第3話 心配になる少女
「ふぅ〜、なんとか誤魔化せたな」
一樹は安堵の溜息を吐きながら街の中を散策していた。
なにせ先ほどの一件。ギルド内で起きたステータス表示のトラブルにより、一樹はずっと居心地の悪さを感じていたのだ。
おまけにギルドカードの感想を正直に話しただけで喧嘩腰になられる始末。冗談じゃない。
気が付くと、一樹は気に入らないランキング一位、リュウトとのやり取りを思い出してうっかり挑発めいたことを口走っていた。ぶっちゃけ、クズキ云々の話も殆ど反射的な反応だ。単にその場のノリと勢いが偶然重なっただけで、本気で怒っていたわけではない。寧ろ必要以上に一樹を問い質すこともなく、ちゃんとギルドカードを発行してくれたことに感謝すべきだった。
そこで一樹は受付嬢にお礼を言い、これまでの話をなぁなぁで終わらせることにしたのだ。まあ、その分余計に怪しく思われただろうが。
「さてと。もう用は済んだし……どうすっかな」
一樹は辺りを見回しながらそんなことを呟いた。
勿論このまま帰っても構わないのだが、せっかく訪れた町だ。色々と見ていかなければ勿体無い。せめて財布に余裕があれば買い物なども楽しめるのだが……。
「俺、基本的に小遣いとか貰ってねーもんな」
一樹は僅か数枚の銅貨を握り締めて溜息を吐いた。
この世界では銅貨、銀貨、金貨という三種類の貨幣が流通している。
日本円に例えると一円、百円、一万円と言ったところだろうか。金貨は銀貨百枚分の価値があり、銀貨は銅貨百枚分の価値がある。ちなみにパンを一つ買うなら最低でも銅貨が二枚必要だ。
「……しょうがないからその辺の店でも冷やかしに行くか」
一樹は諦めたように肩を竦めると、手始めに自分とは無縁そうな本屋を選んだ。
思えば、村の中には本というものが全く置かれていない。あるとしても、精々村長が隠し持っている卑猥な絵画集くらいだ。それを男性陣の間でこっそりと回し読みしている。
もっとも、古い上に何度も読まれている本だったので、一樹の順番が回ってきた時にはすでにボロボロの状態だった。と言うのも、この世界の本は全て手作業か魔法で作られているので非常に高価なのだ。故にトータス村のような小さな村では一冊購入することさえ難しい。
しかし、店内で読む分にはタダである。一樹は何か面白いものは無いかと適当に近くの本に手を伸ばした。
「……あ」
「あっ」
その瞬間、横から伸びた手が一樹の手と重なった。驚いた一樹は咄嗟に隣に目を移す。
「……ごめんなさい」
「あ、いや、別にいいけど」
そこにいたのは白衣を着ている少し大人びた美少女だった。と言っても、あまり健康的には見えない。
いつかのメイドを思い出す黒髪はボサボサに乱れており、青い目の下には薄っすらと隈ができている。おまけに肌は病的に白く、立っているのが不思議なほどの痩身だ。
なんと言うか、綺麗ではあるが魅力を感じない。強いて言えばよく出来たマネキン、もしくはフランス人形を彷彿させるような女性だった。
「あんた、大丈夫か? すげー顔色悪いけど」
「……大丈夫。これが素の顔……だから」
「いやいや、大丈夫には見えないって……うおい!?」
「あ……ごめんなさい。久しぶりに誰かの顔を見上げたら……眩暈が……」
見た目どおり病弱だった少女は、一瞬気を失ったように一樹の胸元に倒れ込む。焦った一樹は慌てて彼女を背中に背負い、町の中で見かけた広場に向かって駆け出した。
「ああ……ちょっと揺れる……うぷっ」
「おわああああ!? ここでリバースするのはやめて! あとちょっと! あとちょっとだけだから!!」
「さきっちょだけでいいって……なんか卑猥ですね」
「言ってねーから!」
まったく、余裕があるのかないのか、さっぱり分からない女だ。
一樹はそんなことを考えながら広場のベンチに少女を寝かせた。その上タイミングよく氷菓子の屋台が広場の前を通ったので、一樹は軽く声を掛けて一人分だけ購入する。
カップの中には甘いジュースと一緒に凍った果実がゴロゴロと入っており、持っているだけでもひんやり冷たい。思わず喉が鳴ってしまう。
もしも相手がカンナであれば迷わずカップに口を付けるのだが、そうではないので仕方がない。一樹は一口も食べることなく、名残惜しそうにしながら少女にカップを手渡した。
「こんな時どうすりゃいいか分かんないけど、とりあえずな」
「あーん」
「はい?」
「あーん」
どうやら食べさせてくれ、と言っているらしい。初対面の相手にそんなことを頼むとは、何とも厚かましい奴である。
一樹は若干呆れながらもスプーンで果実の一つを掬い上げ、少女の望みどおり口の中に運んでやった。すると彼女は小動物のように口をもきゅもきゅと動かしながら美味しそうに微笑む。
「うまいか?」
「うん。……あーん」
「また俺が食わせるのかよ……」
「あーん」
やれやれ。面倒な奴に関わっちまったな。そうは思いつつも放ってはおけない。一樹は少女の要望に従うしかなかった。
「……もっと、欲しい」
「はいはい分かった分かった。ほら、あーんしろ」
「あーん」
まるで雛鳥に餌を与える親鳥の気分だ。
少女のおねだりを聞き入れながら、一樹は深い溜息を吐いた。
「……んま」
それからどれくらい経っただろうか。一樹は残ったジュースを飲みながら静かに少女が目覚めるのを待っていた。
すっかり餌付けされて一樹に懐いたらしい少女は、未だに自分が誰なのかも明かさないまま一樹の膝枕で眠っている。そんな彼女の頭をなんとなく撫でていると、心なしかさっきよりも気持ち良さそうな寝顔を浮かべるようになった。
「……あーん」
「おいおい、夢の中でも食ってるのかよ。どんだけ食い意地が張ってやがんだ?」
そう言えばカンナも子供の時はこんな感じだったな。いや、今も食い意地は張ってるけど。一樹はそんなことを思い出して懐かしむように唇を緩める。
結局町の中を自由に見て回ることはできなかったが、不思議と悪い気はしない。寧ろこうして村の外に出てきて良かったと素直に喜ぶことができた。
恐らく、一樹は「どこへ行くか」よりも「誰と行くか」を重視するタイプなのだろう。そして偶々出会った少女の存在は、一樹にとってそれなりに悪くない相手だったのだ。
「……つっても、そろそろ帰らないとやばいな。おい、起きろ。もう夕方だぞ」
「……ごしゅじん……ごはんは?」
「だからどんな夢見てんだよ……って、あ、こら! そっち側に寝返り打つな! 傍から見たら卑猥に映っちゃうだろ!?」
それから少女が目を覚ましたのは十五分も後のことだった。
「今日はどうもありがとう」
ふらふらと立ち上がった少女は、そう言ってぺこりとお辞儀した。
外見は依然として大人びているが、今日のやり取りで精神的には五歳児なんじゃないかと思えてしまう。その為、一樹は無意識に苦笑を浮かべてしまっていた。
「まあ気にすんなよ。それより体は大丈夫か?」
「うん」
「そっか。じゃあ俺はもう帰るよ」
「待って」
「ん?」
少女は背を向ける一樹の服を掴んで呼び止めた。そして白衣のポケットからぶ厚いメモ帳と鉛筆を取り出し、ぼうっとした瞳で一樹を見上げる。
「お名前聞いてもいいですか?」
「あ、ああ。俺は遠藤一樹だ。……お前は?」
「私はまどか。楪まどか」
「まどかか。いい名前だな」
メイドインジャパンのゲームだからか、この世界には日本人のような名前も珍しくはない。そして一樹は根っからの日本人である為、そのような名前を聞くとなんとなく落ち着くのだ。
「一樹も……素敵な名前」
「お、嬉しいこと言ってくれるねぇ。ありがとよ」
一樹は相好を崩してまどかの頭を優しく撫でる。その際、彼女が書き留めているメモ帳の中身がちらりと見えた。
『えんどうかずき すいかあじ おいしい こんどおんがえし あたまなでなで』
――俺が食べ物になっている!?
一樹は心の中で突っ込んだ。なにせ書いている内容が荒唐無稽すぎる。
恐らく思いついたことを片っ端からメモ帳に書き記しているのだろうが、それが微妙に意味を成しているので面白い。
(どうやら今度会った時、恩返しに頭を撫でてくれるみたいだな。期待しておこう)
一樹はそんなことを思いながらまどかとの再会を予感する。故に知らないうちにこんな言葉が口を出た。
「じゃあ、またな」
まどかも微笑みながら頷き返す。
「うん。またね」
こうして、一樹にとって初めての遠出は実に印象深いものとなった。
カンナ「……はっ!? 今、何か嫌な予感が……!」




