幼体期の固圧
降りて来た幼体は、繊棘を地壁に突き刺しつつ、斑赤玉に近づいて見つめてくる。
その流線形の顔の下、首回りに生えるしなやかな靭毛の底に、淡い輝きが見れる。
靭毛は首回りや、肘等の各関節の保護をするための硬くしなやかな毛の集まりだが、電波を送受信する役割も備えていて、靭毛内部にある電触体にワイス機構が熱を送ると、数億の電触体素子の一つ一つが位相を変えて電波を発し、その反射波の強弱や時間差をワイス機構が解析することで、四手子の無い空域でも周辺状況を知ることができる。
長短含め五種の表宇宙側用の探知波の全ては、この靭毛で生み出されるが、靭毛の光具合で意識の集中の度合いはわかる。
恐らくは最密波によって斑赤玉の形を確かめているのだろう。
幼体はそれからも慎重に最密波での探査を行い、電波を吸収する斑赤玉の存在を確かめると、手を伸ばして来る。
赤玉はもう動けず、繊棘で刺される可能性もあったが、私はこの幼体を信じることにした。
死ぬより生き延びることを選んだ者が、世界を滅ぼすとは思えないからだ。
幼体は特に刺すこともせず赤玉に何度も触れる、それでわかったのだが、幼体はどうも赤玉を手に入れたいらしい。
ただここは崖であり、赤玉を落としてしまえば、彼の飛行能力では追えない、それで慎重になっているのだろう。
落とさぬよう、落とさぬよう、手つきは慎重だ。
その内に左手の繊棘を使って赤玉周囲の円盤固圧を破壊、赤玉を岩壁から引き剥がすと、自らの右腕の黒皮に赤玉を押し付け、固圧で接着しようとする。
くっつけようとしているようだが、幼体の固圧生成はぎこちない。
あと少しまではいくのだが、降り積もろうとした固圧が風に流され霧消していく。
幼体から子産期になるまでに覚える固圧生成法は、成体の使うものとは技法が根本から異なる。
成体が使う固圧は、ワイス機構のみを使い、“散”“縛”の熱を混ぜ合わせ、形が出来てから一気にくっつける一括生成法だ。
ワイス機構が“散”と“縛”の二つを同時操作するため、習熟難易度が高い。
その点、幼体期に覚える固圧生成は、固圧生成に必要な“縛”“散”の二種の熱のうち“散”の熱を全て火孔に任せることで行う。
強い“散”の熱量を誇る火孔で、周囲の大気の炉を急上昇させるわけだが、火孔はワイス機構と比べて大気の炉の上げ方が急激で、生半可な“縛”の熱では固圧を生成できない。
そのためワイス機構は、火孔の強力な“散”熱に対し、これまた強烈な“縛”の熱を送り、出来上がった小さな固圧を降り積もらせることで、静止固圧にしていく。
その場合、水素除去の手間がいらないため、ある一定の大きさまでの静止固圧の生成は速いのだが、自分周囲を熱し、積もらせていくこの方法では、撃発固圧はおろか、大きな固圧も生成できない。
せいぜい殻固圧までだ。
この二つのやり方は似ているようで異なるため、成体になった折に一番苦戦するのが熱圏の生成となる。
この幼体も苦戦しているようだから、私が手伝うことにする。
幼体期の固圧のコツは、“縛”の熱の強さを瞬間的に上げることだ。
“縛”熱を一気に強めることで、早めに雪状の白華を作り出してから、積もらせる位置に動かしていく。
私がそういった操作をしたことで、静止固圧の降下始点が早くなり、大量の固圧の塵が“縛”熱の経路に従い、腕の周りに降り積もって固着、赤玉が接着される。
一度こうなれば赤玉の“縛”の熱が徐々に伝播していくため、幼体が熱を送らなくとも赤玉は右腕にくっついたままとなる。
幼体は赤玉を二度叩いて、外れないのがわかると、恐らくは満足したんだろう。
特に礼もなく崖を登りだす。
礼の言葉は彼らの文化にはないから仕方ないが、それにしてもこの幼体はなぜ赤玉を欲しがったんだろう?
魂胆はわからないが世界を守ってくれるんだろうか。
……しばらく幼体が崖を登り、その様を眺めていると、遠い崖壁から異音が迫ってくる。
衝撃波が崖壁の上から落ちてきて、ある瞬間を境に音源の周波数が下に離れていく印象に変わる。
音の発信源は複数だったから、数体の核融合生物が岩翼の裏に向かったようだ。
視界を統合拡大し、透視した限り、七と八、他三体が翼下に向け急降下しているようだった。
七と八は……まだ戦っているらしい、呆れたものだ。
まあもう首領のことはいい、守ってくれる幼体は現れたので良しとする。
先ほどまで崖を登っていた幼体は、核融合生物の集団が下に向かったのを境に、なぜか進行方向を反転、今度はせっせと崖の下に向けて降りていく。
せっかく登っていたのに降りるとなると、下方に消えた七たちを追いかけているんだろうか。
追いかけるのは構わんが……それは、何のためにだ幼体?岩翼下には何もないぞ。
それからも幼体は崖の降下を続け、ある程度の距離を進むと、唐突に岩翼下面の光景が開ける。
“億齢”の三角翼は内部機構の拡充のため、翼弦長を広く取り、平行飛行時の揚力は低いが、仰角をあげると、強い揚力を発生させる造りになっている。
とはいえ仰角をあげることはほとんどない。
大気密度は液体に近いため浮力は強いし、シ速百フォアの風が常時吹いている他、“億齢”上面の大気をワイス機構で暖めているために、翼上面の風の流れも速い。
その上に巨大な推力を生む火孔があるから、中央の制御がしっかりとしていればまず落ちることはない。
だから“億齢”の翼の強みは頑丈さと柔軟性、安定性と内部機構にこそある。
そんな翼の上面は“億齢”を鍛える意味も込め、乱流を固圧で制御し、風の剥離を防ぐ構造をしているので、地肌がゴツゴツとしている。
そんな上面に比べると、岩翼の下面は反りも少なく精緻な岩肌をしているので、どこか機械的で、空気さえ透過すれば遠くの地形まで見渡せる。
幼体の前方には滑らかな地肌を晒す広大な翼下が広がり、悠大な翼下面の火孔開口部からは、プラズマの光が柱となって下斜に伸びていた。
この光の角度からして、上面で起きた層流剥離による揚力低下を巨大火孔で補っているようだ。
火孔の助けがいるほどの層流剥離などあまり起きないから、多分『遠征の傘下道』の影響で風が遮られたんだろう。
そんな広大な岩翼下に入り込んだ幼体はほんの塵のように見える。
これは幼体が小さいと言うより、“億齢”の翼や火孔開口部が巨大すぎるのだ。
なんせ“億齢”自体が小さな惑星なら数個、飲み込める縦幅をしている。
それを支える岩翼も当然広大だ、小さき幼体は、自らの繊棘で岩肌からぶら下がることで、広大な翼下の粒として移動していく。
幼体はここに何をしに来たんだろうか?
移動の途中“億齢”の多数ある翼下火孔口の内、六割ほどが開口され、電離気体が下方に吐き出されていく。
翼下火孔の開口数からいって嵐が近いんだろう。
ここの嵐は激しいために、火孔でいつでも対応できるように、嵐が近づくと“億齢”は翼下火孔を多数開く。
嵐が迫っているなら幼体が岩翼にぶら下がってるのはあまり良くはない。
翼下を進み続ける幼体から、視線を下に移せば、遥か下の雲海で八や七が戦っていた。
幼体からは遠いので、特に巻き込まれる心配はなさそうだ。
しかし幼体はなぜ岩翼下に来たのだろう?
…………しばらく、下方に広がる雲海を眺めつつ、岩盤に張り付いた幼体の動きを見守る。
幼体は延々と進み続け、特に動きはなかったが、ある瞬間から幼体の背の紋様、ワイス機構の光り方が妙になる。
ワイス機構を無意識下で動かすのと、意識的に動かすのとでは、輝きの強さが違う。
輝きが強くなったから、意識的に動かしているのは確かだ。
固圧の練習でもしてるんだろうか?
ただ幼体期の固圧生成法は、火孔を使った積もらせ方式だ。
火孔も開いていないし、周囲に固圧はないから、幼体の覚えている固圧は使えないはず。
しかし、ワイス機構の輝きを見れば、固圧を生成中だ。
興味を覚えて、幼体のワイス機構に接続。ワイス機構内部の操作状況や、計算記憶を眺める。
一通り精査してみた限り、幼体は確かに固圧を生成しているようだった。
爆縮固圧なのだが、まだ未熟なのか、実行段階で失敗し、至る所が歪んで破綻、大部分で生成に失敗、白靄化している。
それでもごく僅かには成功し、出来上がった固圧は十個ほどあった。
破綻した分の固圧生成がもし出来ていた場合は八千。
中位個体なら軽く作れる程度の個数だが、幼体がこれほどの操作を行ったとなると、あまりにも天才的だ。
幼体は普通火孔の助けなくして殻固圧一つ作れない、それほどの天才なら、私の記憶に残っているはず、だが記憶をさらっても該当する幼体はいない。
……計算記憶をみる限り、八千の爆縮固圧、これで使うのは二回目か?
と、そこでようやく気づく。
幼体の使った爆縮固圧は、私が先程円盤固圧を飛ばす際使った計算式と全く同じものだった。
全く同じ計算式を地点だけかえて流用したせいで、気流や炉の状況が著しく変わり、八千中、十個しか成功しなかったようだ。
それなら話は簡単で、彼は余白操作で得た計算式を、直接使える個体なんだろう。
余白操作は欠点が多い、余白操作でどれほど固圧を作っても、相手は固圧を覚えない、習熟する期間が通常時より僅かに短縮される程度だ。
これは計算記憶がワイス機構の底に眠る仕組みが関係している。
ワイス機構は平和指向であるが故に、戦闘に関する固圧の計算式は無駄として省き、大抵記憶の底に眠らせたままにする、 だから余白操作で覚えた計算式は戦闘になかなか活用されない。
ちなみに合一の場合、双方向通信により、感覚の一致とワイス機構の摺り合わせが行われ、他者が習熟で得たその優先順位ごと取り込むため、他者の固圧をすぐ使えるようになる。
ただ稀に、余白領域操作を受けた時、習熟を経ずに、計算式をすぐに反芻できる個体もいる。
これは『数遊びの死火』という希少個体で、自意識の始粒子“考思”が、ワイス機構の計算記憶帯とほぼ重なっているため、自意識と計算記憶ががっちりと絡みあい、外界の状況さえも計算式で把握できる。
そんな体質だから、計算記憶帯に落ちた固圧生成式を真似することは容易い。
反面、自らの意識が体感からは遠くなるから、本体の動きが精彩を欠く他、固圧生成に置いても、“波統”を介していない影響で、指令を出すいくつかの式が組み込まれないため、固圧生成取得も他の者より遥かに遅い。
つまり『数遊びの死火』は、類をみない取り柄を持っているのに、一見愚鈍に見え、その利点すらも生かせず、成体になるとすぐに殺されてしまう、弱者の区分だ。
つまり、この幼体は『数遊びの死火』?
……だとしたら先程はよく“億齢”に追いつけたものだ。
他三体は追いつけず死んだのに、最も身体的に弱い数遊びが生き残るとは、余程努力し火孔を鍛えたか、それとも生きたいという意思の強さか。
そんなことに思いを巡らせていたが、ふと不思議に思い、またこの幼体のワイス機構を精査する。
……固圧を使えた理由はわかった、私の余白操作だ。
だが、目的はなんだ?今この幼体はどうして、何の目的で爆縮固圧を使った?
その理由を想像できるだけに、見るのに非常に勇気がいった。




