20:囚われた魔女
じっとりとした暗い石造りの空間、城の地下深くに設立された牢獄にアザミはいた。椅子も寝床もない、畳二畳分ほどしかない狭い空間は、国で罪を犯した罪人の中でも特に重罪を侵したものを収監するための場所だった。
うんざりした様子でアザミが視線を下に向ければ、じゃらりと両腕を戒めるゴツイ鎖が音を鳴らす。一つ一つが親指並みの太さを持つ金属の輪が連なった手枷はあまりに硬く、そう簡単には破壊することは叶いそうもなかった。
「しばらくここで大人しくしていやがれ、魔女め!」
牢の外で同じく分厚く頑丈な木製の格子戸に手をかけ、アザミを牢まで連行した兵士は憎々しげに彼女を睨みつける。
トモナガへの襲撃の報を聞き、急いで現場へ駆けつけてみれば下手人はすでに逃げ去った後。敬愛するオウを狙われたことで怒りを燃やしていた彼が、早速下手人を追おうと思っていたところ、上官に言い渡されていたのは下手人に手を貸したとされる魔女の護送だった。
やや不満はあったものの、慮外者に与した者ならば逃がす道理はないと、兵士は独善的な正義感を抱きながら任務を承った。
「まったく……有名な女だって言うから信用してたってのに、まさか人を使って俺達の王の命を狙うなんてな。てめぇには今後、地獄の拷問も生ぬるいくらいの仕打ちが待ってるから覚悟しやがれ‼」
格子戸の外からそう怒鳴りつけるが、アザミの表情に微塵も変化はない。一国の王の暗殺に協力した容疑がかかっているにもかかわらず、まるで無関係だとでも言いたげに視線を合わそうともしない。気だるげに、どこかくつろいだ様子で腰を下ろす太々しい態度は、嫌が応もなく敵愾心を抱かせた。
杖を取り上げられ、両腕を拘束された魔女はさほど気にしていないような無表情で佇んでいる魔女に、兵士は苛立ったように顔をしかめるが、やがて鼻息荒く視線を逸らすとその場を離れていった。。
「……どうしたもんかしらねぇ」
誰もいなくなった狭く湿気に満ちた空間で、アザミは面倒くさそうに天井を仰ぐ。
やや巻き込まれた気がしないわけではないが、客観的に見てみれば自分があの娘が会場に潜り込むことに手を貸したことは確かな事実。意図があったわけではなくとも、責められる謂れは確かにあった。
それはそれとしてあの生意気な兵士にはあと痛い目を見せることは確定しているが、今後一体どう動くべきか頭を悩ませる。
「アザミ様……」
すると、牢の外から声が聞こえてくる。
聞き覚えのある声にアザミは横目を向け、格子の隙間から目を覗かせている一人の女をじろりと見やる。あまり目立った記憶はないが、トモナガのそばによく付き従っていた人物だとすぐにきづいた。
訪れた女、トモエは申し訳なさそうに眉を顰めながら、気だるげに頬杖をつくアザミに頭を下げた。
「申し訳ありません、アザミ様。あなたに非がないことはわかっていますが、一応筋は通しておかないと……」
「……わかってるわかってる。狼藉者に推薦状書いておいてお咎めなしなんて、虫が良すぎるものね」
自分に全面的に非があるような態度で腰を低くするトモエに、アザミは居心地悪そうに視線を逸らす。
完全な冤罪や巻き込まれただけならその謝罪を受け入れるところであるが、今回に限っては自分にも非がある。今のトモエのように全力で頭を下げられては、逆に申し訳なさが沸き上がって来た。
主のために職務を全うしようとする軍師から必死に視線を外しながら、アザミは片膝を立ててだらけた体勢になる。謝罪の言葉はほどほどに、少し長話をする必要があった。
「……でもこれからどうしたもんかしらねぇ。馬鹿弟子は無事だし、被害者のあの子も一応は保護してもらったけど、肝心の妖刀もセツナもどこか行っちゃったし……私は動けないし」
「もとはといえば、我が主があなたに無理を言ったのが元凶です。あまりご自分を責めるのは……」
「……いや、別に落ち込んでないんだけどね」
依頼がうまく遂行できなかったことを悔やんでいると思ったのか、トモエは遠くを見つめるアザミを見て勝手に同情してくる。
件の妖刀に執着していたのは確かだが、トモナガの依頼としてはあまり重要視していなかったとは言いづらいアザミは、誤魔化すように小さくつぶやいて頬を引きつらせる。辻斬りが捕まろうとどうでもよく、あの刀さえ破壊できればそれでよかったのだ。
物憂げに悩むような表情でうつむいているトモエを見やったアザミは、やがて深いため息をついて払いのけるように手を振った。
「……仕方がないわ。あんたはもう自分の仕事に戻りなさい。あの男への文句は、全部片付いてから存分に言わせてもらうわ」
「は、はい。…本当に、申し訳ありませんでした」
それ以上は効かない、というようなアザミの態度に、トモエはやや戸惑いながらももう一度頭を下げ、腰を上げるとその場を後にする。
トモエの気配が遠く離れていったことを確認すると、アザミはじゃらじゃらと自分の手枷を見下ろしてまたため息をつく。
仕事の完了に対してそれほど執着はない。その日の気分によって依頼の戦果が変動することは多々あるし、その日の天気や環境の変化も影響を及ぼすことだってある。それによっていちいち結果を気にしているぐらいならば、失敗も覚悟の内にそれなりに努めればいいだけのこと。
しかし、追い続けていた獲物の一つを取り逃がしたことはアザミにとっても恥であり、自分の失敗によって現在それを追いかける事が出来ない状況というのは、煩わしくて仕方がなかった。
「……本当に面倒くさい状況になっちゃったわねぇ」
重いため息がどうしてもこぼれてしまうが、アザミに出来得ることは現状、何一つないのだった。
「ただ今戻りました」
ヤマトの城の天守最上階、国主が住まいとして利用している一室を訪れたトモエは、襖を開けて中にいる主のもとへ寄っていく。
障子戸のへりに腰かけ、センスで自分を青いでくつろいでいたトモナガは、トモエを一瞥することなく口を開いた。
「ご苦労。で? あいつはどうしてた?」
「気にしていないとおっしゃっていましたが……傍から見ても苛立っているご様子でした。貴方も多少は覚悟をお決めになった方がよろしいかと」
トモエの報告に、トモナガは半ば予想していたようにフンと鼻で笑った。
魔女を怒らせてただで済んだものはいない。特に異世界漂流者であればなおさら、この世界の均衡を乱す存在として容赦なく粛清してみせるだろう。
しかしトモナガは、自分が牢に押し込んだ魔女がそんな大それたことをやらないことをわかって放置している。一国の王が死ねばどれだけの影響があるか、それを理解しているからというのもあるが、魔女の粛清対象の基準に自分が達していないことを知っていたからだ。
「……トモナガ様」
一人暢気に時間をつぶすトモナガに、トモエは呆れを抱きながらも不安気に眉間にしわを寄せた。
本人が全くと言っていいほど気にした様子がないのでつい気が抜けてしまいそうになるが、自分の主はつい先ほど命を狙われたばかりである。いつまた襲撃があるかもわからないのに、大した武装もしないまま自室でくつろいでいる姿は、トモエの頭を悩ませていた。
そして何より現在の城の中で、いやもはや国中で、聞き流すわけにはいかない話が蔓延しているのだから、トモナガのように落ち着いている場合ではなかった。
「あの娘が言っていたことですが……」
「あ? ああ…、おれがあいつを殺したとかいう戯言か」
何という事はないというように返された言葉に、トモエはハッと目を見開き目を逸らす。
トモエとて友長らとともに戦乱の世を生き延び、建国の一役を担った英雄の一人。トモナガを最後まで支え続けた彼の忠臣については昨日のことに思い出せ、彼と今ここにいる主の関係の深さについては誰よりもわかっているつもりだった。
ありえない。自分たちの王が彼の方を裏切り見殺しにしたなど。長年互いに背中を預け合い、いくつもの視線を潜り抜けた戦友を、この男が手にかけたなど、天地がひっくり返っても考えられない。
だが、国内の全ての人間がそう信じられているわけではなかった。
「一体どう話が伝わればそういう事になるのだろうなぁ。アイツの最期に関しちゃぁ、国の連中は誰でも知っているように語って聞かせたはずなんだが……そういえば田舎の出身だと言っていたか。道理で話がかみ合わんわけだ」
件の襲撃者、セツナがモリヨシの娘だったことなど、国中の誰も知りはしなかった。そもそも彼の英雄に娘がいたことなど、誰一人として話題にあげたりなどしてこなかったのだ。
そんな彼女がいつ、父親がヤマト国の王の臣下だったことを知り、そして裏切られたのだと聞いたのか。情報があまりに少なすぎるために、考えても考えても答えを見つけ出せそうになかった。
険しい表情で思い悩むと燃えに、トモナガは視線を外したまま冷淡な声を放った。
「……俺の言葉が信用できなくなったか?」
「い、いえ……そのようなことは」
「隠すな。お前は敵に対しちゃいつでも冷静沈着を装えるが、身内に向かうととんと隠し事が下手になるな」
考えを見透かされた気分で目を逸らすトモエに、トモナガはフンと鼻で笑う。
規律に厳しい、というか真面目が過ぎるトモエは、敵対する者に対しては容赦なく策を講じて排除することを厭わないが、身内に対しては情が働いて冷酷な判断がうまく下せなくなる。味方を疑うことを何よりも嫌う彼女にとっては、自分の主が同じだけ敬愛する戦友を謀殺したという情報は、あまりに衝撃が大きすぎたようだ。
「兵どもの中に、あの娘の言ったことを鵜呑みにしている奴がいるのだろう? 目に見えて動揺していやがったからな……これでも一国の王として恥じぬ生き方をしてきたつもりだったが、悲しい話だ、まったく」
口ではそんなことを言いながら、トモナガの表情に全く堪えた様子はない。もともと魔王と呼ばれる様な性格で国を興してきたのが自分であり、多少の悪評があったところで早々追い詰められるような軟な精神は持ちあわせていない。
これまでついてきた配下が疑いを持ち始めたということは、端からトモナガに対して反感を抱いていた連中が浮き彫りになってきただけのこと。恐怖政治というわけでもないが、この程度で揺らぐ忠誠心ならばむしろ必要ないと割り切っていた。
「……俺の名は、あいつの名に支えられてきた面が大きいことは事実だ。俺とあいつじゃ、比べるのも馬鹿らしい信用の差があるからなぁ……あいつの死に俺が関わっていたと聞かされりゃ、疑っちまうのも仕方がねぇって話だ」
異世界漂流者として流れ着いてきた自分が、もともと周囲の人間に慕われていたモリヨシよりも信頼性で劣ることもわかりきっている。民が最も王に臨んでいたのがトモナガではなくモリヨシだったというのも、あの戦場にいたものならば誰もが知っている事実である。
しかし今は、トモナガがこの国の王である。モリヨシはトモナガに王として民を導くことを託し、一人敵軍を食い止めるために立ち塞がり命を散らせた。それが揺るがぬ事実であり、この国に刻まれた歴史の一片である。
それが、たかが小娘一人の戯れ言で揺らぐなど、あってはいけない事であった。
「だが…それはそれ、これはこれだ」
パチン、と扇子をたたみ、トモナガはぎろりと虚空を睨みつける。途端に膨れ上がるトモナガの気迫に、傍に控えていたトモエは思わずびくりと肩を震わせ、冷や汗を流した。
何処かでトモナガへの憎悪の刃を研ぎ澄まし、身を潜めているセツナ。彼女に不要な情報を与え、唆した何者かがいることを確信し、トモナガはごうごうと憤怒の炎を胸の内で燃やす。
今まさに面倒な混乱が起き、それにトモエが頭を悩まされているのは、そしてトモナガが謂れのない罪で声なき責めに苛まれているのも、全てはその元凶のせいであると、沸々と怒りを燃やしていた。
「あいつの娘だろうが、どこのどいつの差し金だろうが、数十年の年月をかけて築き上げたこの縄張りを汚すことは許さねぇ……俺がこの手でケリをつけてくれる」
眉間にしわを寄せ、まさに魔王の風格を醸し出しながら唸り声を上げるトモナガ。トモエはごくりと息をのみながら、主が思っていたよりも深刻に事態を考えていたことに安堵する。
理由はどうであれ、件の辻斬りの正体であった妖刀とセツナは同じ場所にいることは確かであり、セツナを待っているのであればいずれどちらの事件も解決することができる。いまだ疑念が消えていないことは気がかりだが、これまで信じて付き従ってきた主を疑うなど言語道断だと、首を振って表情を改めた。
すると、ふとトモナガの視線が、部屋の窓の片隅にいつの間にか紛れ込んでいた、一匹の小さな黒い蛇に向けられた。
「そういうわけだ。……あの小娘の件は俺に任せてもらうぜ、魔女殿」
未だに引かない殺気を纏いながら、にやりとトモナガに不敵な笑みを向けらえた黒い蛇は、どこか呆れた様子を見せて目を細める。
黒い蛇はため息をつくように顔を下げると、トモナガの呟きに気づいたトモエが目を向ける前に、現れた時と同じように忽然と姿を消した。あとに残っていたのは、ちょうど蛇がとぐろを巻いていた場所で揺らぐ、夕日に照らされてできたうっすらとした影だった。
◇ ◆ ◇
「……あいつ、本当は自分でも暴れたいだけなんじゃないかしら」
影から出した自分の分身にトモナガの様子を覗かせていたアザミは、目を細めながら思わず呟く。
自分自身が動くことは叶わないものの、杖を奪われた程度で魔術が使えなくなるわけではなく、アザミは自力で情報収集を試みようとあちこちに分身を放っていた。
おそらく最後には国主のもとに情報が集まることだろうと待機させてみれば、トモナガはまるでわかっていたようにアザミの分身に目を向け、意味深な言葉を残して口を閉ざした。
自分をこうして拘束しておきながら、あえて挑発するという矛盾に思わずアザミの眉間にはしわが寄っていた。
「……さてさて、一体あの馬鹿はどこの誰に唆されたのやら。ついでにそいつは何を目的にしているのやら……自由に動けないのは結構煩わしいわねぇ」
深いため息をつき、アザミは天井を仰いで目を閉じると、今後の行動指針を考える。今後国を出ても自由に動くためには、暗殺未遂事件の関係者という汚名をそそがなければならないのだから、少しばかり手間をかけなければなるまい。
できるだけ面倒ごとや厄介事とは無縁で生きたいと思っているのに、それがうまくいかないことに苦悩するアザミだった。
「師匠……」
そこへ、聞きなれた声が届いてはたと目を開く。毎日聞いている、しかし今この場では決して聞こえてはならないはずの声に、アザミは気だるげに目を伏せながらゆっくりと視線を向けた。
果たして、牢の格子の間から顔をのぞかせているのは、会場から連れ出されてから顔を合わせていなかった自分の弟子だった。不安げな表情を見せるシオンは、暗く狭い空間で拘束されている師に申し訳なさそうに目を潤ませていた。
「……シオン?」
「ん。助けに来た。早くここを出てセツナを探しに行こう」
「……あんたって子は」
事件関係者と認識されている自分の弟子と知られれば己も捕まるかもしれないのに、自ら危険を冒して救出に赴いたと答える弟子に、アザミは思わず顔を手で覆う。
兵士に悟られることなくここまでたどり着いた手腕は褒めてやってもよかったが、たった一人でそれを実行した無謀さには呆れるほかにない。もしこれが罠であれば、師弟ともども仲良く牢に放り込まれる可能性だってあったのだ。
しかしアザミは、そうならないことを確信していた。それ故に、鍵を解除しようと奮闘するシオンの手に触れ、そっと錠から離させた。
「……残念だけど、私はまだここから出るわけにはいかないわ。国主暗殺の容疑をかけられたまま逃亡したんじゃ、指名手配されて動きづらくなるもの」
「でも、ここにいてもひどい目に遭わされるって……師匠に無理を言ったのは私だから、私がなんとかしなきゃ」
「……セツナのことは、考えが及ばなかった私にも責任があるわ。あんたは自分が逃げることに専念しなさい」
アザミが有無を言わさぬ口調でそう告げると、シオンは心底申し訳なさそうに目を伏せ、ぺたんと両耳を寝かせる。
まさか友達になれたと思った娘が国主の命を狙うなど、シオンのようなお人好しでなくとも考えなかっただろう。その娘が起こした事件に、自分のワガママが関わっていたとなればなおさら予想は難しいことである。
それでも暗い表情をやめないシオンを見てアザミはしばらく考え込むと、やがてため息をついて頬杖をついた。
「……そうね。じゃあちょっとだけあんたにも責任の一端を負ってもらおうかしら」
アザミの呟きが耳に届き、シオンはハッと目を見開いて居住いを正す。
師がこんな目に遭わされている責任を取るためならば、愚かで鈍臭い馬鹿弟子という汚名を返上するためならば、囮だろうが殿だろうがどんな過酷な要件だってこなしてみせる、とそんな硬い意志が目に表れていた。
アザミは無駄にやる気に満ち溢れているシオンをじとりと見下ろし、鼻息荒い彼女に耳に口を寄せて小さく告げた。
「……シオン、あんたにちょっと頼みたい事があるのよ。それは―――」
「…………え?」
アザミに告げられた頼みの内容に、シオンは思わず先ほどまでの真面目な表情を崩し、口を半開きにした間抜けな顔を晒していた。




