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01:はじめに~エマ・ジレという少女が見出された日~

 その国は”花麗国うるわしきはなのくに”と讃えられた。

 街並みは美しく、花は咲き乱れ、人々は広場に集い歌い、踊った。

 しかし今、街を彩るのはどす黒い赤しかない。人々が流す血の赤い色だ。

 広場に集う人々は、断頭台へと引き立てられる人の列を囲む。

 男たちはすでに処刑され、今度は残された女や子どもの番となっていた。

 彼らの罪は”貴族であったこと”。

 かつて豊かだった国は、幼王の即位によって変わった。幼子の責任ではない。彼は生まれつき病弱で、十歳まで生きられないと言われていた。今ではもう、歩くこともままならないほど病が重いらしい。

 問題は、その子を擁した生母とその愛人が国政をほしいままにし、贅沢三昧をしたことだ。悪いことに、天候不順が続き、凶作が人々を襲う。

 それなのに貴族たちは重い税を取り立て、美食と享楽にふけった。

 街には失業者があふれ、村には餓死者が積み重なっていた。

 このままでは殺される。我々は自らを生かさねばならない。

 いつしか”革命”を叫ぶ人間が増えてきた。彼らは武器を持ち、ついに支配者階級を襲った。

 貴族は逃げ、堕落した軍は戦うこともせずに白旗を上げた。もしくは”革命軍”に合流した。

 ”革命軍”は勝利の歓喜に酔い、幼王の母とその愛人を公開処刑にした。二人はそれは見苦しく抵抗したらしい。

 これまで虐げられてきた人々は、自分たちを支配してきた強大な権力は見せかけだったことを知る。自分たちは強い。

 誰かが言う。

 奪われた物を取り戻すのだ。

 略奪が横行した。

 貴族や、彼らに味方した者は次々と捕えられ、断頭台に送られた。あれほど横柄だった貴族たちの首は、簡単に胴から離れた。

 長く虐げられてきた人々にとっては、一人二人の断罪では足りなかった。何百人もの人が処刑される。その行為は、次第に自らの優位と強者であることの確認の様相を帯びてきた。

 これといった罪がある人がいなくなれば、些細なことをあげつらった。

 さすがにこれはおかしい。

 そう声を上げた人もいた。しかし、その人までも”罪人”とみなされた。家族ともども殺され、口を噤んだ。

 人々は悟った。

 自分たちはまた、支配される側に回ったのだ。今度は恐怖と言う名の支配者が現れた。

 そこから逃れるためには、恐怖を別の人間に与えなければならなかった。

 隣人、友人、家族。

 密告がはじまった。

 

 犯罪者として引き立てられる列の中に、その密告によって捕まった少女がいた。

 名前はエマ・ジレ。

 罪状は伯爵家の娘であったこと。 

 とは言え、彼女は母親が伯爵である父親に離縁され、まったくの平民としてこの街にやって来て、領主である貴族の屋敷で下働きをしていた。


 もともと、エマの母親は貧しいお針子だった。

 伯爵家の次男坊が見初め、親の反対を押し切って結婚した。どうせ次男だし、まぁいいか、程度の扱いだったのだ。

 それが家を継いだ兄である伯爵のたった一人の息子が芸術家になると言いだし、勘当される。それだって、少しほとぼりが冷めたら帰って来るだろう程度の措置だった。本気ではなかったのだ。それがなんの因果か、伯爵はあっさりと死んでしまう。エマの父はそこにつけこんだ。あっという間に伯爵家を乗っ取り兄の跡を継いだのだ。

 エマは姉のサビーナと共に伯爵令嬢となった。

 ただし、それは長くは続かない。

 エマの父親が跡継ぎとなる息子を得るために、妻と離婚して、新しく若い娘と結婚することにしたからだ。

 姉のサビーナは父親につき伯爵令嬢であり続け、エマは母親について伯爵家の身分を捨てた。その後、一切の連絡を取っていない。

 伯爵領は革命軍の動きが活発な地域にあった。それはエマの父と姉が、人々から過剰に搾取したせいでもある。おそらく、彼らはすでに殺されているだろう。

 

 そんなエマの素性を知っていた人間がいたのだ。貴族の屋敷で働いていたのも悪く受け取られた。

 エマは母親と共に、捕まった。

 彼女たちを受け入れてくれた領主夫人も同じ処刑待ちの列の中にいる。領主夫人は自分の夫の首が晒されている門の下をくぐる時も、顔色を変えずに通り過ぎた。

 ”花麗国”の貴族として、夫人は最後まで矜持を貫こうとしていたのだ。夫人は失望していた。彼女の夫は決して暴君ではなかった。革命前までは親切な領主さまと領民に慕われていた。贅沢もせず、飢える民衆に食糧も配給していた。それが一夜にして、この有り様だ。

 決して屈しない。

 多くの貴族たちが、そのように泰然と死を受け入れた。

 

「お願いです! 助けて下さい!」


 一番に断頭台に上げられた夫人を見て、エマが叫んだ。

 民衆は嘲笑した。「俺たちがいくら助けてくれって言っても、貴族たちは何も助けてくれなかったじゃないか!」


「おやめなさい」


 夫人も窘める。むしろ自分の美しい死にざまを邪魔するなと言わんばかりだ。


「こんなこと、間違っています!」


 石が投げられ、エマの額に当たる。


「エマ、見苦しいことは止めなさい。

あなたも伯爵家の娘ならば、恥ずかしくないように死ぬのです」


「恥ずかしくないように? 私には分からないわ!

私はもう伯爵家の娘なんかじゃない。みんなと一緒に働いていた。仲間だと思っていた。

みんなあんなに親切だったのに、どうしてそんな風に変わってしまったの?」


 エマは民衆の中に見知った顔を見つけ、そちらに行こうとして止められた。

 それでも叫ぶ。


「ああ、パン屋のおばさん! 助けて! あんなに親切で優しかったのに、どうしてこんなに酷いことが出来るのですか?」


「ああ、鍛冶屋のおじさん。殴り殺されそうになった犬を助けたあなたが、今にも殺されそうな多くの人を、どうして見逃すことができるのですか?」


「自由と平等というのならば、私にだって生きる自由がある。貴族の出身だからって差別するのですか? それが本当の平等ですか?」


 うるさい! とエマは殴られた。

 それに対し、何人かが「かわいそうに、助けてあげなよ」と呟いたものの、近くの人間に「罪人の味方をするやつは、罪人だ!」と袋叩きに合ってしまった。

 鍛冶屋の主人は、自分こそ撲殺寸前の犬のような瞳でエマを見た。


「これまで好き勝手に生きてきた貴族の娘が、偉そうに!」


「いや! 死にたくない!」

 

 エマは必死に抵抗した。殴られ、腹を蹴られても、抵抗した。

 彼女はそうすべきだと感じた。

 心ある貴族たちは名誉を尊んで死んでいった。それは美しい死にざまだったかもしれないが、多くの人々に無機質な感情を与えた。まるで人形の首を刎ねるような気持ちにさせた。

 そうではない。あたなたちが殺そうとしているのは、あなたたちと同じ人間なのだ。死にたくない、生きていたいと願う、あなたたちと同じ感情を持つ人間なのだ。

 周囲の人間がざわつきはじめた。

 これまでは皆、恐怖に震え断頭台に登っていた。中には彼らの愚かさを責めるような視線で、睨みつけながら死んでいった者もいた。そういう人間を殺す時、罪悪感はなかった。むしろざまぁみろという気分になった。

 だがエマは違う。

 十六歳の少女が、懸命に生きようともがいている姿は、自分たちと同じだ。

 民衆の気持ちが揺らいでいるのを知り、その街を支配していた革命軍の指揮官はこのままではいけないと思う。


「その女から処刑しろ!」


 エマは断頭台が据えられた台の上に登らされた。


「お願いします。母は……母は見逃して下さい! 母は貴族出身ではありません! 母を殺したら、あなたたちはあなたたちの同士を殺すことになりますよ!

母は貴族の男に弄ばれて捨てられたんです! それが罪ですか!?」


 あたりが静まり返った。

 多くの人間が顔を見合わせている。


「お願いです。私はみなさんが本当は親切で優しい人間だということを知っています。信じています。

こんなことはもう止めて下さい」


 エマは地面に叩きつけられた。

 革命軍の指揮官がエマの横っ面を銃床で殴ったのだ。そのまま顔を軍靴で踏まれる。


「処刑しろ」


 引き立てられ、目隠しもされず、断頭台に首を固定されそうになった。眼下に広がる、街の人々。顔をそむけている人もいれば、今か今かと待ちかまえている顔もあった。

 その顔が、驚きに変わる。


『止めろ!』


 静かな怒声が響いたと思った瞬間、エマを抑えつけていた男が引き離された。

 そして何か言う前に、一撃の元に倒れた。


「なっ!」


 もう一人の男も、返す剣で絶命した。

 濃紺のフード付きのマントの裾が揺れた。


『マクシミリアン艦長、まだ早いです』


『このまま見捨ててはおけない』


『おっしゃる通りです』


 ”花麗国”語ではない、別の国の言葉だ。

 濃紺のマントの人間は一人ではなく、何十人も群衆の中に紛れてこんでいた。

 突然の襲撃に、人々は狂乱状態になる。叫び、走り、闇雲に銃を撃つ者もいた。それらからエマは守られていた。最初の濃紺のマントの人間が、彼女をしっかりと抱き抱えていたからだ。

 

「お母さん! お母さんは!」


 エマは母親を探した。


「大丈夫。だから今は静かにしてくれ」


 今度は”花麗国”語だった。


「あなたは?」


「君の味方だよ」


 フードの下から、精悍な顔が覗いた。綺麗な琥珀色の瞳をした若者だった。こんな事態だと言うのに、エマは彼に見とれてしまう。

 彼は大人しくなったエマを片手に抱いたまま、恐ろしいほど的確な剣さばきで刃向う者を容赦なく殺していく。革命軍の人間は恐れをなして、断頭台の下から彼を牽制するしか出来なくなっていた。

 琥珀色の瞳の青年は、濃紺のフードを外すと、高らかに宣言した。


「我々はこの街を解放しにやってきた。

抵抗しなければ、命は助ける」


 革命軍の指揮官が銃で狙うが、彼の部下らしき人間に阻止された。

 

「私は神聖イルタリア帝国海軍艦長・マクシミリアン。

”花麗国”のヴァイオレット王妃陛下の命を受けた者である」


 ヴァイオレット王妃――その名で、群衆の動きが沈静化した。

 彼女は海を隔てた隣国・エンブレア王国出身の十八歳になる若い王妃だったが、”花麗国”に嫁ぐ前に、サイマイル王国、神聖イルタリア帝国に嫁いでいた。嫁ぐ先々で、夫である王を亡くしたので”喪服の王妃”と呼ばれていたが、最初の夫は事故だったものの、次の夫は嫁いだ時点で寿命が見えていた老帝だったので、特に不吉とは言われなかった。それよりも、彼女の王妃としての実績の評判の方が高かった。神聖イルタリア帝国では老帝亡き後も、彼女を皇太后として遇し、帝国民も国母として尊敬を惜しまなかった。

 そんな彼女が、すでに瓦解の兆しを見せている、しかも病弱の幼い”花麗国”王の元にやってきたのは、ひとえに政略の為である。

 ヴァイオレットの背後にある三つの国、母国・エンブレア王国、嫁ぎ先のサイマイル王国、神聖イルタリア帝国の援助を請う為なのだ。ヴァイオレットの祖母が、”花麗国”の王族出身だったこと、国境を接する野心高きベルトカーン王国の”花麗国”への干渉を牽制するという諸外国の思惑が、無理を実現させた形だ。

 神聖イルタリア帝国という伝統と格式のある国の皇太后位を降ろされ、代わりに女大公の地位を与えられ”花麗国”にやってきた王妃は、望まれた通りに改革を始めた。しかし、それが実を結ぶ前よりも早く、革命軍が動いた。民衆は待てなかったのだ。そして、その資金源、武器の調達の手際の良さは、諸外国の予想を超えた。

 革命軍によって、ヴァイオレットは殺されたと思われていた。だが、そうではなかった。

 生き延びて、”我々を助けに来てくれた”。

 つい先程まで革命を叫んでいた人たちは、ヴァイオレット王妃の率いる、”花麗国”の王旗を掲げた”解放軍”を歓迎した。

 

 すぐに街に大軍が押し寄せて来た。

 崩壊した”花麗国”の正規軍に代わり、新たに集められた義勇軍であった。なぜか青い軍服が目立つ。

 エマを助けたマクシミリアン青年も、濃紺のフード付きマントの下は青い軍服だった。他の人よりも金の装飾が華やかなのは、艦長だからだろうか。

 彼らはまず、民衆に食糧を配り始めた。人々は殺到した。革命軍は追われ、あるいは捕えられた。

 早速、彼らを処刑しようという話になる。殺せ! 殺せ! という声が、再び広場に響いた。


「ばっかじゃないの!」


 群衆が沈黙した。

 宝石をはめ込んだように美しい紫色の瞳の女性が広場を真っ直ぐ突っ切った。髪の毛は黒。薄汚れた薄紫色の乗馬服を身につけている。

 彼女は名乗らなかったが、それが誰であるか、”花麗国”の人間には分かった。

 威厳のある歩き方だ。人が避け、自然と道が出来て行く。

 断頭台が置かれた台に上ると、それに蹴りを入れた。本当は引きずり倒したかったのだろうが、さすがに無理と判断したらしい。


「そんなに殺し足りないのならば、ベルトカーン軍と戦う義勇軍に加わりなさい!

”花麗国”の混乱に乗じて、隣国・ベルトカーン王国が侵入してきている。

好きなだけ殺すがいいわ! そうしたいのでしょう?」


 誰もが口をつぐみ、目を逸らした。


「安全な場所で、人を殺せと言うのは誰にだって出来るのよ!」


 がん! と断頭台の柱を叩く。

 痛かったらしい。顔をしかめ、手を振った。

 人々は笑ってもいいものか戸惑った。彼女はそんな彼らに許可を与えるかのように、笑いかけた。先程の厳しい叱責をした同じ人間とは思えないほど愛嬌があって、人々は自分たちが許された気持ちになった。自然と笑みがこぼれる。

 だが許していけない人間もいる。

 でも――と、ヴァイオレット王妃は、断頭台の下で拘束されている革命軍の指揮官を見て肩をすくめた。「やったことの責任はとって貰わないといけないわね」


 断頭台は今後も使われるようだ。だが、これまでのような無秩序なものではなくなりそうだ。


「もう大丈夫ですよ。あなたの母君も無事のようです」


 マクシミリアンにそう言われたエマは、自分がまだ男にひっついていることに気づいて、慌てて離れた。

 代わりに母親が抱きついてきた。


「ああ! エマ!」


「お母さん!」


 抱きしめ返したエマの目に、門から下ろされた夫の首を抱きながら、泣きじゃくる夫人の姿があった。


 助かったのだ。

 だがしかし、それが終わりではなかった。

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