わたしの夏彦さんは
夏彦おじさんが、少しおかしかった時期がある。
あれは戦争が終わって間もなく、わたしがまだ、疎開先の分教所に通っていた頃だ。
夏彦おじさんは、ある日突然、遠い南の島から帰ってきたのだった。それはパラオと言う、沖縄よりもずっと南の島で、ぼろぼろのゲートルにくしゃくしゃになった略帽を被った夏彦おじさんは、真っ黒に日焼けして、ひょこひょこあぜ道を歩いてきたのだった。
あまりに変わり果てた姿に本当に別人みたいだったと、復員祝いに来た人たちは皆、口々に言ったものだ。
「実はね美代ちゃん、僕は本当に夏彦おじさんじゃなくてねえ」
ある日、困ったように夏彦おじさんが、わたしだけにそっと教えてくれたのは、もう誰にも話せない秘密だ。
「夏彦おじさんが帰ってくるまで、それは秘密にしていてほしい。…いいかな?」
幼いわたしは言われるがままに、頷いた。皆が言う通り、おじさんはやっぱり変だとは思ったが、わたしは元の夏彦おじさんよりも、この夏彦おじさんの方が、もしかしたら好きだったかも知れなかった。
「じゃあ、夏彦さんだね。おじさんじゃないんだから」
わたしの口からは自然に、この言葉が出た。今にしてみれば、不思議だと思うのだが、当時のわたしは単純で、おじさんと言わなければ、この人は別の『夏彦さん』でそれで良いのだと、思い込んでいたのだ。
「そうだね、僕は夏彦さんだ」
夏彦さんは、困ったように笑った。そして小さなわたしと同じ目線になると、わたしのおかっぱ頭をくしゃくしゃに撫でつけた。わたしは言った。
「でもいつわりの夏彦さん、だね」
今度は夏彦さんは、おかしそうに笑った。小さいわたしが、思ったより難しい言葉を知っていると思ったのだろう。
真夏の午後の陽が、いつわりの夏彦さんの顔に影を落とす。その後ろでは、思わず見上げるほど大きな入道雲が群れ集まっていた。