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【初期版】創世の賢者【連載凍結】  作者: 春風駘蕩
第Ⅱ章 忠犬剣士と東の魔王
38/69

12:その守り人の名は

「……で、結局またこうなるわけね?」


 そうアザミが呆れた様子で呟いているのは、予選の後でも利用された酒場の一角。

 大会の盛り上がりによって他国からの訪問客が増えたためか、以前よりも格段に騒がしくなった店内で、アザミは運ばれた器からちびりちびりと度の強い酒を口に運ぶ。

 セツナは前回よりは多少抑えた程度の量の酒を飲み干し、しかしすぐにまた新たな注文を店員に頼んでいる。シオンはシオンで前回は頼めなかった料理を注文しており、机の上には空になった皿が山積みにされている。

 どう見ても前回の二の舞になりそうな光景であり、アザミはついつい大きなため息をこぼしていた。


「……あんた達に学習能力というものはないの?」

「先日の様な失態は起こさぬよ。気持ちよく酔える量は以前の分で学び申した。心配は無用でござる」

「ん……師匠は相変わらず心配症」

「……どうだかね」


 やや赤いセツナとシオンの顔を見て、アザミはもう突っ込むのはよそうと口を閉ざした。

 酒のにおいだけで酔い始めているシオンはもう手遅れ。セツナも自制を考えてはいるようだが以前と比べても微々たる量に届きかけているため、何を言っても無駄であると面倒さが勝ってしまったらしい。二日酔いに苛まれが、胃もたれで悶えようが、嘔吐感で苦しまされようが知ったこっちゃなかった。

 しかし二人とも、早朝には相当苦しんでいたのに自分の出番になると復活していたため、アザミは内心でその体の頑丈さに興味を抱いていた。


「……で? 二人とも学ぶことはどれだけあった?」

「想定以上の収穫でござった……故郷にこもっていては知り合えぬ未知なる強者たちとの心躍る時間、大いに満足させてもらった」

「ん。けっこう楽しかった」


 アザミが問いかけると、セツナもシオンも予選の後とは比べ物にならない表情の変化を見せる。どこか状況を軽く見ていたような浮ついた様子は鳴りを潜め、地に足がついた落ち着きや緊張感を備えていた。

 二人とも自分の試合では危なげなく勝ち進んできたが、出番を待つ間やそのあとに観戦した試合の様子から、何かと思うことがあったのだろう。


「……しかしやはり、まだ終われないでござるよ。賞金だの名誉だのよりも、某にはまだまだ目指さなければならぬ頂というものがあると……そしてそれは某が思っているよりもはるか先にあるというのが分かり申した」

「……この先で待ってる奴らは、格が違うってのが分かった。油断はしない」


 いまだ実力の底を見せ切っていない強敵たちの顔を思い浮かべているのか、二人の表情はやや張りつめて見える。周囲の客たちの喧騒が遠く聞こえるほど、その周囲の空気は温度を下げ、隔絶されているような印象を与える。

 ほかの客たちは気づいてはいないようだが、数々の修羅場を経験してきたアザミにはシオンとセツナの背後に漂う気迫のようなものがうっすらと見えていた。

 しかしアザミの表情は、こんな場所で無駄な気迫を出すなというように呆れ、迷惑そうに歪められていて、じっとりとした半目で冷たい視線を送るばかりであった。


「……ま、ほどほどにしときなさいよ」


 高い壁を前にして打ちひしがれるのではなく、さらなるやる気を出しているのなら特に文句を言うつもりもないし、そもそもが勝利にこだわっているわけでもないために適当に流す。

 基本的に怠惰な魔女にとって、武術は冒険者としての生活のために必要な事という認識でしかない。かつての魔術の研究成果、およびその副産物による収入はそれを上回っており、本音を言えばしばらくは働かなくても多少は裕福に暮らせる程度の懐事情ではある。

 ただ単に時間を無為に過ごしたくないという理由で仕事を、詳しく言えば先頭に関わる仕事に手を出している彼女は、わざわざ武の道を究める者達の考えを理解する気も、知る気もなかった。

 根本的な主義の違いに気づいているシオンは、師の呆れたような視線に自分も呆れながら、ふと視界に入ったあるものに純粋な疑問を抱いた。


「ところで師匠」

「……何?」

「ここに描かれているのは誰?」


 シオンが見つめていたのは、店の奥座敷の壁に貼られた一枚の掛け軸だった。

 かなり年月を経ているが、手入れされているらしく奇麗に保存されているそれには、甲冑を纏った熊の顔を持つ大柄な武人の姿が描かれていた。

 黒く立派な甲冑を纏った彼は傍らに大きく分厚い薙刀を備え、ぎろりと鋭い視線を見る者に向けてきている。その上に羽織っている陣羽織には翼で円を描く鶴の家紋が描かれていて、強面の威圧感を放つ彼の肖像画の中で唯一優美さを見せていた。

 シオンの質問に答えたのはアザミではなく、隣の席で盛り上がっていた酔っ払いの一人であった。


「ん? ああ…、そいつはモリヨシ様だな」

「モリヨシ?」

「モリヨシ様だ。……トモナガ様の右腕だった方だ」


 顔を真っ赤にし、少しふらつきながらも、酔っぱらいは上機嫌な様子で首をこてんと傾けるシオンに語って聞かせた。

 アザミは自分の説明をとられたことに特に気にした様子はなく、むしろ酔っ払いの話に耳を傾けるように口を閉ざした。セツナも興味があるのか、それまで休む間もなく酒を口に運んでいた手を止めて、酔っぱらいの方に少し身を乗り出した。

 美女三人から注目を浴びたことで余計に機嫌をよくした彼は、胸を張って隙に尋ねてみよといった様子で身構えた。


「どういう人だったの?」

「…トモナガ様がこの国を興すより、いや、名を上げるよりも前から支え続けた忠臣だ。虐げられる民に親身なり、身を粉にして戦って下さった義の心を持つお方だったよ」


 ひっく、としゃっくりをこぼしながら、酔っぱらいは感慨深げな様子で目を閉じる。モリヨシ本人と面識でもあったのだろうか、その表情はただの話好きの中年というだけではなく、なつかしい思い出を聞かせたがる隠居人のように見えた。

 ちらちらと感じる視線は他の客たちのもののようで、少し離れた席のものまで何を話しているのかと視線を向けてきている。

 男は気づいているのかいないのか、舞台で一人語りをする役者のように襟を正し、誇らしげに姿勢を正してもったいぶったように語り始めた。


「その巨人の如き大きな体は民を守る砦にして、蔓延る敵を粉砕する鉄槌。しかして彼の方がもたらす優しさの恵みは誰にも等しくもたらされ、そのもとには数多くの民が集う。民は彼の人の姿に、太く力強く根を張り青々と葉を茂らせる大樹の姿を見たと……そんな歌が伝わっているほど、民に愛されたお方だったよ」

「ふーん……すごい人なんだ」


 武人の国に広く伝わるにふさわしい人柄の男だったのだな、とシオンは何となく理解する。掛け軸に描かれているのは、泣く子も黙る恐ろしき猛者とでも言われそうな強面だが、実際に伝わっているのは心優しく頼もしい偉人という印象なのが、余計にシオンの興味を引いた。

 そしてそこまで語れるということは、やはりこの酔っぱらいはモリヨシ本人と面識があるらしく、逸話を語るごとに酔っぱらいの様子は誇らしげに、同時に寂しげに変わっていく。先ほどまでは酔ってふらふらだったのに、いつの間にか口調も体勢もしっかりとしてきている。

 気付けば他の客たちも興味をひかれたのか、料理を口にする手も止めて男の話に耳を傾けている。中でもセツナはキラキラと眩しいくらいに明るい表情で身を乗り出していて、尻尾がブンブンと左右に振られていた。


「よその国じゃ鬼だの魔王だのと恐れられているトモナガ様も、モリヨシ様の前ではよく笑っておられたな……思えばトモナガ様にとって、あの戦乱の世の中で唯一本音で語り合える相手はモリヨシ様だけだったのやもしれん。……本当にあの時は、惜しい方を亡くしたと思ったよ」

「あの時…?」

「トモナガ様がこの地を統べる直前……天下統一をかけて繰り広げられた大戦のすぐ前のことだ」


 それまで機嫌よく紡がれていた男の話す声が、それを機に重苦しく沈み始める。釣られたように客たちの中には悲痛な表情を浮かべる者達が現れ、酒場はちょっとしたお通夜のような沈んだ空気に陥り始めた。

 唐突に変化した空気を感じ取り、何か言いづらい事でも聞いたのかとシオンは慌て、アザミはやれやれと言った様子で視線を逸らすが、男は気にするなといった様子で手で制し、続きを語り始めた。


「敵方の間者によって関が突破され、トモナガ様の陣に軍勢が向かっているという報告が入ってな。俺達は大戦の前の準備中ということもあり、迎え撃つこともできず一時撤退を余儀なくされた。だが時はすでに遅く、敵の軍勢はすぐそこにまで迫っていた。……そこに、モリヨシ様が殿を名乗り出たんだ」


 グイッと酒の入った器をあおり、男は喉の渇きを潤す。己が憧れた人の逸話をほとんど息継ぎなしで語りきったせいであろう、男の肌には汗が浮かんでいた。

 周りの者、特に若いシオンの一回り上の世代の者たちは、自分たちが関わることのなかった大戦にまつわる話に興味津々に耳を傾けている。逆に男と同世代の者たちの表情には、何かを噛みしめるような険しいものが浮かんでいた。


「トモナガ様の制止を振り切り、足止めを買って出たモリヨシ様の働きによって陣営は大きな被害を被ることなく、軍を立て直し最後の戦の準備を整える事が出来た。……だが、モリヨシ様は戻っては来られなかった」


 ギリッ、という軋んだ音がシオンのまわりから聞こえる。

 その音を立てたのは皆、男と同じかそれより老いた客たちで、悲しみと後悔に彩られた複雑な表情を浮かべている。皆が皆苦し気に顔を歪めているのに、誰一人としてその場を後にして男の話から耳を背けようとするものは折らず、いつの間にか酒場は妙な緊張感に包まれていた。

 よく見れば彼らは皆、衣服から覗く肌に大小さまざまな傷をこしらえ、指先には歪なたこができている。体つきも鍛え上げられた逞しいものが多く、全員かなりの修羅場を潜り抜けてきた経験者だということをうかがわせた。

 彼らの過去を察し、シオンは不用意な質問を問うた自分を恥じた。


「あの方は逃げようと思えば逃げられた。俺達もあの方の命令なら、こっちが不利な状況にあっても敵につっ込んでいくぐらいの覚悟はあった。…だがあの方はそれをよしとせず、味方ができるだけ多く生き残れるように、自分と自分の部下数名を残して最後まで立派に戦われたそうだ」


 男の顔から、もう完全に酔いは消えていた。

 かつて英雄を失った時の悔恨や寂寥感でも思い出してしまったのだろう。半ば八つ当たりのようにつまみを口にしては、行儀悪く胡坐をかいて咀嚼する。それは他の客も同じことで、陰鬱な気分を変えようとするように酒を飲み干し、飲み干した器をドンと机の上に叩きつけていた。

 アザミはそんな彼らに横目を向け、僅かに目を細めてから視線を外す。多少は何かを感じているかのようだが、誤差のように本当に小さな反応で気づくものはその場にはいなかった。


「今の平穏があるのは、モリヨシ様の尽力があるからだ。だからあの戦いで生き残った俺達は、あの方をこうして祀ることで、決して忘れることなく後世に伝えることにしたのよ」


 シオンは今にも泣きそうな悲痛な表情で、偉大な男の最期を聞かせてくれた男を見つめる。

 きっとその偉人のそばで長くその姿を見続け、強い憧憬を抱き続けてきた者なのだろう。また聞きで走ることのできない本人の感情までもが伝わってくるようで、シオンは不覚にもこぼれそうになる雫をとどめるのに精いっぱいになっていた。

 騒がしかった酒場がいつの間にか静かになっていることを気にするものは、この場にはいなかった。誰もが男の話に聞き入り、それぞれが抱いた感想に浸っているようであった。


「……その人の、最後を見た人はいるの?」

「詳しいことは知らん。俺達も生き残ることに必死だったからな。……ただモリヨシ様が亡くなられたのを知ったのは、トモナガ様が戦から戻られてからだったな」

「ふーん…」


 そう言って男が酒を器に注ぐのを見て、前かがみになっていたシオンはようやく座りなおし、長く息を吐いて心を落ち着ける。

 自分が生まれるずっと前に起きた、戦争の記憶。もう想像することしかできない遥か昔の逸話。当事者からしか聞く事のできない貴重な話をどうにか記憶しようと、シオンは胸をギュッと握りしめて目を閉じる。

 ふとその時、シオンは隣で黙り込んだまま一言も発さないセツナに気づき、視線を向ける。が、その表情はすぐに困惑に歪められた。


「…セツナ? どうしたの?」

「っ……ああ、いや、なんでもござらんよ」


 シオンに問われ、セツナは慌てて取り繕うように笑みを浮かべる。

 ややぎこちない様子で手を振る友人に腑に落ちない気持ちになりながら、あまり深入りするのも失礼だとシオンはあっさり追及をやめる。自分とは異なる感想を抱いた結果、それが表情に出てしまい必死に隠そうとしたのだろう、とそんなことを考えていた。

 しかしアザミは見ていた。刹那が男の話を聞き終えて浮かべていた表情は、戦争が生み出した悲劇に向ける悲痛なものでも、勇ましく立派に散った英雄に対する追悼の念でも、ましてや偉人の残した異形に対する憧憬の念でもない。

 特定の誰かに向けられた、殺意を交えた憎悪の表情であった。


「ま、とにかくだ! 俺がこうして語ったからには、お前さん方もあの方のことを知っていてもらいたいということだ!」

「おお、よく言った‼」

「モリヨシ様万歳! ヤマトの英雄に乾杯‼」

「乾杯‼」


 酒場の空気が重くなってしまったことを気にしてか、男は酒を注いだ器を掲げて他の客たちに陽気に示す。ハッと我に返った客たちも己の持っていた酒を持ち、男の音頭にあわせるように声を上げ始める。

 店の店員がその空気を払うように声を上げ、新たに用意された美酒や料理を運んでいく。皿同士がぶつかる甲高い音や酒瓶が置かれる乱暴な音が響き渡り、そこに客たちが挙げる喧しい声が加わって一気に騒音のようになっていく。

 さっきまで漂っていた重苦しい空気もどこへやら、あっという間に元の騒がしさを取り戻していく客たちに、アザミは呆れて大きなため息をついた。


「……結局こうなるのね」

「ハハハ…では某も、乾杯‼」

「ん、乾杯」


 楽しい酒の席で陰鬱な話題などご法度だ、といわんばかりに下ネタや馬鹿なホラ話で盛り上がっていく男たちの中に、シオンとアザミも突撃するように混じっていく。もう出来上がっていたグループなど関係ない様な、大勢の人が入り混じった宴会のような状態に陥っていく酒場の中で、アザミは呆れた表情のまま酒を口に運ぶ。

 一人だけぽつんと取り残されたような、騒がしさの範囲外で一人くつろぎながら、アザミは店の外が映る窓を眺めながら、小さくつぶやいた。


「……英雄、か」


 何となくこぼれたような、何気ない呟き。

 客の誰かが特に考えることなく発したその単語を、アザミは誰にも聞こえないくらいの押し殺した声で口にする。

 しかしアザミがこぼしたそれにはどこか、吐き捨てるような乱暴さがあった。

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