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06:加速する名声と、エマ・ジレの心情

 ”花麗国”の王都に、花が咲き乱れる。かつての華やかさにはまだまだ物足りないが、それでも人々に新しい時代の到来を予感させた。

 新しい国王の即位式が行われるのだ。

 革命からの戦争直後ということから、贅沢な式典は控えられていた。だが、新しい王さまは馬車に乗って、王都を回ることになっていた。

 それを人々は自宅や公園で育てた花から摘んだ花びらでもって、歓迎することにしていた。

 エマたちも同じように、孤児院で咲かせた花から花びらを準備した。マクシミリアンがくれた種から育った花だ。

 馬車が孤児院の近くの道を通る。

 子どもたちは楽しそうに花びらを撒いた。エマも小さな女の子を手伝いながら、そうしようと思った。

 が、その手が止まった。

 花びらが降り注ぐ馬車の上で手を振っていた青年も止まった。琥珀色の瞳が、申し訳なさそうに揺らいだ。

 エマは口を手で押さえて、孤児院に駆け込んだ。そして、泣いた。

 新しい国王はマクシミリアンだった。

 彼が神聖イルタリア帝国皇太子の第三皇子だったのだ。

 そして、彼女が泣いて嫌だと言った、彼女の結婚相手だった。


「嫌なんかじゃない! 嫌なんかじゃなかった!

でも……でも……」


 子どもたちが心配して、彼女の部屋を覗いた。


「ごめんね……大丈夫だから……」


 それでもエマはやっぱりしくしくと泣いた。


 二人は遠く離れてしまった。もう孤児院にマクシミリアンは来なかった。ただ国王の名で、援助があるのみだ。

 マクシミリアンからもらった花の種は、夏にも咲いた。黄色い花だ。太陽に向かって咲くという。

 久々に彼女を訪ねてやってきた青年がいた。マクシミリアンではなく、アラン・ド・マルフィ。彼女の従兄だった。


「アラン兄さま!」


「エマ……無事だったんだね……」


 アランもまた、彼女に申し訳なさそうな顔をした。


「どうなさったのですか?」


「君の父上と姉上の話だよ」


 エマの父・シャンヌ伯爵と姉・サビーナはエンブレア王国に逃れていた。しかし、姉・サビーナは亡くなったという。その顛末は実に姉らしいものだった。

 伯爵領とその権威を取り返すために、ベルトカーン王国の諜報員に騙され、エンブレア国王の愛人になって、国政に干渉しようとしたという。

 それはベルトカーン王国による”花麗国”侵略の手伝いだった。そのことが明るみになり、彼女は罰せられた。

 エマはその性格上、姉を憎むことは出来なかった。憐れだと思い、涙を流した。


「エマは優しいだね」


「アラン兄さま、正直、もうそんな風に言われるのが辛いのです。

誰も彼も、私をそう褒めてくれます。でも、それが辛いのです。私はただ、成すべきことと信じたことをしているだけです。

間違いも多いです」


「そうか……ごめんね」


 アランはエマの頭を撫でた。


「エマはそのままでいいんだよ。だけど可哀想に、そんな優しいエマを利用しようとしている人間がいるんだ」


 嘆く従兄の真意を、エマは察した。


「ヴァイオレットさまのことですか?」


「そうだ……エマはあのお姫さまの性根を知っているんだね」


 「ああ、だからこんなことに」「そもそも私がエマの話など、するべきではなかったのだ」と、アランは頭を抱えた。


「ヴァイオレットさまは確かに……その……ちょっと問題がある方かもしれませんが、王妃としての責務をやり遂げました。

お見事な方だと思います」


 なんだかんだ言って、ヴァイオレットは”花麗国”に留まり、その名声でもって、改革を断行していた。幼王に嫁いだ時には、あまりにも内部の腐敗が酷く、成果が出なかったことも、革命によって膿が出たおかげで、随分と滑らかに進むようになっていた。彼女を邪魔する者も批判する者も、もういない――。

 ふと、革命すらも彼女の罠だったのかもしれないという考えがよぎり、頭を振る。怖いことを考えてしまった。


「お前を王妃にしたいと言っている」


「お断りしたはずです」


「あの人が、諦める性質だと思うか?」


「それで説得に?」


 そう言うことらしい。

 が、アランは子どもたちに芸術の素晴らしさを教えるのだと、一緒に絵を描き始めた。


「適当に時間を過ごして、エンブレアに帰る」


「アラン兄さまもエンブレアに?」


「ああ……エマを一人残して……すまない」


 エマ一人ではなく、シャンヌ伯爵領民全員を見捨てたマルフィ家の嫡男だった。


 この人もきっと、ずっと心の中にわだかまりを抱えて生きて行くのだろう。ただし、彼はよい意味でも悪い意味でも前向きで飄々としていた。エマはアランのことを憐れだと思うことも、心配することもしないと決めた。伯爵領と領民を見捨てたことを後悔するような覚悟を、アランはしていない。

 自分は自分の選択に、後悔はしないだろうか。エマは王城を見ずにはいられなかった。そこにはマクシミリアンがいるのだ。

 そしてヴァイオレットも……。

 

 ついに業を煮やしたヴァイオレットから、再び登城の命令が来た。

 久しぶりに会ったヴァイオレットはふくよかになっていた。

 いいや、そうではない。彼女はなんと妊娠していた!

 一体、どこの誰の? エマが絶句していると、ヴァイオレットはそんなことどうでもいいとばかりに言った。


「ねぇ、王妃にならない?」


「――なりません」


「なんで!? だってマクシミリアンなのよ!」


「だからです……」


 エマは泣いた。


「だって、嫌だって断ったのに……相手がマクシミリアンさまだからって……分かった瞬間、王妃になります! なんて、虫が良すぎます」


「いや、それ、違くない?

むしろ、これが運命なのね! と盛り上がるのが普通だって! 私、そうなると思ってたから、馬車でマクシミリアンを王都中、回らせたのに!」


「そんな風には思えません。

大体、マクシミリアンさまは私に失望したに違いありません。

頭っから王妃になれない、無理だって……そんな覚悟もないような娘、王妃には相応しくありません」


「あんた虱以上に面倒くさい思考してる娘ね」


 虱!?

 あんまりな言いように、さすがのエマも怒ったものかと悩んだ。

 するとヴァイオレットが苦しみ出して、それどころではなくなった。

 出産の時が来たのだ。

 ヴァイオレットがエマに手を差し伸べた。余程、不安らしい。弱音が出た。


「手を握っていて。痛くて、怖いから。

エマがいれば、私はきっとあの恐ろしい革命と戦争を生き抜いた時の気持ちに戻れるわ。

そうしたら戦えるから――」


「怖くなんてないですよ。

ヴァイオレットさまはこれから人を殺すんじゃありません。産み出すのですから」


「あなたが同じ目に合う時、隣でその言葉、言ってやる!」


 実に”らしい”憎まれ口が飛び出した。


 ヴァイオレットの出産は長くかかった。

 扉の向こうで、マクシミリアン国王が行ったり来たりしているらしい。


「いたって何の役にも立たないから、どっか行ってよ! このは渡さないわよ!」


 エマの手を離さないヴァイオレットは叫んだ。ついでに「痛い!」という意味らしきことも言った。


「聞いてもいいですか?」


「こんな時に!? あなた悪魔!?」


 罵倒されたのに、エマは嬉しくなった。自分だって嫌な面がある人間なのだ。それに、嫉妬心だってある。


「マクシミリアンさまの子どもなんですか?」


「違うわよ、この虱娘! 私が愛した……一番、好きな人との子どもなの!

だから女王になんか、なりたくないんだって! 家に帰るの! 違う! あの人と、この子が帰る家を作りたいの!

今度こそ、好きな人と結婚するの! 最初っから好きな人と結婚出来る女が、偉そうに聞くんじゃないわ!」


 それからはエマは何が起きたのかよく分からない。赤ん坊は生まれたが、泣き声がなかった。ヴァイオレットは自分の子どもを胸に抱き、鼻に口を当て、何かを吸った。

 それで息が通じた。

 盛大な産声が響いた。


「産まれたのか!?」


 マクシミリアンが部屋に飛び込んできた。幾多の戦場を駆け抜けてきた勇者が、産室の惨状に卒倒した。それとこれとは違うらしい。


「マクシミリアンさま!」


 ヴァイオレットの手が離れたのをいいことに、エマはマクシミリアンを抱き支えた。

 皆、ヴァイオレットと産まれた子どもにかかりっきりで、国王陛下にまで気が回らない。


「いくらなんでも酷いです」


 噂。

 実権はヴァイオレット王太后が握り、マクシミリアン国王はお飾りに過ぎない。


「そんなことないわ。だって、あのヴァイオレットさまなら、面倒なことは全部、人に任せるはずだもの。やってるように見せてるだけだわ」


 妙な信頼だったが、その通りである。

 エマは外の空気を吸わせた方がいいであろうと、庭に連れ出した。

 そこまでで、彼女はへたり込んでしまった。マクシミリアンの頭を自分の膝に乗せて、その場で休ませることにした。

 マクシミリアンは腕で自分の顔を覆っている。


「情けない……」


「大丈夫ですか……陛下……」


 そう呼ぶべきだろう。


「エマ?」


「はい……陛下……」


「――っ!」


 顔から腕をどけたマクシミリアンは下からエマを見上げて、彼女の膝の上から転がり落ちた。


「陛下!」


 地面に突っ伏したマクシミリアンをどうしたものかと、エマは途方に暮れた。


「大丈夫……だから……」


 そうは見えない。


「陛下」


「ごめん」


 そのまま謝られた。


「いいえ! お水はいかがですか?」


「いや、そっちじゃなく」


「え?」


「”花麗国”の国王になるって……言わなくて……びっくりしただろう」


 一晩中泣きました。

 エマはその時のことを思い出して、泣きはじめた。


「泣かないで……君を泣かせない為に、頑張ったのに……」


 マクシミリアンはエマの頬の涙を拭った。


「笑っていて欲しいんだ、エマに。

その為に、私は”花麗国”の国王として、努力しよう」


 不特定多数のエマだ。私じゃない。

 マクシミリアンは公平で誠実な人間だから、個人の為ではなく、全体の為に尽くすのだ。

 

「ありがとうございます」


「エマ……」


 自分なりに想いを伝えたのに、博愛精神の豊かな彼女は、マクシミリアンも同じような人間だと判断してしまったようだ。

 どうしようもなく、またもやエマを手放したマクシミリアンに、産褥の床からヴァイオレットはあきれ果てた。


「なぜそこで逃す! 好きなら好きと、一気に押して押して押しまくりなさいよ!」


「私はあなたではないし、エマもあなたではないのです」


 父親不明の……マクシミリアンは相手を知っているが……子どもを産んだ王太后に、さすがに厳しめの口調になった。

 この始末をどうつけるつもりだろう。


「エマと結婚するために、”花麗国”の王になったのに?」


 神聖イルタリア帝国皇太子の第三皇子だったマクシミリアンに、”花麗国”の国王になるように要請があった時、彼は渋った。

 自分はその器ではない、と。

 荒廃した”花麗国”を立て直すには、並大抵の覚悟と手腕では務まらない。

 そんな彼に、ヴァイオレットはあらかじめ考えていた条件を提示した。

 即ち、新しい”花麗国”の王妃には、エマ・ド・マルフィを立てる、というものである。

 つまり、国王になればエマと結婚出来るし、エマと結婚したければ国王にならなくてはいけない。

 無茶な話に聞こえるが、ヴァイオレットにしてみれば道理が通っている話だった。

 ヴァイオレットはエマとマクシミリアンの二人が惹かれあっているのをちゃんと知っていたし、二人とも王と王妃に相応しいと見込んでいたからだ。

 ある意味、彼らは相応しすぎたとも言えよう。


「その考えが不純でした。きっと彼女はそれを知ったら軽蔑するでしょう」


 真面目か! 駄目だ、こいつら。

 ヴァイオレットは産まれたばかりの息子を抱きながら、嘆息した。しかし、そこで諦めるようなヴァイオレットでもない。

 彼女は息子を餌に、エマを呼んだ。エマは乳幼児の扱いにも長けていので、意見を聞きたいとかなんとか、いくらでも口実があった。


「あまり長く留守にすると、子どもたちが寂しがります」

 

 そう言いながらもヴァイオレットの息子・フィッツジョアンの可愛らしさに、ついつい長居をしてしまうエマに、執務を終わらせたマクシミリアンが挨拶に来る。

 赤ん坊を抱いたエマの姿を、マクシミリアンは眩しそうに見る。


「孤児院でも思いましたが、あなたはどの子も同じように慈しむのですね」


「皆、可愛い私の子です。この国の子どもです」


「そうですね……」


 マクシミリアンはヴァイオレットを呪った。

 なぜエマを見つけてしまったのだろう。自分だけが彼女を知っていれば、”花麗国”撤退に紛れて、こっそりここから連れ出したのに。

 同時にエマを恨めしく思った。

 なぜこんなにも”完璧な王妃”候補なのだろう。自分だけが彼女を独り占めなど出来ない。

 それが、どうにも悔しく、恨めしく、たまらなく恋しかった。

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