13:舞台に渦巻く悪意
「……なんともまぁ、格好がつかないわね」
アザミはそう呟き、目の前で項垂れている黒犬の剣士を呆れたように見下ろした。いつも以上に冷めた視線がもはや諦観の域に達しているようで、向けられている方としてはたまったものではないようだった。
椅子に腰を下ろして頭を抱えているセツナは、しばらくすると顔を上げて舞台の方へ羨ましげな視線を送る。
本来であれば、セツナはすでにあの場所へと向かっていなければおかしいのだが、大会の進行状況の都合により、待ちぼうけをくらっていたのだった。
「某の出番が一日遠のいていたことを忘れていたでござるよ……」
「……あの暑苦しい脳筋二人が引き分けになったせいで、あんただけ準々決勝を勝ち抜けることになっちゃったんだから仕方がないじゃないの」
「優勝に近づけることを喜ぶべきか、強者と戦えぬことを嘆くべきか……」
セツナが出場した第一試合、その次に執り行われた第二試合で激突したアラヤとカルラ、この二人が相討ちにより両者とも勝ち抜く事が出来なかったのである。
当然準々決勝でぶつかるはずだったセツナとの試合はなくなり、セツナのみが準決勝へと進むこととなってしまった。シオンのように優勝者に贈られる賞金を目当てにしていたわけではなく、己の実力を示すことで士官先を探していたセツナにしてみれば、実に不名誉な結末といえよう。
加えて言えば、試合に出場できず、強者と戦うことのできない暇を持て余すという行為自体が、セツナにとっては苦痛となっているようであった。
「アザミ殿は……シオン殿の応援に向かわなくてもよろしいのか?」
「……私、この大会が始まって一度も応援なんて行ってないわよ」
「………貴殿、ほんとに師なのでござるか?」
セツナが舞台袖でのんびりやっているアザミに尋ねてみれば、返ってくるのはやや冷たい言葉。
徐々に強くなっていく対戦相手を前に緊張している弟子に対してもう少し優しくしてやる気はないのか、と思わずセツナは呆れた視線を送るが、アザミはまるで気にした様子もなく佇んでいる。
よその師弟の教育方針に口を挟むなとか、何かしらの反論を覚悟していたセツナは肩透かしを食らってしまい、困り顔で頭をかくほかになかった。
微妙な緊張が入ってしまった空気をどうしたものかと悩むセツナに対し、アザミはややあってから深いため息をついてじろりと横目を向けた。
「……心配しなくても、あの子なら私が何も言わなくても絶好調で向かっていったわよ。……私のストールを持って行ったからね」
「お、おう……そうでござったか」
アザミの言葉に、セツナは何やら不穏なものを聞いた気がしたが、あえて気にしないようにして無理やり笑みを浮かべる。
ストールを一体どうするつもりなのだろう、とシオンの性癖を知らないセツナは気にして問いただしたら後悔する、というような予感を覚えてすぐさまその会話を打ち切った。
何かと謎の多い師弟ではあるが、あえて藪をつつくような愚は起こさないに越したことはなかった。
「いやしかしまぁ……アザミ殿とシオン殿の関係は時々羨ましくなるでござるな。某は特定のだれかに師事したことはあまりないゆえ」
「……独学ってこと?」
「一時…一時だけ剣を習ったことはあり申す。しかし基礎中の基礎だった上、それほど長い時間ではなかったのでござる」
どうにか違う話題を持ち出したセツナは、意外にも興味を示してくれたことで気分をよくしたのか、なつかしそうに微笑みを浮かべて語り始めた。
アザミもセツナの実力の高さは認めているようで、その根源たる修業時代、特に基礎を築いた頃について興味をひかれたようだ。山賊相手にみじんも引かず、ほぼ単独で数人を圧倒できる剣術など、そんじょそこらの並の剣士では鍛えられまい、そう考えたのだ。
案の定、セツナも剣を指南してもらった相手については特別な想いを抱いているようで、ホコリに満ちたその表情はいつも以上に輝いて見えた。
「……されどその僅かな時間こそ、某が剣の道を進むきっかけになったのは確か。そういう点で言えば、その方が某の師と言っても過言ではありますまい」
山賊たちを相手にした時以来、一度も抜いていない剣を握りしめ、セツナはその師に思いを馳せるように目を閉じる。
アザミはその横顔をじっと見つめながら、少しばかり考える。化け物並みの力を見せつけたセツナの根本にあるというその師が、一体何者であったのか。
剣を習ったのはわずかな期間だったということは、少なくともセツナの故郷の人間などそこまで深い関係ではなかったのだろう。旅の武芸者か、あるいは世俗を疎い都を離れた浪人か。どれだけのことを教えたかまでは分からないため、その師がどれだけの強さを持っていたかまでは測れないが、セツナの目の輝きから察するに相当能力は高かったとみえた。
しばらくするとセツナはハッと我に返り、刀を携えて立ち上がり歩き出した。
「邪魔をして申し訳なかったでござる。某は出番までしばし鍛錬を続けていますゆえ、また後ほど……」
「……そう、じゃあね」
アザミは珍しく、舞台袖からどこかへと去っていくセツナの背を見送り、声までかける。シオンが見ていたら目を剥いたであろう行為を、アザミは比較的熱心に行っていた。
相変わらず何を考えているのかよくわからない冷淡な眼差しであったが、見えなくなっていくセツナの背中を見つめるその瞳は、何かしらの興味を抱いているように見えた。
「……さて、いい加減もう少し本気を出さなきゃね」
ふっ、と唐突に鼻で笑ったアザミは、そうつぶやくと袖口を広げ、他の者に見えないように小さな蛇をぼとぼとと落としていく。
自分の目であり耳である分身を今度は前回の何倍にも増やし、勝ち残ってきた出場者やその関係者、あるいは接触している存在の近くへと貼りつかせるのだった。
◇ ◆ ◇
その一室では、ある人影が荒い呼吸をくり返していた。
壁に手をつき、脂汗を顔の全面から噴き出させているその顔色は誰がどう見ても悪く、心配よりも先に怯えを抱かせるような状態に陥ってしまっている。歯を食いしばり、必死に何かを耐え続けているような表情もそれに拍車をかけ、もしこの場に誰かが顔を出したのならば悲鳴をこぼしてしまうことだろう。
そんな近寄りがたい雰囲気を発しているその人物のもとに、耳障りな喜色の悪い笑い声が届いた。
「何の用だ……‼」
全身をぐっしょりと濡らす汗を乱暴にぬぐいながら、その者は床に座り込んで虚空を睨みつけて告げる。襲い来る苦痛による苛立ちで歪んでいた形相はますます険しくなり、悪鬼と見間違わんばかりの迫力を醸し出し始めた。
部屋にはその人物以外誰もいないように見えるのに、明らかに特定の誰かに対して話しかけるという奇行に走っている男に対して、声はさもおかしそうに喉を鳴らした。
「おやおや……こっちは旦那のことを心配してきたってのに、そりゃああんまりな反応じゃありやせんか?」
「黙れ…‼ こんな場所にまで潜り込みおって……俺とお前の関係が明らかになったら困るのはわかっているだろうが…‼ ただでさえお前は奴に狙われているんだ……不用意な行動は起こすな……‼」
「こいつは手厳しい……クヒヒヒヒヒ」
尊大な口調ながら、その者は明らかに焦りを抱いているようだった。それを声に対して晒すのがこれ以上ない屈辱のようで、必死に己が各上であることを示すように取り繕っている。
声の主はそんな相手の内心を理解しているようで、気づかないふりで顧客の機嫌を取りつつも、声の端々に嘲笑うような響きを含ませていた。その者からしてみれば雇い主と雇われ、己が上位の位置にあるという関係性だが、実際には声の方が事態の綱を握っていることはまるわかりであった。
もっとも、今のこの二人を見ている者は、ある魔女を含めて誰一人として存在しないのだが。
「だがあんたもできるだけ気をつけるこったね……魔女がいつあんたの本性に気づくか分かったもんじゃない。それなりの覚悟をしておいたほうがいいですぜ」
「……! 余計な…お世話だ…!」
口の中に湧き出す唾を飲み込みのどの渇きを無理矢理癒し、その者はよたよたと頼りなく立ち上がる。
携えた剣を確かめるように持ち上げ、その重さに満足するように頷き、にやりと不穏な笑みを浮かべる。歪んでいた表情はいまだ治まる気配はなく、浮かべた笑みと相まってさらに凶暴な迫力を醸し出していたが、その者が自分の状態に気づくまでには時間がかかっていた。
「もうこいつには十分慣れてきた………次に会った時はあのすまし顔、ぐちゃぐちゃに切り刻んでくれる…!」
脳裏に浮かぶのは、夜明け前の闇の中で会った魔女の顔。
退屈していた時に現れた、しかもそれ相応の難度を持った知名度の高い獲物。狩れば自分の生まれた時から疼く欲求は満たされ、仕留めて晒せば自分の名を一気に広めるいい起爆剤になるであろう、めったに出会えないような上質の存在。
この国にはまだほかにも狩りたい獲物は多々あるものの、警備が厳重であったり向こうの実力が高すぎたりと、手の届かない位置にばかりいて歯噛みしていたが、あの魔女は違う。
やろうと思えばいつでもやれる。しかし自分が用意できる準備を万全に整え、来るべき時を待って己の中の欲求が最高潮になった瞬間で狩るというのもなかなか通ではないかと、その者はぬらりと唇をなめた。
そんな顧客の異常性に対し、声はさしたる態度の変化も見せず、むしろいつも通りのような薄い反応しか見せなかった。
「まぁ、あんたの望んだ獲物だ。たかが売人のあっしがとやかく口を挟む必要もありやせん……せいぜい自由気ままに暴れてくださいな、キヒヒヒ!」
声もまた、顧客と同等かそれ以上の異常性を持った存在。顧客に対しては多額の金と引きかえに、自分のところの商品を試してくれる都合のいい道具、あるいは人形のような認識でしかない。
あくまでも表で走盾に、内心では見下しながら、事態が自分の狙っていた砲へと転がっていくことを待ち望んでいた。
その時、黒く暗い思惑が渦巻くその一室に割り込む音があった。
「…あっれー? 私ったら道間違えちゃったかなー?」
顧客と声のいるその一室に近づいてくる、コツコツとあわただしく聞こえてくる甲高い靴音。落ち着きのない、若い娘の気楽そうな声に、その部屋にいた者は一瞬で静まり返る。
部屋に充満していた嫌な気配が一瞬のうちに消え去っていくのを待つことなく、壁を叩いて訪問を伝えるようなこともなく、無遠慮に引き戸が引きあけられた。
「もー、この会場ってば妙に入り組みすぎて道覚えづらいのよ……って、ヤバ。変なところ出ちゃったじゃないのよ」
不機嫌そうに唇を尖らせて顔を出したのは、二回戦第七試合において双子の弟を下し勝ち上がってきた、短槍使いの鈴々。
どうやら道に迷ったようで、目についた道へ片っ端から足を踏み入れてきた結果、偶然この部屋へと迷い込んでしまったらしい。しかし当の本人は自分の方向音痴が原因だというのに、それが何か別の要因によるもののように眉を寄せ、苛立たし気に腰に手を当てていた。
勝手に知らない部屋に挨拶もなく顔を出していることへの罪悪感も、残念ながら持ちあわせてはいないようだった。
「……あれ? アンタ確か、この間の試合でものすごいことやってた……」
そこでようやく鈴々は、自分が顔を出してしまった部屋にいた先客に気が付く。
じっと見つめてくるその相手を見つめ返しながら鈴々は、ふと何を想ったのか得意げに腕を組むと、それなりに膨らんだ胸を張って小馬鹿にしたようなまなざしを送った。
部屋にいた者はただ何も言わず、機嫌を悪くした様子もなく、無表情で無粋に闖入してきた少女の方を見つめるだけであった。
「ふふ〜ん……腕に結構自信があるみたいだけど、生憎あたしの敵じゃないのよねぇ。悪いんだけど、この先私とぶつかって負けても気にしないで…………ってちょっとー?」
いずれぶつかる相手に対し、心理的に先に有意な位置に立っておこうとでも思ったのか、鈴々は聞かれてもいない勝利宣言を口にしようとする。
が、見下されている当の本人は一切の反応を示すことなく、まるで鈴々の存在が見えていないかのように無言で隣を通り過ぎ、そのまま部屋を出ていってしまった。音もなく、重力をほとんど感じさせない亡霊のように静かな足取りで去っていく相手に、高慢な態度を貫いていた鈴々も面食らってしまい、ただ見送ることしかできなかったようだった。
「何なのよあいつ……」
「姉ちゃん何やってんの?」
もっと立ち向かってくるとか、反論するとか、何かしらの反応を期待していた鈴々はすっかり気が抜けてしまい、意味が分からないと困惑するばかりであった。
そこへ、いつの間にかいなくなっていた姉を探しに来たらしい流々が顔を出し、不思議そうに部屋の外を見やってから不思議そうに鈴々に視線を戻した。
対戦が終わり、わざわざ相対する必要もなくなった双子の弟に、鈴々はおもむろににやりと意地悪気な笑みを浮かべた。
「あらあんた、何? 応援に来てくれたわけ?」
「ち、違うし! もし姉ちゃんが大負けして号泣したら慰めてやろうと思ってきただけだし!」
「はぁぁ⁉ 余計なお世話だしそんなの‼ あんたは黙ってあたしが優勝掻っ攫うところだけ見てればいいのよバーカ!」
「誰かバカだこのバ……ん?」
決着をつけたとはいえやはり馬鹿にされるのは気に入らないようで、安い鈴々の挑発に乗ってしまった流々が目を吊り上げる。が、ふと感じた違和感に少年は眉を寄せ、訝しげに姉のいた部屋の中を見渡し始めた。
突然部屋の中に視線を巡らせ始めた弟の奇行に、鈴々は意地の悪い笑みを消して不思議そうに首をかしげる。何か変な所でもあっただろうか、と自分も視線を巡らせるが、彼女には特に変わったところは見つけられなかった。
しばらくして流々は、先ほどまで部屋の主がいたところに目をやり、ずかずかと入り込んでその場所を凝視し始めた。とくに、その者がいたときの足元、影の部分を。
「……なぁ姉ちゃん。ここってさっきまで誰かいたのか?」
「え? うん。何試合目だっけ…すっごい感じで相手を打ち負かしちゃったあいつがいたよ?」
「へぇ……で、そいつだけ?」
「へ?」
正直顔もうろ覚えの鈴々が告げる適当な人物像も、男女の双子の片割れという特殊な関係性の流々には簡単に伝わる。すぐさま脳裏に浮かぶこの部屋の主の情報を整理し、同時に部屋の中に感じた違和感について鈴々に確かめてみる。
何を言っているのかわからないといった様子で眉を寄せる姉に対して、弟はどこか警戒するように険しい表情のまま、じっと姉の目を見つめ返した。
「なんかさ…………あの人とは違う匂いが混ざってる気がしたんだよね」
不穏な響きを持たせ、部屋の主がうつむいていた場所を正確に撫でる流々。
先ほどまで姉としての余裕の態度を見せていた鈴々は、真剣な様子で佇む弟の様子に不安を覚えたのか、僅かにその表情を暗くさせるのだった。




