている。
額に血管を浮き立たせ、険しい顔でシオンを睨みつけたフロイドはぶるぶると拳を震わせるが、不意ににやっと笑って見せた。
「ふん! かの才媛の考えは僕には全く理解できないな! 薄汚い亜人風情に貴重な魔導の知識を授けるなど……」
「……それはどういう」
「ドブに宝石を捨てるようなものだと言っているんだ。低能な亜人ごときに崇高なる魔法を使いこなせるわけもなし、種もない地に水をやったところで、芽生えるものなど何もないだろう?」
訝しげに見つめるシオンに、フロイドは先ほどと同じ得意げな顔でシオンを見下す。
聞かれてもいない差別的発言を繰り返し、シオンやほかの他種族の生徒たちを呆れさせる。取り巻きたちは最初はあっけにとられていたようだが、フロイドの立場はいまだ魅力的だったらしく次第に同調し始める。先ほどの恥辱をこのまま流してしまうつもりのように思えた。
シオンはもうほとんど聞いていなかった。ただの戯言と割り切って聞き流そうとしていたが、次のフロイドの発言が新たな火蓋を切った。
「高名なる魔術師というから期待していたが、貴様のような野良猫を弟子にしている様を見るに、大した人間ではないのだろうな! いや……憐れな野良猫を拾って優越感に浸る、ただの孤独で哀れな女ということか‼」
その瞬間、フロイドは選択を誤った。
自分に対する耳をふさぎたくなるような侮辱の言葉はいくらでも受け止めていたシオンが、師に対して吐かれた暴言に対しては激しく反応したのだ。
それはまさに、彼女の逆鱗に触れる行為だった。
「ふざけるな‼︎」
◇ ◆ ◇
「……で? つい言いつけも忘れて大暴れした挙句、ぼっこぼこにされたと?」
「…………面目次第もございません」
破壊された校庭を離れ、数多くの観葉植物などが植えられた休憩所に腰を下ろしたアザミが、隣に座るシオンの頬に絆創膏を貼りながら目を細めて言った。
ばつが悪そうな顔でうつむくシオンは、ずきずきと痛む胸を押さえて視線を逸らす。痛いのは火傷ではない、心だった。
「ほんとやめてよね。喧嘩するのは勝手だけど、それに武器を使いだしたら怪我じゃすまないって何遍も言ったわよね? なんで肝心な時に忘れちゃうの?」
「でも先に使い始めたのは向こうで……‼」
「でもあんたも応戦しちゃったんでしょ? 人に魔術を向けた時点であんたも同罪よ」
「…………」
唇を上向かせ、シオンはうなる。
カッとなって杖を抜いたのは確かにまずかった。売り言葉に買い言葉で口論が激化し、まともな判断ができなくなったフロイドにつられて自分も武器を取り出してしまったのだ。
だがそれは相手を攻撃してやろうとしたからではなく、凶器を取り出したフロイドに対抗するためのつもりだった。アザミに普段から言い聞かせられていなければ、ためらいなく攻撃魔術を使用してしまっていたかもしれないが、シオンの頭のどこかはちゃんと冷静なままでいてくれたらしい。
だが、それでもシオンはあの男が許せなかった。
「……師匠のことを、馬鹿にするから」
「…………馬鹿弟子が」
自分のことはどれだけ馬鹿にされてもいい。見下されてもいい。
だがそれ以上に、大好きな師を虚仮にされるのは我慢がならなかった。
悔しそうな表情で目を潤ませるシオンに、アザミは人差し指で弟子の頭を押す。褒めもしないが、叱りもしない。正しいことと正しくないことをやった弟子には、それだけで師の気遣いが分かった。
「……怪我は、それだけよね?」
「……ン」
「……攻撃はせず、防御にのみ集中させていたのね。連発するほど魔力は使えなかったでしょうに……そのうえほかの受験者を守りながらとは、ようやる」
「関係ない人を巻き込んだら、あの男と同レベルだと思って……それだけは、いやだったから」
「…………」
シオンの中の冷静な思考は、そこまで気にしていたらしい。いや、それともアザミの持論を覚えていたおかげで、我を忘れかけた状態でもそれが体に染みついていたためか。
手間のかかる、しかし素直で正直な弟子に、アザミはくすっと笑って頭を撫でてやった。
「……上出来よ」
珍しいアザミの笑みを見たシオンは言葉を失うも、すぐに自分も誇らしげに微笑んで見せた。
たまの優しさがあるから、少女はこの師のもとを離れられないのだ。
「……さ。軟膏塗ってやるからとりあえずそれ脱ぎなさい。胸の火傷のほうが重症なんだから」
「え、ここで? 上半身マッパになるからヤダ」
「……ほったらかしにしてひどくなったら大変でしょ。早いほうがいいわ」
「照れ隠し? 照れ隠しだよね? 師匠も照れたりするんだね!」
「いいからさっさと脱げ小娘」
「あ~れ~およしになって~!」
すぐさま無表情になったアザミに焼け焦げた服を引っ張られ、シオンはやや慌て始めた。火傷が痛いのは確かだし、肌をアザミに見られるのは問題ないのだが、その治療を学生が使うこの場でやることにはためらいが生じた。
しかもアザミは先ほどの反応のせいかシオンの上着を全部剥ごうとしているものだから焦る。公衆の面前で上半身裸になるのはさすがに無理だった。
その時、じゃれあうようにもつれあう二人のもとに近づく人影があった。
「―――ああ、こちらにいらっしゃいましたか。探しましたよ」
アザミとシオンはじゃれあいをやめ、声の主に視線を向ける。
アザミたちのすぐそばで人のいい笑みを浮かべているのは、非常に質のよさそうな赤黒いローブを纏った、背の高い中年の男だった。金のモールやボタンが惜しげもなく装飾されていることから相当な高級品であることは確かで、男の雰囲気も相まって高貴な人間であることをうかがわせる。
赤みがかった金髪に碧眼がそろった顔立ちも非常に整っていて、十年前は美男子だったのだろうとたやすく予想させる。見た目は親切そうな教師の出で立ちだ。
しかしその後ろに不快げに眉をしかめているフロイドの姿を見つけ、シオンは「げ」といやそうな声をこぼした。
「……誰?」
「申し遅れました。私は本校の学年主任のフェムト・サウザンマイン……フロイド君の担任です」
「……そう、ご丁寧にどうも。アザミよ」
「高名なアザミ女史にこのようなお世話になるとは、誠に恥ずかしい限りです。せっかくはるばる来ていただいたのに、ろくなお出迎えもできず申し訳ありませんな」
アザミは他の者と同じ態度のまま、丁寧な物腰の中年教師を見つめる。
その目は冷たく、口調と同じく好意の欠片もない。
「先ほどはフロイド君とそちらの少女との間に行き違いがあったそうで……不快な発言があったようですが、あくまで喧嘩。それに魔術を使ってしまったのはいけないことであったと、本人も反省しておりますのでどうかこの件は穏便に……」
「……こっちも、そのつもりよ」
「失礼ですが、本校のような多くの種族が集まる場ではこのような事態も多々起きるものです。種族によってそれぞれ個性や特徴や性格の自由があるのはもちろんですが、それにも限度というものがありますからね。ご存知とは思いますが、アザミ女史にもくれぐれもそのことは覚えておいてただきたいのですが」
「……そうね。今までで一番実感したわ」
「ご理解が早いようで大変恐縮です。差し出がましいことを申しました」
適当な返事を返しても、フェムトはさほど気にした様子はなかった。
しかし会話の端々に妙なものを感じ取ったシオンは首をかしげ、妙に張りつめている空気に眉を顰める。
フェムトの言葉は丁寧だがどこか冷たい感じがしたのは、シオンには気のせいだとは思えなかった。
「では、我々はこれで……フロイド君、行きましょう。今日のことは、まぁ、時期が悪かったと思いなさい」
「…………はい」
最後まで親切そうな笑みを浮かべたまま、フェムトは不満げな表情のフロイドを連れてその場を立った。
フロイドは最後にシオンに憎々し気な視線を向けると、聞こえないぐらいに抑えた舌打ちを一つ残してフェムトの後を追って去っていく。
アザミは二人の男の背中を見送ると、心底面倒くさそうなため息をついた。
「……野蛮な他種族の小娘には首輪をつけて監視しておけ、だって」
「……あー、そういうこと」
フェムトの妙な違和感にようやく合点がいった、とシオンもアザミと同じような表情になる。
双方に非があった、と言ったように思えたが、実際のところはすべてシオン側に非があったようにも取れる言い方だったのだ。フロイド側を責める単語はほぼなかったといっていい。
反省したとは言っていたが、つまりは他種族ごときに魔術を使ったことが間違いであったということなのだろう。それを考えると、今回の一件に対する責任はすべてシオンを連れてきたアザミの不注意によるもの、と言いたいらしい。
全くもって腹立たしいことだ、とシオンは同時に怒りがぶり返すのを感じた。
「……参ったわねぇ。魔術師免許制度が導入されてからあんまり時間が経ってないから、試験を実施してる学校ってほとんどないのに……その内部がここまで腐ってるなんて」
「私は、師匠が一緒ならほかの国に行ってもいいよ」
「……いろいろ不都合があるのよ。そうしたいのは私も一緒だけど、そういうわけにもいかないの」
「むー……」
種族間での偏見や差別はどこの国にもあり、なくそうと思ってもなくならないのが悲しいところだ。
以前から人種差別問題に対する抗議運動が全世界で行われ、20年前から現在までである程度の改善が見受けられたが、ふたを開けてみればこの程度のものだ。差別がないのではなく、ないことになっている。
このラルフィント共和国はその中でも比較的ましな国だと聞いていたが、先ほどのようなやり取りがあればその評価も改めざるを得ない。それでもほかの国に移れないというのは世知辛いものだ。
「……この調子じゃ、面接はしばらく延期か、中止になりそうね。ま、いいわ。いったん帰って今後に備えましょう」
「ん」
これ以上はどうしようもないと、アザミはシオンを促して立ち上がる。
責任の所在がどこにあれ、ここまで騒ぎが大きくなれば試験自体見直す必要も出てくるだろう。せっかくよそから来たほかの受験者やこれまで努力し続けてきたであろう生徒たちには気の毒だし、しばらくこの国に閉じ込められるのも癪だが待つほかにない。願わくばこれ以上問題が起きないのを願うばかりだ。
おそらく、無駄な願望であろうが。
「……本当、人間って面倒くさい」
〝栄ある魔術の精鋭が集う学園〟という肩書のうちに隠された醜い膿に、アザミは自らの魔術をも超える冷たいまなざしを送る。
その視線にさらされた休憩所の観葉植物たちは、まるで怯えるように風に体を揺らし、ざわざわと葉を鳴らすのだった。
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