03:義勇軍でのエマ・ジレの活動、その2
エマの想いとは裏腹に、王都に近付くにつれ、戦闘は激しくなるばかりだ。
ベルトカーン兵士の捕虜も増えてきた。捕虜は戦争が終わるまで後方に送られ、収容される。
彼女はそんな彼らにも分け隔てなく手を差し伸べた。彼らだって、ベルトカーン王国にいたら、よき父、よき夫、よき息子だったのだと思うと、見捨てることは出来なかった。
「補給物資が来るのですか?」
ある日、ヴァイオレットに呼び出されたエマは、その旨を告げられた。
「そうよ。
なので、あなたの部署で必要な物資を計算して、教えてよこして欲しいの。
明日まで」
「ベルトカーンの捕虜の皆さんの分も構いませんか」
「勿論よ」
「ありがとうござます」
ヴァイオレットはエマのすることに反対しなかったが、ベルトカーン兵士への世話は、周囲からは反感を持たれていた。
同じく傷病者の手当てを担当する中年女性は、面と向かって批判した。
そんな彼女にエマは「もし自分のお子さんが同じような目にあったら、そうして欲しいとは思いませんか?」と説得しようとした。すると「私の息子はベルトカーン人に殺されたんだ!」と返ってきた。エマは一瞬、怯んだが、「では、他のお子さんのことを想って下さい。この人たちにも親がいるのです」と言うと、今度は言葉ではなく、平手打ちが返ってきた。「この偽善者!」
それ以来、ずっと険悪な関係だ。
女性はベルトカーン人にまで限りある物資を使って助けるなんて、敵対行為だと言って憚らなかった。
それでもヴァイオレットの後押しがあって、エマは怯まずベルトカーン兵士の世話を続けられていた。
それにしても、明日までだなんて急な話だ。
エマは徹夜で計算する羽目になった。そこにベルトカーン軍で会計を担当していたという人間が、自分たち捕虜が必要としている数を教えてよこした。彼、エルンスト少尉はベルトカーン軍の捕虜の中でもリーダー的な人間だった。
「ありがとうございます」
「いいえ、ジレ嬢。礼を申し上げるのは私どもの方です。
戦いに負け、捕虜となり、怪我人も病気の者も捨て置かれると思いました。
それをあなた様が助けて下さった。一同、感謝しております」
「当たり前のことをしただけです」
近くにいたあの中年女性がふんっと鼻を鳴らした。
エルンストは笑い、エマを少し離れた所に連れて行った。
「物資の都合がついたのですか?」
「はい。明後日には皆さんに栄養のある物を食べて頂けます」
「私たちも?」
「はい!」
エマは嬉しくなって言った。「ヴァイオレットさまが勿論そうするように、と」。
「そうなのですか。
さすが世に讃えられるヴァイオレット王妃。感服いたします。
と、言うと、物資を運ぶ船は南の海岸に到着して、積み荷は街道を運ぶのですかね?」
「さぁ? 私には分かりません」
「そうでしたね。
なるべく早く物資が届くことを望むあまり、気がせいてしまいました。
困らせてしまってすみません」
「いいえ、お気持ち、分かります」
エマがヴァイオレットに必要な物資の数を申告しに戻ると、彼女は変わらぬ慈愛の笑みをたたえていた。
「あら早かったわね」
「皆さん、手伝って下さいました」
「それはよかったわね。あなたが親切だから、皆に慕われているのだわ」
「それはヴァイオレットさまのことだと思います」
「ありがとう。
でも、今はあなたの方が皆からの信頼が厚いようよ。
中にはあなたに触れると生きて帰ってこれるという兵士もいるという」
「それは……」
エマは戸惑った。確かにそう言って、彼女の手に触れる兵士も多くなった。
「または病気や怪我が治る。
まるで”王の手触れ”のようだ、と」
「畏れ多いことです」
王さまの手には治癒の力が備わっている。大陸中で伝えられている話だ。それになぞらえることなど、エマには身の余ることである。
それに彼女の手に触れた者でも、帰ってこなかった兵士、死んでいった兵士も多かった。
「私にはとてもそんな力はありません」
いつの間にか、自分の存在が、自分とかい離していくようで恐ろしかった。
「そんなことないわ」
ヴァイオレットは自分の評判を凌駕する勢いで、兵士たちから親愛の情を集めはじめている少女に、やっぱり優しい笑みを浮かべて、その手に触れた。まるで自分にもその恩恵を得たいと言うように見えた。
「ヴァイオレットさま?」
「お菓子を食べていきなさい」
「でも……」
「いいから」
多少、強引に、エマは引き留められた。ヴァイオレットから兵士の衛生状況や、改善点を教えて欲しいと言われたので、丁寧に受け答えをした。しばらくすると、ヴァイオレットは「そろそろ頃合いだわ」と呟き、エマに防水紙に包んだ書類を渡した。
「お願いがあるの。これを届けてくれない? 今、ちょうどいい人材がいないのよ」
見れば、いつも側に侍っている士官たちがいなかった。
エマは深く考えもせず、それを受け取った。
それは罠だった。エマに対するものでもあり、また別の者に対してのものでもあった。
ヴァイオレットの命令を遂行しようとエマが歩いていると、いきなり横から人影が飛び出し、彼女を引き倒した。
「――っ!」
抵抗しようにも出来ない。口を塞がれ、持っていた包を奪われる。
『やはりな』
その声はベルトカーン人の捕虜、エルンストのものだった。
『よくやった小娘。
これがあれば、物資を横取りできる』
『お見事です少尉。捕囚の屈辱を耐えた甲斐もありました』
『この娘はどうしますか?』
何人ものベルトカーン人がエマを見た。皆、彼女が手当てした兵隊たちばかりだった。いつの間にか、逃げ出していたのだ。
『ここで殺すのはまずい。
連れて行こう――』
エマはベルトカーンの兵士たちに連れ去られてしまった。途中で、新たに逃げた捕虜たちが合流する。
兵士の一人に担がれて、森の中に運ばれると、そこにベルトカーン軍の斥候部隊の基地があった。
『”花麗国”の物資に関する情報を手に入れた』
エルンストが、逃げ出して来た捕虜たちに不審と侮蔑の目を向ける仲間にそう説明した。彼らはそれを見て、口々に何かいい、中にはエルンストに握手を求める者もいた。
『この娘は?』
『情報を手に入れるのに利用させてもらった。
もう用済みなので、殺そうと思う』
銃をくれ、というエルンストを誰ともなく止めた。
『待って下さい! 彼女は我々を敵味方区別なく助けてくれたのです』
『とても優しい娘です。殺すのは可哀想です。逃がして上げて下さい』
一部のベルトカーンの捕虜だった兵士が必死で彼女を守ろうとしてくれた。
『あんたたちには、人の情がないのか!』
叫んだベルトカーン兵士の声に、澱みなく凛々しいベルトカーン語がかぶさった。
『その通りだ。お前の命は助けよう』
驚くベルトカーン兵士が瞬く間に血の海に沈む。
”花麗国”軍の急襲だった。
『エルンスト少尉、案内、ご苦労』
マクシミリアンがこれ見よがしに、そう言うものだから、斥候部隊の隊長とおぼしき男が怒った。
『裏切り者!』
『違う! 私は――!』
隊長はエルンストを撃ち殺した。
しかし、その隊長もマクシミリアンの手によって殺される。彼はそのまま、エマの元に走った。
「エマ!」
彼女の戒めを解きながら、マクシミリアンは「すまない」と何度も謝った。
一時間もしないうちに、ベルトカーンの斥候部隊は壊滅した。
エマはマクシミリアンの馬に乗せられ、元の陣地に帰った。後ろには命を助けられた、数名のベルトカーン兵士がとぼとぼと続く。
「エマ……」
マクシミリアンの琥珀色の瞳が、案じるように彼女を見上げた。
エマは一言も口にしなかった。ただ、愚かな自分を責め続けていた。あやうく皆を危険にさらすところだった。
”花麗国”の陣では、逃げ出さなかったベルトカーン兵士に対しても、処分するように訴えが起った。
「こいつらがいると、我々の食糧が減る」
「息子を殺した奴を生かしてはおけない!」
またもや殺せ、殺せの大合唱だ。
「駄目よ。
捕虜の虐待、虐殺は禁止されているの。
”花麗国”がまともな国家であるためには、守らねばなりません」
ヴァイオレットは監視を強化しても、過度な制裁は控えるように申し渡した。
連れ帰ったベルトカーン兵士も加える。
エマはやっとのことで「庇って下さってありがとうございます」と声を掛けた。ベルトカーン兵士は俯いた。
”花麗国”語で言ったので、伝わらなかったのかしら? とエマが思っていると、マクシミリアンはそれを打ち消すように、彼女の手を握って、すぐに離した。
補給の船は、とっくについていた。
多くの食料がいきわたり、人々は安堵する。そうすると、ベルトカーン兵士にも寛容になったようで、もう彼らを殺せとは言わなくなった。
エマも包帯と薬を得て、傷病者の間を手当てして回った。ベルトカーン捕虜の場所に行くのには勇気がいったが、彼女は殊更、笑顔を見せて、何もなかったように看病した。ベルトカーン兵士はそんな彼女に、一層、感謝の念を抱いた。
それでもう、ベルトカーン捕虜の組織的な反乱は抑えられた。
斥候部隊も壊滅出来、物資も守られた。王都奪還を目の前にして、後顧の憂いがなくなったのだ。
それがヴァイオレットの企みだった。
エマがベルトカーン兵士に信頼されていること、エマがベルトカーン兵士を信用していることを逆手に取って、偽りの情報を流して扇動したのだ。
あの王妃は恐ろしい人だ。でも、間違ってはいない。斥候部隊と密かに連絡を取り合っていた不穏分子をあぶり出さなければ、背後から急襲される恐れもあったのだ。傷病者を慰問しているだけかと思えば、ちゃんと捕虜の動きも見ていた。
だけど――。
はぁ、と小さくため息をついていると、マクシミリアンが近寄って来た。
「お疲れですか? 働き過ぎではないかと案じています」
「いいえ! 皆さんと比べたら、私の働きなど微々たるものです」
「そんなことありませんよ。あなたはよくやっています。
あんなことがあったばかりなのに、物資が来てから夜通し働いていたそうではないですか」
「お役に立てていますか?」
エマの純粋な眼差しに、マクシミリアンは恥じたように視線を下げた。「とても。申し訳無いほどです」
それから懐か小さな包を取り出した。
「昨日の配給でもらいました。よろしければどうぞ」
それは甘いお菓子だった。
「いただけません。マクシミリアンさまの物です」
「私は甘い物はそう食べませんので……」
押しつけられた。昨日のお詫びです。そう聞こえた気がした。
彼はヴァイオレットに命じられ、エマを囮に使う作戦を指揮したのだ。彼の発案ではないはずだ。もしかすると、直前まで知らされず、ただ追いかけろと言われたのかもしれない。
いくらだって言い訳が出来たのに、彼はそうしない。謝罪も現地でおこなったきりだ。
マクシミリアンは許してもらおうと思っていない。自分の行いを誰のせいにもせず、受け止めている。
エマは弱々しく笑いかけた。
「すみません、用事があるので失礼します」
一礼して、マクシミリアンはすぐに立ち去った。
その後、彼は自分がエマにあげた菓子が、親をなくした子どもたちの手にあるのを見つけ、微笑んだ。
エマ・ジレという娘はそういう少女なのだ。
誰にでも優しく、皆に愛されている――。