*:水面の邂逅
かつてそこには、名もなき浜があった。
のちに世界有数の貿易国家が栄えているその海では、連日凶悪なならず者達が蔓延り、多くの民を苦しめ続けていた。逆らう者には容赦なく死を、降伏する者も利用価値を見いだされなければ処分され、獲物として見られる人々は常に怯えて暮らしていた。
そんな窮地に、浜が属する国はほとんど手を差し伸べようとはしなかった。討伐隊を組む金銭的・武陵的余裕がないことが建前上の理由だったが、実際のところ国が浜の人々を救う益がなかったことが、最大の要因とされている。
長く住み慣れていなければ読みづらい海流に、ほとんど手付かずで自然のままの浜辺。港として利用するのは細々と暮らす漁師や海女くらいで、海賊の魔の手から解放したところで、大した利益につながらないという俗物的な理由が大きかった。
何より大きかった理由は、浜に住む人々に純粋な人間が少なかったことにある。
獣と人の交じり物、汚らわしい人間の亜種、人ならざる者、そう言った偏見が国の中では大半を占め、より距離を取ろうと、隔離しようという動きが強くなっていたのだ。
それ故に、炎に呑まれる浜の集落で最も苦痛の声をあげていたのは、当時亜人や獣人と呼ばれ蔑まれていた、種族的地位の低い人々だった。
「お……お助けぇ‼︎」
「いやだ! 死にたくない…殺さないで!」
傷を負い、痛みで意識を朦朧とさせながらも、懸命に背後から迫る圧巻から逃げ惑う集落の人々。
しかし元からそういいものを食べられず、日に日に痩せ衰え続けていた力無き民。ただそこでクラスだけで精一杯だった彼らには逃げ続けるだけの体力は残されていない。
泣き叫び、怒り狂いながら、振るわれる刀剣の餌食となって次々に血の海に沈んでいった。
「一人も逃すなぁ‼︎ 金目のものは鐚銭一枚残さず奪い取れ‼︎ 命もな‼︎ ははははは…!」
一人の、他の賊よりも一回り大きな体の男が下卑た笑い声をあげ、悲鳴のこだまする集落を眺める。
その目に浮かんでいる感情は、紛うことなき愉悦。あちこちから聞こえてくる痛みと悲しみの声を、心の底から楽しみ、望んでいた。
その配下である賊は、邪魔な男や老人は皆殺しに、高く売れそうな子供は船の中の檻に、見た目のいい女はその場で組み伏せ衣服を剥ぎ取った。
「いやっ…いやぁ‼︎」
「おいおいどこいくんだよ! ちっとくれぇ一緒に楽しもうぜ⁉︎」
「離して…離してよぉ‼︎」
「おいおい……そりゃ大事な商品なんだ。手荒に扱って、うっかり壊しちまうんじゃねぇぞ…!」
配下の賊達も思い思いに楽しんでいる光景を、賊の頭目は満足げに笑い、悲鳴が聞こえなくなるまで堪能し続けるのだった。
◆ ◇ ◆
跡形もなく焼け落ち、瓦礫の山となった集落の建物。それを椅子代わりにした海賊達は樽から注いだ酒を煽り、片っ端から奪ってきた食料を贅沢に口に運んでいく。
ゴクゴクと音を立てて飲み込む口の端からは酒が溢れ、地面には食べ物のかけらが散乱し、非常に見苦しい光景が広がっているが、それを咎める者は誰一人いない。ここにいるのは全員同じならず者で、あたりに転がっている人影は全て役立たずで邪魔者の男や老人ばかりだ。
ここに集まる海賊はみんな、己がこの地の支配者になったような心地で騒いでいた。
「今日もがっぽり手に入りやしたねぇ、さすがはお頭だ! 頼もしいぜ!」
しかしどれほど酔っていても、刷り込まれた上下関係は消えることはないらしい。
小柄で鼻の長い、小鬼のような醜悪な顔つきの男が、一味の頭目の盃に酒瓶を傾けながらおだてる。
まんざらでもない様子で、頭目は注がれた中身をぐいっと煽り、満足げにげっぷを漏らした。
「今回は前より少なかったな……ったく、しっかり稼いどきやがれ」
「頭ぁ、最後にゃ俺たちが全部いただいちまうんだから、どんだけ頑張ったって結果は同じでしょぉ?」
「そりゃあそうだ、がっはははは‼︎」
聞く分にはあまりに理不尽な冗談の声があたりに響き渡る。
その耳障りな声は、船の中に積まれた鋼鉄の檻に囚われる少女や女性達の方にも届いていた。
だがもはや、自由を奪われた彼女達が反応を見せることはない。逃げることは叶わず、あとはどこかで売り飛ばされることを待つだけなのに、海賊達の雑音を気にかける者など一人もいないのだ。
「おい、この辺じゃもう狩り尽くしちまったんじゃねぇか? 残ってるのはどの程度だ」
「北で3、北西で4、南西で2、…南はここで3ヶ所。もともと王が無能で貧しかったって有名な場所だ。これだけ稼げれば十分だろう」
一味の中でも比較的頭の出来がいい配下が、地図を広げて自分達の位置を確認し告げる。
地図を見てもいまいちわかっていない頭目のために、配下は指をさしながら懇切丁寧に説明を始める。海賊にそこまでの知識ははなから期待できない、必要なのはどれだけ暴れられるのかという実力のみである。
そのうち、別の配下が頭目にうんざりした様子で語りかけた。
「お頭ぁ、そろそろ違う国に行きやしょうぜ? もう奪えるもんは奪い切っちまいやしたよ? そろそろ、また新たな蜜でも探しに……」
「馬鹿野郎が‼︎」
「ひぇっ⁉︎」
しかしとたんに、頭目は声を荒げて配下に怒鳴りつける。ビリビリと空気が振動するような大声に、小鬼顔の男は大きく体を震わせ、その場で尻餅をついた。
「俺達の目的を忘れたか。宝は全部奪い取るのは海賊の基本中の基本だ、間違っちゃいねぇ。だが俺達が一番欲しいのは金銀財宝や酒や飯や女じゃねぇ…………不死の血だろうが」
ニヤリ、と頭目の男が満面の悪魔のような笑顔を見せつける。それは、本当に人間なのかわからなくなるほど醜悪で危険な、化け物のような笑顔で、目の当たりにした他の配下達もやや表情をひきつらせる。
しかしそれでも、賊達に頭目を馬鹿にするような態度は見せない。むしろわかりきったことをわざわざ言い直されることへの苛立ちが混ざっていた。
「てめぇら忘れてんじゃねぇぞ! この海に隠れ住んでるっていう人魚を見つけるまで、俺達はここで狩り続けるんだ……‼︎」
海賊達の目的はそれだった。
海の中に棲み、時に美しい歌声で船乗りを惑わし食らってしまうという恐ろしい怪物。しかしその生き血や肉には寿命の限りを取り払い、永遠に死なない体を与えるという言い伝えがある。
しかしこの海で長年暮らし続ける漁師でさえ、一度でも人魚を見たことがある人物はいなかった。それ故に幻の存在とされ、いかに眉唾ものであろうと探しに出る者は決して少なくなかった。
かくいうこの一味もその噂に乗せられてやってきた者達。いるかどうかもそもそもわからない伝説の生物を探す酔狂な連中は、意外と多く生き残っていたらしい。
「想像してみろ、不死の血と奪い続けてきた宝の山! それがありゃ、次は国に喧嘩を売ることもできるぜ‼︎」
「ぅ…うおおおおお! 頭ぁ、いつまでもついていくぞ!」
「頭バンザーイ!」
酒の勢いもあり、口にするのも憚られるような荒唐無稽な夢物語を語る頭目に、賊たちは流されるように高揚した声をあげる。
酔いが覚めれば誰もが忘れているような、無責任で勝手な妄想を口々に吐き、男たちの宴はより騒がしくなっていく。
そんな中、自分の分の酒瓶が皆空になっていることに気づいた頭目が一瞬で不機嫌になり、空の瓶を腹立たしげに投げつけた。
男たちの輪から離れた場所で、こそこそとわずかな食べ物を口にしている小柄な青年に向けて投げられた酒瓶は、青年の近くに落ちてガシャンと大きな音を立てて粉々に砕け散った。
「おい新入りぃ! てめぇサボってねぇでしっかり働きやがれ! でなきゃ鮫の餌にするっつっただろうが!」
「は、はい! ただいま‼︎」
飛び散るガラス片に思わず身をすくませた青年は、直後に降りかかった怒号に慌てて顔を上げ、新しい酒を探しに走り出した。
まるで飼い犬のように従順な青年に、海賊たちはゲラゲラと下卑た嘲笑を浴びせかける。配下の中でも最も若く日が浅い、それ故に立場の低い青年は、彼らにとっても非常に都合のいい道具だった。
「…っとに使えねぇ奴だぜ。男のくせにひょろっちぃしよ、玉ついてんのか?」
「あの頭の良さがなきゃ、今頃とっくに海の藻屑だな」
「せいぜい死ぬまで働いてやがれ…ははははは」
彼らは青年がいつ、どこからきたのかは知らない。何より興味がない。
適当な店で売り飛ばそうという意見もあったが、青年の頭脳が、特に金儲けに関する分野が非常に抜きん出ていることに気づき、そばに置いたほうが後々役に立つと判断が下された。
以来青年は、長い間海賊達のもとでこき使われ続けていた。
「しっかしいつになったら見つかるんですかねぇ……隠れて出てこねぇ人魚は」
「気長にやるさぁ…なんてったって、金には困らねぇからな」
「その通りだぎゃははははは‼︎」
これ見よがしに騒ぎ、旨そうな食料を見せつけながら、海賊達は耳障りな声で嗤う。
馬鹿笑いを続ける男達に青年は憎々しげな視線を向け、しかし手を出すことなどできるはずもなく、悔しげに歯を食いしばって酒を探しにいくのだった。
◆ ◇ ◆
延々続きそうだった宴も、騒ぎ疲れれば当然終わりが訪れる。
海賊達は一人、また一人と酔いつぶれ、最後に頭目が酒瓶を放り出して寝転んだのを最後に、辺りに響くのは鼾だけとなった。
顔を真っ赤にして深い眠りに誘われた彼らは、当分起きる様子はない。そんな中、一人黙々と働き続ける者がいた。
「! …いったぁ、皮破けちゃった」
一味で最年少の青年が、唯一眠らずに海辺で道具の手入れをしていた。その際手を酷使しすぎたためか、傷を負って痛みに顔をしかめさせる。
不意に青年は、悔しさと辛さでじわりと目を潤ませ始めた。
「……あたし、いつまでこんなことやってないといけないのかな」
思わず溢れたその声は、男性らしからぬ高い声。しかも涙を滲ませるその顔はどこか扇情的なものを感じさせ、もしそれを見た男がいれば生唾を飲み込んでいただろう。
(なんでこんな目に遭わなきゃいけないの……今頃クラスのみんなと笑って修学旅行楽しんでたはずなのに、ずっと楽しみにしてた旅行なのに……)
そう遠くない昔、まだ自分が元の世界にいた頃のことがどうしても思い出されてしまう。
何も恐れず、何も考えずとも、生きることが保証されていた世界。よほどの失敗を犯さなければ、平均的な生活を送れることが約束されていた、平和そのものと言っていい時間。
それが変わったのは、同じ学び舎で過ごした友人達とで旅行に赴いた際の事故。何が怒ったのか今でもわかっていなかったが、あの時に起きた何かによって、全ては変わり果ててしまったのだ。
しばしぼんやりと海面を見つめていた青年は、やがて苦痛に顔を歪め、きている服の襟を両手で外側に引っ張り、晒しに巻かれた前身を曝け出した。
「…! あぁもう! 締め付けておっぱい痛いし息苦しいし最悪! ……一旦解こう」
苛々した様子で晒しを解いていけば、緩んだ中からあらわになる男性にはない柔らかな二つの膨らみが。
船に囚われている少女達と比べても相当大きい部類に入るそれを空気に晒したことで、青年ーーーいや、娘はようやく落ち着いた様子でため息をついた。
「男装ってこんなきつかったんだな……でも私が女だって知ったら、あいつら何してくるかわかんないしなぁ」
性別を隠すことを思いついたのは咄嗟のことだった。何もない無人島に流れ着いた彼女が、人影を探し続けようやく目に入ったのが、今すぐ近くで眠りこけている海賊一味だったからだ。
女であることを知られれば、まず間違いなく船に囚われている少女達と同じかそれ以上に悲惨な目に遭わされることだろう。毎日すくすくと育っている膨らみが暴かれないように過ごすのは苦痛だったが、生きるためには必要不可欠な代償だった。
だがふと、娘は思う。
何故自分は、そうまでして生き延びることに固執しているのかと。
(誰も、助けてくれない)
出会ってきた者達は、みんな弱くて頼りにならない人間ばかり。いずれは知られてしまいそうな秘密を抱えて、賊の中に居続ける意味がどこにあるのかと。
(誰も、あたしを知らない。この世界でずっと……ひとりぼっち)
もし無事に一味から抜け出し、自由を手に入れたとして、それをどうやって堪能すればいいのか。
どこかもわからない、帰れるかどうかもわからない世界で生き続けて、なんの得があると言うのだろうか。
世界に自分一人取り残された娘にとって、それは永遠の孤独と同義なのではないだろうか、そう思ってしまった。
「…いっそのこと死んじゃおうかな」
水面を見つめているうちに、ふとそんな誘惑が胸中に浮かび上がる。
暗く深い海が自分を誘おうとしているような、そんな奇妙な感覚が、疲れ切った娘の精神にじわじわと沁み込み、黒く穢していく。
ゆらりと立ち上がった娘の足が、一方見に向かって踏み出されそうになった。
「ーーーそれは困るねぇ、あんたみたいに私の好みの娘には長生きしていてもらいたいんだけど?」
そんな彼女を、聞き覚えのないハスキーな声が止めた。
ハッと我に帰った娘が、自分が使用としていたことに気づいて絶句し、次いで聞こえてきた声に警戒し慌てて衣服の前襟を引っ掴む。
後ずさり、辺りを見渡し表情を硬ばらせる娘の前で、突如海面がうねりを見せ、一つの影が姿を現したた。
ザバッ、と水飛沫を巻き上げ、長く艶やかな藍色の髪を広げる、白い肌がなまめかしい美女が。
「…⁉︎ あ、あんた誰よ…⁉︎」
「私…? 見ての通りの魔女さ、この海で人間に見つからないようひっそりと暮らしてる、麗しき人魚の最後の末裔で、ああいうどうしようもない男達が大っ嫌いな魔女さ」
「に、人魚……⁉︎」
海面から上半身のみを出して語りかけてくる美女に、娘は唖然と目を見開いたままおうむ返しする。
確かに海中に目を向けてみれば、月光に反射されて魚の鱗のようなものが淡く輝いているのが見える。それに美女の脇腹あたりには鰓のような亀裂が、そして耳の部分は鰭のようになっていて、時折ピクピクと動いている。
「ふ、不老不死の人魚の魔女があたしに何の用だよ」
「今にも海に飛び込んで死んじまいそうなあんたを放って置けなかったのさ……せっかく私の好みなのに勿体無い」
美女は何も纏っていない上半身をさらに陸地に押し上げ、思わず尻餅をつく娘を下から覗き込む。地面に立てた両腕が豊満な乳房を両側から押し潰し、月光がそれに彩りを加える。
底なしの闇に引き摺り込まれそうな、蠱惑的な美女の仕草を眼差しを向けられ、娘は同性でありながら頬を染めて唾を飲む。心臓は早鐘のように鳴り響き、全身が妙な熱に支配されていった。
「惜しい、惜しいね…この華奢な体、艶やかな髪、触り心地の良さそうな肌、全部が全部私の好み。これを捨てるなんて冗談じゃない」
美女は少しずつ少しずつ這い寄り、娘の肌に濡れた手で触れる。まるで愛撫されるような優しい感触に、娘の呼吸はあっという間に獣のように荒々しくなる。
異常な光景だと理解しているのに、娘の本能はさらに触れてもらうことを期待し、娘から逃げるという意思を奪い去っていた。
重い水に絡みつかれたように、一切動けない娘の耳に唇を寄せ、美女は微かな声で尋ねた。
「ねぇ…あなたの願い事はなぁに?」
不意の質問に、娘は真っ赤な顔のまま訝しげに眉を寄せる。
美女の手はなおも娘の肌を弄っていたが、先程から向けられている視線はずっと問いかけるような態度を貫いている。娘の本音、本心からの願いを引き摺り出そうとしているように。
「魔女は代価と引き換えに願いを叶える者……あなたが何かを望むなら、私はそれを叶えてあげる。あぁでも、私にできる範囲の願い事よ? 魔女は魔術を使えても、魔法を使える神様じゃないんだから」
美女が肌を撫でると、娘の口からわずかに甘い喘ぎ声が溢れる。娘はそれに気づくと顔全体を真っ赤に染め、キッと鋭い視線で美女を睨む。
美女はクスリと笑うと肌を撫でていた手で今度は娘の頬を挟む。
「でもその代わり……願い事を叶えたら、あなたは私が望むものをよこしなさい。私が望む、全てを」
娘はその問いかけにしばし悩む。
願いを叶える魔女など、御伽噺の中にしかない絵空事、現実にあるはずもないことだと、娘はまず疑いを抱く。
だが同時に、娘の中にはそれに応じたいという形容しがたい衝動が生じていることに気づく。この魔女の言うことがどこまで現実のものとなるのか、試したいという気持ちが。
葛藤していた娘は、いつの間にかその願いを口にしていた。
「 」
熱に浮かされたように、勝手に口をついたようにこぼれたその言葉。
たった数文字に込められた、感情と想いの全てが詰められたその願いに、美女は妖艶な笑みを浮かべて応えてみせた。
「……いいわ、いいわその願い、気に入ったわ。その願い、聞き届けたわ」
そう言って美女は娘に抱きつき、両手で挟んだ顔を傾けさせ、熱く濡れた眼差しを交わらせた。
「契約成立」と、口にして。




