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【初期版】創世の賢者【連載凍結】  作者: 春風駘蕩
第Ⅱ章 忠犬剣士と東の魔王
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23:託された誓い

『お…おおおおま……お前えええええええ‼︎』


 闘技場全体に設置された拡声魔術道具から、異形の男の汚らしい叫びが響き渡る。

 もしその魔術具が映像機能も一緒に起動していれば、ただでさえ醜い顔が悪鬼のように悍ましいものに変わり、唾を撒き散らして喚き立てている様子も見られたかもしれないが、シオンにできたのはここまでだった。

 しかしそれだけで、怒りと憎悪で心が埋め尽くされていた黒犬少女の頭を冷やすには、十分すぎた。


「あいつめ……手出しは無用といったものを」

「そんな……嘘だ………だって、某は…某は……‼」


 聞こえてくる騒音のような声に、トモナガが不快げに眉間にしわを寄せる中、セツナは顔面を蒼白にさせて後退る。体に走る震えが刀にまで伝わり、カタカタと小刻みに金属音を響かせながらトモナガから距離をとろうとするように覚束ない足取りでよろめいている。

 既に、セツナの中には迷いがあった。本当にこの男は父を殺したのか、自分はとんでもない思い違いをしていたのではないか、何度も脳裏に浮かんでは、そんなことはあり得ないと無理矢理心の奥底に押し込んでいた考えが、今まさに真実になってしまった。

 その衝撃は、セツナから一切の思考と行動を奪い去ってしまった。


「しかし……あの野郎、最近ますます爺に近づいてきてやがる。側から聞いてりゃあ最新機器に振り回される老いぼれにしか聞こえねぇや」


 トモナガは顎に手を当て、異形の男と同時に聞こえていた賢者の話に思わず口を挟む。

 見えてこそいないが、賢者が触れ慣れていない魔術道具を手にし、おっかなびっくりといった様子で操作しようとしている光景が目に浮かび、元居た世界でよく目にしていた光景と被ってしまってため息がこぼれる。

 言動に気をつけろと注意すべきか、そっと聞こえなかったふりをしてやるか、トモナガが遠い目で考え込んでいると、ずっとぶつぶつと呟き続けていたセツナが突如金切り声を上げて騒ぎ始めた。


「嘘だ……嘘だ嘘だ嘘だぁぁぁぁぁぁ‼」


 ぶんぶんと首を横に振り、焦点の合わない目でトモナガを睨みつけてまた二振りの剣を構えなおす。だが、その構えはもはや以前のようなキレを見せてはおらず、迷いが切っ先に表れてふらふらと揺れてしまっている。これではトモナガ程の強者でなくとも簡単に取り抑えられそうなほどであった。

 トモナガは小さくため息をつき、かつて己が惹かれた強さを失った少女を見やる。たったこれだけのことで剣の芯を失った彼女に落胆を覚えながら、やはり惜しいと思ってしまった。


「貴様が…‼ 貴様が父を殺したんだ…‼ 父を愚か者と詰った貴様が……自分の地位が揺るぐのが怖くて! 部下に追い抜かれるのが怖くて! 戦の最中の惨事に見せかけて…貴様が…‼」


 自分の耳で聞いたことさえも、自分が信じたくないことはすべて否定したくて、セツナはガタガタと震えながらトモナガを睨みつける。そうしなければ、ただ仇を討つことだけを考えて剣を振るい続けてきた自分の半生が全て無意味になってしまう、そう感じていた。

 しかしその瞬間、まるで実際に刃をつきつけられているかのように鋭く重い殺気が、怒涛の勢いでセツナに襲い掛かった。


「俺とあいつの絆を……小娘が知ったように語るな‼」


 ギラリとトモナガの眼がセツナの眼を射抜き、少女はその場に縫い付けられたかのように動けなくなる。

 どう見ても剣が届く範囲ではない。しかし一歩でも動けば全身を切り刻まれてしまうかのように感じられ、セツナは小さな悲鳴を上げて硬直してしまう。気丈に武士に挑み続けていた娘は、己の武器である牙を抜かれ爪を削がれ、か弱い子犬のように立ち尽くすしかなくなってしまった。

 彼女は今、確かに魔王と呼ばれる男の前に立たされていた。


「俺を貶すのは構わねぇ……誇れるようなもんは何一つ持ち合わせちゃいねぇし、王なんざ名ばかり…あいつがいなきゃ、ただの浪人のまま野垂れ死んでた碌でもねぇクズさ……だがなぁ、俺に国を託したあいつの意思はどこの誰だろうが貶させる気はねぇよ」


 とてつもない覇気を纏い、一歩ずつトモナガはセツナのもとへと歩み寄っていく。じっとセツナを見据えたまま、怯える少女を逃がさないように鋭い眼光で縫い付けゆっくりと近づいていく。

 セツナは腰が引けそうになるが、それを許さないようにトモナガの圧が襲い続ける。頭上から滝のように降り注ぎ、同時に全身にまとわりつくようにセツナを縛り付ける。それにセツナは恐怖感をかき立てられ、体の中に錘を積まれたように一歩たりとも動けなくなってしまっていた。 


「あいつは俺こそが、民の命を背負える器だと言って散った…! なら俺は……あいつが最後まで信じた俺自身が、あいつを法螺吹きにさせるわけにはいかねぇだろうが‼︎」

「あ…ぅ……」


 トモナガの放つ怒号に、セツナはすっかり震え上がる。

 自身のことではなく、友の想いを、友への誓いを踏みにじられたことに怒る魔王の威圧が真正面から少女に襲い掛かり、戦意を跡形もなく砕き散らせていく。誰かが今この場にいたのなら、おそらくただ近くにいるだけで腰を抜かすことだろう。

 みしりみしりと、大気までもが軋みを上げている音が聞こえるような錯覚に陥りながら、セツナは恐怖と同時にトモナガに対して異なる感情を抱き始めていた。

 だが、それが一体どんな感情なのか知るよりも前に、セツナの背中にひんやりとした嫌な感覚が駆け抜けた。


『ひゃは……ひゃははははははは‼ 油断したなクソアマぁぁ‼』


 聞こえてきたその声に、セツナはハッと我に返って視線を下げ、大きく目を見開いて言葉を失う。二振りの妖刀の刀身にのみ宿っていた黒々とした気配が、いつの間にかセツナの肘近くにまで広がり、肌に浸み込むように纏わりついていた。

 セツナがトモナガに気圧され、自身の心が揺らいだことにより、それまで抑え込んでいた妖刀の支配が再び力を強め始めてしまったのだ。

 慌ててもう一度抑え込もうとするセツナだが、無理に抑えつけられた鬱憤の為か妖刀の勢いは止められず、見る見るうちにセツナの手から感覚が失われていった。


「うぐっ…⁉︎ お前……やめろ! 某の身体を……‼︎」

『ヒヒヒヒヒ…‼︎ よくもこの俺様を虚仮にしてくれたな……この俺様を使おうとしやがったな‼︎ 冗談じゃねぇんだよ‼︎ お前が俺様の道具になるんだよ‼︎』


 じわりじわりと、自分の腕が制御を離れ他人の物にされているような感覚に襲われ、セツナは本能的な嫌悪と恐怖に苛まれていく。実際にはそうではなくとも、少しずつ自分の体が掻き消されていくかのような錯覚は気力をあっという間に削り、黒犬の少女を剣士に戻すことを許さなかった。

 大量に冷や汗をかき、抵抗を続けるセツナだが妖刀の支配は引く様子を見せない。腕だけではなく、肩から胸へ、他の四肢へ、そして脳へ、余すことなく寒々しい感覚が広がっていく。

 まるで見えない冷たい腕で全身を抑え込まれ、好き勝手に弄られているかのようで、セツナはあまりの恐怖から幼子のように涙をこぼし始めていた。


『ヒャハハハハ‼︎ ここまで舐めてくれやがった礼だぁ……この体は思う存分、俺様の自由にさせてもらうぜぇ‼︎』

「う……うわああああああああああ‼」


 もはや以前のような気概は跡形もなく崩れ、セツナは悲鳴を上げながら襲いくる魔の手から身をよじるばかりで、抵抗らしい抵抗もできなくなっていく。

 徐々に遠くなっていく意識の中、セツナは激しい後悔に苦しまされる。こんな刀を手に入れなければ、あんな虚言を信じなければ、シオンの師に無理な願いをしなければ、故郷から出ずに大人しくしていれば、亡き父の戦友を疑わなければ。いくつもいくつも後悔がにじみ出ては、情けなさに涙が止まらなかった。

 いったい自分は、何のためにここまで生きてきたのだろう、と、途切れそうになる意識の中でそうこぼした時だった。


「―――そのまま耐えていろ、セツナ。……手元が狂うぞ」


 不意に聞こえてきた声に、セツナは手放しかけていた意識を間一髪で取り戻す。

 涙に濡れ、ぼんやりと霞んだ視界に入ってきたのは、これまで一度たりとも抜こうともしなかった刀に手を置き、鯉口に親指をかけて身構えているトモナガの姿だった。

 戸惑いの視線を向けるセツナをよそに、セツナの視神経を使ってトモナガを見た妖刀が耳障りな哄笑を上げ、己が刀身を震わせた。


『ヒャハハハハ‼︎ 斬るか? 俺を斬るのかこの糞野郎‼︎ 俺様を斬ったら、俺様が支配しているコイツがどうなるかなぁ⁉︎ お前が俺様を殺せば、コイツの精神もズタズタに引き裂かれることになるぜぇ⁉︎』


 セツナの肉体を貫き、支配を精神に絡みつかせた妖刀が、己が所業を見せつけるようにセツナの肉体を操りトモナガの前にさらす。

 妖刀の力はまるで無数に枝分かれした木の根のようにセツナの全身に及び、細胞の一つ一つまでもを絞め殺すように巻き付き拘束している。半ば同化しているような状態のそれをもし傷つけようものなら、その影響は癒着したセツナの肉体と精神にも及ぶこととなる。

 絡み合った気の音を互い違いの方行為無理に引き離そうとすればどうなるかなど、想像しなくてもわかる。それをわかっていて、妖刀はトモナガの戦友の娘であるセツナを盾にしながらトモナガを煽り続けた。


『いいのかいいのかぁ⁉︎ 戦友だけじゃなくて、その娘もおまえが殺すのかぁ⁉︎ お前にできるのか―――』

「耳障りな声で騒ぐな、鈍が」


 キンキンとひびく金属音のような声に対して、トモナガが鬱陶しそうに呟き静かに目を閉じる。

 フッとトモナガの呼吸が一瞬止まり、彼が放つ全ての音が止む。足音も鼓動も、衣擦れの音さえもがぴたりと止み、妖刀の耳障りな声が響く中トモナガの周囲のみが無音の世界に替わる。

 それを無視されていると思ったのか、妖刀がさらにけたたましい声で騒ぎだそうとした時。


 妖刀の見ていた世界が、ずるりと斜めにずれた。


 突如目に映った視界の変貌に妖刀は思わず耳障りな声を途切れさせ、同時に己が地面に向かって落ちていく光景に思考を停止させる。

 斬られた、娘ごと斬られた、そう直感した妖刀だったが、セツナの体に目立った外傷は一切見受けられない。セツナ自身も何が起こっているのかわからない様子で、唐突に力の抜けた手からゴトリと妖刀が零れ落ちたことに戸惑いの表情を浮かべている。

 一方で妖刀自身も、刀身には一切の傷がついていないことに気づかないまま、自分の見えたものだけが事実と思い込み、先ほどとは異なった意味で騒ぎ始めた。


『―――ひぎっ…ぎゃああああああ‼︎ きっ…斬られたぁぁぁぁ‼︎ し、死ぬぅぅ‼︎』


 耳にひびく高音で喚き散らしながら、妖刀はガチャガチャと刀身を鳴らして感じもしない激痛を訴え続ける。もしそれに人の体があったのならば、どこにもない傷跡を押さえてみっともなく地面を転げまわっていることであろう。

 トモナガは呆れたようなため息をつき、まだ少ししか抜いていない剣を鞘の中に戻す。キン、とか高い音を立てて刀を下げなおすと、トモナガは操れる肉体を失い、もはや身動き一つできない妖刀をつまらなそうに見下ろした。この程度で音を上げるような代物だったのか、と落胆した様子でだ。


『なんでっ……なんでだよぉ⁉︎ お前……何しやがったんだよぉ⁉︎』

「何をしたか……? たかが睨んだだけで大袈裟なことだ」


 理解できない事態に怒号を放つ妖刀に対し、なんてことはない様子でトモナガが言ったように、彼は一切剣を抜いてはいないし物理的に何かを斬ってもいない。トモナガは単純に、刹那を避けて妖刀にのみ殺気をぶつけただけであった。

 気迫による威圧は、相手や程度にもよるが相手を怯ませられる。その鋭さを増させ、気迫で相手に恐怖を刻み抵抗する意思を奪うこともトモナガには可能だった。

 通常の武器ではない、鉄の塊でありながら一つの魂を持つ妖刀相手だからこそできる、相手を傷つけずに無力化させる魔王の荒業だった。


「お前は単に、俺がぶつけた殺気に自分が刃を受けたと錯覚して、勝手に支配を解いただけだ。…これまで俺がどれだけの数、お前のような面倒な化け物連中を相手に剣をふるってきたと思っている?」


 くつくつと獰猛な笑みを浮かべ、トモナガはその場に座り込みじっと見上げてくるセツナの隣を通り抜けて、妖刀の元へと近づいていく。

 妖刀はガタガタと自ら揺れるが、文字度落ちても足も出せない自身では逃げることさえままならない。せいぜいトモナガに向かって口汚く罵り、苛立ちをぶつけるばかりであった。


「その中でもお前は……特に脆い出来損ないだったがな」


 その哀れな姿を、トモナガはいい気味だと嘲笑う。己が築き上げてきた国を、殺人の快楽というつまらない享楽のために散々引っ掻き回してくれた相手が、身動き一つとれずに転がっている。

 冷たく見下されていることに気づく妖刀は、徐々に迫りくる殺気と刃を目の当たりにし、恐怖でガタガタと震えながらもなおも罵倒を続ける。

 それしか、凶刃にできることなどなかったからだ。


『クソッ……クソがぁぁぁぁ‼︎ 殺すっ……絶対ぶっ殺してやるからなぁぁぁぁ‼︎』

「うるさいと言っている」


 近々とうるさい声に対して、トモナガは面倒臭そうにため息をつき、自身の下げる刀にもう一度触れる。

 鯉口に刀の鍔が当たり、キンッと鈴のような凛とした音が響き渡った直後、更に甲高い強烈な金属音が周囲に響き渡った。


『ギャッ―――』


 その直後、トモナガの目の前に転がっていた妖刀の刀身が真っ二つに割れ、かすかに月光を反射して耳障りな声を途切れさせる。切れ口には微塵もかけた様子などなく、折ったのではなく斬ったのだと示している。

 トモナガは自分の帯に刀を挿し直すと、ようやく肩の荷が一つ降りたといった様子で嘆息し、澄んだ空気の中に浮かぶ月を見上げた。


「やれやれ……お前のような鉄屑のために、恐ろしく時間と手間を浪費しちまったじゃねぇか」


 ただでさえ人手が足りないのに夜間の巡回を増やす羽目になり、せっかくの祭りを邪魔をされ、様々な面で費用が嵩むこととなり、苛立ちと憎悪が募りに募りまくっていた。

 同じように怒りを募らせていたトモエのことを思い出しながら、トモナガは月見に丁度良さそうな空を見上げて、小さく笑みを浮かべた。


「……義理は果たしたぞ、モリヨシよ」


 背中に感じる戦友の忘れ形見からの視線を敢えて無視しながら、トモナガはこの空の何処かにいるであろう友に向けて、満足げに呟いていた。



 己の手で破壊することを望んでいた、胸糞の悪い鈍が気配を絶ったことに気づき、賢者は落胆のため息をついた。

 もう少し気配を探れば、東の魔王とともに件の少女の気配も健在であり、自分が弟子に託した策が功を成したのだとわかって内心ホッと息をつく。

 さらにセツナが激昂する可能性もあり、上手くいくかどうかは賭けだったが、状況をみるに大きな問題もなかったようだと安堵していた。


「あの娘に任せるのは少しばかり不安だったが……そうか、あの子は本番に強い性格だったか。よくもまぁ、いきなりの指示に間違わずに答えてくれたものだ。あとで褒美をやるとしようか……」

「おっ、お、おおお、おおおお前えええええええ‼」


 虚空を見上げて独り言ちていると、頭上から分厚い刃が勢いよく振り落とされてくる。

 難なく受け止めて、鬱陶しそうに視線を向ければ、以前よりももっと目を血走らせた異形の男が片目をぎょろりとよそへ向かせて睨みつけているのが見える。

 全身に浮き立った血管は既にあちこちで裂け、肌は土気色になっている。男はすでに、己の命の半分以上を削り取っていた。


「これでようやく………お前の耳障りな声を聞かずに済む」


 いっそ憐れみさえ覚えた賢者は、なおも騒ぎ続ける異形の男に向けてため息をつく。

 その次の瞬間、賢者の姿は異形の男の目の前から消失し、対象を失った凶剣が傾いてバランスを崩し始める。

 目を見開いた異形の男は、ふと自分の体に感じた違和感に目を見開き、ゆっくりと視線を下にずらしていった。


「あ……あああぁああ‼ あああぁああぁああぁあ⁉」


 男は口を全開にして悲鳴をあげ、目の前に広がっていく赤い泉に恐怖する。そしてその泉の中心に沈んでいる、いびつに変形した自分の両腕を目にし、自身の正気を疑った。

 手にしていた凶剣は地面に転がり、両腕と同じく男の腕の後から溢れ出す大量の血の中に埋もれていってしまっていた。


「何でだぁぁぁぁぁ⁉ 何で俺の腕っ……おれは、俺はさいぎょうのちガラをでに入れっ…‼」


 血液を流し続けたまま、異形の男は後退り顔を恐怖でひきつらせる。絶対的な力を手に入れたはずなのに、一撃出にくい相手を叩き潰せる力を手に入れたはずなのに、それが全く叶わないどころか追い詰められているという状況が信じられなかった。

 喚き散らす男は、今度は腹に伝わる衝撃に息を詰まらせ、ズシンと膝をついて地面に突っ伏した。


「お前ごときに……おれが本気を出すわけないだろうが」

「おっ…お、ァ……」


 相変わらずの億劫そうな態度で、賢者は異形の男を見下ろし吐き捨てる。

 賢者の足元に広がった黒い影が、凶剣と異形の男の両腕を飲み込み、バキゴキボリゴギと嫌な音を立てて粉々に砕いていく。中では異様な気配を放つ異形が蠢き、次なる獲物はまさかと待ちわびているのが見えた。


「お前は所詮、おれの気まぐれで生かされていただけだ……図に乗るな。ゴミクズが」


 涙を流し嘆き始める異形の男が、自分の血液ごと賢者の影の中に飲み込まれていく。地面に染み込んだ分も余すことなく、異形の男の存在そのものを消してしまうかのように、跡形もなくすべてを闇で覆い尽くしていく。

 そして影も形もなくなり、かすかに聞こえていた声や呼吸の音さえもがなくなって、ようやく賢者は肩の力を抜いた。


「ああ…まったく、23秒も無駄にしたではないか」


 その声に、大した疲弊感は感じられない。

 例えて言うなら、わずかな駄賃も払われずに頼まれたゴミ捨てを終わらせた後のような、そんな軽い気だるさのみがあった。

 一国を脅かした辻斬り騒ぎ、及び妖刀を所持し王の命を狙った刺客の騒動は、あっけないほど静かに終結したのだった。

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