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【初期版】創世の賢者【連載凍結】  作者: 春風駘蕩
第Ⅰ章 怠惰な魔女と異世界漂流者
14/69

11:造られた命

 細かな木片を撒き散らせ、宙を舞う鴉の形を模した柄頭の杖の残骸。

 目の前で砕け散った、安物の大量生産品ながら長年愛用し続けてきた相棒の憐れな姿を前に、シオンは倒れながら呆然となる。残った柄を握りしめながら、同時に砕けてしまった障壁の向こう側から牙をむき出しにする巨大な異形に息をのむ。


「うぁぐっ‼︎」


 背中から倒れ、その痛みからようやくシオンは我に返った。地面にぶつかった反応で自分の体を転がし、勢いよく上下から襲ってくる異形の牙を辛うじて躱す。

 ガキンッ、と甲高い音を立てて閉じられた顎の間に、自分のローブの端が巻き込まれるのを見てシオンは慌てるが、異形は待ってはくれなかった。ワニのような顎にそのまま振り回され、視界が上下左右に凄まじい勢いで振り回されて意識が遠のきかける。

 歯を食いしばってそれに耐えるが、食い破られたローブが徐々にミチミチと引き裂かれ、やがてちぎれてシオンの体が空中に投げ出された。持ち前の身体能力で、何とか大樹の幹に激突することは避けたものの、杖を失ってしまっては反撃に転じることもできず、シオンは思わず歯噛みする。


「グオオオオ‼」


 攻撃手段を失ったシオンに向けて、異形は長く太い複数の腕を振り回す。通常の生物ではありえない連続の攻撃にシオンは戸惑い、必死の形相でそれらを躱していくが、見た目以上の敏捷性を見せる異形の前に徐々に後方に追い詰められていく。

 不意に、足元への注意がおろそかになっていたシオンの足が何かに引っかかる。それが張り出した木の根だと気付くよりも前に、シオンはバランスを崩して意識がそれてしまった。

 体を傾がせるシオンに、異形の巨大な前足が直撃する。猛牛の突撃にも匹敵しようという衝撃がシオンに襲い掛かり、少女の軽い体は軽々と吹っ飛ばされてしまった。爪が引っかかったのか、それともシオンが吐いたものか、赤い雫が空中に飛び散って草木を汚し、そのうえでシオンの体が跳ねる。

 雑草の上でバウンドしたシオンの体はそのまま草むらの中に突っ込み、長い足を突き出した体勢でそのまま動かなくなった。


「うああああ……うわあああああああ‼」


 一方で、新たな脅威の出現に慎二はパニックに陥り、悲鳴を上げながらその場でもがく。後ずさろうとしているのだろうが、腰が抜けてまともに動けなくなっていて、踵がガリガリと地面を削るだけであった。

 そんな情けない悲鳴を聞きつけ、異形がぎょろりと鋭い目を向ける。食欲ではない、相手をいたぶる欲求を見せる瞳孔が細められ、涎を垂らす牙が剥き出しにされる。その様は、どう猛な笑みを浮かべているようにも見えた。


「グオオオオオオオオオ‼」


 開かれた口から、咆哮とともに肉片や血飛沫が撒き散らされる。巨大熊を食い殺したときの名残が慎二の顔面を汚し、ビリビリと大気を伝わる咆哮が耳朶をなぶる。

 慎二はみっともなくも顔中から体液を流し、なおも逃れようと手足をばたつかせる。頭の中はもう自分が生き残ることしか考えられず、ただただ泣き叫ぶことしかできない。

 ズシンズシンと地面が陥没するほどの重量が徐々に距離を詰めていき、逃げることもままならない青年をいたぶるように牙を見せつけ、凄まじい声で吠えて涎を浴びせかける。獲物を買うつもりなど鼻からありはしない、弱い種族を一方的に甚振ることを愉しんでいる、それが明らかだった。


「ひっ……ひぃぃい……」


 慎二の目が、あまりの恐怖でぐるりと裏返る。泡を吹きながら白目をむいた彼はそのままあおむけに倒れ、ぴくぴくと体を痙攣させる。生への執着も、圧倒的な死を目前にしては毛ほどの役にも立たず、かろうじて保っていた意識が手を離れてしまったようだった。

 逃げることを諦めてしまった獲物に、異形はどこか物足りなさげに唸り声をあげる。しかし標的を変えることはせず、慎二の無防備に放り出された手足に視線が向く。

 その目が語っていた、痛みで無理矢理叩き起こせば、もう少し楽しめるだろう、と。

 舌なめずりをしながら再び開かれる大顎が、もろい人間の手足に突き立てられようとしたその時だった。


「なめるな、バケモノ!」


 怒りに満ちた少女の声とともに、異形の背中から一条の鮮血が噴き出す。

 完全に不意を打たれた背中の痛みに異形はビクンと体を震わせ、次いでその痛みに悶えて腕を振り回して暴れ始めた。その背に刃を突き立てている少女を振り落そうと、辺りの大樹に頭から突っ込みながら滅茶苦茶に暴走を始める。

 サバイバルナイフを掴んだシオンは、それが抜け落ちないように必死にめり込ませながら、自身に縦横無尽に襲い掛かる重力に必死に耐える。頭から血を流し、いまだ鈍い痛みが全身に残る中、振り落とされないように固い皮膚にしがみつく。

 異形は首を回してシオンの体に食らいつこうとするが、太い首では自身の背中にまでは牙が届かず、ガチガチと虚しい音が響くだけにとどまる。ならばと大樹の幹に自ら激突して押しつぶそうとするも、シオンはおのれの体を振り回してそれを躱し、逆に異形に打撲痕を残させていく。硬い皮膚であっても、何度も幹にぶつかっていくうちに負荷がかかり、次第にぼろぼろと表面が剥がれ落ち、内側の柔らかい肉にも損傷を与えていった。

 しかし異形も学び始めた。突如全速力で走りだしたかと思うと、勢いに乗ったところで急に停止するという行動をとったのだ。


「……! しまっ……」


 ただ振り回されるよりも、慣性の法則による急停止の負荷の方が強く、ずるりとシオンの手からサバイバルナイフが離れてしまう。ナイフの柄を掴み続けて皮膚が裂け、血がにじんで滑りやすくなったこともあるだろう。シオンの体は再び空中に投げ出されてしまった。

 異形は目の前を落下する少女に狙いを定め、その巨大な顎を限界まで開いて向かってくる。その顎からはより多くの唾液があふれ出し、自身を翻弄し馬鹿にした獲物がようやく仕留められることへの歓喜が表れていた。

 シオンは目前に近づいてくる尖った牙を、茫然と凝視することしかできない。全身の鈍痛も手のひらの痛みも忘れ、自分に向けられる悪意と死の予感に動くこともできなかった。

 大きく見開かれた黄金の瞳に、歪に並ぶ凶悪なナイフのような牙が映り込んだ。


「……シオン‼」


 だがその凶器は、シオンの前から忽然と消えた。

 正確に言えば、突然異形の横から襲い掛かった衝撃波が巨体を吹き飛ばし、シオンの視界から消しただけだった。

 異形の巨体は大樹の間をすり抜けるようにしながら宙を舞い、川の近くの岩場に激突してようやく止まった。岩の破片があたりに飛び散って異形の異形を埋めるが、少しの間の後に異形が暴れて崩れ、目を血走らせる異形が再び顔を出した。

 殺意に満ちたその目が向いているのは、異形を吹き飛ばした眼帯の魔女。へたり込むシオンを庇うように立ち、短く折りたたんだ杖を腰に下げた彼女は、右足を振り上げた体勢のまま異形を睨みつけ、フゥッと短く強く息を吐く。


「……いい加減にしろよ、ゴミクズが」


 異形を怒りのままに蹴り飛ばしたアザミは、腰に提げた杖を抜き、勢い良く振って柄の部分を伸ばす。折りたたまれた上半分が展開し、一振りの斧のような刃が生えると中心の宝玉に魔力の光が灯る。

 途端にアザミの周囲に魔法による冷気が漂い始め、パキパキと真っ白に草木が凍りついて粉々に砕け散っていく。アザミの立っている周囲だけが真冬の極寒の森へと変わり果て、霜や氷によって純白に染め上げられていく。アザミの魔力が影響を及ぼしているのか、アザミの頭上には分厚い雲が漂い、吹き抜ける風までもが冷たく凍てついていく。


「……私の弟子をここまでいたぶってくれたんだ、ただで済むと思うなよ」

「グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ‼︎」


 個人で天候をも変える恐ろしき魔女を前にしても、異形は全く退く様子を見せなかった。威嚇するように唸り声をあげ、いまにも飛びかからんと姿勢を低くして手脚の筋肉を盛り上げる。

 そして地面まで振動させるほどの咆哮を放ち、細くとも柔らかそうな肉体を噛み砕かんと襲いかかる。上下からの大顎に加え、左右から複数の腕が魔女の体を叩き潰そうと迫った。

 だが。


「……うるさいっての」


 鬱陶しそうにつぶやかれた直後、猛スピードで迫っていた異形の体がピタリと静止する。動きどころか鼓動も呼吸も止まり、一瞬にして真っ白に染まった全身を冷気がまとわりつく。

 見れば異形の真下から数本のつららのような氷の槍が伸び、異形の腹を貫通して空中に縫い付けているのが見え、冷気の中心もそこであることがわかった。

 周囲の森でさえも凍らせる凄まじい力を見せつけたアザミは白く息を吐き、ザクザクと凍った草を踏みながら異形の元へと近づいていく。


「……紛い物の分際で調子に乗るからだ、愚か者が」


 ピンッ、と凶悪な形相の異形の鼻先を指で弾くと、凍りついた体に猛烈な勢いで罅が入っていき、最後には轟音を立てて粉々に砕け散る。かろうじて元の全体像がわかる程度の大きさに割れた異形の末路を見下ろしながら、アザミは気だるげな表情でため息をついた。

 アザミはもう動くことはない異形を放置し、目を見開いて呆然と見つめてくるシオンの元に戻る。血を流す弟子の痛ましい姿に目を細め、いつもより優しく肩を貸して立ち上がらせた。


「……シオン、生きてる?」

「何とか…」


 少しよろけながらも、シオンは大樹の幹につかまりながら立つ。

 その表情がどこか不満げに見えるのは、最近自分がボロボロにされることが多いために悔しさを感じているからだろうか。

 しかしアザミの顔をみるとそれは困り顔に変わり、半ばからへし折れた鴉の杖の残った柄を見せた。


「師匠……ごめん。杖、折れちゃった……」

「……謝らなくてもいいわ。あのバカ貴族との戦闘ですでに限界に近かったのね。まぁ、安物だから仕方がなかったと思いなさい」


 アザミの慰めでようやく気を持ち直したのか、それとも別の話題で気分を変えたかったのか、シオンはバラバラの凍結死骸となった異形の方をじっと見つめる。

 細かく分かれてもその大きさが伝わる、普通ではあり得ない姿をした歪な怪物を見下ろし、ブルリと体を震わせて肌をさすった。決してそれは、周囲の寒さによるものだけではないはずだ。


「師匠、こいつなんなんだろう……?」

「……さぁね、少なくともこの森で生まれたやつじゃない。おそらくどこぞの研究機関で生み出された失敗作が処分を免れて逃げ延びて、ある程度成長してから好き勝手暴れるようになったってところでしょうよ。……はた迷惑な話」

「……そのせいで」


 気味悪げに異形の残骸を見下ろしていたシオンの視線が、また自分の杖の方に向いてしまい肩が落とされる。

 アザミはその肩を叩き、呆れた目を向けた。


「……そんなに落ち込まなくても、また新しい杖ぐらい用意してあげるわよ」

「でも、初めて師匠にもらった杖だったのに……愛着もあるからもっと長く使いたかった」

「……物好きな」


 大した贈り物でもなかったのだが、シオンにとってはあの安物の杖はかなり大切なものに昇華されていたらしい。安上がりな弟子だと呆れ果てつつも、今後のシオンの修行のことを考えて、早いうちに新たな媒介を手に入れる必要があることを考える。


(……そろそろあの子の魔力に、普通の杖じゃ耐えられなくなる頃合いだと思っていたけど……こんなに早かったなんてね。ちょっとぐらい、奮発してやろうかしら)


 せっかく試験も終わり、弟子が一人前の魔術師に近づきあるのだ。多少の贅沢をさせてやっても誰も文句はいうまい、と誰にとも言えない言い訳を考えるアザミ。

 多少値が張っても、性能の高い杖はどこの社のものがいいかと記憶を巡らせるアザミだったが、パキン、と凍った葉の砕ける音に我に返る。

 まだ、驚異が去ったと保証されたわけではないのだ。


「……とりあえず、さっさと森を出るわよ。こいつがたった一匹だとは思えない……面倒なことになる前にさっさと離れるわよ」


 負傷したシオンを抱え、アザミはもう一人の人間の姿を探す。

 思わぬ事態に巻き込まれたようだが、これも身の程を考えずに首を突っ込み、余計な仕事を増やした自業自得だと理解すればいい。しかも今また自分に探させていることも十分反省してもらいたいと、アザミは心底気だるそうにため息をつきながら思っていた。


「……あら、だらしがない」


 果たして慎二は見つかった。

 地面のど真ん中で、だらしなくて足を放り出して白目を剥きながら、そして股間から生暖かい湯気を立ち上らせながら。


     ◇ ◆ ◇


 森の入り口と国境の壁の境目にある草原に、大勢の鎧を着た男たちが集まっていた。

 急所を守る金属の防具と関節を覆う皮鎧を着込み、空色の羽織を肩に纏った大柄な男たちは、草原に散らばりながら慌ただしく動き回っている。正体不明の異形に対処するために、人員を配置して回っているのだ。


「協力感謝する、魔女殿。まさかこのような事態に巻き込んでしまうとは……大変申し訳ない」


 胸の鎧にラルフィント共和国の紋章を刻んだイワオが脇に兜を抱え、硬い表情で草原の途中にある岩の上に腰を下ろすアザミに詫びる。

 国の治安、そして国に害をなす存在を排除する役目にあるはずの騎士団が後手に回り、国民のうちに犠牲者を出してしまったことは恥以外の何物でもなく、黒髪の騎士は厳しい叱責をも覚悟する。

 しかしキセルをくゆらせるアザミは表情を変えることも視線を向けることもせず、面倒臭そうに森の方を見やっていた。

 アザミが氷付にした異形の残骸の元へは、すでに騎士団の小隊が調査に向かっている。細かい仕事は騎士たちに丸投げするつもりのようだ。


「……謝るより前に、説明してくれないかしら? アレは一体どういうことなの?」

「以前より、森に入った冒険者や巡回の騎士が何名か行方不明になる事件が続き、一時森の入り口を封鎖せねばならないという話が上がった直後だったのです。しかし上の許可がなかなか下りず、このまま被害が拡大してしまうところでした」

「……本当に鬱陶しい連中ね、あんた達の飼い主は」


 副団長であるイワオの苦労が目に浮かぶ。豪快できのいい男としてこの国では知られている男だが、事なかれ主義の上の連中や市民からの苦情で板挟みになっていることも多いのだという。

 組織というものは、上に行くほど腐りやすくなるというのはアザミも長い間見てきた経験があるために、その下で働かされる連中の気苦労はよくわかる。ただし決して慰めるつもりなどないが。


「まぁしかし、これで上の頭の固い連中も重い腰を上げるでしょう。いつもいつも魔女殿には苦労をかけます」

「……あんたもさっさと出世して、まともにしてほしいものね」


 騎士といえば誉れ高いイメージを抱かれやすいが、この国においては都合のいい労働力と言った風合いが強かった。

 犯罪者などを捕らえたりと街の治安を守る仕事は確かにあるものの、騎士団が取り扱うのは酔って暴れた浮浪者や万引きなどの犯罪を犯した青少年など、重要度の低い案件ばかり。凶悪犯の検挙などは、国が抱える魔術師などに回される。

 所詮は魔法も使えない、体を使うことしか能のない落ちこぼれの集まりだと、国内の大抵の人間は認識していた。


「……じゃ、アレは任せるわよ」

「ええ、もちろんです。恩人であるアザミ殿の顔に泥を塗ったあいつには、俺の方からきっちり説教をかましておきますから」


 腰をあげるアザミにイワオはそう言い、自分たちのいる場所から離れた国境の壁の前に座り込んでいる青年に厳しい目を向けた。

 自分の華々しい活躍に執着していた青年は、見る影もないほどに静まり返り膝に顔を埋めている。相当心に傷を負ったようで、イワオの視線を受けてもピクリとも動かなかった。


「…………」

「……まぁ、ちっとは現実を見る気にはなったろうから、今はやめておいてやるか」


 見るからに意気消沈している慎二にイワオは腹の中で渦巻いていた怒りを少しだけ抑える。

 十分反省している相手にこれ以上圧力をかけても意味はないだろう、となるべく気を遣ってやろうとした。


「だがこれだけは言っとくぞ。せっかく助かった命、てめぇがそれでいいならいつ死んでも構わねぇがな、人に迷惑かける死に方だけはすんじゃねぇぞ! わかったか!」


 予想通り、慎二の方から返事はなかった。頷く気力もないのか、それともショックから立ち直れていないのか、うつむいたまま動こうとはしなかった。

 イワオは困ったように後頭部をかき、隣をサクサクと通り抜けていくアザミに気づいて慌てて頭を下げた。


「つーわけで魔女殿、ご足労おかけしました」


 アザミは答えることなく、他の騎士から手当を受けているシオンの方へ向かう。

 全くと言っていいほど、自分に弟子以外には興味を示さない魔女のいつも通りの様子に苦笑しながら、イワオは部下たちに混じって作業に加わる。

 一人残された慎二には誰も注目することなく、夕焼け空にみすぼらしい姿が照らし出されていた。

 ゆえに誰も気づかなかった、膝に隠されている彼の両の目が大きく見開かれ、ぐるぐると鬱屈した闇に染まっていることに。


「……なんで俺がこんな目に合わなきゃなんないんだよ……なんでモブばっか目立ってこんな恥かかなきゃいけないんだよ……お前らはただの設定だろ……ただの背景と同じだろなんでなんでなんで…………‼︎」


 呟く度に濃くなっていく自分勝手な不満と傲慢な考えは、作業を終えたイワオが戻ってくるまでずっと続いていたのだった。

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