プロローグ〈薄暗い世界の中で〉
◇星歴〈未公表〉 惑星T-35軌道上より
ガチャン……
ガチャン……
唐突。
ガガチャン……
その音は、あまりにも唐突に鳴り始めた。
ガチャン、ガチャン……
何かが動き出すような音。それまで一切音のしなかった、静寂という闇に閉ざされた空間に響き出したその甲高い金属音に、若干の異物感すら感じてしまう。
ガチャコン……ガチャコン……
ガチャコン……ガチャコン……
初め間隔の開いていた金属音は、段々と連続性をもって響き出す。
『…………』
静寂、無音、孤独。それらに慣れきった耳には、とても煩く、煩わしい金属音。
『…………』
ガチャコン……ガチャコン……
『…………』
甲高い金属音は徐々にそのペースを上げ、やがて高速の回転音へと変わっていく。
『…………』
初めに感じたのは、怒りであった。しかしそれが果たして眠りを邪魔された怒りであるのか、それとも眠りにつく前の出来事の余韻であるのかは分からない。
『…………』
続いて感じたのは喪失感。何を失った訳でも、何を奪われた訳でも無い。だが、それでも胸に走る痛みは確かにあった。
『…………』
高速の回転音は意識から消え失せ、代わりに全身の知覚と感覚が戻りつつあった。と同時に、徐々に状況を理解し始める。
《……覚醒を確認。 接続します》
(っ……!)
AIの音声ガイドが聞こえたと思った次の瞬間、私の意識は宇宙にいた。いや、初めから私はそこにいたのだが、実際にそれを感じたのがただ一瞬前だというだけだった話だ。
チリチリと外殻を焼く大恒星からの太陽風。深宇宙からの放射線。矮小銀河からの高速電波。
それらを一挙に知覚し、眼下に映る美しい惑星と衛星を眺め、改めて自分がどのような存在であるかを自覚するに至る。
(……綺麗)
久々に軌道上から見下ろす惑星は、いつかと変わらず美しかった。透き通るような生命の水を湛え、地上は緑に溢れている。
適度な大気と光に恵まれ、生命体が生存するに至った奇跡の惑星。
(あぁ……)
久方ぶりに感じる太陽の光は、本当に気持ちが良い。宇宙空間に放り出された漆黒の外殻に太陽光線が降り注ぎ、一瞬の誤差も無く吸収される。
それらの感覚はある意味、快感ですらあった。人間であった頃は鬱陶しいだけだったはずの感覚を、こうして人間の身から昇華された後に欲してしまうというのは何とも皮肉な話である。
瞬時に全脳と接続した私には、ありとあらゆる情報が共有されていた。
今、この瞬間が眠りについてから一体どのくらいの時間が経っているのか、眠りについた後の状況はどうなったのか、そして私が何故眠りから目覚めさせられたのか。
思考は記憶を辿り、記憶は感情を辿る。かつて体験した記憶を再生し、私は私という人格を取り戻していく。
ただの記憶ストレージに保存された思考体に過ぎない私が徐々に漣 桜花へと昇華し、そして同時にシステムの中枢へと回帰していく。
全てのシステムとの同期が取れ、私の現在の艦に搭載された全AIとの連絡を終える。
ふと自らの内部に意識を向けると、人気のない通路を慌ただしく動き回るドローンの姿を確認できた。戦闘用のドローンが次々と輸送船に積み込まれ、積めるだけの武器弾薬をベルトコンベアが運んでいく。
(…………)
それは、明らかに戦闘の準備であった。爆撃機や弾道ミサイルを使用した殲滅ではなく、高速戦闘機や戦車、歩兵を使用した制圧制空。
私の時代ならば、この戦力は明らかに過剰と言えるだろう。だが、今は違う。この時代、これだけの時間が経ってしまった世の中。全てが未知であり、地上の民がどのように生きてきたか、私たちは何の情報も持ち合わせてはいない。
《ジジ…………》
『!』
唐突に聴覚にノイズが走る。即座にシステムが原因を検索し、私に報告する。原因は劣化。当たり前だ。私が、いや、我々が眠りについてからもう軽く1000年は経過しているのだ。システムのみの維持管理意識だけでは当然だろう。
《統括システムより桜花様へ》
『許可する』
孤独は感じない。不安も無い。そのような感情は遥か昔に捨て去った。だが、やはり私も人間だったのだろう。微かな、それこそ搾りかす程度の寂しさはある。
《地上区画K-5-b6地点にて、サブユニットの起動を確認しました》
『……そう』
……ドクン。もはや持ち合わせていないはずの心臓が、強く鼓動を刻んだ気がした。
知っている。もちろん知っている。サブユニット。それが我々にとってどのような意味を持つか。それが私にとってどれ程の意味を持つか。
かつて地上を歩いていた頃の記憶。
青い空、白い雲、辺りに広がる長閑な田園風景。
かつて地上を歩いた記憶。かつて共に歩んだ記憶。
《最優先事項につき、サブユニットの保護の為地上に部隊を急行させますが、ご同行なさいますか?》
システムからの質問に思考が一瞬途絶える。ここはどこか、今から何をすべきか、即座に思考が変換される。
『…………』
同行する。それはつまり、今現在ただの電気的情報、つまりは意識体として母艦の制御を司るプログラムでしかないこの私を、今更肉体に実装し、船で地上に向かうということ。
『……いや。そう……そうね』
《…………》
システムからの提案に軽く驚くが、コンマ001秒以下の逡巡を経て回答する。
『いいわ。同行します』
《肉体の最終調整を開始。移行を3分後、出発を13分後に設定しました》
途轍もない強行スケジュール。通常ならば踏むべき段階を全て吹っ飛ばし、最速最短で地上に到達できるようにしてしまっている。もし何らかの理由でタイミングを逃したのなら、システムは母艦そのものを動かしてでもサブユニットを回収しに行くであろう。
それほどサブユニットは、我々にとって 大きな存在なのだから。
『…………』
この翠色の惑星のどこかに、彼がいて、そして彼はようやく目醒めた。そう考えると、1000年振りに肉体に実装されて呼吸するのも悪くない。
____また、彼と共に地上を歩くのも悪くない。
『全システムに命令。サブユニット、いえ、我らが父、漣 王夜を何としてでも救出を!』
これからダラダラと書き続けていきます