18:魔女の弟子
そこはまさに、地獄であった。
辛うじて形を保っていた家屋は根こそぎ瓦礫と化し、焦げ臭い匂いが火炎による気流によってあちこちへ広がっていく。道には地割れのごとき傷跡が刻まれ、まるでマグマのように真っ赤に熱されている。
比較的大きな瓦礫の陰に身を潜めている二人の少年たちは、そんな悪夢のような光景を前にして逃げることもなく、ただただ驚愕をあらわにしていた。
「ティ、ティガ君……見た?」
「あ、ああ……」
恐る恐るといった様子で顔をのぞかせる二人の目の前では、一人の黒猫の少女が立ちはだかっていた。
長く重い杖を手に堂々とした態度で立っているその姿は、たった一人で彼らを守っているようにも見えたが、その意識は少年たちには向けられてはおらず、目の前の彼女の敵にのみ注目している。
その敵に対して向けているのは、獲物を追い詰める獣の目であった。
「あいつ……一体何者なんだ?」
虎人の少年のつぶやきとともに、黒猫の少女シオンは杖を高く掲げて小さくつぶやく。謳うように、魔の力を顕現するのに必要なイメージをしやすくするための詠唱を口にすると、杖にはめられた宝石が強い光を放ち、下げられたいくつものリングがシャランと美しい音を奏でた。
その途端、シオンの周囲で空気が揺らぎ、真っ白な光を放ったかと思うとすぐさま巨大な炎の塊が現れる。十個の炎の塊はシオンの周囲を旋回し、やがて一つにまとまると急激に膨張し、その形を大きく変えていく。シオンの周囲でとぐろを巻くように、炎の塊は長く太くその形を変えていき、やがてその形を複雑に変えていった。
ナイフのような鋭い牙が並び、鹿のような牛のような、複雑に枝分かれしつつ鋭く尖った二本の角が生え、大樹のように太い胴回りを持つそれは、まさしく龍の姿であった。
「ヒッ………クソォ‼」
巨大で凶悪な火炎の怪物を前にしたシオンの敵―――フロイドは小さな悲鳴をこぼしながらも、自身も杖を操って炎を顕現させる。無数の炎の大蛇を生み出すと、火炎の龍を従えて立ち尽くすシオンに向かって杖を振るい、一斉に襲い掛からせる。
シオンは高速で襲い掛かる大蛇たちを静かに見据えると、自身も杖の先端をフロイドに向けた。
火炎の龍はそれに従い、迫りくる炎の大蛇たちに真正面から向かっていく。大きく咢を開いた龍は大蛇たちを一口で呑み込み、一瞬にして自分の中に取り込むと、そのままフロイドに向かって牙をむき出しにして襲い掛かった。
「ひぃああああ⁉ うわああああ‼」
情けない悲鳴をあげながら、フロイドは瓦礫の上を転がって龍の攻撃を躱す。ローブの端に牙がかすり、高温の炎が燃え移ってあわや火だるまになるところであったが、間一髪のところでローブを脱ぎ捨てて事なきを得ていた。
しかし、すでに全身に火傷を負い、煤や塵で衣服を汚した彼はみすぼらしいとしか言いようがなく、つい数分前までの傲慢で冷酷な態度はかけらも見当たらなかった。
「……なんでだ‼ なんでお前なんかが僕を圧倒しているんだ⁉ この間は……お前は僕に手も足も出せなかったじゃないか‼ あの女に助けられなきゃ、何もできないただの雑魚だったじゃないか⁉」
我慢できなくなったのか、フロイドは平然とした様子で見下ろしてくるシオンに罵倒を放つ。
この少女を痛めつけ、辱めてからたった1ヵ月弱しか経っていない。なのに今、自分と少女の力関係は完全に逆転し、自分は地面に這いつくばらせられている。泣いて喜んで命乞いをすべき汚らしい亜人の少女に見下され、敬われるべき自分が歯牙にもかけない様子で足蹴にされかけている。
まるで先の凌辱の意趣返しのような状態にプライドの高い青年は怒りを燃やし、しかしそれでもそれ以上の行動も起こせずにわめきたてるしかできずにいた。
そんな彼を、シオンは冷ややかに見下ろすだけ。青年への怒りも、憎しみもなく、ただつまらなそうに杖を肩に担いでいるだけであった。
「そうか……‼ お前、何か不正をしているな‼ 僕の魔法を阻害する何かか、自分を強化する何かをやっているんだろう‼ 汚い……さすが亜人の分際で僕に逆らうだけのことはあるな‼」
「好きに言っていればいい。ここから逃げるのにあんたが邪魔なら、要はさっさとあんたをぶっ潰せばいい」
その姿はまさに、仕事を引き受けた直後の師アザミと同じ。淡々と面倒くさそうに仕事をこなそうとしている、怠惰な魔女に瓜二つの態度であった。
受け継ぐべきでないものを、若き魔女の弟子は受け継いでしまっているようであった。
「そのために何しようが、私は痛くもかゆくもない……特に何もやってないけど」
自分に付き従う龍ののどを撫で、シオンは実に億劫そうなため息をつく。
本気で気だるげにつぶやき、シオンはさらに杖を振るう。その脳裏によみがえるのは、かつてアザミの指導の下、魔法の練習をしていた時のことであった。
『……あんたは何と言うか……魔力の操作がド下手くそなのよね』
粉々になった杖の残骸を前に呆然と立ち尽くしているシオンに向かって、アザミは呆れたようにつぶやいた。
杖であったものは砂塵ほどまで細かく砕け、そのうえぶすぶすと焦げ臭い煙を吐いている。周囲を見れば同じような状態の杖の欠片が散乱していて、もとの数を数えてみれば両手では数えきれないほどの数であった。
涙目で見上げてくるシオンに向けて、アザミは深いため息をつくとその目の前にしゃがみ込み、いまだ赤く熱を持っている杖の破片を拾ってシオンの前に示した。
『……本来10で十分な魔術の行使に、あんたは加減できなくて100か200を遠慮なくぶつけるもんだから、普通の耐久度の杖じゃそれに耐えきれなくてすぐ壊れるのよ。……まぁ、あんたの体質上仕方がないんだろうけど』
『どういうこと?』
『……あんたは、人よりも多くの魔力を持っているわ。最低でも数十倍は。例えるなら、酒樽からグラスに中身を移すようなものよ』
相当力のあるものでなければ、中身の入った酒樽を持ち上げることなど困難なはず。中で揺れ動き、銃身の移動してしまうそれを抱えて、小さなグラスの中にこぼれないように注ぐことは、より高度な集中を必要とするだろう。
普通はそんな必要はない。普通の人間の持っている魔力の量は例えるならグラスやコップ、多くても酒瓶程度の量でしかない。その限られた量をうまく引き出して使い、魔術師は魔力量に合った適度な魔術を発動する。
しかしシオンは、比較すれば酒樽以上の大きさの魔力を持つ。制御も何もせずにいれば、比較するのも馬鹿らしくなるほどの魔力があふれ出してしまう。
無論平均を超える膨大な魔力を持つ魔術師はいる。そういった者は必要な魔力を必要な時にだけ引き出し、望んだ規模の魔術を使用できるように鍛錬を重ねている。それは魔術師として、魔術という武器を使うものとしての必要最低限の努力であり、できて当然の技術なのである。
『……でもここまでできないとなると、魔術師としては致命的よね』
だがシオンは、それができない。やろうとすればどうしても必要以上の魔力があふれ出してしまい、許容魔力量の限界を越えて注ぎ込まれた杖は内側から破裂するように壊れてしまうのだ。
この欠点に、アザミはひとまずある対策を持ち出した。
『……しばらくあんたは、このまま過ごしなさい。ある程度の魔力量になるように私が封印を施したから、あんたは平均的な魔力で魔術が使えるようになるまで反復練習を続けること。いいわね?』
『そんなことしなくても、私が師匠の杖みたいな頑丈なものを使えば問題は解決すると思う』
『……人死にが出るわ』
なるべく楽な解決策を提案するシオンのでこに向けて、アザミは自戒の意味を込めたデコピンをお見舞いしたのだった。
そんなわけで、自身の持つ総魔力量の大半を封じられたシオンは、ようやく一般使用されている杖が耐えられるだけの魔力を駆使できるようになり、試験に挑めるまでにはなった。しかしそこで、膨大な魔力量を持つフロイドに喧嘩を売られてしまったのだ。
元々そこまで気の長くない彼女は、敬愛する師匠を馬鹿にされて堪忍袋の緒を簡単に引きちぎられ、その喧嘩に乗ってしまったのだ……全力を出せないことも忘れて。
しかし、今は違った。封印は解かれ、自身の魔力に耐えられるだけの性能を持った師の杖を借り、ようやくシオンは本来の自分の力を全て放出できるようになった。
「お前は師匠を……そして私を甘く見すぎた。お前の力なんて師匠の足元にも及ばない。どんなに高い杖を使っていても、いい成績を残していても、師匠のしごきに比べれば何の脅威でもない」
つまらなそうにしていながら、シオンは実はこの展開を待ち望んでいた。自分を虚仮に、そして師匠を愚弄した相手を返り討ちにできる時を。
これまでの不満と試験の邪魔までされた怒り、何よりも二度と師に対する暴言など口にさせまいという黒い感情が、シオンにより強く濃い魔力を引き出させる。
魔力のさらなる供給を受け、より凶悪な姿に変わっていく火炎の龍を前にして、フロイドはその顔を恐怖に彩っていく。みっともなく悲鳴を上げ、泣きじゃくり、苦し紛れに杖から火炎を発射しまくるも、それらはすべて火炎の龍に吸収されて糧とされる。
「前は封印のせいでできなかった……これが私の」
もう半ば正気を失いつつある傲慢な魔術師に、シオンは一切の容赦をかける気はなかった。
業火と気流に髪を揺らしながら、シオンは杖を振りかぶる。まるでその姿は、自らが炎と化しているかのように猛々しく、奇妙な神々しさをも宿したもの。
封印により魔力の扱いを習得し、大幅に威力を上げたシオンの炎は、師アザミの氷とも渡り合えるほどの威力を有するまでになっていた。
「本当の全力‼」
振り下ろされた杖の動きに合わせ、甲高い咆哮を上げた火炎の龍が鎌首をもたげ、目標に向かって一直線に突撃する。
顔を涙や鼻水で濡らした、哀れな姿をさらすフロイドは、悲鳴さえ上げる間もなく紅蓮の炎に包まれ、眩い熱の中に呑み込まれていった。なぜ己がこんな目に遭っているのか、最後まで理解することもしようともせず、傲慢な青年は自分がこれまで他者に向けてきた所業の報いを受けたのだった。
「……師匠は人死にが出そうだからダメって言ったけど、私だって日々進歩してる。手加減なんて軽い軽い」
どさりと倒れた、黒焦げの物体に背を向け、シオンは鼻息荒く杖の先端を地面に下ろす。カンッと小気味いい音を響かせると、辺りに飛び散っていた炎が一瞬にして消え失せ、少しずつ空気の揺らぎが収まっていく。
実に気持ちよさそうな、すっきりとした表情で佇むシオンに、助けられたはずの少年たちは恐怖の混じった視線を送る。顔の判別も難しいほどに焼き尽くされた、これまでずっと大嫌いであったはずの奴に、つい同情の眼差しを送ってしまうほどに。
「…いや、これ本当に生きてるのか?」
「うん…息はしてるみたいだね、あくまで息は」
戦慄の表情を向ける少年たちを、シオンは不思議そうに首をかしげて見つめるばかり。
少年たちの胸中を知っているのは、瓦礫の隙間から様子をうかがっている一匹の黒い蛇だけであった。
◇ ◆ ◇
「……向こうはもう終わったみたいね」
目を閉じ、分身を通して弟子の様子を見ていたアザミが肩をすくめる。
ある程度はやらかすものと予想はしていたが、思った以上に暴れていたことに呆れたため息をつく。散々魔力量の調節の訓練をしただろうに、やはり肝心なところで抑えが効かなくなって過剰に魔力を供給し、魔術の規模が拡大している。今後の訓練内容も変更しなければ、とアザミは億劫そうなため息をついた。
「……ま、あとでいいか」
今まで腰掛けていたものから降り、アザミは軽く肩を伸ばす。
メキメキゴキゴキと聞こえてくる、背筋が冷えそうな音にも顔色一つ変えることなく小さなあくびをこぼしていた。
「……やっぱりまともな生まれ方をしていない生き物は哀れね。恐怖という感情も薄れちゃうのかしら」
さっきまで自分が腰を下ろしていた物体を見下ろすと、アザミの目が憂いを帯びる。
つい数分前まで動いていたそれは、アザミに差し向けられた合成獣だった。しかし三体いたはずのそれらはたった一体に減り、すでに呼吸は止まっていた。
アザミの足元から広がった影、その中から這い出ている黒く太く長い巨大な怪物によって締め付けられ、呑み込まれているからだ。
異形の全身に巻きつき、骨を砕きながら飲み込んでいく大蛇の怪物は、その体をズブズブと影の中に沈めていく。まるで底なし沼の中に獲物を引き摺り込んでいるような、恐ろしい光景であった。
「……聞こえてる? 悪いわね、あんたの切り札だったのに。でもこのぐらいで私を仕留められると思ったら大間違いよ。たかが合成獣に止められるほどやわじゃないわ」
「…その、ようだな」
全く悪びれない様子で、アザミはマウルに目を向ける。
狂人のごとき形相を向けていた彼は今、濁った眼の奥に確かな驚愕を滲ませながらアザミを凝視している。
彼は魔女を見くびっていたわけではない、想定以上の戦力を用意した上で迎え撃つつもりであった。
しかし結果はこのざま、用意した生物兵器はその牙を標的に届かせることもなく、原理も正体も理解できない異形に絞め殺され、瞬く間に食い殺されてしまった。思考が追いつかなくなったマウルは怒ることもできず、ただ呆然と立ち尽くすより他にない結果であった。
「……で? どうするの? 降伏する? …って一応聞いとくけど」
しかしアザミが問いかけると、マウルの肩がびくりと震える。ほうけていたその表情にみるみるうちに狂気が戻り、ぎょろりと殺意のこもった目がアザミを射抜く。
ギリギリと食いしばられた歯の間から唾液の泡がこぼれ、顔中に血管が浮き立って赤黒く染まっていった。
「降伏だと…? ふざけるな‼︎ 私は決して亜人どもには屈しない‼︎ たとえこの首一つになろうとも、一匹でも多く奴らを道ずれにして死んでやる‼︎ 奴らだけには……奴らだけは決して許してはならんのだ‼︎」
憎悪に燃える目をアザミに向けたまま、腰に佩いた剣を鞘から抜き放つ。沈んでいく合成獣のことなどすでに目に入っていないのか、その表情には少しも恐れは混じっていなかった。
ギラリとマウルの殺意を反映しているかのように妖しく反射する剣に、アザミは微塵も表情を変えることはなかった。
「……哀れね」
「オオオオオオオオオ‼︎」
亜人の一人でも仕留めよう、それを邪魔する者も排除しようと、マウルが剣を振りかぶり、アザミに向かって突進する。年齢を経ていようとも、一刻をまとめていた実力はさほど衰えてはいないようで、常人では躱せないほどの速さの斬撃が襲いかかる。
アザミはそれを前にしながら、無防備に立ち尽くしたまま気だるげに見つめる。
「……これだけ人を傷つけてくれば、わかってもいいはずなのにね」
そしてマウルが剣を振り下ろした瞬間、アザミは彼の隣を通り抜けた。音もなく、奇妙な風を発しながら、魔女はマウルの背後へと移った。
マウルは剣を振り下ろしたまま、狂気に満ちた目を限界まで開いて硬直する。その背後でアザミがカツンと踵を鳴らした瞬間、ずるりとマウルの首が落ち、鮮血を噴き出させながら落下した。
「……例えどんなに姿形が違っても、流れる血は皆赤いってことぐらい」
頬についたマウルの血をぬぐい、アザミは憂いを込めた横目を向ける。
幾度となく繰り返されてきた光景を見せつけられ、辟易としているようなそんな声音が、血の匂いの充満する講堂に虚しく響き、消えていった。
その時、バタンとけたたましく講堂の扉がこじ開けられ、血相を変えた様子のフェムトが飛び込んできた。
「か……閣下」
講堂での騒ぎを聞きつけたのか、虫の知らせのようなものが働いたのか。自分の指導者たる男が首のない死体となって倒れている光景に言葉を失い、フェムトはやがてそのそばで佇んでいるアザミに気がついた。
その目にみるみるうちに怒りの炎が猛っていくのを目にすると、アザミは面倒臭そうに目をそらした。
「きっ……貴様ぁ‼︎ よくも……よくも閣下を……我々の計画を‼︎」
「……そういえば、あんたがまだ残ってたっけ?」
影から現れていた蛇はすでに姿を消し、アザミの影は元に戻ってしまっている。手っ取り早く異形を片付けるために呼び出した存在をもう一度呼び出すのが億劫なアザミは、どうやってもう一人を片付けようかと悩み始める。
完全に見下されていることを察したフェムトは顔を真っ赤にし、腰のベルトに差した杖を抜いてアザミに向けた。
「貴様だけは……貴様だけは私の手で‼」
「そこまでです」
凛とした声にフェムトがあっけにとられていると、バチッ!と紫電が走り、フェムトの杖が弾き飛ばされた。痛みに顔をしかめるフェムトがギロリと睨むが、すぐにその表情は愕然としたものへと変わった。
蛇に睨まれたカエルのように凍りついたフェムトを、武装した魔術師と教師たちをつき従えたシェラハ厳しい目で見据えた。
「もうあなた方の私兵は、我々の手で鎮圧されています。おとなしく降伏し、法の裁きを受けなさい」
「なっ……」
シェラから知らされた結末に、フェムトは大きく目を見開いて立ち尽くす。
アザミはそれを横目に、一仕事終えたような態度で煙管をくゆらせ始めていた。
「そんな……そんなバカな……ど、どうやって」
「あなた方は武器の作り方と使い方はわかっていても、戦い方まではわかっていなかったようですね」
信じられないといった様子で喚き立てるフェムトに、シェラハ不敵ながら可愛らしい笑みを浮かべた。
それは教え子に対して諭す態度のように見え、フェムトは顔をさらに怒りに歪ませるも、取り囲んでいる魔術師に睨まれて動けなくなっていた。
「銃は一方向にしか放てません。そして一定数の銃弾を放てば、そのたびに弾丸を装填しなおす必要があります。銃で人を撃つ感覚に酔ったあなた方はそれを時折忘れ、大きな隙を見せました。慌てて予備の弾丸を探すあなた方の私兵は、格好の的でしたわよ?」
そう言われたフェムトが慌てて窓の外にすがりつき、街の様子を見渡した。
あちこちから上がっていた煙の柱はすでに収まり、悲鳴も怒号も聞こえなくなっている。目を凝らしてみれば、狩りに興じていた配下の者たちは軒並み銃を失い、拘束されて一箇所にまとめられているか、これまでの報いを受けるように追い立てられて入り光景が見えた。
未だに認めようとしていないのか、後ずさって顔を覆うフェムトに、シェラは厳しい表情で促した。
「さぁ、もう選択肢はありませんよ」
「くそ……こんな……こんなことでぇ‼」
フェムトはブンブンと首を振り、取り乱したかと思うと突如走り出し、煙管をくわえたままそっぽを向いているアザミに向かって襲いかかった。
人質にでもしようとしたのか、それとも道ずれを増やすつもりであったのかは不明だったが、鬼の形相で走るフェムトの行動にシェラたちは一歩遅れ、アザミはただ佇んでいるだけであった。
誰よりも早く、両者の間に割って入った者を除いて。
「てぇい!」
可愛らしい掛け声とともに、突進の勢いを利用されたフェムトの体が空中で一回転する。
誰もが目を見開いて硬直する中、ゴンッ!と鈍い音を立てて、フェムトは頭頂部から床に沈み込んだ。鬼の形相が一瞬で何が起こったのかわからないといった表情に変わり、フェムトの頭蓋には深刻なダメージが刻み込まれた。
「あ、が……」
非力なはずの羊人の女性教師の手によって投げ飛ばされたことを理解する暇もなく、フェムトはぎょろりと白目を剥き、わずかなうめき声を漏らして気を失ってしまった。
その場にいた誰よりも早く動き、瞬く間に相手を無力化してみせたその手腕にシェラたちはおろか、珍しくアザミも驚嘆の眼差しを送っていた。
「……やるわね」
「え、えへへ…」
本心からの賞賛の声に、女性教師はまんざらでもないといった様子で角をかき、頬をリンゴのように赤く染めていた。
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