プロローグ:東の魔王
冷たく乾いた風が吹き抜ける、広大な荒れ地があった。
でこぼこと土が柱上に隆起し、天然の台座のようになったそれが地平線の彼方まで続く、見る者を圧倒する光景が広がる大地だ。高く積みあがった台座と台座の間は、雨季には流れる雨によって川ができるが、今この時期は乾ききり、長く続く入り組んだ道になっている。
日の光もろくに届かないその道を、甲冑を纏った兵士たちが列をなして行進していた。体の局部の身をふさぐ、決して状態のいいとは言えない安物の鎧を纏った、多種多様な人種が疲弊を隠しきれない様子で歩き続けていた。
それだけを見れば、さほど脅威とは思えなかったであろう。まともな装備も纏えない、弱体化した連中が徒党を組んでいても、訓練された正規の兵士であれば簡単に鎮圧できるはずだ。
しかし問題は、その数であった。荒れ地の道を進むその列は、荒れ地に広がる溝の道のすべてを通り、太い道で合流している。そしてその列は、最後尾が見えないほどに長く長く伸びていたのだ。
「ざっと二万というところか……」
最も高い台地の上、桜に似た花の紋が施された白い幕で囲まれた陣の中から、望遠鏡に目を通していた男が小さくつぶやく。
金の装飾が施された漆黒の鎧を纏った、彫りの深い顔立ちの美丈夫は、徐々に近づきつつある無数の兵士たちを睨みつけ、望遠鏡を短く畳む。もはやそれに頼らずとも、敵の姿は一筋の黒い線に見えるほど集まりつつあった。
「トゥセインから五千、イングヴァルトから三千、アルバスから六千、そのほか諸国から続々と援軍が送られている模様です」
美丈夫の傍らに立つ、狐の耳を生やした武将が淡々と説明し、その表情を険しくする。
詳しく敵勢力の様子を窺えば、列をなし行進している兵士に人間の姿はほとんど見えない。後方を探ってようやく、馬や戦車に乗った豪華な鎧を身に纏った人間たちが見える程度だ。その中に他人種の姿はなく、時折鞭でも振るいながら行進する兵士たちに促している。
反吐が出そうな光景に、美丈夫は両の目に鋭い光を宿した。
「よくもまァ、急ごしらえの雑兵といえそこまで集めたものだ……一体いくつの農村を潰す気なのやら」
「奴らはさほど気にしますまい。奴らにとって兵の命など消耗品に過ぎず、我らはそれに仇為し、消耗品を横から掻っ攫う慮外者に他ならないのですから」
「そう……だから俺は牙を剥いた」
美丈夫にとって因縁深い敵国に宣戦布告して数か月、幾度となく繰り返されてきた小競り合いはついに、敵国の全勢力を引きずり出すまでになった。はじめは小さな領地の主を襲撃することから始め、味方と陣地、資材を増やしながら勢力を強め、やがて敵国からは見過ごせないほどの力を有した。
これから始まるのは、己らの存亡をかけた最終決戦であった。
「お前たちは皆、俺のモノだ。その心、魂、体、髪の毛一本から骨の髄に至るまで全て俺が手に入れたモノだ。……だが奴らは俺のモノに手を出した。俺が手に入れたモノを欲しがり、俺の縄張りを我が物顔で侵した。俺はそれを断じて許さない」
隣に立つ武将に、そして陣の中で時を待つ配下たちに、美丈夫は獰猛な笑みを浮かべてみせる。武骨な鎧を纏った彼らは皆獣の耳や角を生やしていて、美丈夫のような人間は一人もいなかった。
彼らの目に、人間である美丈夫が場を仕切っていることに対する不満はなかった。それどころか、美丈夫の決断を今か今かと待ち望んでいるようにも見えた。
美丈夫の言葉は傲慢さを表していながら、その目には嘲りの気配は微塵もない。己の配下に対する絶対的ともいえる信頼と一種の敬意が垣間見えていた。
「己以外の命を踏みにじり、使い捨ての道具のごとく使い潰す支配者に未来などない。王たる存在はもっと利口であるべきだ……使えるモノはもっと長持ちするように思考を凝らし、己の手元に置き続けられるだけの器用さがなければならん」
風に吹かれ、外套を翻すその姿はまさに、王者の風格。
力と恐怖による支配ではない、その背中を追わせるだけのカリスマと事実に裏付けされた実力が生み出す圧倒的な存在感が、誰の目にも見えていた。
「……時は満ちた、行くぞ」
「御意に」
武将にそう告げ、美丈夫は陣の外へ出る。配下たちはそれに意気揚々と続き、好戦的な笑みを浮かべてそれぞれの得物に手をかけた。
彼らが進む先には、大勢の精鋭たちが整列していた。敵軍の数分の一という心もとない数であはあるが、それを補って余りある鍛えられたからだと気迫を宿した精鋭たちだ。
構成しているのは、獣の耳と尻尾を生やした者に獣の顔を持つ者、尖った耳に整った顔立ちをした者、小柄ながら樽のように膨れ上がった筋肉を持つ者と、美丈夫とはかなり異なった特徴を持つさまざまな人種が混ざり合って並び立っていた。
そんな彼らに共通しているのは鎧の意匠と、姿を見せた美丈夫に対する熱い眼差し。彼の為ならば命をも惜しくない、そんな気概さえも感じられるほど熱く輝きを放つ瞳の光であった。
「聞けぇ‼ 我が従順たる武士共よ‼」
美丈夫の声が、砂塵が舞う台地に木霊する。
ビリビリと大気を震動させるその声は、彼のもとに集ったすべての精鋭たちの耳に届いていた。
「あの火が見えるか⁉ あれは貴様らを羨み、貴様らが持つモノを我が物と勘違いして奪い去ろうとする汚らわしき餓鬼共だ‼」
美丈夫が指さす先を、精鋭たちは憎しみや怒りを込めた目で睨みつける。忘れもしない、彼らはその先にいる連中にあらゆるものを奪われてきたのだ。
家族を、帰る家を、宝物を、そして人としての尊厳を、まるで家畜を見るような見下した目で奪い続けてきたのだ。繰り返される痛みや悲しみに何度泣いたことであろう、どれほど苦しみ続けてきたことだろう。そんな日々が嫌で嫌で仕方がなかったのに、全てを奪われ支配された彼らは簡単に命を捨てることもできなかった。
彼の地に逃げる事が出来たのは、美丈夫と出会う事が出来たのは本当に幸いなことであった。
それだけの苦しみを、忘れられるはずがなかった。
「奴らはいずれ貴様らの家族の元に襲い掛かり、女を奪い金を奪い、貴様らの宝を尽く凌辱していくだろう‼ 奴らの欲望に際限などない‼ 骨の髄までしゃぶり尽くした後は、さらなる獲物を目指して貴様らの縄張りを侵し尽くすだろう‼ それを許してもよいのか⁉」
いいわけがない、そう誰かが口にすると、次々に賛同する怒号のような声が上がる。たった一人の灯した火種から、あっという間に台地に合唱が発生する。
この場にいるのは、皆同じ痛みや苦しみを持つ同志であった。奪われ続けてきたすべての者たちが美丈夫のもとで団結し、失くしたものを取り戻すために鍛錬を重ね、多くの犠牲を払いながらようやくこの時を迎えた。
今ならわかる、これまで味わってきた苦渋は、この日の為にあったのだと。
「ならば立て‼ 剣を取れ‼ 己が命燃やし尽くし、貴様らを狙う悪漢共を食い殺して見せろ‼ 貴様らがやらねば誰がやる⁉ 己が魂を突き抜く義の槍を携え、その身朽ち果てるまで走り続けろ‼」
美丈夫の叫びが、精鋭たちの胸の炎をより大きく燃え上がらせる。
死を目前にする戦いの中に在りながら、それに対する恐怖など微塵も感じさせない。
その頂点に立ち続ける姿は、〝王〟のそれであった。
「己が意志貫き通さん為に、俺とともに生き、俺とともに死ね‼」
―――オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ‼
精鋭たちのあげる雄叫びが、波となって荒れ地に広がっていく。
その後、彼らと敵対した者たちは激しい後悔とともに敗北を喫することとなる。圧倒的な数の差や兵器の性能の差をもものともしない、一つの個体であるかのような団結力を前に、彼らはなすすべなく敗走し、散り散りになっていく。
奴隷として見下し続け、支配してきたはずの他人種の軍勢に追い立てられ、人間の王や将軍は降伏の意や反省を示すことはなく、最後は無惨にも獣に食われてあっけなく生涯を閉じたという。
多くの種族を従え、山河に囲まれた広大な地に巨大な国家を作り上げた彼の美丈夫を、人は東の魔王と呼んだ。
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