第1話 手紙
大抵の人間には帰るべき場所がある。
それは自分の生まれた故郷か。
それとも自分で築いた家庭か。
もしかすると恋人や家族のように、場所ではなく特定の誰かを思い浮かべる人だっているかもしれない。
当然その辺りは人によって様々な答えがあるだろう。
何にせよ過去の思い出に浸ったり、郷愁を感じることができるのが、自分の帰るべき場所なのだ。
けれど今の一樹にとって帰るべき場所は、グリアの片隅にある小さなアパートだった。
「……はぁ」
冒険者の街、グリア。
ここでの生活を始めてすでに一ヶ月の月日が経っている。
その間、これと言って特に話をするような出来事が見つからないのは、それだけ自分が平穏無事に生きていると言う証明だ。
そんなことを考えながら、いい加減手紙を書くのが面倒になって来たと思う今日この頃。
『親愛なる一樹様へ
そちらのご様子はどうでしょうか? ちゃんとご飯は食べてますか? お風呂に入ってますか? 歯は磨いていますか? ちゃんと眠れていますか?
こちらは大丈夫です。だから私のことが心配になって村に戻って来るなんてことの無いように。……まあ、ちょっとくらいなら構いませんが。ちょっとだけなら。それと都会は色々危ないと聞きますから――』
一樹はトータス村から送られてきたカンナの手紙を読んで、思わず溜息を吐いていた。
「誰だこいつ。俺のお母さんか?」
なぜ手紙だとこうもお堅い話し方をするのだろうか?
真実を知らない奴がもしこれを読んじゃったら、きっとどこかのお嬢様が相手なのかと勘違いするしちゃうだろうに。とんでもない詐欺である。
一樹は呆れた表情を浮かべつつ、ゆっくりと時間をかけて手紙の内容に目を通した。
「……返事、ちゃんと送っておかないと煩いだろうな」
そして、満更でもなさそうな笑みを浮かべて、一樹は一ヶ月前の出来事を思い出した。
*****
全ての始まりは前世の記憶を取り戻したことだった。
ある日聖剣を求めた勇者たちを『魔神の封洞』に案内し、そこで奇妙な体験をしたのだ。
まるで先の未来を知っているような感覚。自身が死ぬのだという確信。
そしてこの世界がかつて友人が話していた恋愛ゲーム『アースヴェルト』そのままであり、自分がそのゲームに登場する脇役だということに気付いてしまった。
結果。
遠藤一樹はこれから起きる自らの死亡イベントから逃れるために、ゲームのシナリオから外れた行動を取った。
それとほぼ同時に世界の修正力が歪んだ形で働き、一樹は偶然にして最強の異能【消去】を手に入れてしまったのだ。
そして一樹は、ある決心をする。
「俺、村を出るよ」
今よりも更なる力を、強さを得るために。
確実にこの手で守りたいものを守れるように。
だから、一樹は自分の生まれ育った故郷を離れ、冒険者として戦いの経験を積んでいく覚悟をしていた。
「「ふーん。あっそう」」
「……え? それだけ?」
だというのに、カンナとミーナはまるで興味がなさそうに平然と答える。
一樹は思わず目を丸くし、反対しないのかと尋ねた。
「だって……ねぇ?」
「うん。今更って感じ」
互いに目配せをして頷き合う女性陣。益々何を考えているのか分からない。
そんなことを考えていると、カンナは呆れたように肩を竦めながら一樹に言った。
「とっくに知ってたわよ。あんたが村の外に出たがってることくらい」
「うんうん。それに薬草を採りに行ったあの夜からずっと、何か考えているみたいだったし」
「……あ」
「この馬鹿イッキ。あたしたちが反対するとでも思ったの? そりゃ昔のクソ馬鹿イッキだった頃なら絶対許さなかったけど」
「ちょっと待って。クソ馬鹿イッキって何? 女の子がそんなこと言っちゃいけません」
「うっさいわね。クソにクソって言って何が悪いの? このう○こ」
「イッキですらなくなっちゃったよ! ていうかお前ってそんなに口悪かったっけ? 汚物に汚染でもされた? そう言えば少し臭うような……」
「おーし分かった。表に出ろ。今すぐ引導を渡してやる」
そう言ってから、カンナが一樹に殴りかかろうとしたところでミーナが口を開いた。
「一樹」
「ミーナおばさわっ!?」
「どうだ! これが美少女パンチの力だ!」
「てめぇ相変わらず容赦ねぇな!?」
思わず体勢を崩すほどに強烈な一撃を顔に貰った一樹。そしてその一撃を繰り出したカンナは満足そうに拳を見せた。
そんな二人のやり取りにクスクスと笑みを溢しながら、ミーナは改めて一樹を見つめる。
「頑張りなさい」
「……え?」
「今まで無気力だった貴方がやっと見つけたやりたいことだもの。母親の私が応援しないわけにはいかないでしょう? カンナだって、本当はそう言いたかったのよ」
「いや、それは絶対嘘だから」
「なんでよ!」
真顔で否定する一樹に、カンナが顔を真っ赤にしながら怒る。
けれどすぐに思い直して、ぶっきらぼうに唇を尖らせながら、カンナはぽそりと言った。
「――ちゃんと、帰ってくるのよ」
「――ったりめぇだろ。このバカンナ」
二人は互いに見つめ合い、そして微笑み合った。
「誰がバカンナよ。このクズキ」
「てめぇ喧嘩売ってんのか?」
「そっちこそ。いくらでも受けて立つわよ」
だが、そこで終わらないのがこの二人である。
ミーナはこれが最後になるだろういつもの光景を目に焼き付けながら、ほんのちょっぴりだけ、寂しそうに微笑んだ。
******
「――こんなもんか」
手紙の返事を書き終えた一樹は、明日に向けて早めにベッドの中に入り込んだ。
なにせ冒険者の朝は早い。
一樹のような無名の冒険者は中々いい仕事を回してもらえない為、早めにギルドへ行って自力で依頼を探してこなければならないのだ。
と言っても、一樹が進んで引き受ける仕事は今のところ一つしかない。
鼠狩り。
それが、馬鹿の一つ覚えのように同じ依頼を受け続ける一樹に付けられた異名である。




