3:漂流者たち
唖然とする慎二を連れて、巌が向かったのは彼が所属する騎士団の派出所。常駐する若い騎士と敬礼を交わしながら、慎二を奥の休息室に連れていった。
「さてと、ほんじゃあ好きなところに座れよ。今、茶淹れっから」
地球で読んだ警察官の漫画に出てきたような派出所とは異なり、畳ではなく床に、座布団ではなく椅子に慎二を誘導してから、巌は地味な柄のポットに入った出涸らしの茶を用意する。
いまだに驚愕から立ち直れていない慎二はその背中を目玉が飛び出そうなほどにじっと凝視し、声もなく硬直したままとなっていた。差し出された茶を無言で受け取り、どっかりと椅子に座り込む自称・担任教師の顔を見つめながら、ぬるい茶をすすった。
「安物で悪いな。最近、ちょっと国でごたごたがあったせいで物価が上がっててな。やっすい茶葉しか買えなかったんだわ」
「は、はぁ」
ガハハ、と豪快に笑う巌のその表情に確かな見覚えを感じながらも、慎二は自分の担任が果たしてこんな風に笑っただろうかと記憶をたどる。
自分の知っている近藤巌(28歳)は、よく言えば自他に厳しい熱血教師、悪く言えば考えるよりも先に手が出る脳筋で、自分を含めた多くの生徒から嫌われていた男のはず。平均を大きく超えた身長や膨れ上がった筋肉、強面のいかつい顔立ちも手伝って威圧感があり、近づきたがらないものが多かった。性格もかなり荒っぽく、体育の授業時に校庭から聞こえてくる理不尽なまでの怒鳴り声は、八割が彼のものだったはずだ。
それに対して今慎二の目の前に座っているのは、ただの無駄な筋肉ではなくまさに戦士を思わせる鋼の肉体を備え、本人の激動の歴史を感じさせるしわの刻まれた精悍な顔。しかしその表情は経験が積み重ねた落ち着きと余裕を備えており、威圧感というよりも大樹を目の前にしているような安心感をもたらす、そんな雰囲気を放っている。
慎二の知識からしてみれば、例えるなら漫画の途中で出てくる、主人公を鍛えてくれる師匠キャラのような風格を備えていた。
要するに、知らない人にしか見えなかった。
(いや、マジで誰だよあんた!)
頬を引きつらせながら、慎二は自分を見下ろしてくる巌から目をそらす。
それを異常な事態に遭遇したが故の狼狽とでも思ったのか、巌はバシバシと青年の肩をたたいて豪快に笑って見せた。
「そう不安になることはねぇよ。俺もこっちに初めて来たときは焦ったもんだが、慣れりゃあ意外に住みやすい場所だぞ。むしろこっちのほうが空気が澄んでっからな」
「……そうっすか」
「とりあえず、お前の仕事が見つかるまでは住む場所と食い物に関しては気にすんな。できるだけ早く、お前が順応できるように手伝うからよ」
「……そうっすか」
いつの間にか、この男が自分の身元引受人のような立ち位置に収まっている。この自称・担任教師が本当に担任教師なら少なからず知っている人のはずだが、もうほとんど他人にしか見えないため不信感しか持てない。すでに何やら書類やら戸籍やら署名やらと、着々と引き取られる手続きが始まっているが、このまま流されていいものだろうか。
異世界転移で最も怖いのは『気づかぬうちに誰かに利用されていること』だと、ざまぁ系のネット小説の内容を思い出して慎二は身を震わせた。
(こういう時大事なのは……そうだ! なんにせよ情報だ!)
「あ、あの……近藤先生?」
「ん? ああ、悪い悪い。一方的に話しちまってたな……お前と会うのも年ぶりだからよ、懐かしくなっちまってなぁ。こっちで逢えた向こうの連中も、お前を含めて十人もいねぇからな」
「えっ……?」
思わぬ一言をつぶやいた近藤に、慎二は言葉を失って硬直した。
とにかく役に立ちそうな情報を集めようと質問の内容を考えていたのだが、それよりも確認しておかなければならない言葉だった。
「あの……薄々俺以外にもこの世界に来た奴いるんだろうなとは思ってましたけど、じゅ、十人って、いくらなんでも少なすぎじゃ……」
「本当なら、ずっと一人にも逢えなくてもおかしくなかったんだ…………憶えてるか? この世界に来るその直前の光景を」
急にトーンダウンした様子の巌はカップを置き、真剣な表情で慎二の目を見つめる。
いまだにこの男が担任教師だと信じられずにいる慎二も、その視線の強さに目をそらすことができず、ごくりとつばを飲み込んで見つめ返した。
「……修学旅行の飛行機の中、突然大きく揺れて軋み始めた機体。雷鳴が機体に食らいつき、鳴り響く警報音。座っていた俺は、ただ縮こまってガタガタ震えてることしかできなかった……情けねぇ教師だったよなぁ」
覚えている、というよりも、徐々に克明に思い出してきた。
旅行先の北海道に向かうために空港で集合し、時間通りに乗り込んだ時のこと。天候は快晴、風も運行に支障をきたすには程遠い気持ちのいい日、飛行機は何事もなく空港を旅立った。
フライトの途中、生徒と教師たちは隣り合った席の者同士で話し込んだり、寝たりなかった者がいびきをかき始めたり、慎二のようにこっそり持ち込んだライトノベルを取り出して読み始めたりし、快適な空の旅を堪能しながら到着までの時間を過ごしていたはずだった。
突如発生した雷鳴を皮切りに、凄まじい轟音と光、そして揺れに襲われたのだ。
さっきまで何事もなかったはずなのに、何よりすでに雲の上を飛んでいたはずなのに、飛行機の周囲には毒々しい色の雷が奔り、雲とも煙ともいえない奇妙な黒い闇が覆いつくしていた。光をまとめて呑み込んでいるかのような、見ているだけで恐怖感や吐き気を催す嫌なものであった。
しかし乗客たちはそれどころではなく、雷鳴や揺れ、機体が軋む音や警報音に完全にパニックに陥っており、他人や周囲の状況を機にかけている余裕などなかった。がたがたと揺れる座席、天井から垂れ下がりぶつかってくる酸素マスク、辺りから聞こえてくる悲鳴や祈る声、中には効くのかどうかも怪しい念仏まで唱えるものまでいた。
慎二もまた、その一人。まさか自分の身に起こるとも思ってもみなかった原因不明の事故に、大好きなライトノベルを取り落として、座席で頭を抱えて震えることしかできなかった。巌を笑うことなどできない、全く同じ心境であった。
赤子のように小さく丸まり、恐怖で涙をにじませながら耐え続けていた慎二。
そしてふと、気が付いた時には―――。
「……この世界にいた、と。やっぱり俺と全く同じだな」
「…………」
慎二にはもう、返事をする余裕もなかった。
あまりの衝撃に記憶が混濁していたのか、もしくはあまりにも一瞬のことであったために脳が現実と認識していなかったのか。慎二はその時の光景を夢のように感じていて、実感を持っていなかった。
しかし巌の言葉でその時の記憶が鮮明によみがえり、再び恐怖感がよみがえってきてしまっていた。
周りの乗客の悲鳴、震えが止まらない体、あちこちから聞こえてくる機体が悲鳴を上げる音、轟き渡る窓の外の超異常現象。そのとき彼は、確かに目前に『死』を感じていた。
「悪ぃ、いやなもん思い出させせちまったな」
カタカタと震えている慎二の肩を抱き、悲痛そうに顔をゆがめる巌。
しばらく青い顔でうつむいていた慎二は、やがてゆっくりと顔を上げて巌の顔を覗き込んだ。
「……じゃあ、やっぱり本当に近藤先生……?」
「なんだ、疑ってたのかよ。ま、こんなおっさんになっちまったんじゃ、仕方がないとは思うけどな」
「じゃあなんで、先生、そんなに年を取っちまってるんだ?」
「ああ……俺は、こっちでいうところの今から三十年前にまぎれこんだからよ」
「三十年……⁉︎」
想像を超えた時間の流れの違いに、慎二は目を見張る。たった数時間しかこの世界の記憶がない慎二には、ただ一人孤独に生きてきた巌の感情は理解できなかった。想像するだけで、気が滅入りそうな話であった。
対して漂流したばかりのころを思い出しているのか、遠い目をした巌は自嘲じみた笑みを浮かべていた。
「俺が気が付いた時にいたのは、荒野でな。草一つ生えてねぇ荒れ果てたところで、餓死して死ぬところだった。……そんなときだった。あの人に出会ったのは」
「……あの人?」
「お前を、わざわざ迎えに行ってくれた人だよ」
慎二は自分をギルドへ連れて行った眼帯の女性アザミのことを思い出し、若干不快げに眉を寄せた。今思い出しても、あの態度は気に入らない。完全に慎二のことを邪魔なお荷物程度にしか考えてないことがまるわかりであった。いくら美女でも気に入らないタイプの登場人物だと、そう思っていた。
そんな考えを読み取ったのか、巌は厳しい表情で慎二をにらみつけ、ため息をついて腕を組んだ。
「そんな顔をするなよ。確かにあの人は口も悪いし、優しくもねぇ。だが、俺たち漂流者を保護して町まで連れてきてくれる奴は、あの人以外にいなかったんだ。感謝こそすれ、文句を言っちゃいけねぇ。……少なくとも俺ぁ、あの人が俺を見つけてくれた時、嬉しかった」
巌にとっても、その時の光景は今でも夢に見ることがある。
異常な現象を前に死を覚悟し、助かったかと思えば今度はだだっ広い黄土色の世界に置き去りにされて。見知らぬ場所、何もない荒野、乾いた空気、そんな最悪の状況で抗う間もなくに死にそうになった時、目の前に現れた眼帯の魔女は面倒くさがりながらも手を貸してくれた。
誰もいない地獄で、誰にも知られることなく、だれにも看取られることなく、たった一人孤独なまま土に還りそうだったところを、救い上げられた。
「……今の俺があるのは、あの人のおかげだ。あの人を悪く言うやつは、同郷のものだって許さねぇ」
「……っ」
そうつぶやくと同時に、巌の全身から背筋が冷えるほどの殺気がにじみ出る。普通の体育教師だったはずなのに、何度も死地を経験した本物の騎士の気迫を背負って、担任教師は教え子をにらみつけていた。
その気迫に押され、慎二は不機嫌な顔を引っ込めて目をそらし、うつむきながら何度も盾に首を振った。
巌は慎二が理解したことを察し、殺気を引っ込めて椅子の背もたれにもたれかかる。
ややあって、落ち着いた慎二が巌の耳元に口を寄せた。
「……ていうか、あの人何者なんですか? なんだってそんな気にかけてくれるんですか?」
「ああ、それはな……」
訝しげな表情で尋ねてくる慎二に、巌はやたら意味深な笑みを浮かべた。慎二は真剣な表情で巌を見つめ、くいくいと手招きする方に体を寄せる。
何か重大な秘密を知っている、そんな雰囲気を漂わせていた巌の答えは。
「俺も知らん」
そんなものだった。
◇ ◆ ◇
「師匠、コンドウ副団長の依頼はもう受けないの?」
ギルドを後にしたアザミに、その後を追いかけるシオンが不思議そうに尋ねる。
背の高いアザミの一歩は大きく、比較的小柄なシオンは少し早足で進まなければならなかった。
「……本人がもういいって言ってたもの。金にならないならもう受けるつもりなんてないわ」
「でも師匠、もう他に漂流者の捜索なんて依頼を出す人がいる? それに、師匠が一番漂流者の事を気にかけてる」
「…………」
純粋な疑問を口にしたシオンだったが、無言になったアザミに首をかしげる。
何か気に障ることでも言っただろうか。漂流者に関する話題になるとよく口を閉ざしてしまうために、彼女の意志が全く予想がつかない。
漂流者の間にどんな因縁があるのか、眼帯の魔女は貝のように口を閉ざしたままだった。
「……それよりもあんたは、自分のことを考えなさい。筆記は問題なかったけど、私が心配しているのは実技。あんたのメンタルの弱さは私が一番知ってるんだからね」
「師匠は心配性。私が落ちるはずがない」
露骨な話題の替え方であったが、ジト目で見下ろしてくるアザミについついシオンは強気に返してしまう。教え子がちゃんと立派になるか師はいつも心配するものだが、教え子は教え子でその気遣いを重荷に感じてしまうものなのだ。親の心子知らずとはよく言うが、この心も親は知らない。
しかし、この場合アザミが抱く懸念も当然のものであった。
「……筆記試験前に眠れなくなって、結局寝不足のままフラフラ会場に向かっていったのは誰だった?」
「うっ」
「……緊張でさんざん腹を下して、胃の中のもの全部空にして肉体的にもぼろくそになってたのは?」
「ふぐ」
「……試験が終わったあとも不安になって、一晩中眠れなくなってたのは」
「師匠、もう勘弁して……」
いろいろとボロボロになったシオンが、それ以上の追撃を避けるために手を合わせて深々と頭を下げる。
へにゃりと垂れ下がった耳と尻尾を見下ろし、アザミは深いため息をついた。同じ会話を、つい数日前にもやったばかりなのに、と弟子の精神的な弱さを嘆く。
「……いい? 前にも言ったけど、あんたの弱点はその神経質なところよ。あんたはあんたのやれること、その時の精一杯出せばいいの。終わった後でぐちぐち考えるのはやめなさい」
しょんぼりと、自信なさげに立ち尽くしているシオンの前に歩み寄ると、うつむき気味なその顔を両手で挟み、自分と視線を合わせる。
不安げに揺れる瞳に自分の姿が映りこむ。シオンはただされるがままになりながら、目をそらすことなく耳を傾ける。
「……あんたはこの私の弟子よ。胸を張りなさい」
「……ん」
叱るわけではない、ただ事実を淡々と告げるように紡がれた彼女なりの励ましに、シオンはややあってから頷いた。
そんなことはわかりきったことである、とシオンは思う。ほかの誰でもない、眼帯の魔女アザミの弟子であると胸を張って言えるからこそ、自分は自信を持てるのだ。我が師ほどの魔法の使い手は存在しないと確信しているからこそ、その人から秘術を授かった自分は十分な実力がある。
根拠のない地震などでは、ないのだ。
「……さ、行くわよ」
「ん」
そんなシオンの内心を知ってか知らずか、アザミはそれで会話を打ち切り、試験会場にさっさと向かっていってしまう。
そっけないというか、やや無関心気味なのではないかとはたから見れば思われるかもしれないが、シオンにとってはそれが師から自分に対する信頼であると勝手に思っていた。
「大丈夫、師匠の顔に泥を塗ったりなんかしない」
シオンなりの誓い、あるいは目標を改めて口にし、魔術師になるための登竜門たる試験会場『ラルフィント国立魔道学校』へと向かうのだった。
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