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【初期版】創世の賢者【連載凍結】  作者: 春風駘蕩
第Ⅰ章 怠惰な魔女と異世界漂流者
3/69

1:世界の片隅で

 ラルフィント王国の東に位置するヴィルダム大森林の奥地に、奇妙な訪問者の姿があった。

 通称『獣の砦』とも呼ばれるこの森は、人の手が全く加わることがないために迷いやすく、その上人間では手も足も出せない危険な生物が数多く闊歩している。そのためこの森林地帯において人が足を踏み入れることは稀であり、滅多なことでは人の姿は見られないはずだった。


 奇妙と称するのは、その格好が原因の一つであった。

 年は十代半ば、まだニキビが所々に目立つほどの青年が、あんぐりと口を開いたまま目の前に広がっている光景に言葉を失っていた。

 だが、その格好はこの空間にはどう見ても不釣り合いだ。ただのシャツとズボンにシューズという心もとない格好の上、見た所荷物も道具も所持しておらず、命の危険を伴う森を歩くのには向かない姿。

 それに手足には目立った汚れも傷もない。まるで、別の場所からいきなりこの場に現れたかのような格好で、青年はへたり込んでいた。


「…………ここ、どこだ?」


 何が起こっているのか、青年―――小早川慎二自身も何一つ把握していないようで、呆然とした様子で声を漏らす。

 目を開いた時、彼にはそこがどこか、いつか、なぜ自分がここにいるのか全くわからなかった。

 右を見ても左を見ても前後を見ても、あたりに見えるのは乱雑に立ち並ぶ見たこともない種類の木々ばかり。日本の森ではないことは確かで、不安が自身の中で大きく膨らんで冷や汗を噴きださせる。

 一体自分の身に、何が起こったというのか。


「お、俺は確か……そうだ。修学旅行で、飛行機に乗ってて、ちょっとウトウトしていて……それで、えっと……?」


 途切れ途切れになっている記憶を辿りつつ、震える足に叱咤しながら、慎二はよろよろと立ち上がる。

 なんとか吐き気を抑えて歩き出してみるも、足元の凹凸の激しい自然の道に足を取られてまともに進めやしない。常に視線を下げていなければ、すぐにでも足を滑らせて転んでしまいそうだった。

 だが、そんなことも気にならないほどに、慎二の心は高揚していた。


「やっぱりそうだ…異世界召喚だ……‼︎」


 我慢できず、慎二は両腕を天に突き上げて喜びの咆哮を上げた。

 自分がいるこの状況、それはまさに自分が日々妄想し、求め続けていたシチュエーションであったからだ。


 現代日本で生を受けた慎二は、ファンタジー系のネット小説やライトノベルのような、非現実的な物語が好きで強い憧れを持っていた。

 勉強やスポーツを若干おろそかにしながら、本屋に向かいパソコンに向き合っては、魅力的な主人公やヒロインたちが冒険を繰り広げる話を読み漁ったものだ。いつしか自室の本棚には入りきらないほどのそれ関連の小説が並び、両親にも若干白い目で見られることもあった。慎二はそれに気づかないふりをしながら、それでも架空の物語に没頭していった。


 しかし慎二はそれだけにとどまらない。いつか自分が召喚された時に備え、というか妄想し、異世界において自分が活躍するための知識をかたっぱしから学び始めたのだ(ちなみに情報源は小説である)。

 はたから見れば笑うどころかドン引きするレベルの熱意と根性だが本人は大真面目で、その探求を途中で諦めることはしなかった。


 しかし、今やそれは現実のものとなった。

 もしかすれば、いやもしかしなくともここから本当に物語が始まるのかもしれない。自分が主人公の、異世界を舞台にした夢と冒険に満ちた物語が。


「そうと分かったら、まずは人里に出なくっちゃな! えっと、まずは方角を…………って、あれ?」


 早速〝前の世界〟で学んだ知識を活用しようとした慎二だったが、そこでいきなりどん詰まりに陥った。

 知識はあっても、技術など持ち合わせてはいない。本やネットで知っただけで検証もしていない知識など、なんの経験もしていない慎二では役立てることはできない。そのことに、ようやく気がついた。


「…………待て、落ち着け俺。大丈夫だ、方角がわからなくてもまっすぐ歩いてさえ行けばこんな森の外になんてすぐに出られる。そうだ、まずは川に出よう。川の近くになら人が見つかるはずだ。問題ない、大丈夫だ」


 根拠も何もない、ネットで得た知識だけで考える都合のいい展開を信じ、慎二は意気揚々と歩き出した。

 だがやはり、にわか知識だけを集めたただの素人が、自然のままの森をまともに歩けるはずもない。ろくに鍛えていない細い脚は時期に悲鳴をあげ、全身に蓄積する疲労により息が荒くなっていく。

 妄想ばかりで運動不足な青年は汗の滲む額を拭い、ブツブツと悪態をつき始めた。


「お……おかしい。こんな、こんなはずじゃ……だって俺は、主人公で……」


 しかしいくらぼやこうとも、疲労が消えるわけでも森を抜けられるわけでもない。苦しい肺を押さえながら、歩き続ける他になかった。

 そんな苦労を重ねながら、それでも胸に大きな期待を抱いて森の中をしばらく歩き続けていた時、突如前方にあった壁にぶつかり、慎二は派手にすっ転んで尻を打ち付けた。


「いってぇぇ‼︎ なんなんだよも、う……」


 みっともなく大声をあげて顔をしかめ、心の中で盛大に悪態をつきながら顔を上げる。そしてすぐにその行動を後悔した。


 目の前にあったのは壁などではない、何か黒い毛むくじゃらの塊だった。軽自動車並みの大きさの、妙に柔らかいような硬いような感触のそれが、前方を塞ぐ大岩のように鎮座している。よく見れば、膨らんだり縮んだりと呼吸をしていることに気がついた。


 不意にのっそりと動き出したその正体は、ある一匹の生物。

 深い毛に覆われた毛皮をまとい、地面に太くたくましい四肢を立てる獣。鋭い爪の生えた大きな手で、長い花と丸くつぶらな目を持つ愛嬌のある顔を拭っている、普通の人間ならまず森の中では真っ先に遭いたくないと思う最凶の生物。

 食肉目クマ科、熊であった。

 しかもただの熊ではない、独自の進化なのかその両腕は普通の熊よりも大きく、爪も包丁のように巨大であった。


(……あ、終わった)


 自身の股間が妙に温く感じるのを他人事のように思いながら、慎二の脳内は走馬灯に突入していた。

 小さい時は毎年両親と祝った誕生日、運動会で3位を取流も悔しくて泣きそうになった時、学園祭で友達と騒ぎあった時、好きな子に告白しようにも度胸が出ずに横からかっさらわれた時、と。至極どうでもいいような、しかしなんとも捨てがたいありふれた思い出が再生されていく間に慎二は思う。


(ああ、俺ってついてねぇなぁ……)


 見知らぬ場所に召喚された自分には、新たな人生を切り開くチャンスなどなかったと言うのだろうか。だとしたら、こんなにも理不尽な運命はあんまりではないだろうか。

 しかし、自分にはそんな状況を挽回する術など一切持ち合わせてはいない。この場における自分の役目は、さしずめ物語とは全く関係のないところで死ぬモブといったところか。


 股間を濡らし、へたり込んだまま涙も流す慎二の方へ、熊は唸り声をあげながらぎらりと目を光らせる。

 臆病な生き物である熊から逃れる術は、とにかく刺激しないようにゆっくりと離れることだが、もはや慎二にはそんな余裕はない。そして大声をあげて熊の睡眠を邪魔してしまった現在、熊が放っておくわけもない。


「グオオオオオオオオ‼︎」


 安眠を妨害した人間に不機嫌そうな目を向けた熊は、自身に危害を加える存在として認識し、大きな咆哮を放つ。耳鳴りを起こすような爆音にさらされ、慎二の意識は危うくブラックアウトしそうになるも耐える、耐えてしまう。気絶した方が苦しみなく終わるかもしれないが、意識を保ってしまったのだから仕方がない。

 獲物を生きたまま貪るという熊の牙が、慎二の貧相な肉に突き立てられそうになった、その時だった。


 バシィッ‼︎


 そんな破裂音が響いたかと思うと、閃光が熊の背後で走った。

 その瞬間、熊の体がビクンと小さく痙攣し、慎二に向けられていた目が虚空に向く。そして腰を抜かしている慎二の前で、熊はズズンとうつぶせに倒れてしまった。


 死を覚悟した、というか全て諦めていた慎二は、何が起こったのか全く見当もつかない。熊に襲われて食われる直前に、いきなりクマが動きを止めて倒れてしまったのだから。


 しかし、慎二の視線はすぐに別のものに移った。倒れた熊の向こう側に立つ、二つの人影に気付いたからだ。

 背の高い、鐔の広いとんがり帽子とローブをまとった女性らしき影と、フードで顔を隠した小柄な少女の影。女性の手にある長い錫杖のような杖から煙が立ち上り、パチパチと帯電している様子から、先ほどの雷が彼女の手によるものと直感する。


「……大丈夫?」


 呆然としている慎二の元へ、鈴のような声が駆けつけた小柄な方の人影から届く。

 奇妙な模様の施された深い紫色のフードをかぶり、ローブのような外套をまとった少女だ。外套の上からでもわかるメリハリの効いた体には驚くが、身長から見ても慎二よりも2、3歳年下だろうと推測した。

 小柄な方の少女が、おもむろにフードを取り払う。その瞬間、慎二は言葉を失った。


 少女は美しかった。

 艶やかに波打つ肩までの長さの黒髪の下から覗く、アメジストのような神秘的な輝きを放つ瞳。

 卵形の顔は白磁のような肌で、唇は弾けそうなほどみずみずしい桜色。

 まるで精巧に作られた人形が命を吹き込まれたかのような、理想とされる顔の部品が完璧に配置された美貌を持つ少女であった。

 だが、慎二が目を奪われたのは顔立ちだけではない。

 波打つ神の間から生えた、ピクピクと動く三角形の耳。

 物語にしか出てこない、現実ではコスプレでしか見たことのない猫の獣人の少女が、慎二の目の前にいた。


「……バカなことをしたものね。用心棒熊(バウンサーベアー)の縄張りに入るなんて」


 そこへ口を挟んだのは、これもまた美女であった。

 黒く艶やかなロングストレートを肩に垂らし、その上に魔女の被っているような帽子をかぶった、妙齢の女性。長い黒髪の間からは、尖った耳と輝く金色の瞳が覗いて見えた。

 猫獣人の少女のものよりも白い肌は黒ずくめの衣装の中で目立っていたが、何より目を引くのは顔の左側を覆う黒い眼帯。息をのむほど美しい分、その異様さは目立って見えた。

 慎二に向ける鋭い視線といい、肌をほとんど見せない黒ずくめの格好といい、まさに世俗に飽いた魔女と呼ぶにふさわしい格好であった。


 二人とも〝前の世界〟ではお目にかかったことがないほど綺麗に整った顔立ちであり、そして服の下からでもわかるほど豊満な体つきをしていることに気づき、慎二は下半身が反応してしまうのを感じる。

 鼻の下が伸びそうになるのを必死に隠し、慎二ははやる気持ちを押さえつけて尋ねた。


「……き、君……君たちは?」

「……アザミよ」

「私はシオン。……あなたは、なんという名前?」


 そっけなくはねのける眼帯の美女・アザミと、抑揚のない声で答える猫耳少女・シオン。

 少女たちに見とれながら、慎二は懸命に声を絞り出して尋ね、少女の名を聞き出した慎二は期待に胸を膨らませる。綺麗な声に脳髄までとろけそうになりながら、ゴクリと唾を飲み込んだ。


「……聞かせてほしい。あなたの、名前を」


 鈴を鳴らしたような声で、黒猫の少女は慎二に再度問いかけた。紫色の瞳は真っ直ぐに少年の目を射抜き、疑問の答えを覗き込もうとするかのように微塵も動かない。

 慎二はようやく我に帰り、あたふたとあわてながら姿勢を正して少女に向き直る。

 もうすでにみっともない姿を見られて今更かもしれないが、残っていたプライドや虚栄心が彼を突き動かしていた。


(テンプレ展開キタァァ……‼︎)


 ゴホン、と咳払いを一つこぼし、内心期待で高揚する慎二は若干胸を張る。

 いきなりこのような見知らぬ場所、それもファンタジー小説に描写されるような森の中に放り出されて、見るからに危険な獣に追われていたところを、美女と美少女に颯爽と助けられる。若干情けなくも思えるが、なんと心が躍るシチュエーションなのだろう。


(これはいきなり運がいいんじゃないのか? いきなりこんな可愛い子たちと出会えるなんて……!)


 さすればこの少女たちこそが、ヒロインの筆頭となるのだろうか。

 であれば最初が肝心だ。彼女らへの印象を少しでもよくするためにも、先ほどの失態がチャラになるくらいにカッコよく名乗らなくては。たとえ股間がまだ湿っていて、若干匂いが気になるとしてもだ。


「お、俺は……!」

「―――じゃ、それをここに全て記入して」


 だが、気取ったポーズをとる慎二の自己紹介を途中でぶった切って、眼帯の魔女が取り出したのは数枚の白い紙。枠線がいくつか書かれたそれは、バイトの面接なんかで記入を要求されるような書類の紙に見えた。


「……………………ん?」


 慎二は混乱していた。てっきり自己紹介からのいずれは恋愛に発展する出会いのフラグが立ったと思ったのに、やけに事務的な代物が取り出されたではないか。

 完全にファンタジーがぶち壊しだった。


「……なにこれ」

「必要書類。あんたみたいなよそから来た人が身分を証明するのに必要になるものよ。早く書いて」


 抑揚のない声で淡々と述べるアザミに、慎二の中で何かが鎮火されていく。ずっと燃えていた熱意と情熱という炎が、一気に衰えていくのを感じた、気がした。


「……全く、変なところに移動するから探すのが面倒だったわよ。勝手にウロウロ動き回らないでほしいわね」

「…お、俺の…そう、どんな男かとか、俺自身への興味とかは……?」

「…そういうのは求めてないから。大体似たようなのは知ってるし」


 バッサリだった。惚れ惚れするほどの無関心であった。

 眼帯の美女はそれだけ言って、慎二から興味を失ったように視線をそらして腕を組む。シオンも慎二が書類に手をつけるのを待っているだけで、ほとんど興味がないように見えた。


「……俺が求めてたのとなんか違う」

「? そういうのはよくわからないけど、さっさと書いて渡して。師匠と私の仕事が終わらない」


 本気で面倒臭そうにシオンは言い切った。面倒な客のクレームに応対するコンビニ店員のように不機嫌そうな表情で、慎二の目に涙が滲んだ。

 ぐいっと書類を押し付けられ、慎二は渋々それを受け取り目を通す。見れば見るほど履歴書にそっくりだ。氏名や住所や年齢や学校名、個人情報を事細かに記入する欄が設けられている。

 慎二は眉間にシワを寄せながら、魔女たちに訝しげな視線を向けた。


「……なぁ、なんでこんなもん書かなきゃなんないの?」

「この世界での身分証の作成に必要。そうしないと生活の許可が降りない、だから」

「やっぱり俺の知ってるファンタジーとなんか違う……」


 しくしくぐちぐちと文句を垂れながら、慎二は筆記具を探して懐を弄る。鞄が行方不明なため、何か代わりになるものでもないかと思っていると、ワイシャツの胸ポケットに入っていたボールペンを見つけた。


「……え? ちょっと待って? あのさ、こんなもんがすでに用意されてるってことは…………もしかして、俺以外にも」


 不意に頭によぎった嫌な予感に、慎二は冷や汗を流しながらアザミを凝視し尋ねる。

 眼帯の美女は、どこからか取り出した煙管(キセル)に火をつけ、燻らせる。ふぅ、と気だるげに煙を吐くと、冷めた目で慎二を見下ろした。


「……いいから早く書いてくれないかしら? 異世界人の反応を感知する度にに駆り出されて嫌になるわよ、本当」


 ガラガラと、自身の中の期待という名の支柱が粉々に崩れていく音が聞こえた。顔を引きつらせ、慎二は持たされた書類をぐしゃぐしゃにしながら乾いた笑い声をこぼした。

 自分一人では、ないのだ。

 異世界召喚に浮かれてそんな考えも浮かばなかったが、そういう事態のための準備が整っているということは、自分以外にもこの世界に迷い込んだ者がいるということだ。

 ということは、自分は決して珍しい存在などではなく……。

 真っ白になっていく慎二を不思議そうに見つめるシオンが、どこか鬱陶しそうな声で呟く。


「最近は特に多い。他にも異世界人であると偽って支援を受けようとする浮浪者もいるから見分けるのが本当に面倒」

「……そういうのがあるから、審査も厳しくなるし国も支援金を渋るのよねぇ。異世界人には生きづらい時代だわ……お気の毒様」


 もはや慎二は息すらしていない。

 シオンにツンツンと突かれても反応できないほど、抜け殻のような姿でうなだれるばかり。現実に直面した彼が再起動するには、まだ時間がかかりそうだ。

 そんな姿に呆れた目を向けながら、眼帯の魔女は煙を吐き、呟いた。




「……本当、異界漂流者(ドリフターズ)っていうのは、面倒な存在よねぇ」




 見たこともない場所で目が覚め、不思議な少女に出会い、恐ろしい森の生き物に出会って、謎だらけの美女に救われて。

 ただの学生だった慎二には、何一つ理解などできていない。

 しかしそう遠くない未来、彼はその身をもって知ることとなるだろう。


 自分はこの物語の主人公などではなく、数ある登場人物達の一人でしかなかったということを。

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