第6話 イベントの臭いにはご用心
「お、お母さん……?」
カンナが不安そうにミーナの顔を見る。
「……私は、もう帰るから。薬は、ここに置いて行く。彼が起きた時にでも飲ませるといい」
そしてメディカは空気が読めないのか、単純に興味がないのか。ミーナ親子を無視して平然と部屋から出て行った。ばたりと扉の閉まる音が聞こえ、残された空間に重たい静寂が訪れる。
一秒が一分にも十分にも感じられる中、最初に口を開いたのはカンナに声を掛けられたミーナだった。
「……なんでも、ないわ」
「本当に……?」
「ええ。ちょっと、驚いただけよ。また魔族がやって来たのかもって」
「――魔族!」
カンナの脳裏に浮かんだのはイフリートが起こした大火災。幸いその範囲は村の広場だけで済んだものの、あの火災で大怪我を負った者は少なからず存在する。
ジャックの父親であり、村一番の狩人と呼ばれていたキングもその一人だ。彼は村人達が避難している間に、取り残された人がいないか捜索していた。その最中に飛び火して崩れ去った家屋の瓦礫に巻き込まれてしまったのである。
おかげで備蓄していた薬草は一気に使い尽くされ、今年は多少の無理をしてでも森の薬草を集めておかなければならない状況だ。
「どこの誰だか知らないけど……今度村に何かしたらただじゃおかないから!」
「こーら。そうやってまた危ないことを考える。村を想う貴方の優しさは素敵だけれど、すぐに頭に血が上るのは悪い癖よ? もう年頃のレディーなんだからもっとおしとやかに生きなさい」
「……うっ」
「それと料理の失敗作をこれ以上増やさないで」
「……ううぅ!?」
最初は怒って顔を赤くしたカンナだったが、今は羞恥で顔を赤く染めている。
それも仕方ない。一樹の弁当に入れていた成功例は、本当に稀にできる貴重品なのだ。しかもその悲しい事実は村人の殆どが知っていることである。
流石、前提から一樹達に不味いと思われるだけはある。勿論本人の前では黙っているが。
「まあ何かあったら村長かジャック辺りが教えてくれるでしょう。もう今日は遅いし、私達もそろそろ寝ましょう」
「……ううぅ!」
「はいはい。恥ずかしいのは分かったから……え、ちょ、泣いてる?」
「……泣いてないもん。もう寝る!」
カンナは母親の手を振り切って先に寝室まで走り去った。そんな彼女の背中を見てミーナは静かに微笑む。
「……あの子もまだまだ子供ねぇ」
できることなら、ずっとこのままで……。
そう思わなくもないが、やはりそうはいかないこともミーナは知っていた。
一人取り残された彼女は小さな溜息を吐きながら一樹のギルドカードに優しく触れる。
その手はとても愛おしそうに。
その瞳は昔を懐かしむように。
その表情はどこか寂しそうに。
誰にも聞こえないような小さな声で、ミーナはぽつりと呟いた。
「……一樹も旅に憧れている。あの性分はやっぱり貴方達に似ているのかしらね?」
答えは返ってこない。その代わり、一樹が少し苦しそうに寝返りを打った。
ミーナは苦笑を浮かべながら一樹に布団を掛けなおし、彼の額をそっと指でなぞる。
瞬間、ミーナの指先から一滴の光が零れ落ち、瞬く間に一樹の寝息を整えた。
「ごめんなさいね。私の魔法じゃこれくらいが限界なの」
「すぅ……すぅ……」
「せめていい夢が見られるといいんだけど」
傍から見れば本当の親子にしか見えない。いや、本当かどうかなどは関係ない。少なくとも一樹にとっては大切な家族であり、ミーナにとっては愛すべき子供の一人なのだ。
それだけ分かっていれば十分。それ以外のことはどうでもいい。二人は同じことを考えながら共に暮らしてきた。故に二人は家族なのだ。
「……おやすみなさい」
こうして、ミーナは少し遅れてカンナと同じ寝室へ向かった。
翌朝。
いつもより早めに起きたカンナは、一樹の様子を窺いに彼の部屋を訪れた。
「起きてるー? ……って、体調悪いのにそんなわけないか」
一樹は静かな寝息を立てており、今も起きる気配はない。カンナはなるべく音を出さないように気を付けながら彼の傍まで歩み寄った。
「……ね、熱を測るだけだからね! それ以外の意味は全然、全く、ないんだから!」
それは自分に言い聞かせているのか、カンナは顔を赤らめながら静かに深呼吸をする。そして意を決したように眦を吊り上げ、ゆっくりと自分の額を一樹の額に近付けていった。
直後、閉めていた筈の部屋のドアが勢いよく開かれた。
「カンナー? ここにいるのー?」
「○×*◇※△♯!!?」
声にならない悲鳴ならまだいい。しかしその時、カンナは焦燥と驚愕が入り混じり、奇声を超越した何かを発した。母親はドン引きである。
「え……エイリアン!?」
「ち、ち、違うから! あたしまだ何もやってないから! 無実だから! えっと、その、アレ! そう! アレだったから!」
「に、人間をやめた日? やだ、どうしよう。うちには波紋使いなんていないのに……」
「だからそういうのじゃないって! 第一それ、昔イッキが言ってた夢の話でしょう!? 何本気にしちゃってんのよ!」
ついつい興奮して大声を出してしまったカンナ。そのせいで一樹はぼんやりとした頭で目を覚まし、何事かと重い体を持ち上げる。
「……二人して何してんの?」
「あ、えっと、お、おはようイッキ……」
「おはよう一樹。そうだ。早速回復薬を飲ませましょう」
「……? まあ、いいけど」
まったく状況が掴めていない一樹を他所に、ミーナはすぐさま回復薬を取り出した。
試験管のようなガラス容器の中に青い透き通った液体が入っている。薬と言うよりは何かの化学薬品といった感じだ。
一樹は内心「これがゲームの定番か」などと思いつつ、ミーナから回復薬を受け取る。そしてコルクの蓋を抜き取って中身を呷ると、忽ち体の奥から熱が引いていく気がした。
「お、おお……!?」
「どう? 大丈夫そう?」
頭の中がすっきりとする。体が軽い。
一樹はベッドから飛び起き、自分の体を何度も観察した。
「……すげーなこっちの世界の医学。まさか一瞬で治るとは思わなかった」
「ふふふ。よかったわね、一樹」
「まったく、心配させるんじゃないわよ! まあイッキなんだから仕方ないけどね!」
「おう。なんか悪かったな」
「べ、別に謝るほどじゃないけどさ……治ってよかった」
カンナは頬を染めながら両手をもじもじと交差させている。その表情はどことなく嬉しそうだ。
そんな彼女に目もくれず、一樹はミーナにお礼を言った。
「ミーナおばさん、ありがとな」
「あら、どういたしまして。でもその薬をくれたのはメディカなのよ。だからお礼ならあの子に言ってやって?」
「メディカ……? ああ、なるほど。確か薬師だったもんな」
「あたしも行くわ。どうせ仕事のついでだし」
「そうね。じゃあ朝ごはんを食べたら三人でお礼に行きましょうか」
村の中とは言え、家族全員で出掛けるのは随分と久しぶりだ。カンナも同じことを思ったのか、一樹と目が合うなり照れ臭そうに微笑んだ。
この後三人は仲良く食卓を囲み、普段どおりに朝食をいただく。それから外出の準備をして家から出ようとした。
「あ、一樹! てめぇ元気になったのか!」
「おうジャック。どうしたんだよこんな時間に。もしかして薬草採集にでも行くのか?」
その時、扉の先にはかなり気まずそうなジャックが立っていた。そしてその隣にはジャックによく似た男――キングも並んでいる。もっとも、こちらはジャックよりも遥かに体格がでかい。恐らく身長百九十センチはあるだろう。
そんな彼は、一樹を見下ろしながら静かに口を開いた。
「……一樹。その件について悪い報せがある。森の方の薬草採集は中止だ」
「え?」
「俺達も手掛かりを掴んだだけでな。詳しいことはまだ言えない。しかし、森に入るつもりだったのならやめておけ。少なくとも冬になるまであそこは立ち入り禁止だ」
「ちょ、ちょっと待ってくれよキングさん! それじゃあ今年の薬草はどうなるんだ? もう村に残っているのはほんの僅かなんだろう!?」
突然のことに驚きを隠せない一樹。
彼は少し戸惑いながらキングに話に異を唱えた。後ろで黙って聞いていたカンナも一樹の意見に頷き、ミーナも不安そうな眼差しでキングを見つめる。
「……川辺の方にも薬草はある。動物の餌場だから、あまり多くは集められんがな」
「じゃあどうしてよ?」
「それは――」
カンナの疑問にキングは答えない。どういうわけか、彼は一樹の存在を気にしているようだ。どこか遠慮しているような視線に一樹は首を傾げる。
「――魔猿、ね?」
そして何を知っているのか、キングの代わりに口を開いたのはミーナであった。
「ミーナ。知っていたのか……」
「昨日、メディカから聞いたのよ。貴方達がそんなことを話していたって。まったく、十年も経ってどうしてまた……」
「言っても仕方あるまい。奴は半分自然の理なのだ。人間の考えでは当て嵌め切れん」
「え? 何? お母さんもキングさんも、一体なんの話をしているの?」
カンナは頭の上に疑問符を浮かべながら交互に二人の大人を見回した。
その間に一樹は一人で考える。まさか、まだ隠しイベントが残っていたのかと。しかしその考えはすぐにあり得ないと切り捨てた。
なぜなら『アースヴェルト』で起こる大きなイベントは、全て勇者の周りで発生するからだ。勿論メインイベントの布石という可能性もあるが、それでもこんな何もない村に重要な物語が絡んでくるだろうか?
唯一気がかりな『魔神の封洞』も、プロローグイベントを終えてからはただの洞窟と化している。とてもじゃないが勇者関係の問題とは思えなかった。
「……悪いが俺もまだ“奴”の姿を見たわけじゃない。とにかく今は森に入らないでくれ。今日はそれだけを伝えに来た」
「……? まあ、どうせあたしは森に入らないから別にいいけど」
「それと一樹」
「ん?」
急に呼ばれて、一樹は反射的にキングの顔を見た。そしてその真剣な眼差しに硬直する。
「……頼むから、早まった行動だけはするなよ」
「それって……どういう意味だ?」
何を言っているのかよく分からない。
一樹は眉を顰めて聞き返すが、キングはすでに背を向けて歩き出している。仕方がないのでこの場に留まっているジャックに視線を向けた。
「さあな。俺も親父が何を考えているのか分かんねー。けど、俺はあの化け物を見た。だからマジで森に入るのはやめておけ」
「え、見たのかよ!?」
「ああ。あれは俺達でどうにかなるような相手じゃねー。間違いなく勇者様クラスじゃねーと勝てねーぜ」
ジャックは困ったように肩を竦めると、キングの後を追うように一樹達に背を向けた。
「……勇者クラスねぇ」
森にヤバイ奴が潜んでいることは分かったが、結局どうしてそんなことになっているのかは分からずじまいだ。
一樹もまた困ったように肩を竦め、ひとまず目的を果たそうとミーナ達の方を振り返った。
「とりあえずメディカさんとこに行こうぜ。触らぬ神に祟りなしだ」
「そうね。さっさと行きましょ……お母さん?」
「な、なんでもないわ! さあ、メディカの工房まで行きましょうか!」
「……?」
気のせいだろうか。一瞬、ミーナが浮かない顔をしていたように見えたが。
一樹はそんなことを思って首を捻ったが、今の彼女は普段どおりの笑顔を浮かべている。
「ほらイッキ! ぼさっとしないの!」
「そうそう。ぼさっとしないの!」
「あーはいはい。分かったから二人で引っ張んなって」
少しだけ心にモヤモヤしたものが残ったが、生憎とその正体も分からない。
一樹はどこかで言い知れぬ不安を感じながらメディカの工房に向かった。




