第4話 ざわめく者達
この話はジャック回です。
主人公は一切出ません。
基本的に薬草はどこにでも生えている。ごく少量ならトータス村のすぐ近くに。そうでなくとも、村周辺の平原ならば適当に歩き回るだけで容易に見つけることが可能だ。
しかしより大量に、質の良い物を求めるなら川辺の近く、またはモンスターの巣食う森の奥地まで足を延ばさなければならない。それこそ動物に食い荒らされることのない、言い換えれば動物が近寄ることのできないモンスターの縄張りだ。当然、多少の危険は付き纏う。
「――オラァ!」
しかし、物心ついた時から父親に戦う術を叩き込まれ、その技術をこれまでの実戦で磨き上げていたジャックには殆ど関係のない話だった。
ジャックが素早く大剣を振り回し、横に一閃。彼を挟み込もうと前後から飛び掛った二体のゴブリンは呆気なく胴体を切り裂かれ、その場で力尽きたように崩れ去る。
「テメェ等の実力じゃこのジャック様には敵わねーよ」
そう言って死体となったゴブリン達を見下ろすが、すでにその肉体の半分が魔素へと還り、消滅していた。これは死んだことによって魔素を繋ぎ止める「意思」が途絶え、肉体を構成する力が失われた為だ。
厳密なことは未だ明らかになっていないが、大気中に含まれる魔素はある一定量が集まると「意思」を生み出し、モンスターとしての肉体を構成する。その為、モンスターは実際のところ生物にはカテゴライズされておらず、雨風と同じような自然現象の一種として考えられている。
『ギャー!』
『ギャアス!』
ジャックはまたもや得意気に大剣を構え、後から現れたゴブリンに狙いを定める。そして迷わず正面から突撃し、その首を跳ね落とした。
「まったく……今日はモンスターが多いな。一体どうした?」
ジャックはいつもと違う森の様子に少し疑問を抱いていた。普段よりモンスターの遭遇率が高過ぎる、と。
本来、この辺りのモンスターは弱い上に数も少ない。その為、短い時間で何度もモンスターと遭遇することなど滅多になかった。
しかしジャックは森の奥地に足を踏み入れてから、最低でも十分に一度はモンスターとの交戦を繰り返している。こんなこと、いつもなら決してあり得ない筈の異常事態だ。
『グアアアアアア!』
「げ! 今度はビッグベアーかよ!? 退避退避!」
流石に自分より大きい相手には敵わない。森の木々を掻き分けて現れた巨大熊を見て、ジャックは即座に逃走開始。モンスターに背を向け、全力疾走を行う。
そもそも、どうして彼が森の中にいるのかと言うと、それもまた怒れる少女から逃げ出した結果であった。
事態が起きたのは朝九時。メディカ捜索の為の待ち合わせ時間が過ぎた頃である。
いつまで経ってもやって来ない一樹を探して、ジャックとカンナはミーナに話を聞きに行った。その結果、行方不明の二人はどちらもラビッツの町にいることが発覚したのだ。
当然、気の短いカンナは「なんで二人とも黙って勝手に行っちゃうの!」とか「一人で町に行くなんて危ないわ! 誰かに騙されたらどうすんのよ!」などと叫んで激怒していた。
そんなヒステリックガールに進んで関わろうとする者は殆どいないだろう。ジャックも例に漏れず、薬草採集に行くと適当な理由をつけてその場を離れた。
「畜生! 何だってどいつもこいつも落ち着きのない奴ばかりなんだ!」
ジャックは必死に足を動かしながら巨大熊の猛追に対抗していた。
ただ普通に逃げるだけでは埒が明かないと判断したのか、狩りに行く時に常備している臭い玉を投げつける。
直後、顔を顰めたくなるような悪臭が大気中で弾け、鼻が利く巨大熊を大きく怯ませた。
『ガアアアアアアアア!?』
「おっしゃあ! 前言撤回!」
思った以上に隙を見せてくれたので、ジャックは即座に攻撃へ転じる。その際、彼の持っていた刀身が淡い光を放ち、通常よりも斬撃の速度が加速した。
「ジャックスラッシュ!」
それはこれまでの狩りで編み出したジャック独自の必殺技。自らの魔力を剣に纏わせ強化する強力な一撃だ。魔力が少ないので乱発は無理だが、ここぞという時に使えば非常に頼りとなる。
もっとも、似たような技は世界中で考案されているので、別に珍しくもなんともない。と言うか、勇者であるリュウトやメイドである晴香も似たような技を持っている。しかもジャックスラッシュの攻撃力は彼等の通常攻撃にも届かない。職業の壁というのは非情である。
『ガ……ァ』
まあしかし、巨大熊を仕留めるにはこれで十分だ。
ジャックの一太刀を浴びた巨大熊は、弱々しい声と共に魔素へと還り霧散。ついでにその場にはドロップアイテムとして『巨大熊の毛皮』が残った。
「お、久々のドロップアイテムじゃん。ラッキー!」
モンスターの一部はごく稀に完全な魔素へと還らずドロップアイテムとして残ることがある。これは通常の素材に比べて耐久性に優れており、耐熱性や耐電性といったモンスターの特性を宿す物も多い。
その為、ドロップアイテムは基本的に高額な値段で取引される。少なくとも村人にとっては大金だ。ジャックが喜ぶのも無理はない。
「――――」
しかし、彼の笑顔はすぐに凍りついてしまった。
『――――』
それはほんの一瞬の出来事。
少しだけ視界を横切ったに過ぎない、単なる見間違いと言われても仕方がない光景だった。だが、確かに一瞬、ジャックは目が合ったのだ。
全身が赤い甲殻に覆われた、あの巨大な化け物と。
「……モンスターがざわついていたのはあいつのせいか」
たった一瞬が数分にも感じられた。それどころかいつの間にか呼吸が乱れ、口から漏れ出た言葉も殆ど掠れてしまっている。
そしてようやく五感を取り戻した時、ジャックは気付いてしまった。
「……こいつは……やばいかもな……!」
あの時、化け物がジャックを無視して素通りしたのは偶然じゃない。ましてや何の興味も持っていなかったとか、弱者だと侮っていたわけでもない。
奴はただ臭いを嫌っていただけなのだ。今も尚はっきりと残る、この臭い玉の異臭を。
もし巨大熊との戦いで臭い玉を消費していなかったら。
もし悪臭という何かを躊躇う要素がなかったら。
ジャックは今頃、あの化け物に襲われ、殺されていたかもしれない。
その可能性を自覚した時にはもう、彼の全身からは大量の冷や汗が流れていた。
*****
“ソレ”は炎こそが力だった。
故に炎を追いかけ、炎を求め、炎と共に去っていく。その筈の存在だった。
しかし、そのサイクルは突如として終わりを迎える。
一ヶ月前のあの夜。何の予兆もなく、圧倒的な炎の力が失われるその時までは。
怒りはあった。悲しみはあった。落胆はあった。絶望はあった。
だがそれ以上に、疑問が湧いた。
あれほどの強大な炎を消し去ったのは一体何者なのかと。
“ソレは”単純に好奇心が強かった。そして獣としての本能が、直感が、血が、熱くざわついていた。
『――ボァ』
そんな体を冷ますかの如く、空から小雨が降り注ぐ。しかし“ソレ”の熱は下がらない。
まるで焼けた石に水をかけた時のように、激しい音を立てながら凄まじい蒸気が噴き出していた。
紅蓮の竜を彷彿させる鱗。そして異常に発達した片腕。先の方が燃え続ける巨大な尻尾。
“ソレ”の傍には自然とフォレストモンキーという猿型のモンスターが集まっていた。
そう。もしも“ソレ”を知る者が見れば、一目でその正体に気が付いただろう。
自然現象、自然の摂理に従い、濃密な魔素から生まれた存在。
すなわち精霊とモンスターのハイブリッド――魔獣。
奴等を目撃した冒険者は皆口々にこう言い残している。
――あれは『野放しにされた迷宮主』に違いない……と。




