第12話 命を奪うということ
森に入る前から予感はあった。
尋常ならざる力を持った何かがこの地を完全に支配している。そんな恐怖にも似た予感が、足を一歩踏み出す度に強くなっていく。おまけに呼吸するだけでも苦しくなり、動悸は激しくなるばかりだ。
しかしそれでも、一樹は前に歩むのをやめない。
なぜならこの先に“奴”がいる。それだけは間違いないと確信していたから。
『ギシャァアア!』
「おわっ!?」
だがここは安全な村の中でも、ましてやモンスターが近寄ってこない『魔神の封洞』でもない。
魔素が満ちていることでモンスターが発生しやすくなっている、立派な危険地帯の中なのだ。
事実、それを証明するかのように木々の隙間から二体のゴブリンが襲い掛かって来た。
(間近で見たのは初めてかもな!)
ゴブリンとは鋭く尖った鼻と耳を持ち、緑色の肌が特徴の小人である。
幸い人間に比べれば知能は低いが、どうやらそれでも村人が一番弱く、襲いやすい生き物だというのは知っているらしい。一樹に対する恐れなどは全く見られなかった。
「クッ!」
一樹は思わずその場を飛び退き、無様に尻もちを着いてしまう。その間に三体目のゴブリンが現れ、背後から一樹の肩に噛み付いた。
「あいてぇえええええええええええ!?」
『ギャア!?』
痛みに我を忘れかけた一樹は身体を激しく揺さぶって背中に張り付いたゴブリンを振り落とし、次の行動を許す前に頭の上半分を【滅剣】の一閃で斬り飛ばした。
すると血の代わりに「意思」によってドス黒く変色した魔素が噴水のように吹き出して、見る見るうちにゴブリンの身体が無に還っていく。
一樹はその様子を直視して、言い知れぬ吐き気に襲われた。
(……気持ち悪い)
それはイフリートを倒した時には感じることのなかった不快感だ。何なら嫌悪感や拒絶感と言ってもいい。
それほどまでに生々しい死に方をしたモンスターを前に、一樹の思考は半ば止まり掛けていた。
『キシャアアアア!』
「――フッ!」
ぼうっとしている間を好機と見たのか、残りのゴブリンが同時に一樹へ飛び掛かる。
そのため、一樹は左手に持った緋色の短剣も合わせた二本の刃で対抗した。
ジャックから何度も教わった剣の扱い方を思い出し、ゴブリンが間合いに入る瞬間を見計らって剣を振る。
しかし最初の一体を倒した際に警戒されてしまったのだろう。右手の方はあっさりと後退したゴブリンに避けられてしまい、左側の方は単純に一樹の狙いが逸れた。
「――チッ!」
緋色の軌跡が宙を斬る。それに合わせてゴブリンの反撃が始まるが、一樹もまた後ろに飛び退き、体勢を立て直してから地を蹴った。
(落ち着け。落ち着け。これくらいの動きは予想できただろう? ジャックから学んだことを思い出せ! そんで今のうちに戦いの感覚を叩き込め!)
ゴブリンの動きはそこまで素早いわけではない。精々普通の人間よりほんのちょっとだけ身体が身軽というだけだ。
その上、知性がないので思考が単純。だからこそ注意深く見ていればゴブリンがどんな行動を起こすか予測するのは簡単だった。
『――ッ!?』
ゴブリンはまたもや二体同時に立ち向かってくる。
しかし、どうやら今の自分はまだ二対一で戦うなんてできないらしい。
そう考えた一樹はあっさり接近戦を諦めて、代わりに糸のような極小の光をイメージする。
あくまでも消費する力は最小限に。
一樹は二重十字架の紋章が輝く右手を砲身のように構え、片方のゴブリンを狙い定めながら叫んだ。
「【消去】!」
『ギェッ!?』
まさか飛び道具が来るとは思わなかったのか、まだ距離のある所から白色の閃光に射抜かれたゴブリンの顔が驚愕に染まる。しかし威力を抑え過ぎたせいか致命傷には至らない。
だが、これで十分だ。相手が痛みでのた打ち回ってくれればそれでいい。
一樹はその間に無傷な方のゴブリンに向かって突貫し、【滅剣】を顕現させた右手を思い切って突き刺した。
『グギャアアアアアア!!』
「――っ」
――ああ、分かった。俺はこの感覚が嫌なんだ。
一樹は二度目の勝利を目の前に、苦虫を噛み潰したような顔をした。
いくら魔物が自然現象の一部だとしても、痛みを訴える悲鳴は本物の生き物と変わらない。だと言うのに、ゴブリンの胸を貫いた右手には何の感触もなかった。
だからこそ殺したという現実味がない。命を奪ったという感覚がない。
触れた先から全てを消滅させてしまう【滅剣】は、文字通りただ相手を滅するだけの剣でしかない。
きっとこの力の前にはこちらの慈悲も相手の尊厳も関係なく、戦いに込められる全てが置き去りにされてしまうのだろう。
それが一樹にとって不快に感じる原因であり、「何の感触も得られない」という感覚が堪らなく気持ち悪かった。
(俺ってなんて馬鹿だったんだ)
思ってもいなかった精神的疲労を感じ、一樹は嫌でも思い知らされる。
戦うことがどういうことか。命のやり取りがどういうものか。一樹は何にも考えていなかった。
イフリート戦であれほど死ぬ覚悟をしたというのに。誰かが死ぬことを全力で拒絶したにも関わらず。
一樹はまだ心のどこかで、この世界で起きること全てをゲームだと甘く見ていたのだ。
そんな自分に、一樹は心から嫌悪した。
『ギャアアアアア』
「ごめんな」
それは誰に言った言葉なのか、一樹自身も分からない。しかしどうしてか謝らずにはいられなかった。
そして最後のゴブリンがようやく地面から起き上がったところで、一樹は左手に持っていた短刀を右手に持ち替える。続けてゴブリンとの間合いを素早く詰めて、相手の胸に深々と緋色の刀身を突き立てた。
「――畜生」
刃を通して伝わる、肉を絶つ感覚。同時にゴブリンの呼吸が徐々に弱まっていくのが分かり、短刀の柄を握る一樹の手が震え出す。
この瞬間になって、一樹はようやく自分が愚か者であることを自覚した。
こんな最低な感覚も知らないで、最悪な感情も覚えぬままで、よくもモンスターを倒したいなどと言えたものだ。少なくとも、慣れないうちからそんなことを思っている奴は狂っている。
それによくよく考えてみれば、ジャックや他の狩人たちだって好きでモンスターを殺しているわけじゃないのだ。
あくまでも村を守るために。皆を守るために。
それが一番の方法だと知っているから、そうしているだけにすぎない。
「俺は……馬鹿だ」
生命力を失ったのか、ゴブリンは唐突に黒い霧となって霧散する。
その様子を最後まで見届けて、一樹は本当に自分なんかが両親の誇りを証明できるのかと疑った。
だが、生憎と立ち止まっている暇はなかった。
そんな時間を、ソレは許してくれなかった。
「~~~~~~っ!?」
全身の鳥肌が粟立つような危機感に襲われ、一樹は殆ど反射的にその場を避けた――直後。
『ボァ』
爆砕。
遠くから放物線を描くように飛んできたソレは、まるで隕石でも落ちてきたかのような衝撃を伴って着地する。それと同時に烈火の如き熱風が辺り一帯を支配して、森独特のの静かな空気が壊された。
その上、辛うじて直撃を避けた一樹は衝撃の余波に巻き込まれ、何度も地面の上を転がっては肌に打撲痕を付けていく。
そんな中、一樹は他人事のように「前にもこんなことがあったな」と思いながら、すぐに気を取り直したように「クソッタレ」と呟いた。
「……なんでいつもいつもこうなるんだろうなぁ」
最初に意気込んでみたはいいものの、後でその覚悟が上っ面なものだったと思い知り、そのまま後悔した後に追い打ちを掛けられる。
そう。確かイフリートと対峙した時にも似たようなことを思ったはずだ。
あれだけカンナを助けたいと思っていたのに、自分のせいで結局カンナを戦場に呼び寄せてしまった、あの時も。
「お前が、“魔猿”か」
『……ボァ』
突如眼前に現れた赤い大猿。体毛と呼べるものは何もなく、代わりに鱗のような甲殻に覆われたその怪物を前にして、一樹は無意識のうちに唇の端を吊り上げるように笑っていた。
――舐めやがって。もしこの世に運命の神様がいるんならぶっ殺してやる。
ただの村人である自分がどうしてこうも続けて理不尽な目に遭わなければならないのか。明らかに脇役が受けるべき被害を超えているだろう、これ。
そんなことを考えて、一樹は必死に湧き上がる恐怖を押し殺す。
自分を偽って、誤魔化して、見栄を張って、我慢して。
そうしてようやく二本の足で立つことを許される自分に、心底腹が立っていた。
そして半ばヤケになったように吐き捨てる。
こういう化け物退治こそクソ勇者の仕事だろう――と。
程度の差はあれど、今回ほど自分の文章力の無さを恨んだことはない。




