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【初期版】創世の賢者【連載凍結】  作者: 春風駘蕩
第Ⅲ章 護国の龍と亡霊の秘宝
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12:再戦の日

 陽は徐々に海の彼方へと沈み、今日の分の夜が訪れようとしていた。昨日よりも雲の量が増えたこの日は、風も強く浜辺に押し寄せる波は荒々しくなっている。

 肌寒さが増し、以前にもまして静けさが強くなった浜辺でアザミは小舟を押し、海面に浮かべる準備を整えていた。その傍らには千次郎の姿もあるが、事前に釘を刺された彼は今回は手伝う事はなくただ魔女が黙々と作業を進める姿を見守っていた。


「本当に俺も行かなくていいのか?」


 しばらく所在なさげに立ち尽くしていた千次郎は、思った以上に手慣れた様子で海に出る用意を進めているアザミを見下ろして尋ねる。以前は船を出す手伝いをしたが、今回はその必要はないと断られ、若干不満げな表情になっている。

 アザミは振り向くことなく、そわそわと落ち着かない様子の千次郎にため息をつき、バッサリと切り捨てる。千次郎の気遣いは、今の彼女にとっては逆に邪魔なようだ。


「……気にする必要はないわ。向こうまで行ければ、あとは私だけでなんとでもなるから」

「人手は多いほうがいいと思うが…」

「……それもそうだけどね」


 女の手では重いはずの小舟を片手で押し出しながら、アザミは全く苦痛を感じていない様子で応える。小舟に詰まれた、自前らしき何に使うかよくわからない道具の山を見るに、相当の重量があるはずだが、アザミからそんな態度は微塵も感じられなかった。

 なおも居心地悪そうに見つめてくる千次郎に、ついにアザミは睨むような厳しめの視線を向け、強い口調で吐き捨てた。


「……あんたにはあんたの守るものがあるでしょう。それをほったらかしにするつもりなら、私はあんたをここでしばき倒して置いていくわよ」


 足手纏いだから帰れ、そんな事を言われている気がして千次郎はまた不満を顔に出すが、アザミの能力を考えれば言われた通りだと思いなおし、渋々後ろに下がる。

 店の事や女房の事、仲間に心配をかけてしまうことも考慮すれば、このまま見送る方が利口な選択であるのはわかる。納得できるかどうかはともかく、正論を突き付けられては千次郎もアザミの拒絶を受け入れるほかになかった。

 アザミはいったん船を押す手を止め、あきれた様子で集落の方を見やり、半目で気だるげに腕を組んで佇んだ。


「……それにね、人手ったってこの辺の連中は皆腑抜けちゃって何の役にも立たないじゃない。いない方がよっぽどましよ」

「完全に再起不能にしたのはあんたのせいじゃないのか…?」


 集落で最後の手段を使い、無理矢理情報を聞き出したアザミの乱行はすでに耳に届いていたのか、千次郎は全く悪びれる様子のないアザミに厳しい視線を送る。

 貝のように口を閉ざしてしまった、ある意味頑固な漁師たちから詳しく話を聞き出すには確かに不可欠な手段だったかもしれないが、それにしたって人道的配慮に欠けている。だが同時に、国に及び始める不漁の影響を考えれば、暢気に説得している暇がないのはわかった。

 千次郎は魔女の、以前と変わらぬ人間に対する容赦のなさに呆れ、しかしそれでも仕事を途中で投げ出さない義理堅さに思わず嘆息した。


「まぁ…あんたの意思がそこまで固いなら俺から言えることは何もない。あんたの弟子はちゃんと預かっておくから安心してろよ」

「……頼むわ」


 昨晩よりはマシになったが、相変わらず怯えて丸くなったままの弟子の事を思い出し、アザミは暗い空を仰いで肩を落とす。唯一の連れまでもが役立たずに成り下がっているのは、師を名乗る者としては情けなくなってしまった。

 千次郎は虚空を遠い目で見つめて立ち尽くす魔女に苦笑し、同じくどことも知れない薄紫色の空を眺める。どこか、寂しそうに。


「…最初から最後まで、俺ぁあんたに世話になりっぱなしだったな」

「……何よ、急に。思い出話なんてあんたらしくもない」

「いや何、なんだかふっと思い出してよ。いまのうちに話をしておかねぇと、今度いつこの国に来るかわかったもんじゃねぇからな」


 懐かしむような口調で語り始めた千次郎を、アザミはちらりと横目を向けて見やる。歳を重ね、重い意志の様な貫禄がついた男の横顔は、眩しいものを見るように細められ、どことなく切なげな表情を浮かべている。

 自身がこの世界に迷い込んだ当時の事を思い出しているのか、千次郎は荒々しい波の音が響き渡る中で物憂げなため息をこぼす。アザミは何も言わないまま、黙り込んだ千次郎の隣で立ち呆けた。


「…海のど真ん中に放り出されて、鮫に食われそうになったのをあんたに救われて、あの婆のところに連れていかれて漁師になって、あいつと出会って夫婦になって……なかなか濃い人生を過ごしてきたと思うよ」

「……そうかもしれないわね」


 一切の感慨を感じさせない声でアザミが答えると、千次郎はまた苦笑して頭をかく。

 共に思い出話に浸ってくれてもいいだろうと思うが、アザミの抱える性質の事を思い出して仕方がないとあきらめる。彼女にとっての過去など、思い出して楽しめるような代物はほとんどありはしないのだ。

 また沈黙が降りる中、千次郎は神妙な顔つきにかわり、無言で佇んでいるアザミに向けて重たげに口を開いた。


「俺はよ、先生。あんたには返しきれねぇでけぇ恩が山ほどあるんだ。一生かかっても返しきれねぇ程の恩がよ」

「……返せなんて一回も言った事なんてないわよ」

「それでもよ、俺には…俺達にとっちゃあんたは恩人なんだ。だからよ…」


 鬱陶しそうに眉を寄せるアザミに、千次郎は真剣な表情で向き直る。

 不意に横目を向けた魔女は、寂しそうに眉尻を提げている千次郎に訝しげな視線を見せた。


「もう二度と会わねぇなんてことは、なしにしてくれよ」


 そう言われた瞬間、魔女の表情が無になる。

 気だるげな表情も、面倒くさそうな態度も何もかもが人形のように固まり、一切の感情が消え失せた硝子のような目になる。固く閉じ込めた鍵の中身を見られ思わず思考が停止したような、そんな唐突な反応だった。

 そうなることを予想していたのか、千次郎は覚悟を決めたような強張った顔になり、深いため息をついてからまた話し始める。魔女の反応を見ないまま、一方的に自分の言葉をぶつけた。


「理由は聞かねぇがよ、あんたは何か大きな目的のために旅をしているだろう…? 何かは知らねぇが、やらなきゃならねぇことがあるんだろ?」

「……」

「俺はただの漁師だしよ、貸せる手は何にもないけど、それでも愚痴を聞く相手にくらいはなれると思うんだわ。だからよ、先生……」


 一言も口にせず、ただただその場に立ち尽くしたままのアザミに、千次郎は此度再開してから抱いていた考えを迷いながら口にしていく。

 魔女の沈黙が、異様な威圧感を放ち始めているのにも気づきながら、千次郎はこれだけは必ず伝えなければならないと耐え、さらに言葉を紡ごうとした。

 だがそれは、魔女が再び口を開いたことで強制的に終わらされた。


「童が大口を叩くものだな…」


 魔女の口から唐突に放たれた、老人のような若者の様な、性別も不詳の奇妙な声に遮られ、千次郎は冷や汗を垂らして後退る。

 先ほどまでの気だるげな女の声とはまるきり異なる、嫌悪している相手に向ける殺気に満ちた声で、魔女の姿をしたその存在は憎悪を滲ませて吐き捨てていた。激昂され怒鳴られることも覚悟していた千次郎は、喉元に刃を突き付けられているかのような気迫に黙り込み、僅かに震えながら息を呑んだ。

 魔女の姿のまま、声のみを変えたその存在―――賢者は、言葉を失くして棒立ちになる千次郎を睨みつけ、血のような赤い瞳を恐ろし気に光らせた。


「いつからお前はそこまで偉くなった。この()と対等に話せるだけの資格を得た。お前の口にしたものは単なる余計なお世話というものだ。自惚れるな小僧が」


 抑揚のないその声は冷たいのに、言葉の端々から隠しきれない怒りと憎悪の炎が滲んでいるように感じる。一人に対してではない、大勢の敵に対して向けられるようなその殺気を向けられ、千次郎は一切の反応を返す事ができなかった。

 賢者はしばらくすると視線を外し、すっかり赤みが引いた空を見やって舌打ちをこぼす。視界に捉える事も鬱陶しかったのか、目を逸らすと明らかに殺気が弱まっていた。


「お前はあの小娘と同じだ。少し優しくしてやればつけあがり、()に対し説教をしようと思いつく……どれだけそれが腹立たしいことかわかるか?」

「先生……」

「失せろ。お前の力は必要ないと言ったはずだ」


 苛立ちを前面に表した声でそう命じられ、千次郎は戸惑いながらもそれに従い、悔し気に唇を噛みながら背を向けた。

 肩を落としながら、哀愁漂う背中を見せて去っていく千次郎を横目で見送り、賢者は苛立ったまままた海に視線を戻す。


「……恨めばいいし、憎めばいいわ。そういうのには慣れっこだもの」


 元の気だるげな女の声に戻り、アザミは疲れ切った様子で呟く。普段から生気の薄い瞳は、濁りきった澱のように虚ろで、陰鬱さをたたえている。

 激しい波の音が断続的に続く海岸に一人佇む行為は、その重い気分に拍車をかけていた。


「……お人好しで平和ボケした日本人の癖が抜けないのかしらねぇ、どいつもこいつもいらない気遣いばかりかけてくる。鬱陶しいったらありゃしないのよ」


 懐に手を入れ、愛用している煙管がそこにあることを確かめ、鼻先に持ち上げてハーブの匂いを嗅ぐ。独自に調合した薬の具合を見ながら、それに頼らなければならない自身を憂いた。


「……明日を限り、とも知れないこんな身体なのに、懸命になって生きろとでも言いたいのかしら。馬鹿な子達だこと」


 気遣われることが、本人にとってありがたいこととは限らない。縁の深い人間ができ、次なる再会を求められる魔女は、優しくされることは何よりの苦痛になっていた。


 だからこそ魔女は、人間が嫌いだった。


     ◇ ◆ ◇


「行っちまったか……相も変わらんせっかちな人じゃのう」


 荒れる沖の方に一隻だけ、人を乗せた小舟が浮いているのが見える。

 双眼鏡などを使わなくとも、遠くのものを見ることに慣れたタツキは、それに乗っているのが眼帯の魔女であることを察して困り顔で呟く。

 怒らせたことを謝れないまま、一言もなく見送る羽目になるというのは、流石に堪えた。


「さてどうしたものか、任せるか手伝うか、悩ましい問題じゃ…」

「と、頭領……」


 悩ましげなため息をこぼすタツキに、執務室の戸の向こうから複数の男たちが顔を覗かせているのに気づく。

 皆、最近は家から出てくることも少なくなった、例の集落に住む漁師達だった。いつしか普段の生活中も怯える姿を見せていた彼らは、アザミの向かった方を眺めるタツキにまで不安げな表情を見せていた。


「何じゃ」

「あ、あの魔女は、やっぱりあの海にまた行ったんですか…?」

「そんなことをして、今度こそ呪われでもどうするんですかぃ⁉︎」

「俺達ゃそんなおっかねぇのは御免ですぜ!」


 面倒くさそうにタツキが答えると、漁師たちは口々に今後の自分たちの安否に関わる懸念を口にする。

 たった一人、自体の解決に向かったアザミを心配する声は一つもない。その行為が何か不足の自体を引き起こすのではないかと、根拠のない恐怖に囚われていた。

 それを聞いた瞬間、タツキの中で何かが切れる。抑えよう抑えようと必死に自分の感情を押さえつけていた封が、内側から引きちぎられるのを感じた。


「…おんしら、それでも海の男か」

「え…?」

「それでも玉ついちゅうんかと聞いとるんじゃ」


 ギロリと、射殺すような視線を受け、漁師たちは思わずどよめき後ずさる。自分達より遥かに小柄な女に気圧され、ぼやく口を強制的に閉ざされた。

 タツキは大した威圧もしていないのに黙った男たちに、心底あきれた様子で首を横に降る。もはや見ているだけで情けなくなってくると、そんな考えが透けて見えるほどの苛立った態度だった。


「わしの知っちゅう海ん男はのぅ! でっかい荒波も獲物も微塵も恐れず、銛一本竿一本網一本持って果敢に挑む強者じゃったぞ!」

「と…頭領……?」

「おんしらの今の姿はなんじゃ⁉︎ 大の男が揃いも揃って赤ん坊みたいにひせくりゆう(泣き叫んでやがる)! 情っさけのぅて涙がでゆうわ‼︎」


 言い返すこともできず、タツキの剣幕に押される漁師達は、自分達の頭の表情に怒りと同時に悲しみも混じり始めていることに気づく。


 タツキは心底落胆していた。漁師が縁起を担ぐのも知っているし、必要なことだというのもわかっている。運だの風水だのに頼らなければ大漁に恵まれない日もあるのだと、同じ一人の海で戦う人間であるタツキも理解していた。

 だがもはや、彼らはそんなことで騒いでいるのではない。得体の知れないものに恐れおののき、挑む勇気も忘れて逃げ惑うだけのただの臆病者に成り下がってしまった。


 タツキが最初に見た漁師は、海という偉大な存在と戦う猛者達だった。それが今や、腑抜けた姿をさらして縮こまっている。

 それが彼女には、我慢ならなかった。耐えられなかった。


「だが頭領……!」

「ほたえな!」


 反論することも許さず、タツキは口を開きかけた漁師を睨みつける。言い訳をしようとする姿すら見苦しく思え、下手に喋らせたくもなくなっていた。

 思いっきりぶちまけたタツキはようやく少し落ち着いたのか、深く深呼吸をして頭に昇った血を少しずつ下ろしていく。呼吸がだんだんと穏やかになってから、タツキは先ほどより幾分か優しくなった目を開いた。


「おっとろしいんは仕方なか。誰でも何かは克服できんもんもある。けんどの……今のおんしらの面ぁ見て、誰が誇らしゅう思うんじゃ。誰が自慢してくれるゆうがか?」


 思うことがあったのか若い漁師の一人、最近所帯を持ったという男が唇を噛みしめる。

 それを見た他の何人かも、気まずげに視線をタツキから逸らし、口をへの字に曲げる。わかってはいるが認めたくない正論を突きつけられ、正面から向き合うことができなくなったようだ。


「おんしらがこれまで海に挑んできたんは何のためじゃ。おんしらには誇りがあったからじゃろ! 家族にその背中を見せるためじゃろ! 今のおんしらの背中見て、子供らは何を学んででかくなるっちゅうんじゃ!」


 タツキは黙り込んでしまった漁師達に、駄目押しとばかりに問いかける。

 無理に挑めと言いたいのではない。ただこれ以上の無様を晒すような真似だけはするなと、自身の願いを込めて腑抜けた男達に思いの丈を思い切り叩きつけた。

 しんと静まり返った中で、タツキはもう一度男達を睨みつけた。


「もういっぺん聞くぞ……今のおんしらは何じゃ」


 一人、また一人と、うつむいていた漁師達が顔をあげていく。

 タツキに向けられていくその目は、数秒前とは異なるものが並んでいて、タツキは思わず笑みを浮かべて頷いていた。

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