くるくるの怪談は
とは言え、代用教員の夏彦さんは、ちゃんとやっていた。わたしたちの面倒を見てくれたし、暇さえあれば川遊びにも、山歩きにも付き合ってくれた。
田舎は実にのどかだった。それは戦争のときは色々あったのだろうが、わたしたちには米軍機に追いかけられた経験も、空から何か落ちていたと言う記憶もない。たまにどこそこに復員があって、お祝いをどうすべえと言う程度が、戦争に関する話題の主だった。
疎開先でも、わたしたちも焦っていなかった。父は東京に再就職のあてはなく、末はどこかで借家を拾って友達の会社でも手伝おうかなどと話していた。
「お前、戦争終ってさっさと東京さ帰れ!」
と二言目には疎開っ子をいじめていた秀坊も、この頃は言わなくなった。でもこれは皆の前でわたしと、つかみ合いのケンカをして負けたせいだと思う。
「夏彦さんは、いつ帰ってしまうの」
その頃のわたしは、何度も聞いた。わたしは東京に帰りたいとは思わなかったし、夏彦さんには夏彦さんのままでいて欲しかったのだ。夏彦さんはいつも、笑って答えなかった。夏彦さんはパラオの神様だったから他の大人のように、嘘を言ってごまかすことが出来なかったのだと思う。だからそんなときは、ただ笑顔でわたしの頭を撫でてくれた。
「夏彦さんは、いつ帰ってしまうの」
それは子供の頃のわたしの最大の不安だったように思う。
夏彦さんがいつか、夏彦おじさんになってしまうのは、わたしにとっては何かの終わりのようだったのだ。お父さんが復職して東京に帰ろうと言いださないのも、夏休みが毎日続くのも、実は夏彦さんのせいみたいな気がしていたし、わたしはいつまでもそのままが良かった。
蚊帳をつらない夏彦さんの部屋で夕涼みをしたり、縁側で線香花火をしたり、井戸で甘酒やスイカを冷やしたり、アルマイトの大きな平鍋でどっさり茹でたとうもろこしをほおばったり。それらは皆、夏彦さんがくれた思い出だった。
とても平和な時代だった。みんな貧しかったけど、都会のようなひさんな事件は起きなかった。それはたまに復員兵の空き巣が捕まったりだとか、つまらない泥棒が捕まったりはしたけれど、危険なことは何もなかった。村中が知り合いで、それ以外の人などめったに見かけなかったから。たまによそ者の泥棒が捕まっても、みんなそれで怒り出すことはなかった。みんなが大らかで、たいていのことは大きな問題にならないうちに済んだのだ。
むしろ長引いたのは、不思議な事件である。と、言ってもとても他愛のないもので、ただ説明がつかないから解決しない、だからみんなの噂になると言うだけのことだったが。
例えば一番流行ったのは、『くるくる』。
そんな妖怪が出る、と言うお話である。当時はわたしたち小学生ばかりじゃなくて大人も知っていた。駐在さんも、よく話を聞いていた。不思議な妖怪に化かされた話だ。
この『くるくる』。
出るのは『兵隊さんのお堀』と言われる野道の辺り、と決まっていた。『兵隊さんのお堀』と言うのは、岸線の森の中に設けられた砲台陣地の跡のことだ。戦争の末期、本土決戦が叫ばれた頃、上陸する敵を迎え撃つために陸軍が大きな砲台を運んできたのだ。
軍艦を使って海から揚げられた砲台は、海岸に設置されると当然、思われていた。でもこの九十九里の海岸線は、どこまでも真っ平な浜なのだ。こんなところに砲台を置いたら丸裸、どんな深い穴を掘っても、爆撃でふっ飛ばされてしまう。
そこで考えられたのが、海岸沿いの森の中に砲台陣地を築くことだった。幼いわたしもおぼろげながら大人たちの話を憶えている。穴堀工事は当然兵隊さんがやったが、村の人たちも道案内や宿の手配でてんやわんや、結局、米軍はやって来ず、砲台は片付けられ、陣地は草地が伸び放題の不思議な大地になっていた。
それでも未整地だった山林に兵隊さんが作った道はしっかりして出来が良く、便利なので、村の人はありがたがって使っていた。子供たちも埋め戻さないままの砲台跡地が珍しく、遊び場になった。ちょうど大地にぽつんと、巨大な一つ目玉が立っているように見えるのである。
『くるくる』は、その目玉の上に腰かけている。ちょうど幼いわたしのような、おかっぱ頭でモンペ姿の女の子だと言う。
「くるくる?」
と、女の子は尋ねる。当然、聞かれた方は判らない。親切で聞き返すものもあれば、無視する人もいる。すると女の子は寄ってきて、いつまでも同じ質問を繰り返すそうな。
「くるくる?」
「くるくるしないよ」
「くるくる?」
「くるくるしないってば」
気味悪がって、皆、早足になる。どこまでも女の子はついてくる。誰もがその頃には早くその兵隊さんのお堀を抜けたいと言う心持になっている。でも、
(あれ…?)
どこまで歩いても同じ場所なのだ。あの大きな一つ目玉の上。ちょこんと女の子が、腰かけている。
「くるくる?」
はっとしてみると、女の子の目玉は輝くような金色の蛇の目になっていて、それが顔半分が目玉になってしまったように大きい。お化けだ、と分かった頃にはもう遅い。そのまま気が遠くなって、朝まで目覚めない。
気が付くと必ず元の場所にはいないそうで、人のうちの納屋の使わなくなった風呂桶にはまりこんでいるものもいれば、ひどいのになると水路や肥溜めに落ちた人もいたらしい。
「それは大変だね」
夏彦さんは、わたしたち小学生の話を最初は面白がって聞いていた。後で聞いてみると、パラオでも森にいる精霊たちがいたずらをすることがあるらしいのだ。大人たちの話では、あの山の辺りに『五日屋』と言う狐が棲んでいて悪さをしたので、そのせいではないかと言うのだ。