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【初期版】創世の賢者【連載凍結】  作者: 春風駘蕩
第Ⅲ章 護国の龍と亡霊の秘宝
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11:女傑との酒盛り

 とくとくと、一升瓶から盃に透明な液体が注がれ、ふわりと芳醇な香りが辺りに漂う。

 窓から覗く月明かりに照らされる、かすかに白く濁ったそれを嗅ぎ、奥深い香りを堪能しながらタツキはククッと意味深な笑みを浮かべる。チラリと横目を向け、気怠げにくつろぐ魔女の姿を見やり皮肉をこぼした。


「まさか、おんしから誘うとはの……槍でも降るんか?」

「……私一人でこいつを開けても味気ないからね。ちょうど話しておきたいこともあったし」

「ほーか…まぁ、まずは乾杯じゃ。堅い話はあとあと」


 グイッと盃を掲げて見せれば、アザミもやや面倒臭そうながらも自分の盃を持ち上げ、カチンとふちをぶつけにいかせる。

 タツキが酒を一気に飲み干すと、予想以上に強い酒精が一気に喉奥から全身に広がっていく。同時に例えようがない深い味わいが味覚を支配し、歓喜で肩がブルリと震えた。

 思わずタツキは、久しぶりに目にした銘柄の酒瓶を掲げ、しげしげと見つめてしまった。


「…美味いの」

「……まぁ、どこぞの馬鹿が生涯をかけて作り上げた最後の品だしね。そう言ってもらえれば本望でしょうよ」

「そうかぇ…」


 呆れた様子で盃に口をつけるアザミが、もうすでにどこにもいない誰かに対する悪態をつく。

 誰のことを言っているのかわかったのか、遠い昔に一度だけ再会したことがあるタツキが、同じようにあきれた様子で苦笑した。


「古今東西、米が食いたいっちゅうて大陸中を旅して回って、味が違うと駄々をこねて自分で品種改良にまでこだわるような阿呆は、あの男くらいのもんじゃろうな」

「……そうね。その恩恵にあやかってるんだから、あんたは心底感謝しなさいよね」

「そりゃおまんもじゃろが」

「……私はちょっと手伝ったからいいのよ」


 存外調子のいいことを言うアザミにタツキが咎めるような鋭い視線を向けるが、魔女は全く気にした様子もなくちびりちびりと盃を口に運ぶ。

 アザミは盃に注がれた分を飲み干すと、懐から煙管を取り出して口に咥え、先端に火をつけて煙を薫せ始める。

 横からうっすらと漂ってくる白い煙を吸い、タツキは眉間にややしわを寄せて魔女に目を向ける。嗅ぎとれたのはアンモニア等の強烈な匂い、ではなくむしろ民都のような清潔感あふれる気持ちのいい香りだった。


「…気になっとったが、それはずっと吸いっぱなしなんか?」

「……最近はこれがないと、落ち着かないのよね」

「言い方に気ぃつけんか、おんしの言い方では中毒者と変わらんわ。…それがハーブを使った薬じゃっちゅうても、誰も信じんじゃろうな」


 側から見れば完全な煙草中毒者(ヘビースモーカー)だが、実はそうではないことを思い出してタツキは渋い顔になる。なんとなく魔女の方を直視できなくなり、険しい表情のまま窓の外を眺めた。


「……肺を、やっちょるんじゃったか」

「……年々悪くなってるわ」


 居心地悪そうにタツキが尋ねてみれば、アザミはさして気にした様子もなく答える。見た目は肺に負荷をかけ続ける愚行を犯しているのに、欠かせてはならない治療行為だと言うのだから、タツキが思わず複雑な表情になってしまうのも仕方がない。

 最初に初めてこの行為を見て驚かされた彼女も、いまだに慣れる様子がない。隣で思い切り体に悪そうなものを見せられて、正直あまりいい気分にはなれなかった。


「思うんじゃが、煙管で吸う必要はあるんかいの。見た目があまりにも悪すぎやせんか?」


 思い切って気になっていたことを質問してみると、アザミはそれにハッと鼻で笑ってみせる。小馬鹿にしたような高慢な態度だが、よく見ればアザミの目には若干の苛立ちが混じって見える。他人に自分の行為について口出しされた時の、思わずムッとする反応と同じだった。


「……じゃあこれ見よがしに吸入器で吸って、知らない誰かから同情でも誘えっての? 余計なお世話よ」

「そこまで嫌か…」

「……己より劣った部分を探し出し優越感に浸る。私がこれまで何度も見せつけられてきた、人間の汚くて醜い部分よ。見ないようにするぐらいいいでしょ」


 やや乱暴に答えると、アザミはタツキから体ごと視線を背けてまた煙管の煙を燻らせる。言う必要もない、言いたくもない自分の弱みを喋らされて機嫌を損ねたようで、虚空を眺める視線にも刺々しさが混じっている。

 普段の無表情無反応とは少し異なる姿に、タツキは盃に新たに酒を注ぎながら困ったように笑う。これは相当普段の不満不平がたまっているな、と直感していた。

 アザミの抱える厄介な問題の中で、その最たるものがなんであるのかを思い出し、タツキは同情の視線をアザミに向けた。


「不老不死……いや、生きても死んでもおらんこの世ならざるものじゃったかいの? 難儀な在り方じゃのぅ…」

「……永遠の命に憧れる者は何人も、それこそ莫大な財を得て高い位に就いた者ほど多く現れていたものだけど、やっぱり私からはお勧めしないわ。思った以上につまらないものよ」

「贅沢な悩み……とは言えんの」


 自分も人のことは言えないが、以前に会った時とほぼ変わらぬ姿を保っているアザミを見つめ、タツキは思わず唸る。

 限られた命、この世界の平均では40〜50歳が寿命とされ、さらには危険な生物や魔術という概念が存在するこの世界において、死なない身体というものは非常に魅力的な代物である。生物の中でも比較的短命な人種には、不老不死を無用と断じるアザミの考えは理解できないだろう。

 だが、その理由を知っているタツキには、その苦痛がよく理解できた。


「元の身体では、すでに感覚はないんじゃろう?」


 アザミは頷く代わりに、いい匂いの煙を大きく吐いて肯定する。

 カツン、と自前の灰殼入れに煙管を叩き、吸い殻を落として月夜を見上げるアザミの目には、どこか寂しげな態度が覗いて見えた。


「……最初に死んだのは、味覚。その次が嗅覚、聴覚、触覚、そして視覚……徐々に自分の体が壊れていくのは、流石に堪えたわね」


 自分の、魔女アザミの肉体の手を目の前に掲げ、何度か握っては開いてを繰り返し、その感覚を確かめる。

 夜の空気の冷たさ、月光の淡い眩しさ、海から風が吹き抜ける音、酒やハーブの鼻に刺さる香りと味。大帝の人が当たり前のように感じている刺激の全てが、一度は完全に失われていた。

 今でこそ解決は一応しているが、借り物の体を使わねば叶わないという事実が妙に癪だった。


「……死なないのではなくて、肉体に魂が強制的に縛り付けられてているだけ。生命活動が終了した肉体はいずれ腐敗し、地に還る。かろうじて魔術を使って、肉体を人形のように無理やり操っているだけ…こうして他人の肉体に感覚を接続しなければ、肉の悦びを得ることはない。それでもこれも、仮初めの体…いつまでも使っていられる方法じゃない」

「…じゃから、今の内にわしと飲みにきたっちゅうことかいの」

「……そうね」


 形あるものはいずれ壊れていくもの。自分の本来の肉体がそうであったように、いまのこの肉体が徐々に調子を悪くしていっているように、また無感動な時間を過ごさなければならない日がきっと来てしまう。

 その虚しさを一時的に埋めたいのだと察し、タツキは切なげな微笑みを浮かべて、アザミの盃に酒を注いだ。


「なら、存分に飲ませてもらうかのぅ…」


 二人はその後、視線を合わせることもなくただ黙々と盃を傾け、片方は紫煙を燻らせる。夜の海風の冷たさを肌で感じながら、月を肴に無音の時を寛いでいた。

 しばらくの間、一言も口にしないまま座っていたタツキだったが、ふと思い出したように顔を上げた訝しげに片眉をあげてアザミに振り向いた。


「…あの娘は、どうしたんじゃ」


 質問の意図が、誰のことを言っているのか一瞬理解できず、ちらりとアザミが険しい視線を向ける。

 しかし数秒で、最近ではいつもそばにいる黒猫の弟子のことに思い至る。


「……シオンのことかしら」

「おぅ、そげな名じゃったかの。めんこい黒猫の子じゃった……察するに、おんしの今の弟子じゃろう?」

「……ええ、そうね」

「どこで拾ってきた。あれにはどうも妙な匂いを感じゆう」


 タツキはアザミと再会した時、依頼を頼んだときに伴われていた彼女のことを思い浮かべ、怪訝そうな表情になる。

 自分を含む知人からの評価はともかく、余所には人間嫌いで通しているアザミが弟子を取るということは非常に珍しい。それ以前にこの魔女が頼まれても弟子入りを認めることはあり得ず、自分が興味を持った相手のみ側にいることを許すため、その側にいる少女のことが気になっていた。

 問い詰めるような揺るがぬ視線に、アザミはしばらくの間黙り込んでいたが、やがて観念したようにため息をつき、小さく口を開いた。


「……拾った」

「あ? じゃからどこで拾ったかっちゅうとるんじゃ」

「……だから、拾ったのよ。森で」


 特に詳しい説明もしたくないようで、アザミは面倒臭そうに短く吐き捨て、また口を閉ざしてしまう。

 口にするだけで胸糞が悪くなるからか、単に語るのが億劫なのか判断がつかなかったが、タツキはアザミの様子から色々と察し、物憂げな表情でため息をついた。


「捨て子か…」

「……どうだかね、どこぞの部族で生贄として置かれた子かもしれないし、どうだっていいわ」


 よくある話だと、アザミが煙管を咥えて目を細める。

 未曾有の災害か未知の病か、人間の手ではどうにもならない厄災を祓うために生贄を差し出す。何の意味もなさない愚行を、知能の足りていない人間は犯してしまう、そういう光景をアザミは何度も見てきていた。

 見捨てても魔女としては何の罪悪感も抱かないし、そんなことをする愚者にも一切興味を抱かない。深い森の片隅で見つけた命を拾ったのは、本当にただの気まぐれでしかなかった。


「相も変わらず渇いちゅうのぅ…普段からあげな距離か? スパルタもええが飴もやらにゃあ潰れるぜよ」

「……これがうちの教育方針よ」


 やや咎めるような視線を向けてくるタツキの言を、アザミは冷たい目で睨みフンと鼻息荒く否定する。

 フッと強く吹いた紫煙が細長く宙に伸び、海風に吹かれて消えていく。それを見つめるアザミの目には、何処と無く物憂げな様子が混じっていた。


「……いつまでも一緒にいられるわけでもない。甘やかせば、それだけ一人で生きていくことが難しくなっていく。余計な手ばかり挟み過ぎれば、人は成長する機会を奪われることになるわ」


 思い返されるのは、ただ懐いているだけとは言えないシオンの依存ぶりについてばかりだった。

 気づかぬうちに自分の姿が見えなくなれば、普段の自信満々な姿は何処へやらというように不安に苛まれ、一瞬で情けない姿に変わってしまう。比較的重要な場面に直面し、単独でそれに挑むことになれば緊張で身を強張らせ、吐き気を催して醜態を晒しかける。

 そのくせ一度興味を抱いたことには自ら首を突っ込み、厄介な事柄に関わって師をも巻き込んでいく。呼吸と同じ頻度で面倒ごとを見つけてくる難儀な性格の持ち主である。

 自分の使うこの肉体に期限が訪れ、ともにあることが叶わなくなる時が来たら、あの弟子はどういう未来を迎えてしまうのだろうか。

 常に側にいて、その体質を目の当たりにしている魔女にすれば、毎日が不安で仕方がなかった。


「……だから私は」

「…置いていくつもりかぇ。メルヴェのように」


 タツキがそう口にした瞬間、アザミの動きがピタリと止まる。まるで一瞬で凍らされたように、魔女の表情が苛立ちも怠惰もない完全な無となる。

 タツキはアザミを睨み、眉間にしわを寄せて盃を足元に置く。少しだけ力が入ったために、畳におかれた杯が揺れて残った酒が飛び散った。


「あいつは、おんしがおらんようなって毎日泣き喚いちょった……見捨てられた、見限られたっちゅうての。わしが宥めても、なんの意味もなかった」


 女商人が目を向けるのは、ライデリカの浜の外れにある一件のあばら家。隣にいる魔女の以前の弟子であった老婆がいる、何を取り扱っているのかもわからないみすぼらしい廃墟のような小屋の方を見やる。

 重いため息をつき、タツキが小さく舌打ちする。全く反応を返さない魔女に苛立ちを感じたのか、数分前の機嫌の良さが見る影もなくなっている。


「冷とぅ突き離して、さっさと親離れさせる気かぇ。一度拾っておきながら、おんしの都合でまた捨てるっちゅうんか……傲慢じゃの」

「黙れ」


 吐き捨てるように呟いたタツキは、突然響いた異様に低い声に体を強張らせ、目を見開く。

 絡まった体を無理やり動かし、どうにか目だけを動かしてみると、アザミの気だるげだった赤い目が強烈な殺意を以って睨みつけているのが見える。視線だけでいころされそうなほどに鋭いそれを受け、沸騰していたタツキの頭が一気に冷えていった。

 男のような女のような、若者のような老人のような歪な声で告げたアザミはギロリと眼光を強めた。


「わかったような口を聞くな。()()の目的のためにのみ動く……気まぐれに拾った小娘共にいつまでもかまけている暇はない」


 煙管を懐にしまい、盃を置いたアザミは億劫そうに立ち上がり、タツキに背を向ける。

 そのまま足音もなく静かに歩き出そうとしたが、すぐに足を止めてチラリと横目を向け、元の女の声で口を開いた。


「……近いうちに依頼を終わらせるわ。そっちはそっちで、仕上げの準備でもしておきなさい」


 一方的に告げると、アザミは部屋の隅の影に向かって歩き、黒い衣服を溶け込ませていく。しばらくタツキがその後ろ姿を目で追っていると、魔女の姿は影の中に本当に溶け、あっという間に消えてしまった。

 誰もいなくなり、一層静けさに包まれた部屋の中で一人、タツキは盃を持ったまま座り込み、魔女が姿を消した方を凝視し続ける。

 コトリと盃を置いたタツキは、やがて深いため息をついて天井を仰いだ。


「…またやっちゃったよ。なんでああ言う意地悪な質問しちゃうのかな私はぁ…! あんなことを本気で言う人じゃないってわかってんでしょうが…」


 ガリガリと頭をかき、余計なことを口にしてしまった自分の愚行を恥じる。餓鬼じゃあるまいし、商人でありながら自分の感情に任せて内心をぶちまけてしまうなど、恥以外のなにものでもなかった。


「あいつのことは、私が言えた義理じゃないってのに…なんでこう上手くやれないのかなぁ、全く……」


 知人に関わることで頭に血を昇らせ、若干冷静な判断が下せなくなってしまったためだろうか、一度開いた口はうまく動いてくれなくなっていた。

 それが、魔女に対してずっと言えずにいた自分の本心であると気づき、タツキは深い自己嫌悪に陥っていた。他人に対してとやかくいう資格など、他の誰でもない自分にあるはずもないというのに。


「…もう、酒盛りには付き合ってくれないかもなぁ」


 使う相手がいなくなり、虚しく畳の上に置かれたままの盃を見下ろし、タツキはまた重いため息をこぼす。

 滅多に訪れない特別な客人のために用意された、上質な装飾の施された盃。それがいつかまた使われるかは、かなり儚い希望になりそうだった。

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