いつか入れ替わる
確かにいつわりの夏彦さんは、夏彦おじさんじゃなかった。
南洋で日焼けしているのもあったが、注意して見たらそれが夏彦おじさんでないのは、誰の目にも分かったはずだ。
まず、わたしの知っている夏彦おじさんは、本の虫だった。実際、大学は理工学部に行っていたので難しい洋書を持ち歩き、ちびた鉛筆を持って一日中部屋に籠っている。勉強中は外に出ることはおろか、窓を開けるのも嫌がった。夏など、虫は羽音がするだけでもおぞけがすると言って、分厚い蚊帳を編んで部屋に吊っていた。
(その甲斐あってか、パラオでは戦闘員ではなかったそうだ。大人たちが口々にするには飛行場の技術者として、終戦までどうにか無事に勤め上げたらしいのだ)
でも夏彦さんは違う。夏彦さんは、外が好きだった。もういい大人なのに、マムシが出ると言われた沢の藪にも、スズメバチの巣があると言う篠林にも、ふらふらと潜り込んでしまう。
「外地が長かったから、外慣れしたんだべえ」
と、大人たちは弁解するように言っていたが(田舎にも戦争帰りは多く、しばらくの間はとても気を使われた)、未整地の森に入ったまま何日も帰って来なかったり、誰もいない海岸沿いを朝方ふらふら歩いて漁師のおじさんたちに気味悪がられたりとするものだから、次第に変人扱いされるようになった。
結局、お父さんの伝手でおじさんは、分教所の代用教員に収まったのだが、ひとけのない場所を放浪する癖は相変わらずだった。
「どうも地質学に興味があって何かを、調べとるようで」
と、言うのが、夏彦さんの苦情が持ち込まれたときの父の言い訳だった。
でもわたしは、知っていた。
ある日、夏彦さんは、昼間でも暗い林の中を何か不思議なものに添われて歩いていたのを。闇の中でふわふわ光るそれは真っ白で、怪談話で聞く人魂のようだった。そのことを話すと、夏彦さんは、自分がいつわりの夏彦さんなのだと、ついに白状したのだ。
「いいかい、よく見ていて」
と、夏彦さんが手を地面に置くと、何もない地面から草花が萌えるのだ。みるみる育った芽は、懐の深い葉をうっそうと茂らせてたちまち白い花を芽吹かせた。わたしが息を吐く間もなく、それはドクダミの花の茂みになったり、シロツメクサの絨毯になったりした。
「こんなことも出来るよ」
お米を解いたとぎ汁が、夏彦さんが触れるとぶくぶく泡を吹いて、たちまち甘酒になったのには驚いた。井戸で冷やしたそれを、夏彦さんは口止めの代だと言って、わたしにごちそうしてくれた。こんなことが出来る夏彦さんの秘密を、わたしが人に話すわけはなかった。
夏彦さんはとても古い、パラオの神様だったのだと言う。そのお社は、密林に埋もれて、もう何百年も人の手が入らないままだった。日本軍が飛行場を作ると言うことで、取り壊されるところを、夏彦おじさんに救ってもらったのだそうな。
「私は久しぶりに、いい人間に会った」
そこで身代わりに復員する役を務めたのだと言う。
「本物の夏彦おじさんは、どうなったの?」
「ちゃんと帰る途中さ。でも、まだちょっと帰って来れない」
「怪我をしたの?それとも、病気!?」
夏彦さんは、何も答えなかった。代わりに、わたしのおかっぱ頭をくしゃくしゃに撫で、にっこりと笑った。
「大丈夫、本当の夏彦おじさんは、今に帰ってくる。いつの間にか、入れ替わる約束なんだ。だからそれまでそっ、としておいてほしいんだ」
うん、と気持ちよく返事をしてからわたしは、少しいやな気持ちになった。
夏彦さんはいつか、いつの間にかいなくなってしまう、と言うのだ。