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【初期版】創世の賢者【連載凍結】  作者: 春風駘蕩
第Ⅲ章 護国の龍と亡霊の秘宝
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9:奥の手

 今朝よりも大きく荒々しい波の音が、砂浜の岩場に腰掛けるアザミの耳に届き、憂鬱な気分に陥らせる。

 低気圧が近づいているのだろうか、やや強い風が海の方から吹き、波を高く起こして陸地に激しく叩きつけてくる。そのためか気温も徐々に下がってきているようで、前から吹いてくる風が体から体温を奪い、ますます嫌な気分が強くなっていく。

 それでもその場から動かず、悩ましげな表情で頬杖をつくほどに、アザミは深く考え込んでいた。


「師匠、さっきからずっと海ばっかり見てるけどどうしたの?」


 シオンは自身に襲う肌寒さを、外套をきつく体に巻くことで防ぎながら、微塵も動かない師のもとに尋ねる。

 自分が千次郎の飯屋で怯えてうずくまっている間、色々とタツキと話し合い、別れた後も何やら物思いにふけっていたが、そのまま一言も口を開かなくなってしまったために、何か問題でもあったのかと不安になったのだ。

 アザミはようやく反応し、ため息とともにシオンに気だるげな視線を向けた。


「……あんたこそ、もう恐怖は薄らいだの? あんだけ大騒ぎしといて」

「け、今朝の醜態は忘れてほしい…」


 流石にあれだけ取り乱したのは恥ずかしかったのか、じっと向けられる呆れた視線から必死に目をそらす。苦手なものはどうあっても克服することは難しいのだから仕方がないとは思うが、いまさら思い出して羞恥が蘇ってきたらしい。


「んんっ…で、どうしたの?」

「……昨日出たやつらについて詳しく調べるための、壁にぶつかっちゃってね。どうしたもんかと考えてたのよ」

「壁?」

「……まぁ、それは後で考えるとして」


 何か不都合なことでもあったのだろうかと訝しげに聞き返すシオンに、アザミもすぐに目をそらしてごまかす。

 シオンは師の反応に、何か師に都合の悪いことでも聞いたかと首をかしげるが、思い当たることが見つからず眉間にしわを寄せる。が、言いたがらないということは何か理由があるのだろうとすぐに追求を諦めた。

 そんな師を疑わない素直すぎる弟子に、アザミは安堵よりも先に不安の方が湧き上がっていたが、やはり特に口を挟むことはなかった。


「……やっぱり連中について詳しく知るには、他に遭遇した奴らから情報を得るのが一番かしらね」

「でも師匠、この間もそうやって追い出されてたし、あの人たちから話を聞くのは無理なんじゃないの…?」

「……そうなのよねぇ」


 頭を悩ませる問題に再度ぶつかり、アザミはわずかに眉間にしわを寄せて唸る。最初に事件に関わり始めた時からそこで足止めを食ったために、何が起こっているのかさえ理解するのに時間がかかってしまったのだ。

 どうそれを解決すべきか、数十秒の間アザミは瞼を閉じて考え込む。見た目は岩場でくつろいでいるようなその姿勢でしばらくの間座り続け、やがて深いため息とともに目を開けた。


「……仕方がないわね、これだけはやりたくなかった手だけど、背に腹は変えられないわ」


 心底不本意そうな表情で呟いたアザミが、面倒臭そうな視線をある方向に向ける。

 そこにあるものに、嫌な予感を覚えたシオンは目を丸くし、不安げな表情でアザミを凝視するのだった。


     ◇ ◆ ◇


「ぐ、あ、あぁ…!」


 海沿いの家屋群、漁師たちが集まる集落の中の一軒の家の中から、苦しげな声が聞こえてくる。まるで目が覚めたまま冷めない悪夢に苦しめられているような、苦痛を延々と味わわされているそんな苦悶の声だった。

 それを味わわせているのは、一人の初老の男の顔面を片手で掴み、軽々と持ち上げている眼帯を巻いた魔女。魔女は冷たく相手を見据えたまま、額とこめかみに指を食い込ませ、頭上に掲げていた。


「……ふぅん、そう。あんたもアレを見たの…やっぱり恐れていたのは、幽霊じゃなくてあの手の方だったわけね」

「や、やめろ…やめてくれ…! 思い出したくねぇ…許してくれ…! ちゃ、ちゃんと……ちゃんと自分で話すから…!」

「……別にもういいわよ。変に誇張を入れられるより、こうして直接探ったほうが正確だし早いもの」


 懇願しもがく男はこの集落の漁師の一人、そしてアザミがここに辿り着き最初に訪ね、まともに話も聞かずに追い返したた者だった。

 再び集落を訪れたアザミは、小用を足しに行った男が家屋の中から姿を現わすのを待ち伏せ、戻ってきてから再度の接触を試みた。しかし今度は合意の上での聞き込みではなく、有無を言わさず拘束し無理矢理脳内の記憶を探るという強引なやり方で、より多く正確な情報を集めようとしたのだ。

 家屋に入る寸前で引き摺り込み、周囲の大気を遮断して音が外に聞こえないようにしてから、逃げられないように苦痛で捕えるというかなり無慈悲なやり方だった。


「……はい、終わり。ご苦労だったわね」


 可能な限り、対象者の身体に負担がかからない程度で情報を収集し終えたアザミは、一仕事終えたといった風体で男を解放する。

 ミシミシと音を立てるほど力がこもっていた手を開くと、地面に降りた男が白目を剥いて膝をつき、どさりと力なく倒れ伏す。ビクビクと痙攣し、泡を吹いていて到底大丈夫には見えなかったが、五体満足で命に別状はないことを確認したアザミは彼を放置する。

 どことなく、求めていた情報を手に入れられた魔女の表情は、満足げに見えた。


「……なるほどなるほど、この進路でこれだけの距離を進んだのならアレと遭遇した位置は、と。大体わかってきたわ」


 アザミは呆然と立ち尽くす弟子をよそに、懐から取り出した付近の海域を記した海図を取り出し、男から手に入れた情報をもとに印を書き込む。

 すでに何箇所か海図の一定の範囲、昨晩の異変が起こった箇所の周囲に同じ印が書かれていて、規則性が見え始めている。アザミや千次郎と同じものを見た漁師達がどこでそれを目撃したのか、より正確な位置や範囲を絞り込み始めていた。

 しかしアザミは、まだ満足した様子を見せない。海図に残る空白の部分に、物足りなさそうな様子を見せていた。


「……けどもう少しくらい、正確な情報を得ておくべきか。次行くわよ、シオン」


 地面に転がる漁師の男を放置し、アザミは隣の漁師の家に向かい、住民が姿を現わすのを待つ。

 片っ端からこの集落の漁師達の情報を覗くつもりなのかと、シオンは戦慄の表情を師に向ける。先ほどの男の様子を見る限り、記憶を覗かれる際に当時の光景が本人にも蘇ってしまうらしく、それが悪夢のように苦しめていることがわかった。

 そんな悪魔のような所業を表情一つ変えずにやってのけるアザミに、シオンは決してこの人に逆らってはならないと深く認識していた。


「師匠が鬼すぎる……そんな力技使えるならもっと苦痛の少ない方法もあると思うけど」

「……できないことはないけど、時間の無駄よ。最初からこいつらが口を開いてていれば済んでいた話だし」

「無慈悲すぎる…」


 聞けば事件を調べるのに、協力を拒まれたせいで余計な手間と時間を費やされたことが、かなり腹に据えかねていたらしい。

 それにしたってやり方がえげつなさすぎるとシオンは思う。先日までは真っ当な、相手の心情も考慮した思いやりがあったと思うが、実物を目の当たりにして考え方が変わったのだろうか。


「ところで、さっきから何調べてるの?」

「……ほら、見なさい」


 気分を切り替え、シオンが不思議そうにアザミの作業を見ていると、アザミは特に拒むことなく印を書いた海図を見せる。

 まだ詳しい海図の見方を習っていないシオンには理解できないことが多かったが、海図のある一点の付近に印が集中していることはかろうじてわかる。なんとなくだが、昨晩自分達が漕ぎ出した海域の近くなのではないか、と推測していた。


「……あの手が現れた場所を、できるだけ正確な位置で割り出してるのよ。もしアレが幻覚や魔術によるものじゃなく、実体を持つ何かなら、直接行って叩かなきゃならないからね」

「師匠、まさかアレを直接潜ってどうにかする気なの?」

「……その辺が問題なのよね」


 シオンから海図を回収し、懐にしまってからアザミはまた考え込む。怯えたままのシオンの不安とはまた異なる懸念が、アザミの前に立ちふさがっていた。

 ライデリカの海は、陸地からある一定の距離を離れると急に深さが増していく。浅い部分は陽光が差し珊瑚が茂る、穏やかな生物達の憩いの場となっているが、その先の深い部分は極端に環境が変化してしまう。

 流れが強く光も差さず、素人が潜れば一瞬で潮に飲み込まれ、二度と天を拝むことはできないとまで言われるほど過酷な海なのである。漁師達はそれほどの地獄を知るがゆえに、縁起を担ぎ細心の注意を払ってからようやく仕事に赴く。

 ライデリカの海に漁に出ることは、決死の覚悟の表れでもあるのだ。


「……正確な位置を割り出して、必要最低限の潜水距離でアレの元にたどり着いて、最短時間で対処して、すぐに上に戻ってくる。言うだけなら簡単だけど、実際にやるとなるとどこまでやれるか」

「呼吸については……魔術でどうにかできないの?」

「……そう言うやり方もないことはないんだけどね」


 アザミは泳げないわけではないが、所詮はただの陸上の生物の身体しか持ち得ない彼女が、ただ水中で活動することと戦闘を行うのでは話は違う。未だ全貌も明らかとなっていない敵を相手にするのに、不測の事態に対応し切れるとは思えない。

 シオンの言う通り魔術による支援で能力の底上げは可能かもしれないが、それもアザミの持つ限りある魔力あってのこと。それが尽きてしまえばアザミは真っ先に闇の世界へと誘われてしまうだろう。

 どうしたものか、と長い間考え込み、と言うか悩み続けていたアザミはやがて、深いため息とともに瞼を開いた。


「……しょうがない、アレを使うか」


 不本意そうに呟くアザミに、シオンは何か秘策でもあるのかと期待を込めた目で師を見つめる。

 まだ教えてもらっていない新たな魔術か、それともアザミの秘伝の体術か何かか。もしかすればそれを実際に見せてもらえるのではないかと、シオンの目は眩しく輝く。

 だがふと、アザミを見つめていたシオンの表情がこわばる。対処せねばならないことが、もう一つあったのを思い出したからだ。


「師匠、肝心の幽霊の方はどうするの?あれをどうにかするためにこの依頼を受けたんじゃないの?」

「……ああ、あれは」


 不安げなシオンに言われ、アザミは件の海域で目撃したもう一つの不思議な出来事について思い浮かべる。

 手の形をした異形が現れる少し前、まるでアザミ達を待ち構えるように霧を伴いながら現れた、ボロボロの船に乗った海賊達の亡霊らしき存在。真っ白い骸骨の貌をした何者かが、異形に襲われるアザミ達をあざ笑うように見下ろしていたのを思い出していた。

 シオンにしてみれば、あの手と同等の恐怖を抱かされたとんでもない相手であり、できることならもう二度と関わりたくない存在だった。

 しかしアザミは、骸骨集団を思い出しても微塵も表情を変えず、むしろ心底面倒臭そうにため息をつくだけだった。


「……どうでもいいのよ」

「どうでも⁉︎」


 思わぬ返答にシオンはぎょっと絶句し、その場に立ち尽くす。

 確かに一方はただ現れるだけで、もう一方は実際に襲いかかってくるという脅威の差はあったが、どうでもいいと一蹴していいものではないと思っていた。


「むしろあれが一番どうにかしなきいけないものじゃないの⁉︎」

「……いや、本当にどうでもいいのよ。あれに関しては、こっちの用事を片付けてからタツキに丸投げするわ。気にしなくていいわよ」

「えぇ…」


 本気で鬱陶しそうに顔をしかめているアザミが、話は終わりだというように隣の家屋に向かって歩き始める。

 あからさまな自分との温度差に、色々と物申したい気分になるシオンだったが、かと言って自分であれらをどうにかできるわけでもないので、特に口を挟むわけでもない。


「……安心しなさいよ、あの骨どもはあんたが思ってるようなものじゃないわ。そうね…」


 なおも不安げに見つめてくるシオンに、アザミはふっと鼻で笑うと視線をよそにそらす。それが向けられる先は、昨晩の異常現象が確認された海域の方向。

 亡霊と異形が縄張りを張っているその場所に向けて、眼帯の魔女はニヤリ血不敵な笑みを浮かべて見せた。


「……明日にでも、結果が出ると思うわよ」


 シオンは師のその鋭い視線を訝しく思いながら、これで自分の恐怖も多少は払拭されるのだろうかと、微かに漠然とした期待を抱くのだった。

 それでもまだ、胸中の半分以上を不安と恐れが占めていたのだが。

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