14:深海の魔物
ざばりと持ち上がった半透明な腕が、何十男百と一斉に海中から伸びて迫ってくる。
常人であれば恐怖のあまり気を失いそうな光景を前に、眼帯の魔女は微塵も表情を動かすことなく杖を振るい、備わった刃で触手を斬り裂きバラバラにする。
月光を反射し眩く輝くそれは、魔術によるものか異様な切れ味と威力を誇り、束になって迫る触手をまとめて斬り払っていく。魔女の身の丈に近い大きさのそれを振るい、息切れ一つ起こしていない事も異様な姿だった。
だが魔女がどれだけ刃を振り回しても、迫りくる手の数が減る様子はない。
むしろ獲物をとらえる事ができないもどかしさからか、海中から伸びる腕の数は見る見るうちに倍以上に増え、四方八方から迫ってきていた。
「……次から次へと、鬱陶しい」
小さく舌打ちしたアザミは、海面にまた一歩踏み出しその部分を凍らせることで自身の足場を増やし、同時に斬り払った触手を凍らせて動きを封じていく。
戦闘により荒れ狂う海上を身軽に飛び跳ねる魔女は、とんとんと踏みしめた海面を次々に凍らせて固め、辺り一面を真っ白に染めていく。それにより一帯は、まるで塩の大地のように冷たい景色に変わり果てていった。
「――――――――‼」
だが、魔女を狙う触手もやられるだけではない。斬り飛ばされた痕から再生し、また新たな腕を伸ばし、あるいは凍らされた場所を無理矢理砕いて襲い続ける。
一方が攻撃手段を奪い、その相手が補充を続ける。その繰り返しが行われる中、アザミが作り出した氷の島の影から情けない声が響いた。
「ひぃいいい!」
「たすけてくれぇぇ‼︎」
「……煩い連中」
半壊した幽霊船にしがみついた仮装した男たちが、荒れ狂う波や氷の切っ先に戦々恐々とした声を上げる。触手は捕食できれば何でもいいらしく、時折何本かが男たちの方に向かっていくのをアザミが間に入って邪魔をしていた。
斬撃の音と悲鳴、飛沫が入り乱れる海上で、アザミはしばらくの間無言のまま杖を振り回していたが、やがて鬱陶しそうに眉間にしわが刻まれ、苛立ちの雰囲気がこぼれだす。
「……面倒臭いわね」
八つ当たりのように刃を振り下ろしていたアザミは、意を決したように足場の上から跳び、沈みかけた船の上に飛び移る。
泣きじゃくり騒ぎ立てる男たちの前に飛び移ると、アザミは杖の先端を船の床にたたきつける。すると途端に気温が急降下し、周囲の海水が操られて船を固定するように凍り付き、男たちを守る壁が作り出されていった。
「たっ…助かっ……」
「そこでおとなしくしていろ」
眼帯の魔女の背に庇われる形となり、危機を脱した男達が涙目で安堵の表情を浮かべる。が、続いて向けられてきた魔女の氷のような視線と、地の底から響くような低い声に震え上がった。
「勝手にどこかへ逃げ出したならば、今度は我がお前達の魂魄にこれ以上の恐怖を刻み込んでくれる……わかったな」
絶対にどこにも行かせはしない、姿を消そうものなら必ずその報復を与えてみせる、そしてどこの誰にも渡すつもりはないと言う意思を込めて、本来の声に戻った魔女が男達に告げる。
見られるだけで射殺されそうな鋭く冷たい目にさらされ、身も心も凍えた男達はガクガクとなずくことしかできず、魔女との間に作られた壁に必死に身を隠した。
アザミはしばらく男達のみっともない姿を凝視し、つまらなそうに目を逸らした。
「……さて、と」
視線を前に戻したアザミは、数十の束になって迫ってくる触手を杖の刃で斬りはらう。
切り落とされた触手はバラバラにちぎれて海中に沈んで行くが、残った根の方が瞬く間に再生し間をおかずにアザミに襲いかかる。魔女は踊るように杖を振り回し、刃を喰らい付かせるが、何度切り飛ばしても再生する職種に次第にうんざりした様子を見せ始めた。
「……思ったよりも根っこが強いわね。一旦仕切り直すべきかしら?」
生物の肉体が再生するのは、細胞が分裂し欠損した箇所を新たに想像するからである。そしてその分裂回数は、どの生物であっても決定されていて覆すことは叶わない。
そのためこの触手のような高速再生には相当な生命力が消費されていると見て、アザミは触手の体を片っ端から破壊し続ける策を選んだのだが、当てが外れたことでアザミはため息をつく。無数の生物が集まった群体であっても、その法則は変わらないはずだったが、予想は悪い意味で外れてしまっていた。
「……まぁ、別にいいか」
背後から迫ってきた触手の束を凍らせ、バラバラに粉砕してアザミは大きく跳躍する。
新たに海上に氷の足場を作り、着地したアザミは杖を氷に突き立て、周囲の魔力をかき集めて周囲の気温に干渉させていった。
「ーーーーーーーー‼︎」
杖を目前に携えたまま、無言で魔術を構築するあざみを格好の標的と見たのか、海中から伸びた触手がさらにその数を増やし、アザミの周囲を取り囲んでいく。
深海で根を張るそれらの本体が、声帯があるわけでもないのに凄まじい咆哮を轟かせ、力の限り己の体を伸ばして魔女を捕食しようと蠢く。
何者かの手によってこの海に放たれ、豊富な餌の行き交う中に放り込まれたそれは、今や空腹で気を荒立たせていた。
手を伸ばせばいくらでも口に入れられた獲物が、最近ではどれだけ苦労しても捕食できない日々が続き、ひたすらに苛立ちが募る。時折頭上に近づく小さな存在を感知しても、どういうわけかうまく捕らえられずに逃してしまうことばかりが続く。
ようやく現れた久方ぶりの獲物、それもたくさん集まってきたそれらを何としてでも腹に収めようと、それが全力をもって動き続けた。
「……案の定、そこら中から獲物をかっ喰らって肥え太ったものね。いくら〝悪食〟の異名があろうと、生活習慣病一直線じゃ長生きできそうにないわね」
アザミは海上から、獲物を捕らえようと蠢くそれの姿を見下ろし、あきれた様子でため息をつく。
深海の岩場に根を下ろしているそれの姿は常人には見ることも叶わない。だがアザミの目には、異様な質の魔力を有した影が長く触手を伸ばしている姿がしっかりと映っている。
己の食欲の赴くままに獲物を喰らい、醜く肥え太った魔物の姿が、はっきりと映っていた。
「……まぁ、あんたはここですぐに死ぬけどね」
本体の位置を目視で捉えたアザミは、いつの間にか指先に絡めた極細の糸を横薙ぎに引っ張る。
鋼の硬度を誇るそれが引き寄せられた途端、氷の足場を土台に周囲に蜘蛛の巣のように張り巡らされた糸が一つにまとめられていく。纏められた糸は一瞬で紐となって絡み合い、より強靭さを増して海上に結界を作り出していく。
深海の魔物は自身に迫る鋼鉄の紐に気づくも、反応した時には既に遅く、みるみるうちに触手を束にされて纏められ、固く拘束されていった。
「ーーーーー⁉︎」
戸惑いの感情を表したような悲鳴をあげ、魔物がビリビリと海水を振動させる。
だが囚われた体はもう自由が効かず、無理に動こうとすればみちみちと肉が引きちぎれる音が響く。岩場に張られた根も徐々に引っ張られ、水上へと釣り上げられていく。
ザバァ、と大きく海面を波打たせてその姿をあらわにされた魔物に、魔女は気だるげな表情のまま笑みを見せた。
「……はい、捕獲完了」
大量の糸に全身を巻かれ、簀巻きのようにされた魔物は、多くの漁師たちを震え上がらせてきた化け物だとは思えない。
いっそ憐れみさえ感じる姿に成り果てた魔物は、一仕事終えたといった様子で腕を組む魔女に恨めしげな呻き声を出す以外に、抵抗するすべがない。だがその声も、徐々に締め付けが強くなっていく拘束により弱まり、痙攣もなくなり始めた。
「……もう少し手間がかかるかと思ったけど、拍子抜けね。時間をかけたのが馬鹿らしくなるわ」
これでもう依頼された仕事は終わった、と肩の荷が一つ降りた心地でアザミは息を吐き、愛用の煙管を取り出して火をつけようと口元に運ぶ。
だが、一服しようと肩の力を抜いていた魔女は、次の瞬間顔をしかめてその場から飛び退いた。
すると別の氷の上に降り立ったアザミの目の前で、異なる色合いを持つ太い触手の腕が振り下ろされ、氷の塊を軽々と叩き割ってみせた。
「……新手?」
獲物は捕らえたはずだ、と眉間にしわを寄せるアザミは、周囲の海中に意識を向けてさらに表情を険しくする。
ひたひたと感じていた危険な気配、近づくものすべてを捕食してしまう深海の魔物と同じ気配が、いくつも話になって近づいてきているのに気づいたのだ。
大きさも強さも先ほどの獲物と大差ない、むしろ一回りほど大きな気配が、氷の上で一人たたずむ魔女を狙って迫っていた。
「……憶測を仕損なったか。まさかコイツがーーー仔を産める機能を有していたなんて」
磯巾着などの無脊椎動物は、種にもよるが有性生殖による産卵の他に無性生殖による分裂によって増殖する場合がある。その際膨大な数のイソギンチャクの細胞が撒き散らされることとなるが、大抵は魚などに捕食され生き残るのは一部だけとなる。
加えて言えば、この魔物は通常の生物ではない。異常な再生能力を有したがためにその他の機能、特に子孫を残す能力が衰えている可能性が高かった。
だがアザミの目論見は外れた。さらに魚や他の捕食者に至っても魔物が自ら捕食してしまったため、撒き散らされた子孫がかなりの数生き延びてしまったことも、彼女の誤算であった。
考えが甘かったことを悔やみ、目を細めて次なる策を考えていたアザミは、自身の体に巻きつく触手に思わず目を見張った。
「……チッ!」
気づいた瞬間、アザミは体に張り付いた触手を凍らせ、力尽くで叩き割ることで拘束から逃れる。だが、新たにやってきた触手は際限なくアザミの方に迫り、魔女から逃げ道を奪っていった。
「……これは、真面目にまずいかもね」
アザミは眉間にしわを寄せ、徐々に距離を詰めてくる何体もの魔物を睨みつける。目視できるだけでも両手の指では足りない数が見えているのだから、おそらく海中に潜んでいるのはその数倍の数であろう。
海上でひたすら罠を張り続けるままでは、とても対処しきれないのは明らかだった。邪魔になると考え、手助けを拒んだことが早速悔やまれ、魔女は思わず渋い表情になった。
「……しょうがない、アレを使う……」
やむを得ないと、自身にかかる負担のことを考えて使用を控えることを考えていた手段を取ろうと決め、アザミは氷上に突き立てた杖に魔力を集中させる。
鋭く貫くような勢いで迫ってくる無数の触手を前に、デメリットを受け止めた奥の手を発動させようとした、その時だった。
「ーーー銛投げぇ‼︎」
夜闇を切り裂くように響き渡った声を筆頭に、四方八方から何十何百もの槍が飛来する。刃に返しがついた、捕らえることに特化した投げ銛が宙を裂き、海中に突っ込んで魔物の体に突き刺さっていく。
体に刃を受けた魔物は伸ばした触手をピタリと止め、直後に大気を震わせる咆哮を放った。
目と鼻の先にまで迫っていた触手が、みるみるうちに引いていく姿に魔女は目を丸くし、軽くため息をついた。
「……あいつら」
魔物からそらしたアザミの目が捉えたのは、荒波を突き抜けてやってくる幾つもの漁船。屈強な海の男たちを乗せたそれが、迷うことなく魔女と魔物のいる方へ突き進んできていた。
大漁旗をはためかせ、投げた銛に繋がる太い縄を握りしめたたくましい体つきの男たち。
そんな彼らを従えるように、ひとまわり大きな漁船の舳先で仁王立ちした男装の商人が、不敵な笑みをたたえたまま大きな声で吠えた。
「野郎共‼︎ 一世一代の大捕物の始まりじゃあ‼︎ 力の限り暴れんかいぃ‼︎」
「おおおおおおおおおお‼︎」
タツキの号令に合わせ、その後に付き従う漁師たちが空気が震えるほどの声を放つ。
その顔に、得体の知れない異形や化け物に対する恐怖心は見受けられない。あれだけ情けなくガタガタと震え、みっともない姿を晒していたというのに、一転して勇ましい姿を見せつけていた。
その光景を作り出したであろう女傑は、あきれた様子で見つめてくる魔女に不敵な笑みを浮かべるのだった。




