14:話の通じない相手
新たな風が吹き抜け、冷たく凍り付いていた空気が浄化されていく。
キラキラとした輝きの中に包まれるアザミは、気だるげにため息をついて首を鳴らす。今だに痛々しく血を流す腕の傷は、いつのまにか自らが生み出した氷によって塞がれていた。
「師匠……どうなってるの?」
「……どうやら、思っていた異常に面倒くさい状況になってるみたいね」
シオンが不安げに尋ねると、アザミは都市がある方を見やって目を細める。バサバサと森の中から飛び立つ鳥達は、ラルフィント共和国に背を向けるようにしている。彼らの命をも脅かす何かが起きていることは確実であった。
「……全く、この国の連中は私に迷惑しかかけられないのか」
「師匠、行かないの?」
「……行く義理はないわね。馬鹿が勝手に馬鹿をやって死にかけているだけ……もうこれ以上関係ないのに巻き込まれるのは御免なのよ」
アザミの目は、疲れ果てたように死んでいた。
どんなに力を貸そうと、知識を与えて理解を促そうと、人間という種族は変わることなく愚かな行為を続ける。
アザミはそんな彼らを見続けることにうんざりしていた。
しかしシオンは気づいていた、アザミの意識が、不穏な気配のしている国へ向けられていることに。
「師匠、嘘ついてる。国がどうでもいいのは本当かもしれないけど、死んでほしくなさそうな感じがする」
「……余計なことん口を挟むんじゃないわよ。あんたはさっさとここを離れなさい」
「そしたら師匠は行くんでしょ?」
虚ろな目で睨まれてもシオンは引かず、視線を外すことのないアザミを見つめ続ける。
無意識なのか、考えないようにしていたのか、もしくは弟子に自分の考えを見抜かれたことが気に食わないのか、アザミは不機嫌そうに眉間にしわを寄せる。
このようにアザミが感情を表に出すのは、決まってシオンの前であった。
「だったら私も行く」
「……何言ってるの、あんた?」
「師匠がしたいことなら、私も手伝ってあげたい。……あとイワオと甲司の様子も気になるし」
ふと思い出したように呟き、シオンも国境に視線を向ける。二人の重要度は非常に低く、詩が気にかける相手だからと言う理由で救出対象になっているようであった。
「……見たくないもの、嫌ってほど見せられるわよ。所詮人間なんて、一皮むけば醜い本性しか持ち合わせていないクズばかりだもの……助けたって、なんの得にもなりゃしない」
「それでも、私は行きたい。自分がされて嫌なことを、他の誰かがされそうになってるのに見てみぬふりをするのは……いやだから」
じっと師の目を見つめ、向かい合う。
お人好しな自分の弟子を見下ろし、アザミは心底呆れたように目を細める。散々他者からの悪意にさらされ、理不尽な暴力を受けようとも、他者に対する思いやりを失わずにいる彼女の精神の強さには目を見張る。
妙な意地を見せるシオンに対してまたため息をつきながら、アザミは自分の杖を掲げると、弟子に差し出した。
「……使いなさい」
「えっ……で、でも」
「……貸すだけよ。いいから、普通の杖じゃもうあんたの力には耐えられないでしょ」
「そうじゃなくて……」
ためらいながら、シオンはアザミの使う杖を受け取る。出会った時から愛用しているところを見てきた杖を、こうもあっさり渡されてどうしたらいいのかわからずにいるようだ。
一方でアザミは、確かに長年使い続けてきて愛着もある杖だったものの、シオンが考えるほどのこだわりはないために特に気にしてはいなかった。新たに杖を買い与えるよりも、自分のおさがりを渡した方が安上がりだという考えもあったのだが、弟子はそのことには気づいていないらしい。
それ以上に、師匠の愛用品を受け継いだという気持ちの方が強く、喜びの感情まで抱いているようだった。
「……どうせあんた、止めても自分で向かうでしょう。勝手に行って勝手に怪我されるぐらいなら好きに使ってくれたほうが安心だわ」
「いいの?」
「……いいから、行きたければ行きなさい」
シオンは受け取った杖の感触を何度もなでるようにして確かめ、小さく笑みを浮かべる。安物の練習用ではない、本物の魔術師の杖を使えるのだという感覚に、早くも酔い始めているようだった。
シオンはほのかに頬を赤く染めると、興奮を隠しきれないような軽い足取りで森の出口に向かって走り出す。
その背中を見送るアザミの目は、どこかまぶしそうに細められていた。
「……まったく、育ての親の私が言うのはなんだけど、どうしてそうまっすぐ育ってくれたのかしらね」
人間を嫌い、見放している自分とは違う生き方を選ぼうとしている最後の弟子の背中は、なぜだか少し大きく見えた。
◇ ◆ ◇
貿易と金融によって栄えてきたラルフィント共和国。
つい数国前までは人々の喧騒であふれていたその国は今、悲鳴と怨嗟の声が響きあう地獄と化していた。
街のいたるところで突然爆発が生じ、逃げ惑う人々は体に何かが突き刺さる感覚を覚えて倒れていく。夥しい量の血があちこちで流れ、美しい街の景観にこびりついて穢していく。空気は焦げ臭いにおいと煙で汚され、曇天のように空を覆って国そのものを暗く染めていった。
その惨劇を引き起こしているのは、それぞれが手に銃を持って下卑た表情を浮かべる人間たち。煙を上げる銃が逃げ惑う人々に向けられ、放たれた銃弾が急所に食らいついてその命を奪っていく。主に獣の耳を持つ人々やエルフといった他人種が標的とされ、彼らは特にむごたらしい殺され方で屍を地面に積み上げられていった。
「たっ……助けて……!」
「うわあああ‼︎」
誰もが自分の身を最優先に案じ、他者を押しのけながら無法者たちから逃れようともがく。醜い争いを続ける人々にも凶弾は襲い掛かり、あっけなくその命を刈り取っていった。
武装した男たち―――つい先日まで一般人に紛れていた人間至上主義のテロリストたちは、心の底から愉快だというような笑顔を浮かべて他人種を狙い撃つ。まるで自身を縛り付けていたなにかから解放されたかのような、晴れやかな様子で引き金を引くその姿は別の生き物のようにさえ見えた。
「ひゃはははははは‼︎ 殺せ殺せ‼︎ 皆殺しにしちまえ‼︎ 奴隷の分際で人間を見下す下等種族など、存在する価値などないわ‼︎」
傲慢な思想をさも当たり前のように口にする彼らに、逃げ惑う人々から恐怖の目が向けられる。若者たちは初めて見る狂気に怯え、戦争を知る大人たちは蘇る悪夢に戦慄する。幼い子供たちは何が起きているのかもわからずにただ泣き叫び、倒れた親や友達に縋りついて新たな標的となるのを待つしかなかった。
終わったはずの戦が、目覚めたはずの悪夢が再び目の前で繰り広げられているという事実を認めきれず、物陰に隠れる者はぶつぶつ呟きながらと頭を抱えて身を震わせていた。
「ひぃえええ‼︎」
その狂気は、同じ人間であるはずの甲司にも向けられていた。ギルドの制服を乱れさせ逃げ回っていた彼もじきに限界を迎え、路地裏の行き止まりに追い詰められてしまう。
涙と鼻水を垂らした情けない顔でへたり込む甲司に、テロリストたちの悪魔のような笑みと銃口が向けられると、彼は自分の股間から生温かい感触とともに力が抜けていくのを感じた。それを恥とさえ思えないほどに、甲司は目の前に近づいてくる死の感覚に恐怖し、脳裏を過ぎ去る走馬灯に呆然となる。
しかし、テロリストが引き金を引く寸前、ゴッと鈍い音が響き、テロリストの男の体がぐらりと傾ぎ、うつぶせに倒れ伏した。
その後ろで、鞘を抜いていない剣を振り下ろした騎士、イワオは険しい表情で倒れた男を、そしてへたり込む甲司を見下ろした。何も言わないまま甲司のもとに駆け寄り、腰が抜けたように動けない彼の腕を引っ張って無理矢理立たせると走り出した。
「せ、せんせいぃ……!」
「しっかりしろ! 走れ‼︎」
「はっ、はいぃ‼︎」
バシンと甲司の背中を叩き、イワオはテロリストたちの目を探りながら闘争を開始する。
ガシャガシャとうるさく重い鎧を脱ぎ捨て、身軽になったイワオが先頭に立って甲司を導く。甲司よりも長く共和国で騎士を続けてきた彼にとって、迷路のように入り組んだ路地裏は自分の庭のように詳細を把握できていた。
それほど長くこの国に根を張っている彼であっても、今回のような暴動は予想できず、対応が後手に回ってしまっていた。
「くそ……最近妙に人種間でいさかいが起こると思ったら、まさかこんな暴挙に出やがるとは……‼」
地球にいたときでさえ、ニュースを見れば人種や宗教、文化の違いによって生じた諍いが戦争やテロにつながった例は数多い。ファンタジー小説のような住人たちが闊歩するこの世界であっても、生きている以上思想の違いが生じるのは当たり前で、人と人とのぶつかり合いが起こるのは仕方がなかったのかもしれない。
しかし想像することと実際に目にするのとでは、感じる嫌悪感には比べ物にならないほどの差があった。
今起こっているこの争いには正義も真理もなく、ただ悪意だけが撒き散らされている。どこから手に入れたのかも、いつ用意されたのかもわからない銃を手に嗤い続けるテロリストたちに、正しさなどあるはずもなかった。
「ど、どうすんだ先生⁉」
「とにかく国外へ逃げるぞ‼ どこに敵がいるのかもわからねぇんじゃ、防ぎようがねぇ‼」
不安気に尋ねてくる甲司にそう答えるが、入り組んだ路地裏を利用して安全な道を探すも、いたるところで銃を構えたテロリストたちが標的を求めて彷徨っているために引き返し、道を変えざるを得ない。例えくらく目立たない道であったとしても、国外へ通じる大通りへの出口を防がれては逃げようがなかった。
しばらくすると、走り続けていたイワオの足が止まった。顔を引きつらせ、大きく見開かれたその目に入ってきたのは、路地裏の出口で待ち伏せている複数のテロリストたち。
まさに狩猟のように、イワオたちは知らず知らずのうちに罠にかかってしまっていた。
「てめぇら……こんなことして許されると思ってんのか⁉︎」
悔しまぎれにイワオがそう言うと、テロリストの一人がハッと鼻で笑って見せた。完全にイワオたちを見下したその態度に、イワオと甲司は怒りよりも先に恐怖を感じた。
「許される? 当たり前だろう‼︎ 貴様は我らの浄化が間違っているとでも言うつもりか⁉︎」
「浄化……だと⁉︎」
「そう‼︎ これは聖なる浄化の儀式である‼︎ 薄汚い亜人どもをこの国から一掃し、選ばれし種である我々がふさわしき統治を為す‼︎ それを邪魔するものは皆、背反者であり、与するものは滅ぼすべき悪である‼︎」
悪魔のように歪んだ顔、その中心ではどろどろに濁ったような目が爛々と光っていて、この世ではない何かを見ているような、そんな感想を抱かせる。
自分勝手な、正しさなど微塵もない思想に支配された男たちはみな同じような目をしていて、惨劇を前に狂ったような哄笑を上げている。携えた銃を聖なる武器か何かのように誇らしげに掲げ、怯え続ける人々にさも愉しそうに見せつけていた。
「故に天は我々に力をお与えになった‼︎ 薄汚い亜人どもを討ち破るための聖なる火の力をな‼︎」
「……イカレてやがる」
イワオはそうつぶやくが、テロリストたちにとっては真逆であった。
自分たちの正義こそなによりも正しく、それ以外の考えは考慮するに値せず、何よりも相反する思想は駆逐すべき敵でしかない。話の通じない相手とはこのことを言うのか、とイワオは言葉にならない皮肉を内心でこぼした。
そしてやがて、テロリストたちの銃口がイワオたちの心臓付近に向けられた。
「故に、貴様も滅ぶべき悪である‼︎」
◇ ◆ ◇
「すでに学校内は我々の手の者によって支配下にあります。……大人しくしていただこう、シェラ・アルヴェンス殿」
魔術学校の理事長のもとにも、魔の手が広がっていた。
理事のイスに座って、憮然とした態度で前を見据えているシェラに、無遠慮に入室した男たちが銃口を向けていた。
開かれたままの扉の外に見える血痕や、視界の端に覗いている人間の腕を目にし、シェラは深いため息をつくと、自身の顔のしわをさらに深めた。
「……愚かなことをしたものです。貴方がたは、平和になった世を再び戦乱に巻き込もうというのですか」
「我々にそんな意思はありませんよ……ただ我々は世界をあるべき姿に戻したいだけなのです。汚らわしい亜人どもを表舞台から排除した清らかな世の中を」
箍が完全に外れ切った、自分の言葉と行為に酔っているような状態のテロリスト達に、普段は温厚なシェラも嫌悪感をにじませる。
若者たちを教え導く者として20年、この学校で誠心誠意務めてきた彼女にとって、ゆがんだ思想を周囲に押し付ける彼らの存在は吐き気を催すものであった。本来であればそれを止め、正しき道に戻してやることも一教師である自分の役目であるという思いもあったが、男たちの目を見る限り既に手遅れであるとしか思えなかった。
「とはいえ……我々もただ殺すだけの殺戮者ではありません。身の程を弁え、自ら下る意思をお見せになった方にはちゃんとした対応をさせていただきますとも」
「……自ら奴隷となり、全てを差し出せと?」
「もちろんでしょう?」
自分がどれほど傲慢な事を口にしているかなど微塵も考えていない様子で、シェラの正面に立つ男―――フェムトは首をかしげる。なぜいまさらそんなことに答える必要があるのか、といった様子であった。
いつもは繕ったような愛想笑いを浮かべている彼の顔は、本来の残虐性を表したような醜い笑みを浮かべていて、とても他の生徒たちには見せられない様をさらしている。
「亜人も獣人も、我々人間に奉仕する姿こそが正しい。権利だの自由だの謳い、我が物顔でのさばっていること自体が罪なのですよ」
一教師のはずのフェムトは、シェラにとって悩みの種であった。実力の高さはもちろんあったし、知識も十分ではあったものの、彼自身の他人種への差別意識がときおり問題として挙がり、対処に頭を悩まされてきたものだった。
しかし、今もなお権力を有する貴族の口利きで転任してきた彼を処断すると、貴族側からの干渉がある可能性があったために強く手が出せなかった。
その結果がこれであると考えると、シェラはやるせなさでいっぱいになってしまった。
「あなたの魔術の知識と経験は、きっと我々の血となり肉となる……それだけの価値があるのです。できれば反抗することなく、我々に従っていただきたい」
「要するに、死にたくなければ言うことを聞けと? ずいぶん一方的なお願いですこと……」
「理事……あなたもわかっておいででしょう。これはお願いなどと言う軽いものではありません、命令です」
見せつける銃口が放つ凶弾は、シェラが魔法を発動させる暇さえ与えずに彼女を貫くだろう。
調査が難航していたのは、この一件に関わった貴族たちがどこかで情報を操作したか、それとも独自のルートで計画を進めていたか。どちらにしてもシェラは、この戦いに敗北したのだ。
自分の力が足りなかったことに悔しさは感じるものの、無様に感情をあらわにするようなことはせず、ただ粛々とフェムトを見据える。相手に弱い姿を見せれば、人間としても敗北してしまうと思われたからだ。
「何も今すぐに返事が欲しいわけではありません。お気持ちが変わるまで、あなたにはしばらく別のお部屋で過ごしていただきます。ああ、その間この部屋では私が勤めますから、ご心配なく」
男たちが銃をくいっと上げ、シェラに立つように示す。
シェラはそれに静かに従い、男たちに追い立てられながらも楚々とした態度を崩さず、まるで自らの意志であるかのようにふるまって退出していく。場所を明け渡す形となると、フェムトは開いた理事の椅子に座り、地位さえも自分のものになったような満足げな笑みを浮かべた。
すると、扉をくぐる直前にシェラは唐突に立ち止まり、にやにやと笑みを抑えられずにいるフェムトに口を開いた。
「……最後に私から一つだけ。計画というものはね、うまくいかないのが当たり前なの。当てずっぽうで雑でしかないこの暴動がうまくいく確率は……ほぼ0%よ」
「……連れていきなさい」
シェラの警告を、負け犬の遠吠えか何かのように気にせず、フェムトは椅子を回して背を向ける。
一切警告を信じず、現状においての結果に満足しているフェムトにシェラは呆れたため息をつくと、男たちに促されるがまま理事長室を後にした。
男体は興味もない理事長室には残らず、ただ一人フェムトだけを残していった。
「…………ククク、実にいい景色だな。この部屋は」
街が一望できる窓を前にして、フェムトはより笑みを深める。理事長に対して使っていた敬語も捨て、本来の彼の荒々しい言葉遣いを解放する。彼は実に晴れやかな気分であった。
規律だ平和だとフェムトたちを厳しく律しようとしてきた、目の上のたんこぶであった理事長も、そして不快な亜人や獣人も近いうちに一掃できる。自分の学校をきれいに掃除できる期待感にあふれた彼は、いずれそう遠くないうちに手に入る国そのものの姿を夢想し、陶酔した様子で背もたれに体を預けた。
「これでもう、ここは私のものだ……誰にも文句など言わせはしない……‼︎ 私こそがこの学園で讃えられるべき存在なのだ……‼︎」
己だけが全ての頂点に立ったような感覚に酔いしれながら、フェムトは刻々と近づきつつあるその時を待ち遠しく思うのであった。
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