第9話 狩人達の意地
それがどういう経緯だったのかは分からない。
だが少なくともミーナが再会した時、遠藤ハジメは村人とは思えないほど優れた狩人へ成長していた。
その隣に、遠藤美樹という少々男勝りな女性を連れて。
突然の出来事に村の皆は驚いた。
なにせハジメは何の前触れもなく「風が俺を呼んでいる……!」と謎の言葉を残したっきり今まで音沙汰無しだったのだ。
そんな彼が連絡もなしに村へ戻り、しかも見たこともない女性を連れているとなれば周囲が騒ぎ出すのも当然である。
「ハジメ! お前、突然ふらりと戻ってきたと思ったら、そこのエロリオットビーナスは誰なんじゃ!?」
「いや、開口一番でそれか!? てか俺の嫁になんて呼び方してんだ!」
「はじめましてー。エロリオットビーナスの美樹でーす! よろしくねー!」
「定着しちゃった!?」
とは言え、二人の陽気な性格もあって、村人達はすぐにその現実を受け入れた。
元々ハジメとは親しかったこともあって、ミーナもまた美樹とすぐに打ち解ける。それからは様々なことがあった。
ミーナと美樹はお互いに自分の子供を自慢し合ったり、喧嘩したり、殴りあったり、空気を読めないハジメを二人で一緒にボコボコにしたり、それはもう楽しい日々の連続だった。
――ずっとそんな日々が続いていくと信じていた。
「シンカ病!? よりにもよって薬草が不作の時に……!」
「落ち着けハジメ。森の奥ならまだ数も残っている筈だ。最近になってモンスターが殺気立ってるのは気掛かりだが、俺達の実力なら問題ないだろう」
「カンナちゃんは私達で助けてあげるからね!」
薬草の備蓄が少なくなっていたその年、カンナがシンカ病に蝕まれた。
当時はメディカもまだ薬師として未熟で、一刻の余地も許されない状況において村人達が取れる選択肢はただ一つ。多少の危険には目を瞑ってでも、狩人の活躍に頼るしかなかった。そこで狩人として腕の立つハジメ、美樹、キングの三人が森の奥地へ赴くことになったのだ。
「な、なんだこの化け物は……!?」
ところが、三人の目的地には本来有り得ない筈の怪物が居座っていた。
『――ヴォアアアアアアアアアアアア!』
ゲームによっては時折見掛ける者もいるだろう。
ダンジョンの中でもないのに、ボス級のモンスターがなぜかフィールドマップを徘徊しているという光景を。
それは恋愛系アクションゲーム『アースヴェルト』においても同じ。『野放しにされた迷宮主』として、魔獣や精霊と言った数体のボス級モンスターが当たり前のように世界中を徘徊しているのだ。
もっとも、そんなことは狩人達には関係ない。
今彼等にとって重要なのは目の前に敵が立ち塞がっていること。ただそれだけだった。
「おいおいおい! いつからこんな化け物が住み着いてたんだよ! 嫌がらせか!?」
「……くっ! こいつ、ただのモンスターじゃないな!? まさか精霊!」
「いいえ。前に文献で呼んだことあるけど、あれは魔獣と呼ばれる怪物よ。さしずめ“魔猿”といったところね」
美樹の言うとおり、“魔猿”と呼ばれた魔獣は大猿を彷彿させる姿をしていた。
ただし、その肉体を覆っているのは体毛ではなく鱗。それも竜のように赤く、硬く、そしてぶ厚い鉄鋼のような鱗だ。その上、右腕は異様なまでに肥大化しており、鱗の隙間から白い水蒸気を延々と放出し続けている。
「――来るぞ!!」
真っ先に“魔猿”の変化に気が付いたのはハジメだった。しかしその指示が全員の体を突き動かす前に、ソレは放たれていた。
「〜〜〜〜〜〜っ!!」
右腕の中で溜まりに溜まったエネルギーが、逆立った竜燐から一気に放出される。それを知覚した時にはもう音速を超える拳撃がハジメ達の体を吹き飛ばしていた。
なんとか直撃だけは免れたものの、その威力は凶悪を通り越して絶望。地面はクレーターのように深く広範囲に陥没しており、周辺の木々は薙ぎ倒されるどころかバラバラになって散ってしまった。
「ハジメ……それ……っ!?」
「そんな……」
正直、生きていたのは奇跡だ。キングと美樹は満身創痍の状態で立ち上がり、目の前の惨状に息を呑んだ。
「よう。生きてたか……」
ハジメの体には右腕がなかった。
よく見ればキングの足下に何かの肉塊が落ちており、辛うじて手の形をしている所に、ハジメの愛用している緋色の剣が握られている。
キングは慌ててその剣を拾い、ハジメの元へ投げようとして――止められた。
「ハジメ!?」
目はしっかりと“魔猿”を睨み、左手でキングの行動を制すハジメ。彼はこの状況においても飄々とした声を張り上げて、キング達に“最期”の指示を出した。
「俺がこいつの相手をする。その間にお前等は薬草を確保してさっさと逃げろ。なーに。こいつに飽きたら俺もすぐに追いかけるさ!」
「駄目よハジメ! 素手でそいつをどうにかしようなんて無謀すぎるわ!」
「そうだ! てめぇの武器を放棄するなんてどういうつもりだ!」
二人は分かっていた。
ハジメの指示に異議を唱えながらも、心の底では分かっていた。
ハジメが自分達を庇って右腕を失ったことも、服の下はそれ以上に致命傷を負っていることも、全て彼の態度から嫌と言うほど伝わってくる。
事実、ハジメは二人の言葉に耳を貸さず、真っ向から“魔猿”に突撃していた。ただでさえ制限時間が設けられてしまった、己の命に火をつけて。
「――くそ!!」
何が“魔猿”を刺激したのかは分からない。もしかしたら死に掛けの人間を玩具にすることが奴の楽しみなのかもしれない。だが、“魔猿”はハジメの目論見どおりキング達から視線を外した。
キングと美樹はその間に“魔猿”の横を通り抜け、その奥に群生する薬草を必要分だけ掻き集めた。
「キング! ここから先はあんた一人で行きなさい!」
「はぁ!? お前まで何を言い出すんだ!」
「ハジメはもう限界! そうなったら誰かもう一人が足止めをしないと“魔猿”からは逃げられない!」
一度放つとしばらく使えないのか、“魔猿”は右腕の音速攻撃を封じたまま逃げるハジメを追い回している。たとえ遊んでいるだけだったとしても、あの技を使わないのであれば好都合。一人残るだけで十分に時間稼ぎができる。
「……だけど、それじゃ一樹はどうなる!? お前等二人共いなくなっちまったら……あの子は!」
「確かにそれは物凄く心配だけど、きっとミーナがなんとかしてくれるって信じてるわ。それにそれだけ薬草があれば、あの子がシンカ病を患った時も大丈夫でしょ? あの子の未来を安心して繋げることができる」
「お前……」
キングは薬草が詰め込まれた袋を握り締め、背中を向ける美樹を強く睨む。
(嫌な役目を押し付けやがって!)
一体どれだけの人が悲しむと思っているのか。
そのことが分からないほど二人は愚かではないだろう。故に彼等から託された物を必ず村まで届けなければならない。
キングは割れんばかりに奥歯を噛み締め、森の中を駆け出した。
『――ヴァオアア!』
遥か後方から“魔猿”の咆哮が聞こえてくる。しかし、こちらにやって来ないのはハジメと美樹、もしくは美樹一人だけで足止めをしてくれているからに違いない。
「ぁああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」
キングは悲しみの声をあげながらミーナの下へ走り続けた。
カンナの命を救う為。そして、この先に訪れるであろう一樹の病に備える為。
子供達の未来を繋げる為に、キング慟哭しながらも選択したのだ。
親友達の肉体を森の中へ置き去りに。その代わりとして剣と薬草を抱きしめて。
彼はただ一度も立ち止まらず、振り返らず、二人の意思を見事に果たしたのだった。
*****
「――それが私がキングから聞いた話よ。そして、後に森の中では二人の男女と思わしき遺体が発見された」
「――――」
「だからこの村の人間は皆“魔猿”を恨んでいるわ。それと同時に、絶対に関わってはいけないということを理解しているのよ」
ミーナの口から語られた過去を、一樹とカンナは黙って聞いていた。
当時は二人共まだ幼かったので、“魔猿”の事件に関しては全くと言っていいほど記憶にない。特に両親のことさえ思い出せない一樹にとっては、なんとも実感し難い話だ。
しかし、一樹は心のどこかで安堵の溜息を吐いていた。
自分にはきちんと両親がいたという事実。その両親が自分とカンナの為に命を賭けたという事実。その二つの事実によって、一樹が密かに抱えていた不安が一気に取り除かれたのである。
「――分かったよ、ミーナおばさん。“魔猿”には関わらない。それでいいんだな?」
「――ええ」
「イッキ、本当に分かったの?」
「ああ。両親に救われた命、そう簡単に投げ出せられっかよ」
一樹には一撃必殺の異能がある。しかしそれは、あくまでも相手に当てられればの話だ。その前に自分が殺されたり、攻撃を躱されたりすれば何の意味もない。だから――
(一撃……いや、一瞬で終わらせてやる)
――だからこそ、一樹は覚悟を決めるしかなかった。
胸の内から湧き上がる、名称し難い使命感。それが単なる復讐心なのか、それともミーナや村の皆に対する義侠心なのかは分からない。
しかし、これだけは言える。
両親は胸を張って自慢できる、素晴らしい人間だったのだと。
自分はその両親の息子であり、遠藤家の人間だということを。一樹は誰に対するでもなく証明したかった。




