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エピローグ 帰るべき場所

「――大丈夫?」


 優しい音色が響いた。

 どこかで聞いたことがあるような、誰かの声。

 睡眠と覚醒の狭間を漂う意識は果たして実際に起きているのか、それとも単に起きている夢を見ているだけか。

 どちらにせよ、目覚めなければいけない。

 何かは分からないけれど、まだやらなければならないことが残っていた筈だ。

 少なくとも、こんな所で倒れているわけにはいかない。

 漠然とそう思った一樹は、少しずつ思考の海から浮上し、現実世界へ手を伸ばす。

 そして、目が覚めた。


「……まどか?」

「……おはよう、カズ君」


 視界に映ったのは、黒髪の少女。

 その澄んだ青い瞳が、こちらの顔を見下ろしていた。

 確か名前は、楪まどか。

 トータス村の外れにある小さな工房の主で、虚弱体質な自称魔女だ。

 メディカという薬師としての名も持っている彼女が、どうしてこんな場所にいるのだろうか?

 そこまで考えたところで、ようやく意識がはっきりしてきた。


「――あいつは!?」


 一樹は思わず身体を起こそうとし、激痛によって顔を歪める。

 そんな一樹に、まどかは淡々とした口調で答えた。


「いなくなった」

「いなく、なった……?」

「うん。ドラゴンエイプはもうこの森にも、この近くにもいない。不思議とここ一帯の魔素濃度も低くなっているから、当分はモンスターが現れる心配もない。よく分からないけどいいこと尽くし」

「そう、なのか?」

「うん。間違いない」


 まどかは魔法が使える。きっと索敵系の魔法でも使ったのだろう。その言葉を疑うつもりは毛頭ない。

 寧ろ一樹が己の思考に留めたのはただ一つ。

――ドラゴンエイプ。どうやらそれが“魔猿”本来の名前らしい。

 なるほど。そう言われてみれば確かにあれはドラゴンと猿が混ざったような怪物だった。

 竜を彷彿させる鱗に覆われ、猿のような俊敏性を持ち、破壊的な力と速度、そして炎を持っている。

 あれこそが自然の理が生み出したもの。精霊の特性を持った魔獣か。

 一樹はそんなことを考えて、掠れるような小さな溜息を洩らした。


――俺は、見逃してもらったんだな、と。


 知らないうちに、一樹は力強く自分の拳を握っていた――そんな時。


「ん」


 まどかは懐からあるものを取り出した。


「それ……」


 一樹が本来取りに来たはずの薬草。それが、まどかの持っている袋の中を満たしていた。

 これだけあればまず間違いなく、村の子供たち全員を助けることができるだろう。


「森の外で滅茶苦茶な光が飛んでた。だから森が無くなる前にって慌ててこっちに来たんだけど、カズ君が森を守ってくれた。だからこんなに沢山集められた。これは大変良きこと。拍手」

「…………」

「君のおかげで皆が助かる。だから、ありがとう。カズ君」

「――ッ」


 泣きそうになった。

 負けてしまったという悔しさ。まだ自分が生きているという安堵。感謝されたことへの後ろめたさ。

 そして森の中での戦闘が、決して無駄ではなかったというまどかの言葉に救われた。

 様々な感情が複雑に絡み合い、言葉にすることができなくて、代わりに涙が溢れそうになる。


「……俺、本当は仇を取りたかったんだ」


 まどかの慈愛に触れ、気が付けばぽつぽつと本音が零れた。


「……俺、本当はあいつに勝ちたかったんだ」


 勝つつもりで挑んだ。この【消去(ちから)】があれば、負けるはずないと思っていた。

 けれど、勝利を掴むには何もかもが足りなかった。


「俺……俺、本当は……送り出してくれたミーナおばさんに、あいつを倒したよって言いたかったんだ……っ」


 覚悟と実力。心と身体。全てにおいて届かなかった。

 遠藤一樹は、所詮異能を授かっただけの村人に過ぎない。

 誰かの期待に応えられるような器を、持ち合わせていなかったのだ。


「俺は弱いよ。弱いのが、嫌だよ……」


 その認識を、誰よりも一樹自身が甘く見ていた。

 その事実に気付くのが、あまりにも遅すぎた。

 だから、今の結果になってしまった。

 偶々手に入れただけの異能を、ほんのちょっぴり使いこなせるようになっただけで、舞い上がっていたのだ。


「大丈夫。カズ君は強くなる。絶対に。私が保証する」

「……っ」


 不意に温かいものが頭に触れた。

 まどかの小さな手が、一樹の髪を優しく撫でている。

 それはずっと。いつまでも。

 一樹の涙が止まるまで、決してその手が離れることはなかった。





「落ち着いた?」

「……ああ」


 あれからどれくらい経ったのか。ほんの一分くらいかもしれないし、十分は経ったかもしれない。

 何にせよ遠くから他の村人たちの声が聞こえてきた。

 どうやら彼等もまどかと同じように、森の異変に気付いて様子を見に来たらしい。もしかすると今聞こえたのはジャックの声だろうか?

 今までまどかに抱きしめられる形で泣いていた一樹は、バツが悪そうな顔で彼女から離れた。


「帰ろう、カズ君」


 まどかは静かに微笑んだ。


「ああ、帰ろう」


 一樹は頬に流れた涙を拭い、少しだけ晴れたような顔で頷いた。




 *****




「――で? なんであんたはメディカさんをおんぶしてるのよ」


 家に帰った直後、何やら回し蹴りの演習をしながらカンナが不機嫌そうに聞いてきた。


「疲れたので」


 そして、一樹の背中越しにまどかが答える。

 事実その通りであった。

 ちょうど森から抜けたあたりで、まどかは突然糸が切れた人形のようにぱたりと倒れた。何でもドーピングで一時的に身体を強化した反動が来てしまったらしい。

 そこで仕方なく、一樹はここまでまどかを背負うことになったのだ。


「だからぁ! なんでイッキがメディカさんと一緒にいるのよ! おかしいでしょ!?」

「いや、だからってなんでお前が切れてんだよ。そっちの方がおかしいだろ。あとその蹴りの練習やめろ。おっかなくて落ち着かないだろうが」

「その通り。ヒステリックガールは男にモテない。カンナの未来は絶望的」

「余計なお世話です!!」

「あ痛い!」


 スパンッ、といい音を響かせながらローキックを放つカンナ。逆にその蹴りを食らった一樹は悲鳴を上げた。


「てんめぇ! いきなり何すんじゃ!」

「カズ君。あんまり揺らさないで……うぷっ」

「うぇ!? ちょ、ちょっとタンマ! 頼むからここでリバースするのはやめてくれ……!」

「大丈夫……女の子はゲロ吐く時もキラキラするから」

「いやそれ全然大丈夫じゃないから!」


 まどかを慌てて引き剥がそうとするが、どこに抵抗する余裕があるのか、まどかは決して一樹の背中から降りようとしない。その様子を見て益々カンナが不機嫌になり、ドロップキックのための助走をつけ始める。

 全くこいつ等。人の気も知らないで好き勝手しやがって……っ!

 一樹はそんなことを思いつつも、何だかんだでいつもの日常に戻ってこれたことが嬉しかった。

 ただまあ、痛いのは勘弁だけど。


「必殺! カンナバスター!」

「甘いわ! まどかガード!」

「ぼぇええええええ!?」


 大砲の如く飛んできたドロップキック。

 そこで一樹は咄嗟に後ろを振り向き、見事にカンナの突撃を回避した。

 代わりにキラキラを空中に飛ばしながら絶叫するまどか。


 そんな三人の睦まじい光景を眺めながら、ミーナはただ一人、安堵の笑みを浮かべていた。


「……一樹」

「あ、ミーナおばさん」


 無事にまどかを引き剥がし、ついでに降り注ぐキラキラを【滅剣ブレイド】で消し去っていた一樹は、名前を呼ばれてミーナの方へ向き直った。


「本当は色々言いたいことがあったんだけど……」

「え、ミーナおばさんも?」


 一瞬身構える一樹に苦笑しつつ、ミーナは心からの言葉を口にした。


「おかえりなさい」


 その言葉に、一樹も心からの笑みを浮かべた。


「ああ、ただいま」






第一章 帰るべき場所 了


次章 強くなるために村を出て冒険者生活始めますっていう詐欺かもしれない(仮称)

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