第11話 お母さんだもの
「――カンナ。聞いてたんでしょう?」
一樹が家を去った後、訪れた静寂を打ち破るようにミーナは言った。
「あはは。ばれてた?」
物陰から姿を現したカンナは、バツが悪そうな表情を浮かべながら頬を掻く。それと同時にミーナもそちらを振り向いて、困ったように苦笑を浮かべた。
「そりゃもちろん。だけど意外だったわ。カンナなら絶対会話の中に割り込んで一樹を止めてくれると思ってたのに」
「うーん。本当はそうしたかったんだけどね……」
カンナは両腕を背中に回して、何て言うべきか迷うように話を続ける。
「あたしは不思議と信じられるんだ。イッキのこと。そりゃ、あいつは馬鹿で短絡的で捻くれてて、そのくせ自分は真人間だって信じきっているようなアホだし、やっぱり不安がないと言えば嘘になるんだけど」
「だけど?」
「それでも、今のイッキなら大丈夫だって信じられる。理屈じゃなくて、あの馬鹿なら突拍子もないことをやって期待に応えてくれる。そんな気がするんだ」
「それは、どういう意味かしら?」
ミーナは静かに首を傾げる。
しかしカンナはそんなミーナを不満そうな顔で睨みつけ、唇を尖らせながら言った。
「……どうせお母さんも本当は気付いてるんでしょ? だって、メディカさんの工房で一緒に見ていたじゃない」
メディカが悪魔の召喚に失敗したことで誕生した泥人形。
あれに襲われた一樹は思わず【滅剣】を使って倒してしまったが、その一部始終は当然カンナたちも目の当たりにしている。
そしてそれがどれだけ異常なことか気付かないわけがなかった。
だって、一樹はただの村人なのだから。そんな人間にあんな芸当ができるわけがない。
けれどカンナがそのことに触れようとしなかったのは、一樹が自分の異能について隠したがっていることを知っているからだ。
ではミーナは? なぜ彼女は何も言わなかったのだろうか?
メディカなら無関心だったの一言で片付くが、生憎とミーナはそういうわけにもいかない。
だからこの際、カンナは思い切って聞いてみることにした。
「ねぇ。どうしてお母さんはあの時何も言わなかったの? しかも顔色一つ変えてなかったよね? 普通は驚いたって仕方がないと思うんだけど」
「……そうねぇ。確かにあれには正直びっくりしたわ。だって相手は触れただけで物を溶かすようなモンスターもどきよ? それを素手で真っ二つにしちゃうなんて普通の村人にできるわけないもの」
「だったら、どうして? どうしてあの時何も聞かなかったの? 別に、イッキから何か言われてたわけでもないんでしょ?」
カンナが不思議そうに尋ねると、ミーナはどこか得意げで、そして誇らしそうに微笑んだ。
「ふふ。そりゃあ自分の子供のことだもの。分からないわけがないでしょう? 貴方たちが何か私に隠し事をしていることも、それを私に知られたくなかったことも、気が付かないわけがないじゃない。それなのに一体何を聞けって言うの?」
「それは……ごめんなさい」
「別にいいのよ。責めているわけじゃないわ。それに私だって無理に聞き出そうなんて気は全くないもの」
「え?」
「私だって本当は信じているもの。貴方のことも。一樹のことも」
……目元が赤く腫れているせいだろうか。
カンナにはなぜかミーナの顔がとても寂しそうなものに見えた。
「お母さん……」
「そんな顔しないでよ。そりゃあ少し、というかかなり心配だし、不安もあるし、正直物凄く怖いけれど」
「全然信じてないじゃない」
「だからそんなことないってば。ただ、戻ってきたらじーっくりと説教する必要はあると思うけど」
「それは大いに賛成ね! 手加減なんてしてあげないんだから!」
「ええ、そうね。私もすごーく怒ってるんだから」
ミーナは不敵な笑みを浮かべてカンナの頭を撫でた。それから開けっ放しにされた玄関扉のその先。もうここからでは見えない一樹の背中に思いを馳せて、ミーナはそっと瞳を閉じる。
(大丈夫。大丈夫よね。だって一樹は貴方たち二人の子供で、私の愛する子供だもの。そうじゃないと最初から諦めるつもりであの子を引き留めたりなんかしないわよ。それくらい、男の子ってすぐに成長しちゃうんだから)
ミーナは薄く瞼を開けて、カンナに微笑みかけながら言った。
「カンナ。まずはどんな罰を与えるのがいいかしら?」
「決まってるでしょ! 全力のドロップキックをお見舞いしてやるわ!」
「あらあら。それじゃあ私も練習した方がいいかしらね?」
「ふふ。お母さんも意外とノリノリだね?」
カンナは楽しそうにミーナに尋ねた。
そしてミーナも同じように答えた。
「それは悪い子を叱るんだから当然よ。だって、私はあの子のお母さんだもの」
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予感があった。
自分の本能を刺激する、何かが起きるような予感が。
不思議と高揚感が沸き上がる。その感情をを押さえることができず、そして押さえる道理もなく、ソレは夜空に向かって咆哮した。
龍の鱗を彷彿させる、赤い甲殻に包まれた炎の魔獣。
その正体を知る者であれば、きっとこう答えただろう。
奴こそが“魔猿”――ドラゴンエイプであると。




