第10話 遠藤一樹
前回のほにゃらら
シンカ病に苦しむ子供たちを救うには薬草が必要だ。
けれど薬草が生えている森には魔猿がいるらしい。
そして明かされる事実。
なんと一樹の両親は魔猿に殺されていたのだった。
戦いに荷物は必要ない。
どうせ一度始まれば生きるか死ぬかのどちらかだ。
正直に言えば防具の一つでも欲しいところだが、実際どうなんだろうな? よく考えたらそういう物を身に付けたことが一度もないから、本当に必要なのか分からない。そもそもこの村にあるようなオンボロ装備じゃ無駄に重くなるだけで大した意味は無いだろ。
俺はそんなことを考えながら右手を何度も開閉させ、繰り返し力を使う感覚を確かめる。
「……そろそろ行くか」
皆が寝静まった夜。
俺はなるべく足音を立てないように注意しながら、ゆっくりと玄関に向かって家の中を移動した。
しかしその時、背後から耳に馴染んだ声がした。
「やっぱり、行くのね?」
その問いに答えるまで、俺は暫くの時間を要した。
「……ごめん。ミーナおばさん」
「本気でそう思うのなら、こっちを向きなさい」
「……」
前言撤回。今のミーナおばさんは感情を押し殺したような冷たい声質で話し掛けてくる。
相当頭にきてるんだろうな。それくらいは後ろを振り向かなくても分かった。
まあ、気まずくてミーナおばさんの顔を見れないっていうのもあるんだけど。
でも、これだけは譲れない。譲っちゃいけない気がした。
「わりぃな。俺は馬鹿だからさ。一度思い立ったら止まれねぇんだ」
「貴方に何かあったら、私たちはどうすればいいの?」
「そうならないように気を付けるよ」
「――カズキ!」
瞬間。怒鳴るミーナおばさんに肩を掴まれ、俺は強引に後ろを振り向かされた。
驚いた。
吃驚した。
だって、あの温厚なミーナおばさんがこんな声を出すなんて、思わなかったから。
こんなにも必死な顔で涙を流しているなんて、思いもしなかったから。
「おば……さん?」
「貴方は私にとって、私たちにとって大事な家族なのよ! このまま行かせることなんて、出来るわけないじゃない!」
「――ッ」
「ただの復讐のつもりならやめなさい! “魔猿”には誰も勝てないわ! 別にいいじゃない。貴方は何も覚えていないんでしょう? そんなに腹を立ててるわけでもないのは見てて分かるわ。なのにどうしてあえて危険な道に進もうとするの?」
「そんなの、決まってる」
確かにそうだ。俺は親の顔も覚えていないようなクソガキだ。魔猿に直接恨みがあるわけでもない。
だけど、俺がこれから森に向かうのは単に魔猿を倒したいからじゃない。もっと、大事なことだ。
「俺の親父とおふくろは、カンナや俺を救うために戦ったんだろ? 薬草を手に入れるために命を懸けたんだろ? それと同じだよ。俺も、皆を助けたいんだ」
「一樹……?」
「シンカ病は薬草があれば簡単に治る病だけど、逆に言えば薬草がないとどうにもならない。時間がないんだよ。もし川辺の方にある薬草だけじゃ足りなかったら? 結局誰かが森に入るしかないじゃないか」
「で、でも。何も貴方がやらなくたって」
「俺が、そうしたいんだ」
俺は真っ直ぐにミーナおばさんの顔を見た。
絶対に目を逸らさない。
自分が無理を言っているのは分かっているけど、それでもここで退くつもりはなかった。
「私たちのことなんて、どうでもいいのね」
「違う。そうじゃない」
「だって、そうじゃない! 私がこんなに心配しているのに。どうして言うことを聞いてくれないの!? もしものことがあったら皆が悲しむことになるのよ! どうしてそれが分からないの!?」
ミーナおばさんは両手で顔を覆ってその場に泣き崩れた。
こんなに取り乱すおばさんの姿は今まで見たことがない。だからこそ分かる。
この人は本当に俺のことを愛してくれているんだってことを。胸が締め付けられるほどに伝わってくる。
だけどおばさん。あんたは本当にそれでいいのかよ?
理不尽な現実に屈して、何もしないで、それで何が残る? もし“魔猿”がこのまま森から立ち去ってくれなかったら、どのみちこれからの生活に支障が出ることなんて考えなくても分かるだろう?
何より、相手はミーナおばさんにとっても仇じゃないか。寧ろ俺なんかよりミーナおばさんの方がよっぽど“魔猿”を憎んでいるはずだろ?
だから俺は、俺は――。
「……ねぇミーナおばさん。俺はおばさんのことが大好きだよ」
「一樹?」
「カンナのことも。ジャックのことも。村の皆のことも。俺は全員のことが大好きだ。このトータス村で、俺は沢山の物を貰ったから」
「……あ」
俺はミーナおばさんを抱きしめた。
心が安らぐような温もりと共に、小刻みに震えているのが伝わってくる。
俺を失うことが何より恐ろしいことなんだって、そう言ってくれているかのように。
嬉しかった。本当に嬉しかった。
だからこそ、突然現れたようなわけの分からない魔獣のために悲しんでほしくない。
あいつがこの世にいる限り、この村の人間は心に傷を負っていくばかりだ。
それは堪らなく嫌だった。
「俺は自分の親のこと、ちっとも思い出せないけれど、それでも二人が何を想って戦ったのかはよく分かる。きっと俺と同じで、この村のことが大好きだったからなんだよな」
「――――」
「約束するよ。俺は絶対にミーナおばさんの所に帰ってくる。絶対だ。絶対に戻ってくるから」
「……嘘。だって、あの二人もそう言って、戻ってこなかったんだもの」
「嘘なもんか。俺にとってミーナおばさんはもう一人の母親だ。子供が自分の親の元に帰ってくるのは当然のことだろ?」
この時ミーナおばさんの目が一瞬見開かれたように見えたのは、多分俺の気のせいじゃないと思う。
ただ、これ以上立ち止まっているのもアレだ。気まずい。
俺はミーナおばさんから一歩離れて、「それじゃあ行ってきます」と外に出ようとした。
「――待ちなさい!」
やっぱり納得してくれないか。当然だよな。仮に異能のことを明かしたとしても、それは単純に強い武器を持っていると言うだけで俺が強いということにはならない。
第一、俺は碌にモンスターと戦った経験がない。そんな奴を信じて送り出すなんて、到底無理な話だ。
けれどミーナおばさんは俺の腕を掴んだ後、この手に短剣を押し付けていた。
俺が隣町から帰った際に返しておいた、あの「一」という文字が刻まれた短剣を。
「……これは?」
「貴方の父親、遠藤一が使っていた武器よ。何でも炎を弾く特殊効果があるらしいわ」
「え!?」
突然のカミングアウトに俺は思わずミーナおばさんと押し付けられた剣を交互に見つめた。
だって、そんなこと一言も言ってなかったじゃないか。
「言ったでしょう? お守りだって」
「いや、それだけで一から十まで分かる奴がいたら凄ぇよ」
「あえて黙っていたのよ。だって、もし貴方が昔のことを思い出してしまったら――今と同じ行動を取っていたかもしれないじゃない」
「まあ、結果はこの通りだったけど」
「――はぁ。本当、貴方はあの二人にそっくりよ。私やカンナには逆らえないなんて言っておいて、一度言い出したら絶対に聞かないんだから」
ミーナおばさんは目元の涙を拭いながら、呆れたように溜息を吐いた。
もしかしてミーナおばさんは、最初から俺が何を言っても止まらないことを知っていたのか?
だってそうじゃないとおかしいじゃないか。わざわざ短剣を持ってきた状態で俺が出て行くのを止めるだなんて。
だけどそれを聞くのは野暮と言うものだろう。
俺はありがたく親父の形見――緋色の短剣を受け取った。
「悪いな。ミーナおばさん」
「いいのよ。貴方が真っ直ぐに育っているのを見れば、きっとあの二人も喜ぶと思うわ」
「え?」
ミーナおばさんは俺の頬を軽く撫でて、優しい瞳で微笑んだ。
「貴方の名前は『一』と『美樹』、二人の名前から取って付けられたのよ。『一』本の『樹』のように真っ直ぐに育ってほしいという意味が込められてね」
「……あ」
俺の名前。遠藤一樹。
その名前にはちゃんと意味があった。ちゃんと両親から受け継がれたものだった。
ドクン、と心臓が強く鼓動する。
胸が熱くなって、気を抜けば涙が零れそうになってしまう。
「行ってきなさい。一樹。男に二言はないんだから、ちゃんと約束は守りなさいよ!」
両肩を優しく、けれど重く圧し掛かるように叩かれて、俺は力強く頷いた。
「――ああ。行ってきます。ミーナ母さん!」




