16:復讐劇
街が、国が燃えている。
人の憎悪と嫌悪が引き起こした業火が無垢な人々を呑み、より強く燃え上がっているのだ。
悪意が渦巻くそんな惨状を、魔術学校の一室である講堂の窓辺から見下ろしている初老の男がいた。
「……実にいい景色だ。悲鳴、恐怖、憎悪、絶望……私が見たかったものばかりだ」
どこからか響いてくる断末魔の叫びに目を細めながら、恍惚とした様子で男が呟く。
深くしわの刻まれた、乾ききった枯れ木のような顔からは疲れ切ったような雰囲気がにじみ出ているのに、落ちくぼんだ眼には激しい執着心と昏い害意が覗いて見える。背の高い体は痩せているが、全盛期に相当鍛え上げられていたのであろう、老いてもなお迫力を有していた。
暴動の様子を見下ろしたままじっと動かない男を、一人の青年が不安げな表情を浮かべたまま見つめる。
「ほ、本当にこれでよかったのか? あいつら別に、悪いことしたわけじゃないんだし……」
貴族御用達の、高級感あふれる格好に着替えた青年、慎二はそう言って近くに立っていた甲冑を纏った男に尋ねる。黄金のような煌びやかな鎧を身につけたオーフェンは、なれなれしい慎二の言葉遣いにやや表情をしかめながらも、黙って質問の内容を聞いた。
「別に殺したりしなくても……ほら、見た目もいい奴もいるんだし、そいつらとかは奴隷にしたりしても……」
「甘いな、異世界人よ。どんなに人間に近い見た目であっても、奴らは所詮獣だ……気を許してはならんのだよ」
できるだけ小声で話していた慎二だったが、窓辺にいた初老の男はしっかり耳にしていたらしい。どこか呆れた様子で慎二に目を向け、深いため息をつきながら体ごと振り向く。まるで説教でもするような雰囲気であったが、改めて初老の男と向き合った慎二の背筋には冷や汗が伝い始めた。
「みんな忘れてしまった……奴らの恐ろしさを。虫も殺さないような無邪気な顔で近づいてきて、うっかり背を向ければ急所に牙を突き立ててくる油断ならない相手……管理しなければ、見張っていなければみんな殺される。また大事なものを失う。そういう相手なのだよ、奴ら亜人は……」
初老の男、元ガルム王国国王マウル・フレイ・ガルムはそう語るうちに、己が眼に闇を宿していく。慎二を見ていたはずの目は虚空に向けられ、ざわざわと風もないのに紙が蛇のようにのたうち始める。
ただ立っているだけで、放たれている空気によって部屋の気温が数度下がったかのようになり、窓ガラスに罅が入り始めた。彼の魔力が感情の暴走によって乱れ、放出されて暴走しかけているのだ。そんな現象は、よほど精神が不安定な状態でしかありえなかった。
「そうだ……許してはならない……奴らはみんな敵、忌むべき相手……気を抜くな、許すな、殺せ、踏み潰せ、逃がすな……‼」
ぶつぶつと呟き続けるその姿は、狂人と呼ぶほかにない。慎二はマウルの意識が自分から外れていることをいいことに、一歩二歩と下がってオーフェンの陰に隠れる。
以前、慎二がアザミの後をついて行って大恥をかいた夜。ふてくされる慎二の前に現れ、屋敷へと誘ったこの男から計画を聞いた時は確かに迷いもした。しかしそれ以上に、彼らのもくろむ結末がもたらす恩恵に強い魅力を感じ、計画に賛同したことには後悔はしていない。
しかしそれでも、ここまで恐ろしい様をさらす計画の主犯の異常性を目の当たりにすれば、多少の迷いが生じるのも仕方がないのではないか、と今さらながら思っていた。
「君もここで観てみるといい。薄汚い奴らが死んでいく様は実に滑稽だぞ?」
「い、いい……見たくないです」
また窓辺に向き、豆粒のように小さく見える亜人たちが逃げ惑う姿を鑑賞する趣にふけるマウルから、慎二は必死に目をそらした。
「……おい、あれは何なんだよ」
「閣下はもともと、先の大戦において無類の戦果を挙げた大将軍だったのだ……だが、出陣で不在時に祖国に進撃を受けたらしく、まだ若かった奥方や御子息を亡くしたらしい。……それ以来心を病まれ、過剰なほどに亜人の殲滅に執着するようになったらしい」
その結果、マウルは多くの亜人たちを組み伏せ、多くの人間たちを従えてガルム王国に貢献した。王家の血を引いていたガルムは王として認められ、国の大半を占めていた亜人差別者から支持を受けていた彼の即位は大した軋轢を生むことなく、次第に彼の狂気は薄れていった。
しかし、20年前の戦乱から派生した反乱により彼は国を追われ、他人種に対する憎悪が以前よりも激しく燃え上がったのだ。しかし精神に異常をきたそうとも、大将軍としての経験と生まれ持ったカリスマ、全盛期のコネクションは健在であり、今日この日の暴動は為されたのだ。
狂人の過去に興味などない慎二も、その執着にぶるりと背筋を震わせるほどであった。
「けどもったいねぇな……亜人にもかわいい女の子とかいるんだし、そういうのは生かしてやった方が今後の展開がおいしいのに」
「無論、閣下の目の届かないところでそう言う目的の亜人どもを収容し、活用することとなっている。あの方は亜人とあれば見境がないが、自分の目に入り気づかなければ干渉はしないのだ」
「……じゃあ、いいか」
ようは暗黙の了解ということであろうか。亜人を排除する行為を邪魔することは許さないが、自分の認識外で亜人に対して凌辱を行うという行為に対しては目を瞑る、ということなのだろう。
慎二にとっては男や不細工な亜人がどうなろうと知ったことではないが、かわいらしい女の子の亜人が巻き込まれるような事態は死活問題である。とくに、あの魔術師の黒猫少女が死ぬような事態だけは避けたかった。
(そして、おれは捕えたシオンちゃんと……‼ 冒険者にもかわいい子が結構いたし、これは…さすがに夢だろうと考えていた獣娘ハーレムを築くチャンスなんじゃ……?)
慎二の脳内は、すでに自分のものになったシオンと淫らな行為を行っている妄想に浸っている。服の上からでもわかるメリハリの利いた身体つきをどう味わおうかと四六時中考えていた彼には、それ以外の未来など考える気も起きていない。何より、シオン自身の意思など微塵も考えてはいなかった。
締まりのない顔をさらしている慎二に、オーフェンは心底見下したような視線を向けながら、それを笑みで隠して肩に手を置く。見た目は完全に、偉大な功績を残した偉人へ敬意を送っている親切な人間だった。
「お前には感謝しているぞ、異世界の住人よ。我々は何年もあの武器を作り上げるために研究を重ねてきたが、思った以上に難航していたのだ」
オーフェンがそう慎二に語って聞かせると、マウルも同意するように振り向いて頷いてきた。
慎二がその知識を有していることを見抜いたのは、他でもないオーフェンであった。森の歩き方も知らない、サバイバルの知識もない、それなのに自信にあふれたただの若造が、歴史を変えうる叡智を持っていることを、オーフェンは監視させていた部下の報告から見出したのだ。
「かろうじて分かったのは、火薬の材料と銃の基本的な構造原理のみ……詳しい配合と詳細な構造までは掴む事が出来なかった」
「それもこれも……かつて訪れた異世界漂流者の残した情報が何者かによって抹消されたせいだ‼ 王家に代々伝わってきたというあの古文書さえ残っておれば、戦時中に反乱さえ起こらなければ、もっと早く力が手に入ったはずだったのだ‼」
オーフェンは忌々し気に壁を叩き、大きな罅を入れながら荒い息をつく。籠手に覆われた彼の手に痛みはなく、しかしそれ故に彼の苛立ちは晴れなかった。
異世界漂流者は歴史を見れば数多く確認され、時に国の重役のもとに現れてその知識を授けたと言われている。別の異世界漂流者などは農耕技術を発展させ、初めは数百人程度であった小国を数十万人が住む大国に生まれ変わらせたという記録もある。
ガルム王国にもその知識は伝えられていた。しかし初代国王が子孫に秘匿を命じたため、長い間日の目を見ることなく、マウルの代になって初めて開かれようというときに戦乱によって消失してしまったのだ。まるで、何者かの意志でもあったかのように。
「ハァ……ハァ……だが、お前の持っていた情報で計画は進んだ。たった1ヵ月では十分な武器の数は揃えられなかったが、この国を一度墜とすには十分だ。商業ルートを乗っ取って、より多くの材料を集めれば、今度は隣国にも手を広げられる」
オーフェンの顔に、欲望をむき出しにした酷薄な笑みが浮かべられる。今以上の惨劇を、今以上の成果を想像し、亜人の血と悲鳴にあふれる未来を夢見るだけで、オーフェンの胸には抑えきれないほどの歓喜が迸った。
国防を担う騎士や冒険者として国に関わる魔術師がいくらいようと、銃の速さと正確さと破壊力、そして魔力に頼らない並みの身体能力の人間から成る、大勢の兵士による数の暴力にはかなうまい。魔術の行使に生じるタイムラグが、銃を相手にした時に命取りになるのだ。
そこへ優れた魔術を有する有力貴族たちの力が加われば、誰も自分たちを止めることなどできないと考えていた。
「いずれこの世界から亜人は消える……私の、妻と子の理想が現実のものとなるのだ……‼」
マウルは、そう言って赤みがかってきた空に手を伸ばす。逝ってしまった家族にその姿を見せるかのように、あるいは近づきつつある未来をその手で掴み取ろうとしているかのように、先ほどまでの狂気が薄れた誇らしげな笑みをたたえて立っていた。
そんな時だった。轟音とともに、講堂の扉が吹き飛ばされたのは。
「ひっ……ヒィイイ‼︎」
「何事だ⁉」
突然の事態に、慎二は怯えて物陰に隠れ、オーフェンは慌てて腰に佩いた剣を構える。ぎろりと扉があった方を睨みつけ、もうもうと立ち上る埃の壁の奥を見据えた。
マウルは一切狼狽した様子はなく、徐々に晴れていく埃を、そしてその中から姿を現した一人の女を見つめた。
「……生きている人間が、死者の願いを語ろうなんて馬鹿にしているわね」
ずるずると、両手で血まみれの男たちを引きずりながら女は呟く。扉の外で見張りをしていたはずの、銃で武装したテロリストたちをゴミでも放るかのように打ち棄て、アザミは気だるげにマウルを見つめた。
「……そんなもん、いっぺん死んでみてから考えなさいよ」
豪快な登場をして見せたアザミに、慎二からの驚愕の視線が突き刺さる。
聞かされていた計画では、あの魔女はどこかの森におびき出され、始末されているはずであった。性格やこれまでの行動から邪魔をするとは思えないが、念のために消していくのだと聞かされていた。
しかし現に、アザミはぴんぴんした様子でこの場に立っている。しかも、銃で武装した見張りをたった一人で無傷のまま倒して。
それは、計画の立案から兵の配備までほぼすべてを担ったオーフェンも同じであった。
「な……なぜ貴様がここに⁉」
「ほう、思ったよりも早かったですな」
マウルは狼狽するオーフェンとは真逆に、実に落ち着いた様子でアザミを見やる。多少驚いた様子はあるものの、殺したはずの相手が生きているということよりも、アザミがこの場に現れたこと自体に驚いているようであった。
「まさかあなたが最も早く訪れるとは、人間の争いにはもう関わるおつもりはないと思っておりましたが……」
「……その争いに巻き込んだ張本人がよく言うわね」
いつも気だるげなアザミの目が、深い井戸の底を覗いたかのように虚ろになっている。姿勢を歪め、片足に体重のすべてを預けて立っている今の彼女は、何十日も拘束され、酷使され続けたような疲弊感を漂わせていた。暗殺が執行されてから、まだ半日も経っていないというのに。
アザミは自分の気だるさと不快感の主な原因であるマウルを見据え、深い深いため息をついて胸の前で腕を組む。もはや立っているだけでしんどそうであった。
「……あんたをそこまで駆り立てるのは何? 復讐心? 時間の無駄だからやめておきなさいよ。あんたがどんなに死者の無念を晴らそうとしたって、それはあんた自身の鬱憤をぶつけようとしているだけなんだから」
「貴様に何がわかる⁉」
面倒くさそうに説教を始めるが、マウルはそれを激情からくる怒号で遮る。話している途中で邪魔をされたことでやや不機嫌になったアザミは目を細め、ガリガリと頭をかいて憎しみを滲ませるマウルを見つめる。
その目には、呆れとともに若干の哀れみが混じっていた。
「亜人は敵だ……‼ 私から大切なものを奪っていく、唾棄すべき害悪だ‼ みんな忘れていく……みんなあの恐怖を忘れかけている‼ 気を許してはならんのだ‼ あれがもたらす恐怖を忘れてはならんのだ‼」
またも狂気に呑まれかけたマウルが、憎悪に燃えた目をアザミに向ける。常人ならば恐怖のあまり失神しかけないその視線に刺さされながら、一歩も引かないアザミにさらなる憤怒が募っていく。現に慎二は、直接相対していないというのにその場にへたり込み、またも股間を生温かく濡らしてしまっていた。
しかしそこで、マウルの視線を遮るようにオーフェンが立ちふさがった。鞘から剣を抜き、その鋭い切っ先をアザミに向けると、マウルには及ばないものの異様な憤怒に燃える目を見せた。
「閣下……ここは私にお任せを」
オーフェンの目は、亜人全体に向けるような蔑みの目ではなく、アザミ個人に対する憎しみでぎらついているように見えた。
仕事でも個人的にも関わり合いになった覚えがないアザミは、向けられる憎悪に首をかしげる。同時に、妙なものに捕まったと嫌そうなため息をついていた。
「いい加減、私にとってもあの女は邪魔でして……誰に聞いてもどこで聞いても、魔女アザミこそこの世で最も優れた存在であると………冗談じゃないんですよ」
アザミはそこで、オーフェンからの因縁の内容を大体察する。
傲慢なうえに、ここまで目立った事件を引き起こした男だ、自己顕示欲も相当なものであろう。世間的な自分の評判や評価を知っているアザミは、心底面倒くさそうに肩を落とした。
「何が世界有数の魔術師だ……‼︎ 貴様などただの化石にすぎん。偶然とまぐれでもてはやされ、雌の分際で身の程をわきまえず、男を立てることも忘れて目立ちたがる屑でしかない‼︎」
「…………」
「私がそうなのだ‼︎ 私こそが世界で最も有能で、優れた力を持った人間だ‼︎ 私こそが賢者なのだ‼︎」
オーフェンにとって、自分以外のすべての人間は自分を際立たせるための踏み台でしかない。自分こそが最も高い位置から人々を見下ろす地位にあることが正しく、自分を見下ろす存在は全て間違いである。
特に女など、男の欲を満たし全てにおいて役に立たなければならない底辺の道具であり、勝手に目立って勝手に地位について、見下してくる奴など許されるものではないのだと、そう考えているようであった。
アザミの気だるげな態度が、オーフェンの自尊心に大いに影響を及ぼしていた。
「薄汚い魔女めが……‼︎ 私が直々に、貴様にしつけを施して―――」
しかし、そんな醜い戯れ言を全て言い切ることなく、オーフェンの体は一瞬で真っ白に染まる。
物陰で様子をうかがっていた慎二が「ひっ!」と悲鳴をこぼし、みっともなく這いつくばりながらその場から逃げ出した。何度もアザミの方を振り返り、そのたびにつまずきながら逃げ去っていく慎二に一切の注意を向けることなく、アザミは低く轟くような呟きをこぼした。
「……うるさいのよ、騒ぎに便乗するだけの小物が」
憤怒と侮蔑にゆがんだ表情のまま、氷の彫像となったオーフェンを横に蹴りどかし、アザミは白い冷気交じりのため息をついた。ガシャンと粉々に砕け散る氷の塊を踏み潰すと、特に慌てる様子のないマウルをじっと見つめた。
その目に、オーフェンやフロイドに向けていたような不機嫌さはない。ただ、歪んで止まれなくなってしまった男への哀れみだけがあった。
「……あんたも、被害者なのはわかってる。でも私はあんたを止めなきゃならない。……それがあんたを、あんたの失った者たちに対する私なりの供養だから」
「そんな同情は、私も妻子も不要……‼」
激昂したマウルが、窓の外に向けて左手を振る。
その直後、講堂の窓ガラスを破壊しながら巨大な影が飛び込んできた。それも一つではなく三つ、四本足の何かが凄まじい咆哮とともに突進してきたのだ。
異様に発達した両腕や歪に膨らんだ筋肉、様々な猛獣の要素を詰め込んだかのようなその異形の姿には、確かな見覚えがあった。ヴィルダム大森林で暴れまわり、生態系を狂わせかけた上にシオンの命まで脅かした、あの巨大な異形であった。
わずかに目を見開くアザミの前に、異形たちは自ら横に並んで見下ろしてくる。それはまるでアザミの力を測り、自分たちが有利な隊形を選択したように見えた。
「貴殿の相手は……こいつが務める」
大森林で遭遇したものよりも一回り大きく、そのうえさらなる凶暴性と知性を見せるその異形たちを、マウルはまるでペットのように従えている。何かしらの技術で服従させていることはわかったが、大量の唾液を垂らして唸り声をあげる異形たちを見るに、それを考察している時間はなさそうであった。
言葉もなく異形たちを凝視しているアザミの姿に、驚愕と絶望のあまり声も上げられないと思ったのだろう、マウルはどこか得意げに口を開いた。
「驚かれたことだろう。偉大な魔術は時にこんなものも作り出せるのだ…‼ 生物としての限界を超える能力を有したこいつらと、人類の叡智である銃があれば、国どころか世界をも墜とせるだろう‼ さぁ行け、私の忠実なる生物兵器よ‼」
マウルの号令で、立ち尽くすアザミに向かって三体の異形が飛び掛かる。腕の一振りでも、噛みつき一つでも、尻尾の一薙ぎでも、たった一回接触しただけで即死に繋がりかねない巨大な異形が、三方向からアザミに襲い掛かる。
以下に魔術に長けた、世界有数の実力者と言えども、至近距離から襲い掛かる異形の巨体には対処しきれるはずもない。
絶体絶命としか言いようがないその刹那、アザミがマウルに見せたのは。
いつも通りの気だるげな表情ではなく、汚いゴミを見るような冷たいものであった。
「……本当に、面倒くさいったらありゃしない」
アザミがそう呟いた瞬間、彼女の影がゆらりと揺らめき、その足元を夥しい量の〝黒〟が覆いつくした。
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