8:島の在処
早朝の淡い朝日の中を、数十匹のの黒い影が飛んでいく。小さな毛むくじゃらの体から生えた不気味な翼を素早く羽ばたかせ、口から甲高いを鳴き声を放つそれらは、全て同じ方向に向かって飛行していた。
広い範囲に散らばり、空に網を張るように滞空し始めるのは、朝焼けに似合わぬ気味の悪さを醸し出す蝙蝠の群れ。
赤く光る退化した小さな目は何も映さないが、代わりに強く発達した耳がその空域で捉えられるあらゆる音を余すことなく採取する。本来は暗闇で障害物を察知するための能力だが、彼らはそれを情報収集のために使用していた。
陽光を反射して眩しく輝く、とある海域に留まり続けていた蝙蝠たちは、しばらくすると一斉に鳴いて踵を返す。それはどことなく、苛立たしげに舌打ちする仕草に似て見えた。
元来た海の上を取って返した蝙蝠たちは、やがてライデリカの浜の外れの雑木林へ向かって羽ばたき、木陰で腰をおろしているアザミの方に舞い降りていく。蝙蝠たちは、目を閉じて寛ぐように横座りしている魔女の影に顔を向け、水面に飛び込むように次々に急降下していった。
足元の影が全ての蝙蝠たちを飲み込むと、アザミはゆっくりと瞼を開き、長く息を吐いて肩を竦めた。
「……どこを探しても異常なし、か」
落胆した様子で呟くと、アザミは億劫そうに腰を上げて砂を払ってから町に向かって歩き始めた。
以前にもまして人気の薄くなった町の通りを抜け、陰鬱とした雰囲気に呆れたようなため息をつく。ちらりと視線を向ければ窓越しに人の姿が見え、暗い表情で引きこもっている姿がうかがえた。
囁き声も聞こえてこない閑散とした中を無言で進み、アザミはもはや行きつけのようになった食事処の暖簾をくぐっていった。
「おかえんなさい……今日も収穫はなかったようだね」
「……悪いわね、泊めてもらったのに報告できることもなくて」
女将に迎えられ、残念そうな彼女に苦笑を返す。
女将も今回の事件についてはそう簡単に片付く問題ではないとわかっていたらしく、それほど落胆した様子は見せず厨房に戻っていく。
客席に腰掛け、頬杖をついていた千次郎が、戻ってきたアザミに視線を向けて苦虫を噛み潰したような顔を見せた。
「あれだけ目立つものが跡形もなく消えるってのは…確かに本物を疑っても仕方がないな」
「……隠せるような島があるわけでもないからね」
臆病風に吹かれ、漁にも出られなくなった浜の漁師たちに幻滅していた千次郎だが、自分の目で実際に異常な光景を目の当たりにして認識が変わったらしい。落胆し見下すような態度はもう見せてはいなかった。
しかしやはり、本物の幽霊とは信じていないらしく、何らかの人為的な仕掛けを疑っている。具体的な絡繰までは思いついていないようだが、全てを鵜呑みにしてはいなかった。
しかし反対に、女将はそんな夫に不安げな表情を見せていた。
「あんた、もうこれ以上関わるのはよしなよ。本当に呪われちまったりしたらどうするんだい…?」
「馬鹿言え…亡霊だ怨念だ呪いだなんて、そんなもんがあるわけねぇだろ。ここで引き下がって泣き寝入りするんじゃ、向こうの狙い通りだろうが」
自分の身に危険が及ばないうちに引くことを勧める女将だが、千次郎はそれをはっきりと拒む。
霊などの超自然的事象を認めるのが嫌だという思いと同時に、恐怖心を利用して見えない場所から人を動かそうとする輩が気に入らないらしい。どこかで暗躍する誰かに向けて、腹立たしげに眉間にしわを寄せていた。
「このまま漁が続けられないんじゃ、お前の看板料理も出せねぇんだからそのうち店は潰されんぞ」
「そりゃあ、命あっての物種だろう? 料理は別のを考えればいいんだからさ、引き下がっちまおうよ」
それでも女将も引こうとはせず、どうにか夫が危険な場所に向かわないように説得を試みる。
どうしたものかとしばらくの間考え込んでいた女将は、店の奥の隅にいるもう一人の客に顔を向け、すがるように引きつった笑みを浮かべた。
「…お嬢ちゃんもそう思うだろ?」
「思う。超思う。だからもうあれに近づこうとか絶対言わないで師匠…‼︎ 無理! もう本当に無理‼︎」
「……頼むからあれを勘定に入れないでくれない?」
頭を抱えてガタガタブルブルと震え続けているシオンに目をやり、あまりの醜態にアザミが唸るようなため息をつく。昨晩例の海域から戻ってきてからずっとこの状態であり、押しても引いても絶対にその場から動こうともしないため、かける言葉が見つからなかった。
伏せた顔は冷や汗まみれで血の気も引き、見るも無残な姿を晒してみっともないことこの上ない。
だが、アザミは何と無く罰が悪そうに目をそらし、シオンの近くに膝をつけると震える背中を優しく撫でてやった。
「……だけど、無理に引っ張り出した私が悪かった。あんたはもう宿でおとなしくしてなさい」
「…あとで甘えさせてくれるなら許す」
「……仕事が終わったらね」
普段、アザミは弟子を甘やかすことはない。しかし自身に落ち度がある場合はその限りではなく、犯した過ちの分だけ好きにさせるようにはしている。
ここまで怯えるのは流石に予想外だった魔女は、可能な限り要望に応えてやることを約束し、一旦何の役にも立たなくなった弟子を放置して千次郎たちの方へ向き直った。
「……流石にあんたの旦那にこれ以上手伝わせる気は無いわ。これは私が受けた依頼だもの、これから先は一人でなんとかするわ」
「俺は足手纏いかい…」
「……単純に手伝える範囲を超えているだけよ。あんたにああいう不確かなものに対処できる技術があって?」
「…ねぇな」
「……じゃあ、気にしないことね」
役に立てない以上に、騒ぎの主犯に自らの手で制裁を加えられないことにやや不満げな千次郎だが、アザミの厳し目の一言で渋々引き下がる。何事も素人がむやみに首を突っ込むものではないと、異世界から転移して相当な苦労を重ねた男は学んでいた。
アザミは諦めて厨房に引っ込んだ千次郎に横目を向け、次に不安げにうつむきながら洗い終わった食器を片付ける女将に目を向けた。
「……海賊の亡霊についてもう少し情報が欲しいんだけど、何か知ってることはある? それか知っている人物はいないか」
「そうだねぇ…そこまで有名じゃなかったからねぇ。詳しい人も知らないねぇ」
夫の代わりになるのなら、と女将も何とか手助けを試みるが、アザミの求めるような情報はあまり記憶のうちには見つからない。
難しい顔で首をかしげるが、どれだけ考え込んでも価値のありそうな噂や言い伝えなどは思いつかなかった。
「海で死ぬ人間は毎年必ず出るし、そんな奴が恨みを持って化けて出るなんて聞いた事も無いからねぇ……幽霊騒ぎにはみんなあんまり聞き馴染みがなかったのさ」
申し訳なさそうに頭を下げられ、アザミは落胆のため息をついてから気にするなと手を振る。かつての弟子、メルヴェの知っていた伝説もそれほど知名度のある話ではなかったために、それ以上の情報が得られるとは思っていなかったが、思うように調査が進まない状況に思わず嘆息してしまう。
気だるげに椅子の背もたれに背中を預けたアザミは、懐から煙管を取り出して火を点けずに咥える。しばらく唇で煙管を弄んでいると、上の空だった目が鬱陶しげな半目に変えられた。
「……ってことらしいけど、あんたのとこには他に情報はないの?」
「わしも調べちゅうが、どいたち知っちゅうもんが少のぅての、のせんねや」
ジロリとアザミの目が横に向けられ、咎めるような鋭い声が背後の席に座る男性客に向けられる。
よくみればそれは男装した女性で、いつもは編み込んでいる髪を後頭部で簡単にまとめている。器に注いだ水を飲み続けていた女性は、問いかけたアザミにニヤリと不敵な笑みを見せる。
見覚えのある、いまこの場にいるはずのない女性の顔に、千次郎が目を見開いた後、忌々しげに顔を歪めて舌打ちをこぼした。
「…! でやがったなクソババア…」
何か嫌な思い出でもあるような険しい表情で、時勢に顔を見た千次郎が吐き捨てる。
聞こえたその声に、タツキは椅子に座ったまま後ろを向き、普段と変わらぬ飄々とした態度で千次郎を見つめた。
「おぅおぅ、がいなくせにかまがきれん店主が一丁前に悩んじょる。槍でも降るんかいの」
「金の亡者に言われたかねぇよ……どうせ先生も都合よく口先でそそのかしたんだろうが、業突く張りが」
「ほたえな!」
「……うるさいからやめなさいよ」
自分を挟んで始められる毒の吐き合いに、アザミはうんざりした様子で待ったをかけ、鬱陶しそうに表情を歪める。どういう因果かは知らないが、職人と商人の間の価値観や倫理の異なりによるものか、二人の間の空気があっという間に刺々しくなるのだ。
「朝っぱらから、こんな場末の飯屋にどんな用があるんですかね、頭領さんは……サボってんじゃねぇだろうな」
「あいにくようやっと捻り出せた休みじゃ……どう使おうとわしの勝手じゃき」
暇そうに見えるタツキに、厨房から疑わしげな視線が向けられるが、これでも彼女はしっかりと仕事をしてきている。
山のように積み重なる書類の束と格闘し、連日のように舞い込む厄介事への対処に頭を悩ませ、重役や有力商人との会議で胃と精神に多大な負担を重ね続ける。いまこの場にいられるのは、それらの仕事の山をどうにか片付け、時間を捻出したからである。
なんども徹夜を繰り返さなければ、タツキには休む時間さえ与えられはしない。それだけ重要な立場にあった。
「…いい加減にしろ」
話が進まないと判断したアザミは、二人に向かって若干の寒気がする程度の軽い殺気を振りまき、自分に注意を向けさせる。
特に視線を向けられたタツキはブルリと背筋を震わせ、誤魔化すような笑いをこぼした。
「……で、あんたの方の進展は?」
「なんちゃあわかったことはないきに。隣国の動きもなんぼし聞かん」
「役に立たねぇババアだ…」
「……千次郎、話が進まないからしばらく引っ込んでいてくれない?」
「へいへい…」
また余計な口論が始まる前に、アザミは千次郎に席を外すように促す。きつい視線を向けられた千次郎は肩をすくめ、やや不満げに目をそらして厨房の奥に引っ込んで行った。
アザミは呆れたようなため息をつき、べっと舌を出しているタツキにも半目を向ける。言いたいことは数あるが、話すべきことは他にある。
「……隣国に動きがないのなら、亡霊騒ぎは連中とは関わりがない可能性もあるわね」
「確かにのぅ…商いに多少影響はあるが、まだ国が揺れる程じゃないきにの。……たかぁ、疑いが晴れたわけじゃなか」
うんざりした様子で、タツキは椅子の背もたれに思いっきり体を預ける。
これまで幾度となく諍いの声が聞こえてくる隣国とのやりとりは相当気分を害するのだろう。アザミに返される視線からいつもの力強さが薄れて見えた。
「……もし、隣国とこの件が別件だったとして、その意図は何? 漁師を怯えさせるだけの悪戯にしては手がかかり過ぎているわ」
アザミのつぶやきに、タツキは腕を組むと眉間にしわを寄せて考え込む。すでに騒ぎは何者かの仕掛けによって起こされたものだと確定していたが、どうしてもその動機が思いつかない。
どうやって亡霊を演出したのかよりも、何故そのようなことをしたのか。それを優先的に考えるも、現状では一つも案をあげることができずにいた。
そんな時、タツキがふと訝しげな表情で顔を上げた。
「…そういえばあの海は昔、大きな地滑りがあって島が一つ沈んだっちゅう話を聞いたのぅ」
「……島?」
「あぁ、浜の連中や先生が向こうちょった辺りじゃ」
ほれ、とタツキが食事処の入り口越しに、亡霊が現れた場所を顎でくいっと示す。かなりの距離があるためにうまく見えないが、大体の方角は正確だった。
同じ方向を見て黙り込んでいたアザミは、やがて何か思いついたのか険しい顔で目を細め、タツキに向けて鋭い視線を向けた。
「……あんた、件の海賊の宝が隠されたっていう島について、具体的な場所を知ってるわよね」
「…まさか」
神妙な表情で考え込むアザミの推理を瞬時に察したタツキが、あり得ないとばかりに懐疑的な目を向ける。
海賊の霊を模し、騒ぎを起こし人を遠ざけるという大それた行為の理由が、魔女が案に語り自分が思いついたような俗物的なもののためだという考えは、流石に受け入れ難かったらしい。
「それこそ大げさじゃろう。あんな不確かなもんを探すために、こげなてんごのかあ仕掛けをしたっちゅうんか? なんぼゆうたちそれは……」
「……いつの時代にもね、妄想と現実の区別がつかない愚か者はいるものよ」
どこか皮肉を込めた態度で、アザミはハッと鼻で笑う。長くに渡って人間を観察し、時に導き時に裁き続けてきた魔女にとっては、その程度の愚行は予想の範囲を超えたりはしない。
しかしいつだって、予想以上の愚かしい行為を侵す人間は一定数以上存在するのだと、アザミは断定していた。
遠い目でため息をこぼしていたアザミは、しばらくすると思い出したようにタツキの方を見やり、詰問するような視線を向けた。
「……ところであんた、メルヴェとはまだ口聞いてないの?」
「ぅ……」
不意の問いかけに、タツキは痛いところを突かれたというように頬を引きつらせ、サッと顔ごと目をそらす。
小さく呻き、明らかに何か後ろめたいことがあると示す反応に、アザミは思った通りだと嘲笑気味に唇を歪める。
小馬鹿にするような視線に晒されたタツキは、両手の指先をつつき合わせながらモゴモゴと反論の言葉を口にし始めた。
「…は、話そうとは思っちょるんじゃが、なかなか時間も作れんし、どうにか会いに行っても邪険にされるし……もう何を考えちょるのかわからんくてのぅ」
「……これだから処女の守銭奴は」
「⁉︎ か、関係あるんかそんなもん⁉︎」
居心地悪そうに目を泳がせ、頬を赤く染めるその姿は実年齢には全く似合わぬ、外見相応の幼い反応。年頃の娘が苦手な話題に対して距離を取ろうとするようなその態度に、アザミはわずかに苛立ちのようなものを覚える。
見ていてやきもきするというか、進展を見せないもどかしさがどうにも見ていられない。何十年も生きておいてまるで餓鬼のような往生際の悪さだ。
それでもやはり煮え切らない態度の女商人に、アザミは心底呆れたため息をついて軽く睨みつけた。
「……せいぜい愛想を突かれないうちに、ご機嫌取りをしておくことね。でないと…肝心なところで大事な物を取りこぼすわよ」
実感を伴った、有無を言わさぬ覇気を放つアザミの忠告に、タツキはかろうじて「…肝に銘じる」と返すことしかできなかった。
終始小さく縮こまり、声だけを耳にしていたシオンは、なにやら意味深に語り合うアザミとその知人を不思議そうに見つめる。
自分の知らない師の交友、その中でも特に因縁じみた繋がりがあることをなんとなく察し、弟子はただ不思議そうに首をかしげるのだった。




