プロローグ:一つの国が終わった日
歓声が聞こえる。
鋼がぶつかり合う金属音や激しい爆発音が響き渡り、あちこちで真っ赤な炎が人々が倒れていくその場は、先日まで平穏に過ごしてきた者たちにとっては地獄のような光景だった。
しかしそれは、決して邪な欲望が引き起こした悲劇ではない。長きにわたって積み重なってきた不満や憎悪が限界を迎えた、主犯にとっては正当な決起であった。
「どうして……こうなった……」
建物の陰に身を潜め、ガタガタ震えながら必死に息をひそめる豪華な装いの男が、みっともなく目じりに涙をこらえて小さくつぶやく。
過剰に宝石やきんで全身を飾り立てた彼の体は、贅の限りを尽くした暴飲暴食によってでっぷりと肥え太っている。しかし偏った食事を続けてきたためかその頭皮は眩しく禿げ上がり、実年齢よりも多くのしわが刻まれた顔は醜くおぞましい。
高貴な出身らしい男の傍らには、同じく煌びやかに飾り立てられたドレスを纏った女性と男によく似た男児の姿もあり、同じく恐怖で顔を真っ青にして縮こまっている。
およそ暗い路地に似つかわしくない格好の彼らは、明るい方を走り回る無数の影に怯え、見つからないよう様子を伺っていた。
「おれ達をゴミのように踏みにじった王族と貴族どもはどこだぁ‼」
「自分たちだけ逃げるなんざ許さねェぞ!」
「妹の…家族の受けた苦しみを奴らにも味あわせてやれ‼」
剣や槍ではなく鍬や鎌、武器になりそうな日用品を手にそう叫んでいるのは、獣の耳や爬虫類の鱗や羽毛など動物の特徴を体のどこかに備えている人型の者達だった。
人間の亜種、獣と人が交わって生まれた唾棄すべき種族として忌み嫌われ、奴隷や使い捨ての兵としてこの国に置かれていた彼らが、今は恐ろしい形相で人間たちを追いかけ回し、血祭りにあげている。人間に奉仕するため、人間の道具として存在しているはずの彼らがそんな暴挙に出ているなど、毎日彼らから税を搾り取り、遊んで暮らしてきた高貴な者を自称する男たちにとっては信じられない光景であった。
もっと信じられないものも目に入った。
視線を外せば、王城の壁の上で誰かが立っている。王族の誰かの首を掲げ、城壁の下に集まっている亜人や獣人に見せつけているのは、国内の平和を担っているはずの人間の兵士だった。しかもそれに追従するように、決して少なくない人数の人間の兵士たちが、猛々しく剣を掲げて雄叫びを上げていた。
「悪逆非道の限りを尽くしてきた王家は、今この時をもって滅びた‼ そして今日この時をきっかけに、この国は生まれ変わるのだ‼ 誰も虐げられることのない……真の自由を謳う新しい国に‼」
よく通る声で耳に届くその声に、貴族の男は信じられない気持ちで残り少ない髪をかきむしる。
いつも通りの日々が続くはずであった。綺麗どころをそろえた奴隷のメイドに支度をさせ、貴重な食材をふんだんに使った食事を平らげ、息子とともに趣味に興じ、たまに奴隷を使った遊びを楽しみ、夜は妻や日替わりで入ってくる美女の奴隷と眠くなるまで励む。
そんな素晴らしく喜びに満ちた毎日が続いていくはずであったのに、その望みは儚く崩壊していった。
「どうしてこんなことに……ありえない、あり得るはずがない……! 奴らは人間に奉仕するために存在する、ただの奴隷のはず……私達に反旗を翻すような、そんなことをしでかすわけが……‼」
「あ……あなた……‼」
「父上ぇ……‼」
「ええぃ、うるさいぞ…‼」
金目的ではあったが、見た目が素晴らしいうえに男好きする豊満な身体が気に入って閨に入れた妻と、その結果生まれた自分によく似た息子がすがるように声を漏らす。何の役にも立たない妻と子の視線を、貴族の男は鬱陶しそうに睨みつけて放置すると、どうすればこの窮地を抜け出せるのか必死に頭を回らせる。
しかし悲しいことに、男は金儲けや肉欲に関すること以外には頭が働かず、現状を打開する方法など浮かぶはずもない。
そして、そんな風にただ悩み続けるだけであったことが災いしたか、彼に与えられた時間は尽きてしまったようだ。
「見つけたぞ!」
貴族の男たちが隠れる物陰を、一人の犬の耳が生えた男が覗き込んできた。
血に濡れた包丁を手に、親の仇を見るような憎悪にゆがんだ眼で睨みつけられ、貴族の男はさっと顔面を真っ青に染め上げた。
犬耳の男の後ろから、さらに数人の亜人や獣人たちが集まってきて、同じく真っ赤に濡れた農具の先端を向けてくる。振り向けば、路地の反対側からも凶器を持った亜人たちが集まってきていて、貴族の親子は完全に退路を断たれてしまっていた。
あっという間に変化していく、己を取り巻く環境の変化。向けられる凶器と凄まじい殺気の嵐。失われていく逃げ場と迫りくる死の瞬間を自覚し、貴族の男の精神はついに限界を迎えた。
「ヒッ…ヒィいい‼」
「あなたっ……きゃあああ⁉」
突然悲鳴を上げた貴族の男は、自分の妻を亜人たちに向かって押し出し、路地の奥へと駆け出した。盾にされた妻は悲鳴を上げ、亜人たちが突き出していた凶器で背中を突き刺されてしまう。急所は外れていたものの、体に走った激痛に妻はパニックに陥り、亜人たちを巻き込みながらバタバタと暴れまわって汚れた地面に倒れこんだ。
その時で来た隙間に、貴族の男は肥え太った体を意外に敏捷に滑り込ませ、一心不乱に走り出した。呆然と立ち尽くす息子を押しのけ、たった一人狂った亜人たちの魔の手から逃れようとした。
「あなた、待って……いかないで……‼」
「父上! 父上ぇ‼」
背後から聞こえてくる声も、今の彼には届かない。男の頭の中は自分が生き残ることでいっぱいになっていて、赤の他人に配慮する余裕など微塵も残されていなかった。
亜人たちも、男の予想だにしない行動に一瞬追うことを忘れ、共に逃げ出そうと動いた妻にようやく我に返っていた。藻掻く女と子供を押さえつけると路地の通路は塞がれてしまい、どたどたとみっともない走り方で消えていく男には手が出せなくなってしまった。
二人の人間を見捨て、身軽になった男はいつしか笑みを浮かべていた。こんなにも体が軽いのなら、亜人どもの包囲を逃れることも簡単になるはずだ、と。
「はっ……はははッ! そうだ! つかまってたまるか! 今に見ていろ亜人のクズども‼ いつか目にもの見せて―――」
一気に路地を走り抜けようと、前だけを見て懸命に足を動かし続ける貴族の男だったが、急にその視界が大きく揺れ、地面しか映らなくなった。顔面に走る痛みや、服が汚れた感触で自分が転んだのだと気付くまでに、男は数秒の時間を必要とした。
鼻の下に感じるヌルっとした感触に戸惑っていた男は、コツコツと硬い音とともに視界に映る黒い爪先に目を丸くし、グイッと顔を上げた。
路地の出口を背に腕を組んで立ちはだかる、全身を黒ずくめの衣装で覆った大柄な男の姿を目にした瞬間、貴族の男は再びガタガタと恐怖に震え始めた。
「……見苦しい。ここまで醜く肥え太った害虫は、そう多くはいないだろうな」
「お、おまえは……⁉」
鈍い光沢を放つ黒い鎧を身に纏い、龍に似た意匠の仮面を被った年齢不詳の大きな男。男に対してゴミを見るような、人間であるかどうかすら怪しい異様な風体の男が、実に面倒くさそうに男を見下ろしていた。
知識も教養もない輩でさえ、その名を聞けば震えあがるほど知れ渡っている人物を前に、貴族の男は凍り付いたように動けなくなっていた。
「義理があった故に顔を出したが、お前のような屑の掃除をやらされるのなら、断っても良かったかもしれんな……」
苛立たしげに虚空を見つめる鎧の人物の一言に、男はようやく我に返るとその場で体を起こす。
さっきの言葉を聞くに、彼は明らかに自分を処分しに現れたのだ。しかしどうやら思ったよりも気分が乗っていない様子、ならばまだ見逃してもらえるかもしれないと、男は浅はかな希望を抱いて鎧の大男に向き直った。
「ま、待て……落ち着け。き、貴殿はそもそも革命などに興味はなかっただろう……? ならば、私一人ぐらい見逃してくれてもいいのではないか……?」
ずりずりとゆっくり後ずさり、相手にばれないように距離を稼ぎながら男は説得を試みる。
人間の側に与しているはずの彼が暴動に参加しているからには、何かしらの報酬が約束されているのであろう。ならば自分がそれ以上の見返りを提示すれば、考えを検めるはずだ。義理だの恩だのよりも所詮は金銭への欲が勝るはずだ、と金でしか物事を測れない哀れな男は考える。
相変わらずの冷たい眼差しで見下ろしてくる彼に冷や汗をかきながら、男は恐怖に顔を歪めたまま懇願し続ける。この際全財産をすべて失ってでも、生き残ることだけを願っていた。
「や、屋敷にあった財宝はもう亜人どもに荒らされてしまっているかもしれんがまだだ‼ 隠し財宝がある‼ 役人に賄賂を渡し、長年かけてコツコツ積み重ねてきた財産の隠し場所を貴殿に教えよう! そ、それならばいいだろう……?」
「……別に聞きたくもない上に興味もない。が、確かに最後まで我がこの馬鹿騒ぎに付き合う義理などないのだがな……」
「そ、そうだろうそうだろう‼ だったらもういいのではないか? わ、私はその先へ行かせてもら―――」
男の顔が歓喜に変わった瞬間、彼が動いた。
汚い脂汗まみれの顔が間抜けに呆け、次の瞬間には鼻を中心にめり込む。彼が突き出した靴の踵が突き刺さり、めきめきと嫌な音を立てて変形させられた。
鎧の大男の足はそのまま男の頭を押し出し、地面に叩きつけて踏み潰す。夥しい量の血液や脳漿が撒き散らされ、鉄の匂いが蔓延し始める。ピッ、と自分の頬に飛び散った赤い染みを、鎧の大男は無造作にぬぐい取った。
「……だが、煩い蝿を放っておくほど気が長くはないのも事実」
頭部を失ってビクンと震える貴族の男の体をわきに蹴りどかすと、彼は深いため息をついて歓声の聞こえる王城の方向を見上げた。
支配者たちを、そしてその血縁を次々に血祭りにあげていく、決起した国の英雄たちの雄叫びに冷めた目を向け、賢者と呼ばれる大男は耳障りといったふうに深いため息をついた。
「……正義だの自由だの、くだらないな」
命を踏みにじる人間たちも、怒りのままに暴れる亜人たちも、彼にとってはそうたいした差などなかった。
第一話、お楽しみ頂けましたでしょうか?
この小説はよくある召喚モノではありますが、なるべく他の方々とは毛色の違うものを目指して創作させていただきましたつもりです。
よろしければ完結までお付き合いいただければ幸いでございます。
5/25 編集しました。




