02:義勇軍でのエマ・ジレの活動、その1
街には義勇軍が溢れた。
彼らの構成は、”花麗国”の民衆だけではなかった。マクシミリアンがそうと名乗った通り、神聖イルタリア帝国軍がいた。サイマイル王国軍、エンブレア王国軍もいた。
つまり彼らは”花麗国”王妃ヴァイオレットの元に結集した軍勢なのだ。海軍が目立ったのは、どうやらヴァイオレットは”ベルトカーン軍に攫われる途中で、海の上で奪還されたから”らしい。そしてそのまま、進軍してきたという。
随時、陸軍の応援部隊が到着していた。
それでも、多くの人間は新しい不安に襲われた。
”花麗国”はこの三国によって分割統治されるのではないか。
街角で、酒場で、人々は義勇軍の目を避けて、こそこそと話し合った。
エマはやるせない気持ちになった。
「助けて貰ったのに、そんなことを言うなんて!」
そんな彼女を見る目は、どこか遠慮がちで余所余所しいものだった。
彼らはエマを殺そうとした。積極的ではなかったものの、見殺しにしようとした。知らぬ顔をした。
エマだけではない。
街の住民たちは互いに互いを密告し合っていたのだ。隣の家の夫を殺した者。向かいの家の息子を殺した者。復讐に恐れるもの、報復を誓うもの。
「そうは言うが、ベルトカーン軍が侵攻してきているのだろう? 義勇軍に加わって、もし負けたらまた……」
鍛冶屋のおやじが言った。ベルトカーン軍は大陸最強の陸軍と言われ、恐れられていた。いっそ抵抗しないでベルトカーン王国に屈服したほうが、とりあえずの被害は少ないのではないか。その場合、”花麗国”はベルトカーン王国の属国となってしまうが、仕方が無い。
「そうさせないためにも、私たちが戦わないといけなんじゃないですか?
”花麗国”の人間が誰も戦わず、他の三国の軍隊が戦って王都を奪還したら、そりゃあ、自分たちの取り分を要求してきますよ。
自分たちの国を守るのは、自分たちなんです。それをしないのは、もうここは自分たちの国じゃないと、認めたようなものです」
「エマは女の子だからな……」
誰かが言った。義勇軍が募集しているのは男だ。そうでなくても男手が少ないのに、軍隊はまた若い男を徴兵しようとしている。
ベルトカーン軍との戦闘になれば、また街や畑が荒らされる。
義勇軍からもらった温かいスープを飲みながら、街の人間がまた、ひそひそ話に戻って行った。
母親の所に行くと、領主夫人がいた。
「エマ、ありがとう。
あなたが抵抗してくれたおかげで、命拾いしたわ」
夫人は感謝の意を表し、「もしよかったら、一緒にサイマイル王国に行かない?」と誘ってくれた。
そこに親戚がいるらしい。ちょうど陸軍を運んできたサイマイル海軍の艦が新たな援軍と物資を運ぶために、国に戻るらしい。その艦に便乗させてもらえそうだという。夫人はもう”花麗国”を見限るようだ。
「母を……お願いします」
「エマ!」
自分は行かないという表明だった。
「私、義勇軍に参加します」
勿論、反対された。
女の身で軍隊に入るなんて、あり得ない、と。
「”花麗国”の為に、私が出来ることがあれば、そうしたいのです」
決意は変わらなかった。
エマは早速、義勇軍の本陣へと向かい、その旨を伝えた。彼女は救護と炊事洗濯の下働きとして徴用されることになった。
エマの街から義勇軍が離れる前に、ヴァイオレットはきっちりと革命軍の指揮官を断頭台の露にしていった。
「全てはこの男が扇動したことだ。この街の罪は、この男が全て地獄に持って行く。よってこれからは一致団結して、この街の復興に力を尽くしなさい。もし、後ろめたい気持ちを持つものがあれば、人の倍、働きなさい」
街の人はこれからも、わだかまりを抱えて生きていくしかないが、一人の男に全ての責任を押しつけることで、少しは自分たちに言い訳出来るのだろう。
冬はもうすぐそこまで迫ったいた。”花麗国”と三国連合軍は急いで進軍する。
その強行軍は男でも根を上げるほどのもので、女の身では辛いものだった。前方を行くヴァイオレット王妃は馬に乗っている。
誰かが無言で彼女の荷物を持ってくれた。見れば、エマと同じ街から志願した兵士だった。それが彼が出来る彼女への、精一杯の贖罪なのだ。
その日は、街道沿いで野営をすることになった。
そうなってもエマは休むことが出来ない。むしろ、そこからがエマの仕事だ。足を痛めた兵士に処置をし、湯を沸かし、水があれば洗濯をする。
食料は乏しく、エマが食べようとする頃には、鍋の底にへばりつくように残ったものをかき集めなければならなかった。
それでもようやく食事を取ろうと、隅の方に座っている彼女を探す人物がいた。
あのマクシミリアンだった。手には湯気の立つ椀。士官用の食事だ。
「これをどうぞ」
「あの……そういう訳にはいきません」
やっとのことでかき集めた冷えた残飯を見つめる。それだけで悲しくなるような景色だ。
「食べなさい。これは命令です」
そう言われてしまう。そう言わせてしまった。
エマはマクシミリアンの親切を素直に受取れなかった自分を恥じた。
マクシミリアンは黙って、彼女の椀と自分のものを交換して、食べ始めた。
「そんなものを食べてはいけません」
「そんなものを、あなたは食べようとしていたのですか?」
「私には……そんなものではありません」
「では、私もそうです」
マクシミリアンはどういう身分の人間なのだろうか?
彼はひとたび戦場に出れば、恐ろしいほど冷酷に敵を殺していくが、そうでない時は、とても上品で優雅な人物に見えた。年もまだ二十代半ばに見える。若くして海軍の艦長になったということは、実力だけでなく身分もありそうなのに、ちっとも偉ぶった所がなかった。
「早く食べないと、冷めてしまいますよ。
明日、物資が届きます。そうしたら、もっとまともなものが食べられるでしょう」
「それはよかった! 皆、お腹が減っています。
包帯と薬も足りません。それも届きますか?」
「……ええ」
エマが椀の中身を食べ始めたのを見て、マクシミリアンは微笑んだ。
「あなたが義勇軍に参加しているのを見つけて、とても驚きました。
こんなことを言うのは気が引けますが、なぜ志願したのですか?
あなたのような若い娘さんには、危険です」
「少しでもお役に立ちたかったんです」
「あなたは十分、我々の役に立ちました」
どういうことだろうと首を傾げるエマに、マクシミリアンは説明した。
「あなたが時間を稼いでくれたおかげで、軍が間に合いました」
「そんなつもりでは……」
また恥ずかしくなる。この立派な軍人さんには、生にしがみついた自分はみっともなく見えただろう。
「いいえ、とても勇敢でした。
あのような場で自分が正しいと思っていることを主張出来るなんて、なかなか出来ません。
皆、あなたの言葉に自らを省みていた。
あなたは……エマ? そうお聞きしましたが……」
「はい! エマです。エマ・ジレと申します」
エマは生まれてはじめて自分が伯爵家の娘で良かったと思った。
そこで教えてもらった礼儀作法が役に立ったのだ。
立ちあがり、膝を曲げた最上級の挨拶に、マクシミリアンは照れたよう頬を染めた。
「ただの一艦長です。そこまでの礼は必要ありません」
「助けていただきました!」
そう言ってから、あの恐怖と嫌悪が襲ってくる。
「皆、いい人だったのに、どうしてあんな風に変わってしまったのでしょうか……」
「エマ」
マクシミリアンは彼女の名をしっかりと呼び、遠慮がちにその手に触れた。
「非常の時にこそ、人の真価が試されるといいます。
でもね、私はこう思います。
そんな真価が試されるような非常事態、出来れば無い方がいい。
たとえ偽善にまみれようと、平和な世界の方がずっといい」
それから、琥珀色の瞳が真摯な光をたたえた。
「ましてエマのように、どんな時でも、真実、優しい娘が怖い思いをしたり、不幸になってはいけない」
「まぁ」
エマはなんと言っていいのか分からなかった。ただ、温かい食べ物のおかげか、胸がいっぱいになって、身体の体温が上がった気がした。
最後にマクシミリアンは「やはり義勇軍は抜けた方がいい。これからベルトカーン軍との戦闘に入ります」と忠告していった。
それを素直に聞いても良かったのに。
怪我人が溢れる陣の中で、エマは何度もマクシミリアンのことを想った。だが会いたいとは思わなかった。ここで会うということは、マクシミリアンが怪我をした時だからだ。
ただ、ヴァイオレットには何度かも会った。
彼女は頻繁に、傷病者を慰問しに来ていた。ある時は、腹部を撃たれ、死を間近にした兵士に寄りそった。「母さん、母さん」とうわ言を言う彼を、「私の子。よく頑張ったわね」と抱きしめた。兵士は微笑みを浮かべて死んでいった。またある時は、傷口にわくウジ虫を、一匹ずつとってあげた。
帰る前には必ずエマに「衛生には気をつけなさい」と指示していった。
それなのに、なぜかエマは他の人と同じように、ヴァイオレットをただ尊敬の目で見ることが出来なかった。
ヴァイオレットの服は常に血にまみれていた。それは敵の血だけでなく、味方の血でもあった。彼女は傷病者に対し慈愛をもって接したが、軍規違反を犯したものには厳しかった。
”花麗国”と三国連合軍は略奪と暴行を厳しく戒めていた。それを行ったものは、容赦なく銃殺刑に処された。同盟国の兵士でも区別はなかった。
それに関して、エマには苦い体験があった。
彼女が一人になった時、男が襲って来たのだ。
男はエンブレア王国から派遣された兵士だった。押し倒され、顔を殴られた。
『大人しくしていろ! 俺たちはお前たちの国の為に戦っているんだぞ!』
言葉は分からなかったが、怖かった。
すぐに別の兵士が助けに来てくれ、エマは難を逃れた。
引き立てられた兵士は涙ながらに「殺さないでくれ」と願った。
エマのせいだとも言った。『あんな可愛らしい娘が、愛想良く微笑みかけたら、誰だって勘違いする』、『好きになったあまり我慢できなかったんだ』と。
マクシミリアンはあの時のように静かに怒り、淡々と銃殺刑の準備をしたが、エマは助けてあげて欲しいと願った。自分も悪かったのだと思ったのだ。周りの人間、同じエンブレア王国の兵士ですら、「そんなことはない」とエマを庇ったが、ヴァイオレットはその助命を受け入れた。
男は喜び「二度とこんなことはしない!」と誓い、その舌の根も乾かぬうちに、同じようなことを他の少女に対して行った。
その時も未遂で終わったが、男に襲われかけた少女を抱きしめたまま、その母親はエマを睨んだ。「あなたがあの時、あんな男に情けをかけたせいで、うちの娘が恐ろしい目に合うかもしれなかったのよ!」
ヴァイオレットは沈痛そうな顔で、あるいは、それ見たことかと男を銃殺した。
エマは思った。
ヴァイオレットはこうなることを予想していたのだ。あの男には予め見張りをつけてあったのだろう。一度目の犯行で断罪すれば、エンブレア王国から派遣されてきた兵士たちから反発が起きるかもしれない。他国の為に命をかけることに疑問を抱いている者もいる。それが鬱屈した気持ちを抱かせる原因にもなっていた。
だが、二度目とならば。それも被害者から助命されたというのに、同じような犯罪を犯したのだ。言い逃れ出来ない。
それを前例に、他の同盟国の兵士にも適用することが出来る。
新しく志願してきた義勇兵、補充された同盟国軍で構成される雑多な連合軍の規律は、いやまして守られるようになった。
自分はもしかすると、その為の口実にされたのかもしれない。それが彼女がヴァイオレットに抱く不信感の小さな種だった。
そんなこともあって、エマはより一層、身の振る舞いに気をつけるようになった。とは言え、彼女の顔から笑顔が消えたことを惜しむ声は多かった。
彼女の親身な世話に、多くの兵士たちが癒されていたのも事実だった。
「あんな男と一緒にしないでほしい」
「自分たちは酷いことはしない」
「エンブレア王国の兵士が、みんなそんな人間とは思わないでほしい」
「私たち神聖イルタリア帝国の人間はあんなことはしない」
そう口々に言う兵士に対し、エマの頬も緩んだ。
彼女は酷いこともされたが、親切にもされた。
「どの国の人だから悪いんじゃないわ」
エマは言った。
マクシミリアンの言葉を思い出す。非常の時に人間の真価が試される。でも非常の時でなければ、善人のままでいられた人も多いだろう。
戦争が、人を狂わせてしまった。
早くこんな非常なこと、終わればいいのに。