火地
七が赤玉を指で叩くのを止めたのは、私の作った霧固圧を見た時だった。
「なんだ七、貴様はこんなのを私に求めていたのか」
無数に広がる色とりどりの粒子が、星の深層からこの表層までを流れる水素によって舞い上がり、渦巻きながら急速に流れていく。
それはさながらの遊色を見せるオパールの小霧、流れゆく煌めきが美しい光景だが、彼らの視神経は強い光以外には働かない。
彼の微弱な視覚で、この光景はどのように映るのだろう。
美しい彩りに見えているのか、それともワイス機構が感知する四手子の挙動が気に入っているのだろうか。
彼はどういう訳か、その流れを長く見つめ、……やがて、彼のワイス機構の働きが鈍くなり、私の操作も効きづらくなり、彼は疲れたのか眠ってしまった。
眠っていても、火孔のプラズマの噴出は止まらず、かえって輝きが強くなる。
ここには身を隠す場所はなく、暴風はひたすらに強い。
だから火孔は、無意識下でも風の圧力に反応しプラズマを噴射するようになっている。
意識はむしろ歯止めの役割だ。
彼の身体は強い、核融合エネルギーに強靭な四手子の特性を合わせることで、この星の過酷な環境にも適応できる。
だが心はどうだろう?
強い痛みは生物の心を壊す、生まれ落ちた時から痛めつけられてる彼らは、私が思っているより……悲しい生き物なのではないだろうか。
それともあんな痛みに耐えるのだから心も強いのだろうか。
「なあ黄幻の七、痛みを与えた私が憎いか?もうじき復讐の機会ができる、貴様たちは滅びた方が幸せなのか?もし貴様たちがそれを望むなら、従うのもやぶさかではない」
聞いても答えはない、彼は睡眠に落ち、元来言葉を理解できない。
想定したようにはいかないものだ。
私の世界の最大の良さは食事だったのに、それすらないとは。
「ふふ、嗤いたくなるくらいひどい世界だ、まさか最も力を入れた食事が不味いとは」
こんなひどい世界そうあるものではない。
痛いばかりで何の楽しみもないじゃないか、二手の言い分が正しいことは私も納得したから、二手は必ず世界ごと私を滅ぼすだろう。 その前に、私はせめて反省せねばなるまい。
私は彼らの痛みを知らなかった。
それは原初生命としての、責任すら果たしていないということだ。
七にはどうせ私の言葉は届くまい。
だから私は独り言を呟き、この藍闇の暴風にそっと流してもらった。
そして最後にふと二手を呼び出す。
「二手、聞こえるか?」
『何だ?』
「私は恐らく、貴様の言いたいことに気づいた。身を苛む激しい痛みと、不味い食事、貴様はそれが元でこの世界を滅ぼそうとしているのか?」
『是だが、それのみに非ず』
「まだ私には知らねばならない罪がある?」
『否だ』
「否?」
『貴女の罪はそれだけだ。然れどもそれを伝へることが我の目的ではない、貴女が納得したとて、勝負は続ける。それが我の至誠なり、我が勝負に勝ったら、貴女自らの手でこの世界を滅ぼしてもらう、それが我の目的なり』
私の手で滅ぼす?
確かに可能ではある、地表の鳥“億齢”の精神には私の“波統”の始粒子が使われている。
それを統合してるのは私だから、精神に働きかけ“億齢”を落とすか、宇宙にまで飛ばして、滅ぼすことはできる。
だが、それを提示されたことに少々惑いを覚える。
なぜやり方を指定する?滅亡させるなら、二手がガス惑星にエネルギーを注げば一瞬じゃないか。
二手の思惑がよくわからず、会話が終わった後も、茫洋とした時間を過ごした。
取り留めもない思考が脳裏をうずめたが、ただ自分の心情も理解できた。
私にはこの世界しかないから、それが駄目だったなぞ、考えたくもない。
いっそこのまま、私を殺してくれた方が楽でもある。
「……、まあこういうこともある、一度の失敗で台無しになるのはよくあることだ。
修正の機会がないのが、私好みではないが」
私が外部からの刺激で揺れ動く感情を弄んでる内に、七がふと目を覚ます。
「起きたな七、目覚めはどうだ?貴様の目に世界は美しく映っているか?」
意識の泥濘にあったワイス機構の動きが活発になったかと思うと、こうっと藍闇に煌めく火孔の幾つかが閉じ、代わりに一部が輝きを増し、宙に浮かんでいた四手岩石金属生命体が総身をもたげ急進する。
彼らは眠りと食事以外に休みを知らない、起きたら動き続けるのみだ。
意識を反映させ、縦横に変転する視界、続けて起こる強圧の大気流はもはや見慣れた光景だ。
岩石しかないだだっ広い黒岩の平野を飛行しながら、私はぼんやりと声をだす。
「見果てぬ荒野をどこ行く、その場しのぎの弥縫の七」
彼を揶揄するときの渾名で問いかけ、続けて赤玉に籠もる自分に問いかける。
「傷つく彼らに何を与える?生命の造り主よ、痛みと不味い食事と、争いの世と……他に何かあるものか」
とりとめもない自問をのたまいながら、七に任せていると、飛翔速を増し、だんだんと周りの風景が変容していく。
黒々とした岩塊しかなかった平野に異物が混ざり始め、地を塗り固めるように、熱で変色した黄色や茶色、赤、黒の硫黄や硫酸鉄の緑の成分が増えてゆく。
厚い大気を透視すると現れる雄大な造山地帯、その山脈から溢れ出し峡谷を流るる紅き溶岩、遠い暗闇に浮かぶ噴煙、紅煙。
私が『火地』と呼ぶ巨大な造山地帯だ。
ここの奥地に行けば、噴煙の生み出すプラズマトーラスによる鮮やかなオーロラも見えるようになるが、奥地に行かなくとも火地では面白い現象が見れる。
酸素がほぼないこの星であっても、火山から噴き出す硫黄は、単体物か、硫酸、一酸・二酸化硫黄、硫酸鉄、硫化水素として存在するが、岩石中に存在する酸素に硫化水素が触れると急速に燃焼し、鮮やかな青い炎を発する。
硫化水素は大気より重く、また岩や溶岩から酸素が放出されることから、青炎は地表を燃やすように現れ這い進むのが特徴だ。
地を這う青焔の輝きと溶岩の紅い輝きが地平を燃やし、交錯する瞬間はいつ見ても美しく飽きることはない。
そんな美しい原色の風景に七が飛び込んでいくと、それとは別の禍々しき瞬きが現れ始める。
ポツポツと赤い光点、……それが高い山脈の方々に発生しては場所を変えながら赤く点滅し、こちらを囲むように移動し増殖していく。
その光は透視するまでもなく、核融合生物の光言語だろう。
赤い光は『敵』を表すから、この赤い光の群れは七を敵と認識しているようだ。
それもそのはずで、ここ火地は最強の個体『黄幻の八』が支配する土地であり、七にとっては敵地に他ならない。
そこに単身で侵入したのなら、多数に囲まれるのは当然と言えた。
疑問なのは七が自らの手勢を連れて来ていないことだ。
七のような首領といっても、単独では中位個体十体を相手にするのがせいぜいで、中位個体は大体一勢力に300から500はいるから、敵地に攻め入るにはそれ相応の軍勢を集める必要がある。
にもかかわらず、七は単独で、敵地の火山群を前進していく。
七の行く手を塞いでいた紅点の群れは散開して行く手を開け、七が通り過ぎたのを見届けると、遺伝子の連なりのように後方に集まり、退路を塞いでいく。
この動きを見ると、八の配下は七との戦いを避けたようだった。
理由はよくわからない。
その謎の行動のおかげで火地に攻め行った七は、敵と相対することなく峡谷を進んでいく、飛行高度が低いためか、谷間の景色は中々に躍動的だ。
崖縁から赤熱した溶岩流が粘り落ち、蒸気を噴き出しながら岩壁を伝い、眼下の谷に流れ落ちていく。
眼前に目をやれば、噴石や噴煙、火粉が飛沫をあげて立ちこめ、飛行する七の下では灼熱の溶岩が暴風によってのた打ちまわり、たまに十フォアほどの大きなうねりとなって七の身体を洗っては、熱き粘体にかえっていく。
見た目は仰々しくとも火地は安全だ。
二千炉を超す溶岩も硫酸の混ざる大気も黒皮を破れぬし、火地の水素爆発は酸素の少なさ故に稀にしか起きず、起きても爆燃程度の地圧変化であるから彼らの身体の構造で十分に対応可能だ。
固圧生成の難しさと、新鮮な水素の補給が面倒臭いくらいで、火地には特に危険はない。
唯一危険なのは八との戦いだけだ。
火地にくるなら『黄幻の八』との戦いになるのに、なぜ七は一を連れていないのだろう?七は八には劣るものの、黄幻の一と力を合わせれば、五分以上に戦える。
今代の八はどちらかと言えば近距離に弱いために、近接戦特化の『黄幻の一』が相性が良いが、しかし今は『黄幻の一』を連れてきていないから、正直勝ち目はない。
七を止めるべきだろうか……。
七の意思ではあっても、彼が死ぬことは彼らの滅亡とも繋がっている。
彼らが何も知らぬ内に、勝負の巻き添えで滅びてしまうのはやはり良くないことだ。
そういった意味で先ほど二手に断られたのは良かったやもしれぬ。
「……うむ、できる手助けはこんなところか」
彼のワイス機構の余白を操作する。
火地では噴煙や風の複雑さのため固圧戦闘はほぼ行えず、大したものにはなり得なかったが、とりあえず大気を凝縮し、七の目の前で、続け様に固圧を生み出す。
彼らは光で会話するから、七に話かけるための固圧操作だ、一つ目の固圧は緑の鮮烈な発光、続けて白の発光。
緑、白の示す意味は『待て』だ
一応光言語のつもりなのだが、成体になると視力よりワイス機構で言語を把握するため、ちゃんと言葉になっているかどうかは心配になる。
『待て』では七が止まらなかったため、今度は間を置いて、赤、赤、赤の順に点滅発光させる。
赤、赤、赤の発光は『危険』を意味する言葉だ。
その後もう一度、緑、白の『待て』を伝えると、『待て』『危険』『待て』となって、気づいた七が先ほどまでと違う反応を示す、いや会話をするつもりなのか間接部に光を強烈に灯す。
……しかし七の示したその光言語は私を酷く驚かせるものだった。




